源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第三章 朱雀院物語(一)

第四段 朱雀院の御賀を二月十日過ぎと決定

【現代語訳】

 朱雀院の五十の御賀は、まず今上の帝のあそばすことがたいそう盛大であろうから、それに重なっては不都合だとお思いになって、少し日を遅らせなさる。二月十日過ぎとお決めになって、楽人や舞人などが参上しては、合奏が続く。
「こちらの対の上がいつも聞きたがっているお琴の音色を、ぜひとも他の方々の箏の琴や琵琶の音色も合わせて、女楽をさせてみましょう。

ただ最近の音楽の名人たちは、この院の御方々のお嗜みのほどにはかないません。
 きちんと伝授を受けたことはほとんどありませんが、どのようなことでも、何とかして知らないことがないようにと、子供の時に思ったので、世間にいる道々の師匠はだれも、また高貴な家々のしかるべき人の伝えをも残さず受けてみた中で、とても造詣が深くてこちらが恥じ入るように思われた人はいませんでした。
 その当時よりも、また最近の若い人々が風流で気取り過ぎているので、全く浅薄になったようです。琴の琴は、また他の楽器以上に全然稽古する人がなくなってしまったとか。あなたの御琴の音色ほどにさえも習い伝えている人は、ほとんどありますまい」とおっしゃると、無邪気にほほ笑んで、嬉しくなって、

「このようにお認めになるほどになったのか」とお思いになる。
 二十一、二歳ほどにおなりになりだが、まだとても幼げで、未熟な感じがして、ほっそりと弱々しく、ただかわいらしくばかりお見えになる。
「院にもお目にかかりなさらないで何年にもなったが、大人びられたことだと御覧いただけるように、一段と気をつけてお会い申し上げなさい」と、何かの機会につけてお教え申し上げなさる。
「なるほど、このようなご後見役がいなくては、まして幼そうにいらっしゃいますご様子は隠れようもなかろう」と、女房たちも拝見する。

 

《朱雀院の祝はまず帝がなさってから、ということで、少し先に延ばして二月十日過ぎと決まり、そこに向かって合同稽古にも熱が入ります。

源氏は、それまでの間に「女楽」をやらせてみよう思いつきました。女性だけの雅楽の合奏で、「これは、六条院ならではの事である。女御の箏(ソウ・琴)、紫の上の和琴(ワゴン)、明石の御方の琵琶、みな名人の域に達している。これに女三の宮の琴(キン)を加えれば、絃楽器は全部そろう」と『評釈』が言います。

そして例によって源氏の蘊蓄が披露されますが、ここは「序論」(『集成』)です。

中で、琴の琴については、どうやらこの頃には女三の宮の腕もこういう人々と肩を並べるほどになったようで、源氏はその腕前を保証しました。

源氏が院の祝賀を思い立ったのは、十月二十日の住吉詣でからかえってのことですから、十一月に初めごろでしょうが、そのころ姫宮の琴はまだ人前に出せるものではありませんでした。それからわずか二ヶ月そこそこにして、「あなたの御琴の音色ほどにさえも習い伝えている人は、ほとんどありますまい」(ということは、まだ名手とは言えないにしても、実質的には当代きっての弾き手ということになりますが)と言われるほどになったというのは、ちょっと想像を絶する上達であるように思われますが、そのあたりはまだ作者の「昔物語」感覚が抜けきっていないせいなのでしょう。

ともあれ姫宮は源氏に褒められて「無邪気にほほ笑んで」喜んでいます。しかし、「二十一、二歳ほど」といえば、当時としては女性として熟年に近い年頃、「女盛り」(『評釈』)なのですから、もう少し大人びた受け取り方があろうと思われるのですが、「まだとても幼げで…」と作者も危ぶんでいます。源氏も、「(父院に会う時は)一段と気をつけてお会い申し上げなさい」と言わずにはおれない有様で、周囲の女房も気が気でない様子です。

