【現代語訳】

 大殿の君は、久し振りにお渡りになって、すぐにはお帰りになることもできず、落ち着かぬ気持でおられるところに、
「息をお引きとりになりました」と言って使者が参上したので、まったく何を考えることもおできになれず、お心も真暗になってお帰りになる。その道中気が気でないが、なるほどあちらの院は周囲の大路まで人が騷ぎ立っていた。邸の中の泣き騒いでいる様子は、なんとも不吉である。我を忘れて中にお入りになると、
「ここのところ数日は、少しよろしいようにお見えになったのですが、急にこのようにおなりになりました」と言って、控えている女房たちは皆、自分も後を追おうとうろうろしている様子はこの上ない。御修法のいくつもの壇を壊して、僧たちもしかるべき人は退出しないでいるが、ばらばらと立ち騒ぐのを御覧になると、

「それではもう最期なのだ」とお思い切りになるその情けなさに、他にどのような比べるものがあろうか。
「そうは言っても物の怪のすることであろう。そんなにむやみに騒ぐな」とお静めになって、ますます大層ないくつもの願をお立て加えさせなさる。すぐれた験者たちをすべて召し集めて、
「限りあるお命でこの世でのご寿命がお尽きになったとしても、ただもう暫く延ばして下さい。不動尊の御本誓があります。せめてその日数だけでも、この世にお引き止め申して下さい」と頭から本当に黒い煙を立てて、大変な熱心さでご加持し申し上げる。院も、
「ただ、もう一度目を見合わせて下さい。まったくあっけなく臨終の時にさえ会わずじまいであったことが、悔しく悲しいのですよ」と取り乱しておられる様子の、生き残っていらっしゃることができそうにないのを拝見する心地は、ただ想像できよう。

大変なお悲しみを仏も御照覧申されたのであろうか、このいく月もまったく現れなかった物の怪が小さい童に乗り移って、大声でわめくうちに、だんだんと生き返っていらっしゃって、嬉しくも恐ろしくもお心の騒ぐ思いでいらっしゃる。

 

《さて、話変わって、前章第七段の終わりから繋がる源氏の側のお話です。

彼は、女三の宮の具合が悪いという知らせを受けて「久し振りに(原文・まれまれ)」六条院にやって来ていました。紫の上を二条院に移した三月の初め(前章第五段)以来、一ヶ月ぶりの対面ですから、そう簡単に帰るわけにもいかずに、二条院が気になりながらも、少しゆっくりしていると、今度は二条院から急の使いがあって、「(紫の上が)息をお引きとりになりました(原文・絶え入りたまひぬ)」との知らせです。

と言っても、夕顔の上の亡くなるとき(夕顔の巻第四章第六段1節)もそうであったように、これでいきなり本当に亡くなってしまったということではありません。

しかしもちろん源氏は大慌てで帰っていきました。

「周囲の大路まで人が騷ぎ立っていた」と大変うまい表現で、まるで葬儀が始まっているようで、事態の切迫を感じさせます。

「御修法のいくつもの壇を壊して」というのは、もう僧達も半ば諦めて引き上げるということのようで、源氏は驚いて、改めて「すぐれた験者たちをすべて召し集めて」、必死の祈祷をさせます。「頭から本当に黒い煙を立てて」が、いささかユーモラスにそのものすごい形相を感じさせますが、その時、「本当に(原文・まことに)」の一言は、どこまで「本当」なのだろうかと思うのは、余計な詮索と言うものでしょうか。

ともあれ、その甲斐あってか、「大変なお悲しみを仏も御照覧申されたのであろうか」、紫の上を苦しめている物の怪がとうとう姿を現しました。と同時に、さいわいにも上は息を吹き返します。》

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