源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第二章 光る源氏の物語(一)

第八段 明石一族の幸い

【現代語訳】

 夜がほのぼのと明けて行くと、霜はいよいよ深く、本方と末方とがその分担もはっきりしなくなるほど酔い過ぎた神楽の奏者たちが、自分の顔がどんなになっているか知らないで面白いことに夢中になって、庭燎も消えかかっているのに、依然として「万歳、万歳」と、榊の葉を取り直しては、お祝い申し上げる御末々の栄えを、想像するだけでもいよいよめでたい限りである。
 万事が尽きせず面白いまま、千夜の長さをこの一夜の長さにしたいほどの夜も、あっけなく明けてしまったので、返る波と先を争って帰るのも残念なことと、若い人々は思う。
 松原に遥か遠くまで立て続けた幾台ものお車が、風に靡く下簾からこぼれ出ている出し衣も常磐の松の蔭に花の錦を引き並べたように見えるが、袍の色々な色が位階の相違を見せて、趣きのある懸盤を取って次々と食事を一同に差し上げるのを、下人などは目を見張って立派だと思っている。
 尼君の御前にも、浅香の折敷に青鈍の表を付けて、精進料理を差し上げるという事で、「驚くほどの女性としてのご運勢だ」と、それぞれ陰口を言ったのであった。
 御参詣なさった道中はものものしいことで、もてあますほどの奉納品がいろいろとあって窮屈げにあったが、帰りはさまざまな物見遊山の限りをお尽くしになる。それを語り続けるのも煩わしく、厄介なことなので。
 このようなご様子をもあの入道が聞くことも見ることもできない山奥に離れ去ってしまわれたことだけが、残念に思われた。難しいことだろうし、出てくるのは見苦しいことであろうよ。

世の中の人は、これを例として高望みがはやりそうな時勢のようである。万事につけて、誉め驚き、世間話の種として、「明石の尼君」と幸福な人の例に言ったのであった。あの致仕の大殿の近江の君は、双六を打つ時の言葉にも、「明石の尼君、明石の尼君」と言って賽を祈ったのである。

 

《歓楽と奉祝の限りを尽くした一夜はあっけなく過ぎて、源氏の一行は住吉神社を後にしますが、そのまた帰っていく行列のさまも耳目を驚かす有様でした。

焦点はこの参拝に最も関わりの少ない尼君に絞られて、その冥加のほどが語られますが、それにつけても入道がいないのが惜しまれます。

しかし作者は、いないから入道が惜しまれるのであって、もし実際にここに加わるのは「難しいことだろう」、もし加わっていたら、「出てくるのは見苦しい」ことだと思われただろう、と言います。「入道」という立場がそう言われるのでしょうか。

ともあれ、尼君の冥加は世の噂の的で、当時、幸福な人と言えば明石の尼君と、象徴的存在になってしまいました。そこで例の近江の君の登場で、双六遊びでいい賽の目が出るようにその名を念じるほどだったと言いますが、以前彼女の賽を振る様が描かれてあった(常夏の巻第二章第二段)ことを踏まえての話で、その場面に重ねて思い描くと、その面目躍如、楽しいエピソードです。

明石の御方や姫君の境遇は、普通願うべくもありませんが、この尼君なら、彼女は自分の力よってではなく、周囲の人々の幸運の巻き添えで得た冥加ですから、あるいは自分の身にもそういうことがないとも限らない、たまたま身近の人が宝くじを当てて、そのおこぼれに預かったというようにでも考えたらいいでしょうか、それもまた、どこか近江の君的ですが。》

にほんブログ村 本ブログ 古典文学へにほんブログ村 教育ブログ 国語科教育へにほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

