巻三十五 若菜下 光る源氏の准太上天皇時代四十一歳三月から四十七歳十二月までの物語

 

第一章 柏木の物語(一) 女三の宮の結婚後

第一段 六条院の競射

第二段 柏木、女三の宮の猫を預る

第三段 柏木、真木柱姫君には無関心

第四段 真木柱、兵部卿宮と結婚

第二章 光る源氏の物語(一) 住吉参詣

第一段 冷泉帝の退位

第二段 六条院の女方の動静

第三段 源氏、住吉に参詣

第四段 住吉参詣の一行

第五段 住吉社頭の東遊び

第六段 源氏、往時を回想

第七段 終夜、神楽を奏す

第八段 明石一族の幸い

第三章 朱雀院の物語(一) 朱雀院の五十賀の計画

第一段 女三の宮と紫の上

第二段 朱雀院の五十賀の計画

第三段 女三の宮に琴を伝授

第四段 朱雀院の御賀を二月十日過ぎと決定

第四章 光る源氏の物語(二) 六条院の女楽

第一段 六条院の女楽

第二段 孫君たちと夕霧を召す

第三段 女四人による合奏

第四段 女四人を花に喩える

第五段 夕霧の感想

第五章 光る源氏の物語(三) 源氏の音楽論

第一段 音楽の春秋論

第二段 琴の論

第三段 源氏、葛城を謡う

第四段 女楽終了、禄を賜う

第五段 夕霧、わが妻を比較して思う

第六章 紫の上の物語(一) 出家願望と発病

第一段 源氏、紫の上と語る

第二段 源氏、半生を語る

第三段 源氏、関わった女性たちを語る

第四段 紫の上、発病す

第五段 紫の上、二条院に転地療養

第六段 明石女御、看護のため里下り

第七章 柏木の物語(二) 女三の宮密通の物語

第一段 柏木、落葉宮と結婚

第二段 柏木、小侍従を語らう

第三段 小侍従、手引きを承諾

第四段 小侍従、柏木を導き入れる

第五段 柏木、女三の宮をかき抱く

第六段 柏木、猫の夢を見る

第七段 後朝の別れ

第八段 柏木と女三の宮の罪の恐れ

第九段 柏木と落葉宮の夫婦仲

第八章 紫の上の物語(二) 死と蘇生

第一段 紫の上、絶命す

第二段 六条御息所の死霊出現

第三段 紫の上、死去の噂流れる

第四段 紫の上、蘇生後に五戒を受く

第五段 紫の上、小康を得る

第九章 女三の宮の物語 懐妊と密通の露見

第一段 女三の宮懐妊す

第二段 源氏、紫の上と和歌を唱和す

第三段 源氏、女三の宮を見舞う

第四段 源氏、女三の宮と和歌を唱和す

第五段 源氏、柏木の手紙を発見

第六段 小侍従、女三の宮を責める

第七段 源氏、手紙を読み返す

第十章 光る源氏の物語(四) 密通露見後

第一段 紫の上、女三の宮を気づかう

第二段 柏木と女三の宮、密通露見におののく

第三段 源氏、女三の宮の幼さを非難

第四段 朧月夜、出家す

第五段 源氏、朧月夜と朝顔を語る

第十一章 朱雀院の物語(二) 五十賀の延引

第一段 落葉宮、院の五十の賀を祝う

第二段 朱雀院、女三の宮へ手紙

第三段 源氏、女三の宮を諭す

第四段 朱雀院の御賀、十二月に延引

第五段 源氏、柏木を六条院に召す

第六段 源氏、柏木と対面す

第七段 柏木と御賀について打ち合わせる

第十二章 柏木の物語(三) 源氏から睨まれる

第一段 御賀の試楽の当日

第二段 源氏、柏木に皮肉を言う

第三段 柏木、落葉宮邸を出る

第四段 柏木の病、さらに重くなる

 

【現代語訳】

 もっともだとは思うけれども、

「いまいましくも言うものだ。いや、なんでこのような通り一遍の返事だけを慰めとしては、どうして過ごせようか。このような人伝てではなく、一言でも直接おっしゃってくださり、また申し上げたりする時があるだろうか」と思うにつけて、普通にはもったいなく立派な方だとお思い申し上げる院に対して、いささかけしからぬ心が生じたのであろうか。
 晦日には、人々が大勢参上なさった。何やら気が進まず、落ち着かないけれども、