読者としては、紫の上がこういう女性のために心を悩ませられているのだと思うと、何か気の毒で、少々おもしろくない気がします。》

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第三段 女三の宮に琴を伝授~その2



【現代語訳】2

 女御の君にも対の上にも、琴の琴はお習わせ申されなかったので、この機会にめったに耳にすることのない曲目をお弾きになるらしいのを、聞きたいとお思いになって、女御も、特にお許しの出にくいお暇をほんの暫くとお願い申し上げなさって御退出なさった。
 お子様がお二方いらっしゃるが、またまたご懐妊の様子で、五か月ほどにおなりだったので、神事にかこつけていらっしゃるのであった。

十二月の十一日が過ぎたら参内なさるようにとのお手紙がしきりにあるが、このような機会に、こんな興味深い毎夜の音楽の遊びが羨ましくて、

「どうして私にはご伝授下さらなかったのだろう」と、恨めしくお思い申し上げなさる。
 冬の夜の月は人とは違ってご賞美なさるご性分なので、美しい雪の夜の光に、季節に合った曲目類をお弾きになりながら、伺候する女房たちも、少しはこの方面に心得のある者にお琴類をそれぞれ弾かせて、管弦の遊びをなさる。
 年の暮れ方は、対の上などは忙しく、あちらこちらのご準備で、自然とお指図なさる事柄があるので、
「春のうららかな夕方などに、ぜひにこのお琴の音色を聞きたい」と言い続けていらっしゃるうちに、年が改まった。



《源氏が女三の宮を特訓しているという噂を聞いた明石の女御は、ぜひこの機会に聞かなければならないと、おりよく懐妊中だったので、「神事を避けるのを口実にして」(『評釈』)里下がりをしてきました。

 「お子様がお二方」について、『評釈』は東宮と女一宮の二人だとしますが、『集成』は、前に「御子たちが大勢いらっしゃって(原文・御子たちあまた数添ひたまひて)」(第二章第一段)とあったことを挙げて、「すでに女御の手許を離れている東宮と女一宮はのぞいた、二の宮、三の宮であろう」と言います。確かに二人では「大勢」とは言わないでしょうが、女御は入内して七年目、五人目というとちょっと大変すぎるとも思えます。どんなものでしょうか。

 「十二月の十一日が過ぎたら(原文・十一に過ぐしては)」は、主な神事が終わったら、という意味のようで、原文の「十一日」は「十一月」とある本もあるようです。

女三の宮の特訓は夜を徹して行われたようで、源氏は、「美しい雪の夜の光に、季節に合った曲目類をお弾きになりながら」、女三の宮を中心に、心得のある女房たちに囲まれて(しかも女御まで加わって、なのでしょうか)、管弦の遊びを楽しんでいます。

『光る』が、ここの「冬の夜の月は、人とは違ってご賞美なさるご性分」について、「大野・これは『枕草子』への鞘当てですね。『枕草子』では『冬の夜の月』は『すさまじきもの』という中にいれてある」と指摘します。

このことは、以前源氏の言葉でも、「冬の夜の冴えた月に雪の光が照り映えた空」を「興醒めな例としてとして言った人の考えの浅いことよ」(朝顔の巻第三章第二段)と語られていました。ただし、現存の『枕草子』の「すさまじきもの」の段にはありません。

さて、こうして夜な夜な管弦の遊びが催される、そのころ、紫の上は、年の暮れとあって六条院全体の新春の支度で「自然とお指図なさる事柄があるので」加わることができないままでした。

かつて源氏は、何か面白いことがあれば、まずは紫の上がいなければならなかったはずのですが、…。彼女は「春のうららかな夕方などに」と慎ましく残念さを言うだけで、じっと我慢し、堪えています。「言い方は考え方を表す。人柄を表すのである」と『評釈』が高らかに讃えますが、彼女の思いは、その分痛切です。》