第六段 終夜、神楽を奏す

【現代語訳】

 一晩中神楽を奏して夜をお明かしになる。二十日の月が空の高みに澄んで、海面が美しく見えわたっているところに、霜がたいそう白く置いて松原も同じ色に見えて、何もかもが肌寒く感じられ、風情や情趣の深さもひとしおに感じられる。
 対の上は、いつものお邸の内にいらっしゃったまま、季節ごとに興趣ある朝夕の遊びに耳慣れ目馴れていらっしゃったが、御門から外の見物をめったになさらず、ましてこのような都の外へお出になることはまだご経験がないので、物珍しく興味深くお思いになる。
「 住の江の松に夜ぶかく置く霜は神のかけたる木綿蔓かも

(住吉の浜の松に夜深く置く霜は神様が掛けた木綿鬘でしょうか)」
 篁朝臣が、「比良の山さえ」と詠んだ雪の朝をお思いやりになると、ご奉納の志をお受けになった証だろうかと、ますます頼もしく思われる。女御の君が、
「 神人の手にとりもたる榊葉に木綿かけ添ふるふかき夜の霜

(神主が手に持った榊の葉に木綿を掛け添えたように見える深夜の霜ですこと)」
 中務の君が、
「 祝子が木綿うちまがひ置く霜はげにいちじるき神のしるしか

(神に仕える人々の木綿鬘と見間違えるほどに置く霜は、仰せのとおり神の御霊験の

証でございましょう)」
 次々と数え切れないほど多かったのだが、どうしてわざわざ覚えていましょうか。このような時の歌は、いつもの上手でいらっしゃるような殿方たちも、かえって出来映えがぱっとしないで、松の千歳を祝う決まり文句以外に目新しい歌はないので、煩わしくて省略する。

 

《こういう話を読むといつも思うのですが、昔の人はずいぶんタフだったようです。

都から多分一日掛けてやって来たのでしょうが、その晩、徹夜で神楽を楽しみ、自分たちも舞います。

しかも外は一面に真っ白の霜で、松の木までが白く見えるほどだと言います。霜の朝は雪の朝よりもはるかに気温は低いと思いますが、その外の景色を、「何もかもが肌寒く感じられて、風情や情趣の深さもひとしおに感じられる」と、楽しく眺めています。ということは、ガラス越しでさえなく、戸が開け放たれているわけです。

「肌寒く(原文・そぞろ寒く)」どころではないだろうと思うのですが…。(余計なことですが、現在の十一月下旬、大阪でこれほどの霜を見ることはできないでしょう。全体にずいぶん気温が低かったのでしょう)。

紫の上にとっては、十歳で二条院に入って以来(現在三十六歳)こういう田舎の風景は初めてのことですから、楽しく目新しい経験だったことでしょう。もっとも、それで言えば物心の付く前、三歳で二条院に入った女御(今十八歳)の方がはるかに目新しく感じたとも思われますが、ものの風情を知ることは紫の上が上ということでしょうか。

さらに、御方の感慨の深さは二人のそれをはるかに上回ったに違いありませんが、ここでは登場させて貰えません。

心動かされるままに歌が詠み交わされます。興に乗じてたくさんの歌が詠み交わされたものの、「このような時の歌は、…目新しい歌はない」と、残りは省略すると言います。すると、この場面の意味は何なのでしょう。

やはり歌の不出来のことは作者の謙遜で、一族の幸福な姿の極めつけの場面、といったところでしょうか。また、住吉神社に来て、歌を詠み交わす場面が無いということは考えられない、ということもあるのかも知れません。》

にほんブログ村 本ブログ 古典文学へにほんブログ村 教育ブログ 国語科教育へにほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

