源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

巻三十五 若菜下の巻

第五段 源氏、柏木を六条院に召す

【現代語訳】

 十二月になった。十日過ぎと決めて、数々の舞を練習し、御邸中大騒ぎしている。二条院の上はまだお移りになっていなかったが、この試楽のために、じっとしてもおられずに、お帰りになった。女御の君も里にお下がりになっていらっしゃる。今度御誕生の御子は、また男御子でいらっしゃった。次々とかわいらしくていらっしゃるのを、一日中御子のお相手をし申しあげなさっているので、長生きしたお蔭だと、嬉しい気持におなりになる。試楽には、右大臣殿の北の方もお越しになった。
 大将の君は、東北の町で、まず内々に調楽のように、毎日練習なさっていたので、あの御方は、御前での試楽は御覧にならない。
 衛門督をこのような機会に参加させないようなのは、まことに引き立たず、もの足りなく感じられるし、皆が変だと思うに違いないことなので、参上なさるようにお召しがあったが、重い病である旨を申し上げて参上しない。
 しかし、どこがどうと苦しい病気でもないようなのに、自分に遠慮してのことかと、気の毒にお思いになって、特別にお手紙をお遣わしになる。父の大臣も、
「どうしてご辞退申されたのか。変わり者のように、院もお思いあそばそうのに、大した病気でもない、何とかして参上なさい」とお勧めなさっているところに、このように重ねておっしゃってきたので、つらいと思いながらも参上した。

 

《いよいよ押し詰まって、やっと朱雀院の五十の賀が十二月十日過ぎと決まります。

さっそく改めて催し物のおさらいが始まり、紫の上も六条院に帰ってきて、さまざまな準備が始まりました。折よく女御もご出産(入内して八年目ですが、『集成』によれば五人目、『評釈』でも四人目の御子です)のことがあって里下がりをしていて、源氏は久し振りに(かろうじて、と言うべきでしょうか)明るい気分で孫たちの相手で日を過ごします。

リハーサルが行われるとあって、玉鬘もやって来ました。夕霧だけはどういうわけか東の邸の花散里の所でひとりで桂子をしていて姿を出しませんが、六条院は女君たちがお揃いで、賑わいに満ちて見えます。

こうなると、こういうときに和琴の名手である(若菜上の巻第五章第三段)柏木の姿がないのはいかにも寂しく、また周囲からいっそう不審にも思われると、源氏は彼を招くことにしました。

彼自身はそういう気持ちではないので、一度は断るのですが、他ならぬ源氏の再度の要請もあり、事情を知らない父大臣からも勧められるとあっては、重い腰を上げないわけにはいきません。

役者は揃った、という感じなのですが、しかしその内実は、「相次ぐ延引ですっかりやる気を無くした参加者を叱咤激励し」(『物語空間』)と言ってしまうのは言い過ぎとしても、源氏の四十の賀とはまったく異なって、女三の宮や柏木はもとより、紫の上も含めて、中心となるべき三人が、みなそれぞれにおずおずとした参加であることはまちがいありません。そして源氏自身も、若い二人と朱雀院のそれぞれに対して、いろいろな面白くない思いを抱きながら、体面を保つためだけに義務的に開催する、といった面をもっているのです。》

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第四段 朱雀院の御賀、十二月に延引

【現代語訳】

 参賀なさることは、この月はこうして過ぎてしまった。二の宮が格別のご威勢で参賀なさったのに、身籠もられたお身体で競うようなのも気が引けるのであった。
「十一月は私の忌月です。年の終わりは歳末で、とても騒々しい。またますますこのお姿も見苦しいと、院が待ち受けて御覧になろうと思いますが、そうかと言ってそんなにも延期することはでません。くよくよお思いあそばさず、明るくお振る舞いになって、このひどくやつれていらっしゃるのを、お直しなさい」などと、とてもおいたわしいとさすがに思って御覧になる。
 衛門督を、どのようなことでも風雅な催しの折には必ず特別に親しくお召しになってはご相談相手になさっていたのが、絶えてそのようなお便りはない。皆が変だと思うだろうとお思いになるが、会うにつけてもますます自分の間抜けさに気が引けて、会えばまた自分の気持ちも平静を失うのではないかと思い返されて、そのままいく月も参上なさらないのにもお咎めはない。
 世間の人は、ずっと具合が悪く病気でいらっしゃったし、六条院でもまた、管弦のお遊びなどがない年だからなのだとばかりずっと思っていたが、大将の君は、