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第三段 女三の宮に琴を伝授~その1

【現代語訳】1

 姫宮は、もともと琴の御琴をお習いであったが、とても小さい時に父院にお別れ申されたので、気がかりにお思いになって、
「お越しになる機会に、あの御琴の音をぜひ聞きたいものだ。いくら何でも琴だけは物になさったことだろう」と陰でお噂なさったのを、帝におかれてもお耳にあそばして、
「仰せの通り何と言っても格別のことでしょう。院の御前で、精一杯にお弾きになる機会に、参上して聞きたいものだ」などと仰せになったのを、大殿の君は伝え聞きなさって、
「今までに適当な機会があるたびにお教え申したことはあるけれでも、その腕前は確かに上達なさっているものの、まだお聞かせできるような深みのある技術には達していないのに、そんなつもりもなくて参上した折りに、お聞きあそばしたいとたってお望みあそばしたら、とてもきっときまり悪い思いをすることになりはせぬか」と、気の毒にお思いになって、ここのところご熱心にお教え申し上げなさる。
 珍しい曲目二つ三つ、面白い大曲類で、四季につれて変化する響き、空気の寒さ温かさをその音色によって調え出して、高度な技術のいる曲目ばかりを、特別にお教え申し上げなさると、気がかりなようでいらっしゃるが、だんだんと習得なさるにつれて、大変上手におなりになる。
「昼間はたいそう人の出入りが多く、やはり絃を一度揺すって音をうねらせる間も気ぜわしいので、夜な夜なに、静かに奏法の勘所をじっくりとお教え申し上げよう」と言って、対の上にもそのころはお暇申されて、朝から晩までお教え申し上げなさる。


《院の御前で舞楽を、という話が、今度はさらに女三の宮の琴の御琴を、という話になります。宮は子供の頃に習っていて、さらに琴の名手である源氏(かつて弟・兵部卿宮は父・桐壺帝の「(源氏は)詩文の才能は言うまでもなく、それ以外のことの中では、琴の琴をお弾きになることが第一番で」という評価を聞いていました・絵合の巻第四章第一段)の所に嫁いだのだから、「いくら何でも琴だけは物になさったことだろう」「仰せの通り何と言っても格別のことでしょう」と期待されることになりました。

ところが実際はそれほど熱心に指導したわけではなく、上達も遅かったようで、「まだお聞かせできるような深みのある技術には達していない」とあって、源氏の方がプレッシャーを感じます。

琴の琴は「柱(じ)が無く、左手でおさえ右手で弾く。奏法が複雑で弾き難かった」(『辞典』)と言い、また「一条朝の頃には、琴の演奏がほとんど杜絶えていたという史実がある」(『集成』)と言います。

源氏は大慌てで(とは書かれていませんが)、姫宮に「高度な技術のいる曲目ばかりを、特別にお教え申し上げになる」ことにしました。そうやって教えてみると、案外に「だんだんと習得なさるにつれて、大変上手におなりにな」ります。そうなると、源氏も面白くなって(とも書いてはありませんが)、しかもはっきりした目標もあることとあってでしょう、本気になってきて、とうとう「朝から晩までお教え申し上げなさる」という仕儀となってきました。

この間までは、紫の上とこの姫宮とは「同等」(第一段)だったものが、すっかり姫宮の方に入り浸りということになったわけです。

こうして、ぽんと投げ込まれた小石はその波紋を、自己増殖的に次々にことを引き起こす形で拡がっていって、止まりそうにない勢いです。

源氏が、自らの意志によってでありながら、何ものかに導かれるように、それと気づかないまま行く先の決まった一本道を歩み始めているように見えます。》

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第二段 朱雀院の五十賀の計画

【現代語訳】

 朱雀院が、
「今はすっかり死期が近づいた心地がして、何やら心細いが、決してこの世のことは気に懸けまいと思い捨てたけれども、もう一度だけお会いしたく思うが、もし未練でも残ったら困るので、大げさにではなくお越しになるように」と、お便り申し上げなさったので、大殿も、
「なるほど、仰せの通りだ。このような御内意が仮になくてさえ、こちらから進んで参上なさるべきことなのに、まして、このようにお待ちになっていらっしゃるとは、おいたわしいことだ」と、ご訪問なさるべきことをご準備なさる。
「何のきっかけもなく、取り立てた趣向もなくては、どうして簡単にお出かけになれようか。どのようなことをして、御覧に入れたらよかろうか」と、ご思案なさる。
「今度ちょうどにお達しになる年に、若菜などを調進してお祝い申し上げようか」と、お考えになって、いろいろな御法服のこと、精進料理のご準備、何やかやと、勝手が違うことなので、ご夫人方のお智恵も取り入れてお考えになる。
 御出家以前にも、音楽の方面には御関心がおありでいらっしゃったので、舞人、楽人などを、特別に選考し、勝れた人たちだけをお揃えになる。右の大殿のお子たち二人、大将のお子は、典侍腹の子を加えて三人、まだ小さい七歳以上の子は、皆童殿上させなさる。兵部卿宮の童孫王、すべてしかるべき宮家のお子たちや、良家のお子たち、皆お選び出しになる。
 殿上の公達も、器量が良く、同じ舞姿と言ってもまた格別な人を選んで、多くの舞の準備をおさせになる。大層なこの度の催しとあって、誰も皆懸命に練習に励んでいらっしゃる。その道々の師匠、名人が大忙しのこのごろである。

