【現代語訳】2
宮は、お亡くなりになった北の方を、それ以来ずっと恋い慕い申し上げなさって、
「ただ、亡くなった北の方の面影にお似申し上げたような方と結婚しよう」とお思いになっていたが、「悪くはないが、違った感じでいらっしゃる」とお思いになると、残念であったのか、お通いになる様子はまこと億劫そうである。
式部卿大宮は、「まったく心外なことだ」とお嘆きになっていた。
母君も、あれほど変わっていらっしゃったが、正気に返る時は、「口惜しい嫌な世の中だ」と、すっかり悲観しておしまいになる。
左大将の君も、「やはりそうであったか。ひどく浮気っぽい親王だから」と、はじめからご自身としては賛成なさらなかったことだからであろうか、面白からぬお思いでいらっしゃった。
尚侍の君も、このように頼りがいのないご様子を身近にお聞きになるにつけ、
「そのような方と結婚をしたのだったら、こちらにもあちらにも、どんなにお思いになり御覧になっただろう」などと、少々おかしくも、懐かしくもお思い出しになるのだった。
「あの当時も、宮と結婚しようとは考えてもいなかったのだ。ただ、いかにも優しく情愛深くお言葉をかけ続けてくださったのに、張り合いなく軽率なようにお見下しになったであろうか」ととても恥ずかしく、今までもお思い続けていらっしゃることなので、
「あのような近いところで、私の噂をお聞きになることも、気をつかわねばならない」などとお思いになる。
こちらからもしかるべき事柄はしてお上げになる。兄弟の公達などを差し向けて、このようなご夫婦仲も知らない顔をして、親しげにお側に伺わせたりなどするので、宮は気の毒になって、お見捨てになる気持ちはないが、大北の方という性悪な人が、いつも悪口を申し上げなさる。
「親王たちは、おとなしく浮気をせず、せめて愛して下さるのが、華やかさがない代わりには思えるのだが」とぶつぶつおっしゃるのを、宮も漏れお聞きなさっては、
「まったく変な話だ。昔、とてもいとしく思っていた人を差し置いても、やはり、ちょっとした浮気はいつもしていたが、こう厳しい恨み言は、なかったものを」と、気にくわなく、ますます故人をお慕いなさりながら、自邸に物思いに耽りがちでいらっしゃる。
そうは言いながらも、二年ほどになったので、こうした事にも馴れて、ただ、そのような夫婦仲としてお過ごしになっていらっしゃる。
《初めの、兵部卿の宮が故北の方を恋い続けておられて、再婚相手もよく似た人をと願うほどだった、というのはちょっと意外です。
彼は色好みの風流人であって、さまざまな女性に心を引かれていたはずなのですが、『評釈』はそこからの彼のこのような心境の変化を、いくつかの縁談の不調から「少々気が弱くなりだした」のだと縷々解説しています。
しかし、この度の結婚の申し込みについても、あまりあっさり承諾されてがっかりしていた(前段)とありましたから、まだまだ風流の心は衰えてはいないように思われて、彼の故北の方への純情をにわかにそのままは信じられない気がしますが、取りあえずそれを承認してこのまま読み進めるしかありません。
故北の方の面影を求めての結婚だったのに当てが外れて、兵部卿宮は新婚早々から少々失望の思いで、気の進まないお通いとなり、それを知った式部卿の宮家では、それぞれが挙ってそういう宮に対して不満を抱きました。
なかでも玉鬘は、どうかすると自分がそういう立場になったかも知れず、また自分にあれほど優しい言葉を掛けて貰ったのに色よい返事もしなかった上に、変な大将と一緒になってしまって、宮から軽く見られているのではないかという心配もあって、しかるべきことをしようと、真木柱の許に兄弟を行かせたりして、慰めようとします。
宮は、そういう不満や気遣いがあっていることが分かって、「気の毒になって、お見捨てになる気持ちはない」のですが、そこに大北の方が「親王というのは実権のない立場で、そういう点で『華やかさがない』のだから、せめて娘を大事にしてくれればいいのに」など言っていると聞こえてくるのっで、またぞろ面白くない気持になってしまいます。
そこで何事が起こるだろうかと読者は気を揉むことになるのですが、しかし、結局「そうは言いながらも、二年ほどになったので、…」と、何事もなく話は収まってしまいます。
『評釈』は、「『源氏物語』は常に敵味方の色分けがはっきりしている」として、古くは右大臣家、次いで左大臣家と続き、今この式部卿宮家が、敵役にされているのだ、と言いそういう中での真木柱の不幸なのだと言います。
こうして、紫の上の女三の宮に関わる思いもきわどい均衡のままに残し(若菜上の巻第八章第三段)、そういう中での例の柏木の女三の宮への思いの話もあり、そしてさらにはここにまた危うげな話の種が生じながら、物語はしばらく空白の時間に入り、次の話はここから二年の月日が流れた後から始まります。》