第五段 住吉社頭の東遊び

【現代語訳】

 十月の二十日なので、社の玉垣に這う葛も色が変わって、松の下紅葉などは、風の音にだけ秋を聞き知っているのではないというふうである。

仰々しい高麗や唐土の楽よりも、東遊びの耳馴れているのは親しみやすく美しく、波風の音に響き合って、あの木高い松風に吹き立てる笛の音も他で聞く調べとは変わって身にしみて感じられ、御琴に合わせた拍子も、鼓を用いないで調子をうまく合わせた趣が、大げさなところがないのも、優美で心に沁みるほど面白く、場所が場所だけにいっそう素晴らしく聞こえるのであった。
 山藍で摺り出した竹の模様の舞人の衣装は、松の緑に見間違えるようで、插頭の色とりどりなのは、秋の草と見分けがつかず、どれもこれも目先がちらつくばかりである。
 「求子」が終わった後に、若い上達部は肩脱ぎしてお下りになる。栄えのない黒の袍衣から、蘇芳襲で葡萄染の袖を急に引き出したところに、紅の濃い袙の袂がはらはらと降りかかる時雨にちょっとばかり濡れたのは、松原であることを忘れて、紅葉が散ったのかと思われる。
 みんな大いに見栄えのする容姿で、たいそう白く枯れた荻を、高々と冠に挿して、ただ一さし舞って入ってしまったのは、たいへん面白くもっと見ていたい気がするのであった。

 大殿は昔の事が思い出されて、ひところご辛労なさった当時の有様も目の前のように思い出されなさるが、その当時の事を遠慮なく語り合える相手もいないので、致仕の大臣を恋しくお思い申し上げなさるのであった。
 お入りになって、二の車に目立たないように、
「 たれかまた心を知りて住吉の神代を経たる松にこと問ふ

(私とあなたの外に誰が昔の事情を知って住吉の神代からの松に話しかけようか)」
 御畳紙にお書きになっていた。尼君は感涙にむせぶ。このような時世を見るにつけても、あの明石の浦でこれが最後とお別れになった時の事や、女御の君がお暮らしだった様子などを思い出すにつけても、まことにもったいない運勢の程を思う。出家なさった方も恋しく、あれこれと物悲しく思われるのだが、一方では涙は縁起でもないと思い直して言葉を慎んで、
「 住の江のいけるかひある渚とは年経るあまも今日や知るらむ

(住吉の浜を生きていた甲斐がある渚だと年とった尼も今日知ることでしょう)」
 遅くなっては不都合だろうと、ただ思い浮かんだままにお返ししたのであった。
「 昔こそまづ忘られぬ住吉の神のしるしを見るにつけても

(昔の事が何よりも忘れられない、住吉の神の霊験を目の当たりにするにつけても)」
とひとり口ずさむのであった。

 

《前段は道中の話、ここは神社に着いて、舞楽が奉納される場面ということでしょうか。

十月二十日、陰暦ですから、今で言えば十一月後半、晩秋ということになりますが、話の様子は秋たけなわといった感じのもとで、同行させた大勢の担当者によって舞楽が催されます。ひたすら華やかに賑やかに、折りに合い、場所に合いして、「どれもこれも目先がちらつくばかり」といった素晴らしい催しのようで、例によって源氏の比類ない権勢を示しているということなのでしょう。

源氏は、その催しを楽しみながら、ひとり二十年前の須磨・明石での艱難と出会い、そこから無事に帰ることができてこの社に御礼参りに詣でたことを思い出して、感慨ひとしおです。

しかし残念ながら語る相手がいません。紫の上や明石の御方では、あまりに話が直接的で、それぞれに自分の立場があり、心情的な壁がありそうです。致仕の大臣なら、ときどき半畳を入れながらでも、好意的に聞いてくれそうですが、今はそうもいきません。

せめて黙って聞いてくれるのは、尼君だということでしょうか、源氏は、「お入りになって(車に帰って)」隣の車に、手元の畳紙に歌を記して送ります。

『集成』は歌の「松」を尼君のこととして、私の他に誰があなたに…、と解釈していますが、小さい子供を小松に喩えるのはあるにしても、老尼を老松にというのは、どうかと思われますし、また少々恩着せがましく聞こえますので、ここは『評釈』、『谷崎』のように、「私たちの他に」と考えて二人の間の連帯の気持を詠んだとする方が、よさそうに思われます。