「あの辺りの桜の花を見れば気持ちが慰むだろうか」と思って参上なさる。
 殿上の賭弓は二月とあったが延びて、三月もまた御忌月なので、残念に人々は思っているところに、この院でこのような集まりがある予定と伝え聞いて、いつものようにお集まりになる。左右の大将は、お身内という間柄で参上なさるので、中将たちなども互いに競いあって、小弓というお話だったが、歩弓の勝れた名人たちもいたので、お呼び出しになって射させなさる。
 殿上人たちも、相応しい人はすべて前方と後方との交互に組分けをして、日が暮れてゆくにつれて、今日が最後の春の霞の感じも気ぜわしくて、吹き乱れる夕風に、花の蔭はますます立ち去りにくく、人々はひどく酔い過ごしなさって、
「しゃれた賭物の数々は、あちらこちらの御婦人方のご趣味のほどが窺えようというものを、柳の葉を百発百中できそうな舎人たちが、わがもの顔をして射取るのは、面白くないことだ。少しおっとりした手並みの人たちこそ、競争させよう」ということで、大将たちを初めとして庭にお降りになるのだが、衛門督が他の人より目立って物思いに耽っていらっしゃるので、あの少々は事情をご存知の方のお目には止まって、
「やはり様子が変だ。厄介な事が引き起こる間柄なのだろうか」と、自分までが悩みに取りつかれたような心地がする。この君たちはお仲が大変に好い。従兄弟同士という中でも、気心が通じ合って親密なので、ちょっとした事でも物思いに悩んで屈託しているところがあったりすると、ご心配になる。
 自分でも、大殿を拝見すると、何やら恐ろしく目を伏せたくなるようで、
「このような考えを持ってよいものだろうか。どうでもよいことでさえ、不行き届きで、人から非難されるような振る舞いはすまいと思うものを。まして身のほどを弁えぬ大それたことを」と思い悩んだ末に、
「あの先日の猫だけでも、せめて手に入れたい。思い悩んでいる気持ちを打ち明ける相手にはできないが、独り寝の寂しい慰めを紛らすよすがにも、手なづけてみよう」と思うと、気違いじみて、「どうしたら盗み出せようか」と思うが、それさえ難しいことだったのである。

 

《巻の名前は、「朱雀院があたかも五十になられるので、源氏は女三の宮主催の御賀に若菜を献じたいと計画する」(第三章第三段)、そのことによるとされます(『集成』)。

話は上巻の終わりからそのまま続きますが、柏木の、「もっともだとは思うけれども」という思いによって屈折されて、前段では小侍従との話になりそうだったのが、本題の彼の話に帰ります。

「晦日」とありますから、まだ三月のうち、蹴鞠の日から数日後といったところでしょうか、六条院で「集まり(原文・まとゐ)」がありました。「(『まとゐ』は)円居。…『的射』に掛けたのであろう」と『集成』が言いますが、今度は「賭弓(弓の競射の催し。…布、銭を賭け物にするのによる(呼び名)」(『集成』)が行われるようです。

柏木も、大それた思いの故にためらいはあるものの、といって女三の宮の住む所とあれば、行かない選択肢は到底選べません。

大勢の人に交じって出かけますが、延期になったお預けの後の集まりでもあってでしょうか、みんながひとしお楽しんで「ひどく酔い過ごしなさって」、源氏に促されて競技に加わろうと「庭にお降りになる」のですが、衛門督だけは「他の人より目立って物思いに耽って」います。

めざとい夕霧がそれに気がついて、やはり本気のようだと成り行きを案じていますが、柏木は、そういう目で見る人がいることなど思いもしない様子で、源氏をまともには見られないようなやましい気持を抱きながら、「あの先日の猫だけでも、せめて手に入れたい」と考え、盗み出すことまで考えています。

彼の、横目で源氏の顔を盗み見ると、我と我が思いの恐ろしさに戦く気持と、それにもかかわらず自ら止められず湧き上がってくる「気違いじみ」た気持に突き動かされている姿が、交錯します。》

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