「何かきっと事情があることに違いない。好き者はきっと、私が変だと気がついたことに、我慢できなかったのだろうか」と考えつくが、ほんとうにこのようにはっきりと何もかも源氏に知れるところにまでなっているとは、想像もおつきにならなかったのである。

 

《朱雀院の五十の御賀は、二月に予定されていたのですが、できないままに、もうこの年が終わりに近づきます。

十月には二の宮が参賀しましたから、その後を「身籠もられたお身体」でお目にかかるのは、院も「見苦しいと、…御覧になろう」というので、また延期です。妊婦の姿(原文・ふるめかしき御身ざま)を「見苦しい」というのは、まことに身勝手な男社会の感覚ですが、一概に昔のものとばかり言うこともできません。

十一月は桐壺院の命日があって源氏の「忌月」ですから、またできません。

一度言ったことを取りやめることはならず、それも年の内でなければならないでしょうから、すると期限は詰まってきています。源氏も何とか様子だけでも明るくなってほしいと、祈る思いです。

さて、一方柏木については、源氏は、顔を見るのも不愉快で、以前はことある毎に呼び寄せたりしていたようですが、あの手紙の露見以来、「絶えてそのようなお便りはない」のでした。いやその前に、柏木の方が、密通のことがあって以来、自分のしたことが恐ろしく、源氏の顔を見るのも恐ろしく、すっかり引き籠もってしまっていたのでした。もう六ヶ月にもなります。

世間は、あれほど親しく行き来があったのに、どうしたことだろうかと訝りますが、当の柏木が病気のようだし、源氏の方も紫の上や姫宮が体調を崩しておられるからなのだろうと思って、納得しています。

そうした中で夕霧だけは、「私が変だと気がついたこと」(蹴鞠の日の垣間見の折りのこと・若菜上の巻第十三章第五段)で、その後好くないことがあったに違いないと思いながら、よもや源氏がすべてを知っているとは思いもよらないまま、どうなることかと様子を覗っている、といった趣です。》

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第三段 源氏、女三の宮を諭す

【現代語訳】

「とても幼い御気性を御存知で、たいそう御心配申し上げていらっしゃるのだと拝察されますので、今後もいろいろと心配で。こんなにまでは何とか申し上げたくないと思いますが、院の上が、お気持ちに背いているとお聞きになるだろうことが、不本意で気になりますので、せめてあなたにだけは申し上げておかなくてはと思いまして。
 思慮が浅く、ただ人が申し上げるままにばかりお従いになるようなあなたとしては、ただ冷淡で薄情だとばかりお思いで、また今では私のすっかり年老いた様子も軽蔑し、ただもう飽き飽きしたとお思いになっておられるらしいのも、それもこれも残念にも情けなくも思われますが、院の御存命中はやはり我慢して、あちらのお考えもあったことであろうこの年寄をも同じようにお考え下さって、ひどく軽蔑なさいますな。
 昔からの出家の本願も、考えの不十分なはずのご婦人方にさえみな次々に後れを取って、とてものろまなことが多いのですが、自分自身の心には、どれほどの思いを妨げるものはないのですが、院がいよいよと御出家なさった後のお世話役として私をお決めになったお気持ちがしみじみと嬉しかったので、引き続いて後を追いかけるようにして同じようにお見捨て申し上げるようなことは、院のお気持ちに添わないと差し控えているのです。