尼君にとっては、今の立場はまったく思いもしない冥加、それもこれも夫の入道のひたすらな祈願のお陰と思えばひとしお「恋しく、あれこれと物悲しく思われる」ので、心乱れるままにということなのでしょうか、返歌らしい言葉の繋がりが薄く、あまり返歌らしくないように思えるのですが、どうなのでしょう。「遅くなっては不都合だろうと、ただ思い浮かんだまま」とは、作者からの弁明ですが、歌を意図的に少し下手に作るというのも、なかなか難しいことだろうと思われます。》


にほんブログ村 本ブログ 古典文学へにほんブログ村 教育ブログ 国語科教育へにほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

第四段 住吉参詣の一行

【現代語訳】

 上達部も、大臣お二方をお除き申しては、皆お供奉申し上げなさる。舞人は、近衛府の中将たちで器量が良くて、背丈の同じ者ばかりをお選びになる。この選に漏れたことを恥として、悲しみ嘆いている芸熱心の者たちもいるのだった。
 楽人も、岩清水や賀茂の臨時の祭などに召す人々で、諸道に殊に勝れた者ばかりをお揃えになっていらっしゃった。さらにそれに加わった二人も、近衛府の世間に名高い者ばかりをお召しになっている。
 御神楽の方には、たいそう数多くの人々がお供申している。帝、東宮、院のそれぞれの殿上人が、担当に分かれて、進んで御用をお勤めになる。数も知れず、いろいろと善美を尽くした上達部の御馬、鞍、馬添、随身、小舎人童、それ以下の舎人などまで、飾り揃えた見事さは、またとないほどである。
 明石の女御殿と対の上は、同じお車にお乗りになっていた。次のお車には明石の御方と尼君がこっそりと乗っていらっしゃった。女御の御乳母は、事情を知る者として乗っている。それぞれのお供の牛車は、対の上の御方のが五台、女御殿のが五台、明石のご一族のが三台、目も眩むほど美しく飾り立てた装いの様子は、言うまでもない。一方では、
「尼君を、どうせなら、老の波の皺が延びるように、立派に仕立てて参詣させよう」と院はおっしゃったが、
「今回は、このような世を挙げての参詣に加わるのも憚られます。もし希望通りの世まで生き永らえていましたら」と御方はお抑えなさったが、余命が心配で、もう一方では見たがって、付いていらっしゃったのであった。前世からの因縁でもともとこのようにお栄えになるお身の上の方々よりも、まことに素晴らしい幸運がはっきり分かるご様子の方である。

 

《ふと思いついた参詣といっても、それがこういう人であると、供奉する者は左右大臣を除く上達部(当時約二十人ほどと言われます)全てと、多くの殿上人(全部では約百人とされます)ということで、その一行は大変なことになり、「たいそう簡略にして、世間に迷惑があってはならないようにと省略なさる」(前段)と言っても、これでは内裏が空っぽになってその機能を停止しそうな勢いです。

 源氏も、その気持を忘れたかのように、舞人や楽人の選出にはずいぶんな入念な吟味をして人を集め、そこにさらに内裏の殿上人だけではなく、冷泉院や東宮の殿上人まで参加しての大行列となってしまいました。

そしてその中心に紫の上と明石一族がいて、その車だけでも十三台、それに源氏の車、そして上達部にも車が従うとしたら、一体どれほどの行列になったのか、想像もつきません。それが今の源氏の何ひとつ翳りのない権勢の姿であるわけです。

その明石一族の中には尼君も含まれていました。御方と女御は入道の願によって「前世からの因縁で、もともとこのようにお栄えになるお身の上」だから、この栄花は当然と言えば当然ですが、尼君はその願の中には入っていなかったわけで、にも関わらずこういう栄花に浴するのは、娘と孫以上に「まことに素晴らしい幸運」だった、というのが、当時の考え方のようです。

『評釈』が、「何のため今ごろ、あわてて出かけるのだ、それも紫をつれて」と疑問を呈し、「すっかり見終えた気がする」(第二段)と出家を言い出した紫の上に、「まだまだいろいろあるんだよ、一つ見せてやろうか、という気にふとなった」のではないか、と言いますが、源氏としてはそういう気持ちもあったのかも知れません。