 

《朱雀院は、自分ではお気づきにならないままに六条院の平穏だった水面に女三の宮という小石を一つ投げこまれたのでしたが、ここでまた、これも何の気なしに、ちょっとしたご自身の願いという形で遠慮がちに、二つ目の小石を投げ込まれたことになります。

源氏よりも三歳年上の院は来年ちょうど五十歳、源氏の明石流謫のころからでしょうか、お体が弱られて、そのせいもあっての出家でもありましたが、どうやらますますよろしくないようで、気がかりな女三の宮に「もう一度だけお会いしたく思う」と手紙をお出しになりました。これがその二つ目の小石となるわけです。

初めの小石は紫の上の心を揺さぶるという、ともかくも一重の波紋だけで、あとは平穏の中に吸い込まれて消えていきました。が、この二つ目の小石はそうではありません。

院の意向を知った源氏は、姫宮をただ参内させるのでは芸がない、何かいい趣向をこらそうと考えて、院の五十の賀に若菜を献じてお祝いするという形を思いつきます。これが最初の波紋です。もし彼が、趣向を考えずに姫宮をそのまま参内させたのだったら、悲劇は起こらなかったか、すくなくとももう少し先になったでしょうが。

源氏は「アイデア・マン」(『評釈』)で、ただ若菜を献じるのでは、まだ物足りない気がして、ご出家の賀ですから「何やかやと、勝手が違うことなので」派手なお祝いはできませんが、音楽なら仏もお認めになっていることで、音楽好きの院のために、大々的な舞楽をショウとして御覧にいれることにして、一族の孫たちを総動員して準備に掛かります。これが二つ目の大きな波紋となります。》

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第一段 女三の宮と紫の上

【現代語訳】

 入道の帝は、仏道に御専心あそばして、内裏の御政道については耳をお貸しにならない。春秋の朝覲の行幸には、昔の事をお思い出しになることもあった。姫宮の御事だけを今でもお気にかけていらっしゃって、こちらの六条院を、やはり表向きのお世話役としてお思い申し上げなさって、内々の御配慮を下さるべく帝にもお願い申し上げていらっしゃる。二品におなりになって、御封なども増える。ますます華やかにご威勢も増す。
 対の上は、このように年月とともに何かにつけてまさって行かれるご声望に比べて、
「自分自身はただ一人が大事にして下さるお蔭で、他の人には負けないが、あまりに年を取り過ぎたら、そのご愛情もしまいには衰えよう。そのような時を見てしまわないうちに、自分から世を捨てたい」と、ずっと思い続けていらっしゃるが、生意気なようにお思いになるだろうと遠慮されて、はっきりとはお申し上げになることができない。

今上帝までが、御配慮を特別にして上げていらっしゃるので、疎略な扱いだとお耳になさることがあったら具合が悪いので、お通いになることがだんだんと同等になって行く。
 当然なこと、無理もないこととは思いながらも、やはりそうであったのかと身に沁みて、面白からずお思いになるが、やはり素知らぬふうに同じ様にして過ごしていらっしゃる。

東宮のすぐ下の女一の宮をこちらに引き取って大切にお世話申し上げていらっしゃる。そのご養育に、所在ない殿のいらっしゃらない夜々を気を紛らしていらっしゃるのだった。どの宮も区別せず、かわいくいとしいとお思い申し上げていらっしゃった。