気にかかっていた人々も、今では出家の妨げとなるほどの者もおりません。女御もあのようにして、将来の事は分かりませんが、皇子方がいく人もいらっしゃるようなので、私の存命中だけでもご無事であればと、安心してよいでしょう。その他のことは、誰も彼も状況に従って、一緒に出家するのも惜しくはない年齢になっているので、だんだんと気持ちも楽になっております。
 院の御寿命もそう長くはいらっしゃらないでしょう。とても御病気がちにますますなられて、何となく心細げにばかりお思いでおられるから、今さら感心しないお噂を院のお耳にお入れ申して、お心を乱したりなさいますな。現世は何の気にかけることはありません。どうということもありませんが、来世の御成仏の妨げになるようなのは、罪障がとても恐ろしいでしょう。」などと、はっきりとその事とはお明かしにならないが、しみじみとお話し続けなさるので、ただ涙がこぼれては、心もここにない様子で悲しみに沈んでいらっしゃるので、ご自分もお泣きになって、
「他人の身の上でも、嫌なものだと思って聞いていた老人のおせっかいというもの、自分がするようになったことよ。なんと嫌な老人かと、不愉快で厄介なと思うお気持ちがつのることでしょう」とお恥じになりながら、御硯を引き寄せなさって、自分で墨を擦り紙を整えて、お返事をお書かせ申し上げなさるが、お手も震えてお書きになることができない。
「あのこまごまと書いてあった手紙のお返事は、とてもこのように遠慮せずやりとりなさっていたのだろう」とご想像なさると、実に癪にさわるので、一切の愛情も冷めてしまいそうであるが、文句などを教えてお書かせ申し上げなさる。

 

《源氏は、一方に紫の上の病と出家希望という問題を抱えながら、こちらでもまた、解決の方途のない問題を抱えてしまいました。

当面、こちらは何事もないふうに糊塗し続けなくてはなりません。彼は女三の宮に言い含めます。

その一。あなたは私のことを年寄りだと軽蔑しているようだが、「あちらのお考えもあったことであろうこの年寄」、院にお考えがあってあなたをお預けになったこの私と、少なくとも「院の御存命中は」我慢して添い遂げなくてはならないこと。

源氏は、女三の宮の方も柏木に心を寄せているのだと思ってひがんでいるようで、それに対する嫌みも含めて、当面の心得を教えます。「この年寄をも」も、その誤解からの嫌みでしょう。

その二。私は本当は早く出家したいのだが、「院がこれを最後と御出家なさった後のお世話役として私をお決めになった」以上は、それを無視して出家はできない。院とあなたのために本意を抑えているのだから、あなたがそれを裏切ってはいけないこと。

そして私には今や、出家を引き留めるような問題は、自分自身のまわりにはなくて、いつ出家をしてもいいと思っているのだが、ひとえにあなただけのために頑張っているのだと、言い添えます。

その三。院は具合がよくなく、「心細げにばかりお思いでおられる」ところに、あなたの失態などをお話しすることはできないこと。

「現世は何の気にかけることはありません」について、『集成』が「現世だけのことなら、問題はない」と注しています。現世での過ちは、隠して通ることができれば、現世ではそれでいいから、院の成仏の妨げになるようなことをしてはいけないということでしょうか。それは、一読、私は目をつぶる、という意味にも読めそうですが、「来世の御成仏の妨げになるようなのは、罪障がとても恐ろしい」は、女三の宮自身の問題とも聞こえて、あなたのしたことは、そういうことなのだ、と駄目押しの嫌みを言っているようです。

何を言われても、一言もない姫宮は、ただ泣くばかりです。

源氏も泣きます。それは、以下に語っているように、こういうことを言う自分がいかに惨めに見えることか、という情けない思いからとも思われますが、しかし、そういうふうに、自らの今の姿を顧みて泣くというような泣き方は、あまり見たことがありません。

『評釈』は「この人(女三の宮)の罪ではなく、この人の運命を思う」涙なのだと言いますが、それならこの後の「一切の愛情も冷めてしまいそう」というふうにはならないような気もします。

ひょっとして、この人たちは目のまで泣いている人がいれば、紳士たる者、ある程度一緒に泣くのがマナーなのだ、というようなことがあるのでしょうか。

ともあれ二人は、目の前にある院からの手紙を穏便に済ませるように、それぞれにまったく別々の思いを抱きながら、はた目には恐らくいかにも仲睦まじそうに、返事をしたためるのです。》