しかし、物語としてはもっと大きな、ここで行われる必然性があるのであって、それは頂点を極める源氏の栄華に具体的な形を与える、ということです。

「ただ院(源氏)の物詣で」(前段)としたはずなのですが、それでもこの賑々しさ、今の源氏の権勢はこれほどなのだということです。》

にほんブログ村 本ブログ 古典文学へにほんブログ村 教育ブログ 国語科教育へにほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

第三段 源氏、住吉に参詣

【現代語訳】

 住吉の神に懸けた御願をそろそろ果たそうとなさって、東宮の女御の御祈願に参詣なさろうと、あの箱を開けて御覧になると、いろいろ大層なことがたくさんに書いてある。
 毎年の春秋の神楽に加えて、決まって子孫の永遠の繁栄を祈願したたくさんの願文は、まったくこのようなご威勢でなければお礼を果たすことがおできになることとも考えていないようなのであった。無造作に筆を走らせた文面は、学識が見えしっかりしていて、仏神もお聞き入れになるはずの文意が明瞭である。
「どうしてあのような山住みの世俗を離れた心で、このような事柄を思いついたのだろう」と、感服し分を過ぎたことだと御覧になる。

「前世の因縁で、ほんの少しの間、仮に身を変えた前世の修行者であったのだろうか」などとお考えめぐらすと、ますます軽くはお考えになられないのだった。
 今回は、この趣旨は表にお立てにならず、ただ院の物詣でとしてご出立なさる。浦から浦への苦労があった当時の数多くの御願は、すっかりお果たしなさったが、その後もこの世にこうお栄えになっていらっしゃって、このようないろいろな栄華を御覧になるにつけても、神の御加護は忘れ難く、対の上もお連れ申し上げなさってご参詣あそばす、その評判は、大変なものである。たいそう簡略にして、世間に迷惑があってはならないようにと省略なさるが、しきたりがあることゆえ、またとない立派さであった。

 

《帝のご即位に関わる一連のことがひときり付いて周辺が落ちついたので、源氏は住吉の神に、この度の数々の冥加について「とりあえずお礼参りをなさろうと」(『集成』)参詣を思い立ちました。願は、源氏の立てたものと入道が立てたものの両方があって(若菜上の巻第十二章第六段)、「あの箱」(入道の願文が入った箱)を明けてみると、以前語られたような大変な願いと、それに見合う大変なお礼参りのことが、たくさんに書かれていました。

「毎年の春秋の神楽…」は、分かりにくい文ですが、神楽は御方の幸いを願って奉納されたもの、それにはその度に願文があり、さらにいつもそれだけではなく「子孫の永遠の繁栄を祈願したたくさんの願文」も添えられてあったのですが、それらはあまりに大きな願であり、また数も多いので、そのお礼となると、今の源氏レベルの権勢でなければ不可能なほどであって、当時の入道は、源氏にはそれが可能な地位にまでなって貰わなければならないと考えていたらしい、ということのようです。

その願文は、女御への手紙についても語られた(若菜上の巻第十一章第一段2節)のと同様に、「なかなかの名文」だったようで、源氏もすっかり感心して、「仮に身を変えた前世の修行者」だったのではないかと思うほどだったのでした。

といって、「帝も后も頂戴する」という「入道の常識離れした」願(『評釈』)を表にはできませんし、何と言っても明石の女御腹の御子は東宮になっただけですから、「今回は、この趣旨は表にお立てにならず」、源氏のただの「物詣で」という格好でのお出かけです。

住吉詣では、以前、明石から帰った挙げ句にも、偶然行き会った、当時の明石の姫君が身をすくめるほどの賑々しさで出かけたのでした(澪標の巻第四章第二段)が、今回は紫の上をともなってのものとあって、質素にしたいという源氏の希望にもかかわらず、もう一段と華麗なものになりました。》

にほんブログ村 本ブログ 古典文学へにほんブログ村 教育ブログ 国語科教育へにほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

プロフィール

ikaru_uta

カテゴリー
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