 夏の御方は、このようなあれこれのお孫たちのお世話を羨んで、大将の君の典侍腹のお子を、ぜひにと引き取ってお世話なさる。とてもかわいらしげで、気立ても年のわりには利発でしっかりしているので、大殿の君もおかわいがりになる。数少ないお子だとお思いであったが、孫は大勢できて、あちらこちらに数多くおなりになったので、今はただ、これらをかわいがり世話なさることで、退屈さを紛らしていらっしゃるのであった。
 右の大殿が参上してお仕えなさることは、昔以上に親密になって、今では北の方もすっかり落ち着いたお年となって、あの昔の色めかしい事は思い諦めたのであろうか、適当な機会にはよくお越しになる。対の上ともお会いになって、申し分ない交際をなさっているのであった。
 姫宮だけが同じように若々しくおっとりしていらっしゃる。女御の君は、今は主上にすべてお任せ申し上げなさって、この姫宮をたいそう心に懸けて、幼い娘のように思ってお世話申し上げていらっしゃる。

 

《ここに至って六条院には大きな変化が生まれました。それははっきりと目に見えるものではありませんが、時の流れをともなった、動かし難い変化です。

入道の帝・朱雀院はすっぱりと俗世から離れて仏道修行に専念しておられますが、ただ女三の宮のことだけは心から離れず、源氏に託してありながら、なお息子の今上帝にも、よろしくよろしくとお願いしておられます。その結果なのでしょう、姫宮は「二品におなりになって、御封なども増える。ますます華やかにご威勢も増す」ということになりました。

また、前章で見てきたように明石一族も帝の権勢の中に組み込まれて、世にもてはやされています。

それに比べて紫の上は、年とともに自分の立場の弱さを感じるようになってきました。彼女には帝との繋がりが無く、考えてみればひとえに源氏の愛情だけが頼りですが、彼には女三の宮ができ、自分が年をとっていくとともに、それが心細いものになってきていると感じられるのです。

そこで、そうなりきってしまわないうちに、愛憎の世界から離れたい(と同時に、第一人者であった自分が敗者の惨めさを曝して笑いものになることから逃れたい)と思い始めました。以前一度は睦言のように源氏に願ってみたのでしたが許されず(第二章第二段)、そのままになっていました。

今度はあの時とは違って、少し切実の感がありますが、本気で言い出すのは「生意気なよう」で言えないでいます。「世の無常を想って『心と背く(自分から世を捨てたい)』とは、男でもいかがなもの」(『評釈』)なのだそうです。

そうしているうちにも、源氏は、院や帝の女三の宮への肩入れが強まるにつれて、この姫宮の扱いが変って「お通いになることがだんだんと(紫の上と)同等になって行」きます。

紫の上は、そういう不安を、明石の女御を通しての孫である「東宮のすぐ下の女一宮」を引き取って育てることで、かろうじて紛らわしているのでした。

ここで夏の御方(花散里)という、生涯をそういう愛憎に深く関わらないで過ごしてきた人が、紫の上にあやかって同じように孫を世話しながら、こちらは静かに自足していることが寸描されます。その対照によって、紫の上の心の揺れ、傷みがいっそうはっきりと照らし出されることになります。

髭黒右大臣・玉鬘夫妻も、今はすっかり落ちついて、堂々とした様子で六条院に出入りし、紫の上とも「申し分ない交際をなさって」います。しかし、そう書かれることで、読者はその幸せな二人に向き合っている紫の上が、彼女だけ胸の奥に逃れようのない不安を抱いていることを思わずにはいられません。

そして女三の宮は、自分がそういう六条院の秩序を蝕もうとしているなどということはもちろんご存じではなく、思いもしないままに、「同じように若々しくおっとりしていらっしゃる」のです。

周囲のそれぞれが権威とされるものと密接な繋がりを持ってそれなりに自立した落ちついた生活を持っているのに対して、かつてのシンデレラ・ガールが、ただ一人、実はいかに特異な立場・境遇にいたかということを、直接そうと書かないながら、感じさせている段です。》

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