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第二段 朱雀院、女三の宮へ手紙

【現代語訳】

 お山におかれてもお耳にあそばして、いとおしくお会いしたいとお思い申し上げなさる。

いく月もあのように別居してお越しになることもめったにないように、ある人が奏上したので、どうしたことかとお胸が騒いで、世の中も今さらながら恨めしくお思いになって、対の方が病気であったころは、やはりその看病でとお聞きになってでさえ、心穏やかではなかったのに、その後も変わらずにいらっしゃるとは、そのころに何か不都合なことが起きたのだろうか、宮自身に責任がおありのことでなくても、良くないお世話役たちの考えでどんな失態があったのだろうか、宮中あたりなどで風雅なやりとりをし合う間柄などでも、けしからぬ評判を立てる例も聞こえるものだ、とまでお考えになるのも、肉親の情愛はお捨てになった出家の生活だが、やはり親子の情は忘れ去りがたくて、宮にお手紙を心をこめて書いて送りになったのを、大殿もいらっしゃった時なので、御覧になる。
「特に用件もなくてたびたびはお便りを差し上げなかった間に、あなたの様子も分からないままに歳月が過ぎるのは、気がかりなことです。お具合がよろしくなくいらっしゃるという様子は、詳しく聞いてからは、念仏誦経の時にも気にかかるが、どうしていますか。ご夫婦仲が寂しくて思いがけないことがあっても、我慢してお過ごしなさい。恨めしそうな素振りなど、確かでもないままに心得顔にほのめかすのは、まことに品のないことです」などと、お教え申し上げていらっしゃる。
 まことにお気の毒で心が痛み、

「このような内々の宮の不始末をお耳にあそばすはずはなく、私の怠慢のせいとひたすら御不満にお思いあそばすことだろう」とお思い続けなさって、
「このお返事はどのようにお書き申し上げなさいますか。お気の毒なお手紙で、私こそとても辛い思いです。たとえ心外にお思い申す事があったとしても、疎略なお扱いをして人が変に思うような態度はとるまいと思っております。誰が申し上げたのでしょうか」とおっしゃると、恥ずかしそうに横を向いていらっしゃるお姿も、まことに痛々しい。ひどく面やつれして物思いに沈んでいらっしゃるのは、ますます上品で美しい。

 

《そういう姫宮の様子は、自然と朱雀院の耳にも入りました。院はさっそく姫宮に手紙を送ります。

院は「対の方が病気であったころ」から源氏が姫宮の所に来なくなったと聞いて、「そのころに何か不都合なことが起きたのだろうか」と、鋭い不安を抱いたのです。

「人少なの六条の院、女三の宮だけになったという六条の院で、何事かあったのではないか、とまで院は考える」と『評釈』は言います。少しうがちすぎのような気もしますが、「宮自身に責任がおありのことでなくても」というのは、やはりそのことを言っているのでしょう。愛娘についてそう考えてしまうのは、ずいぶんつらいことですが、院は、在位の頃に「宮中あたりなどで」もそういうことはよくあった事を思い出されるのでしょう。

院は姫宮に手紙を書きました。

手紙に、もちろん一番の心配事は書けませんから、ひとえに源氏の浮気に対して「恨めしそうな素振りなど」してはならない、と書かれます。

その手紙は、ちょうど源氏が来ていたときに届けられて、一緒に読んだ、と言います。簡単にそう書かれていますが、その間のやり取りはいろいろな思いが交錯しそうです。

取り次いだであろう女房は、おそらく主人がそんな大問題を抱えているなどとは夢にも思わず、妻が懐妊した夫婦に、その妻の実家から来た手紙は、おそらく普通にその身を案じる優しいいたわりの手紙であろうと思い、幸せな二人のいる所に差し出すのに相応しいと考えたことでしょう。

源氏にしてみれば、姫宮の失態が院に知れたのではないかという不安があります。もし知られれば、それは自分の恥であり、あれほどに大切に託された保護者としての失態でもありますから、手紙の内容は、大変気になります。

姫宮は、負い目がありますから、源氏が手紙を見たいと言えば否とは言えません。逆に、否と言えないということによって、その負い目を改めて噛みしめることになります。彼女は自分からその手紙を源氏の前に差し出したのかも知れません。

手紙には、一応当たり障りのないことが書かれているだけでした。

しかしさて、どういう返事をしたものか、姫宮への問いかけは、むしろ源氏の自分への問いかけに近いでしょう。》

 ※ 前回の終わりに、「院は、情けないと…」は分かりにくいと書きましたが、この「院」を朱雀院と勘違いしていたからで、正しくは「源氏」を指すので、それなら自明のことでした。思わせぶりなことを書いて、恥じ入ります。

第一段 落葉宮、院の五十の賀を祝う

【現代語訳】

 こんなふうで山の帝の御賀も延期になって、秋にとあったが、八月は大将の御忌月で楽所を取り仕切られるのには不都合であろう。九月は院の大后がお亡くなりになった月なので、十月にとご予定を立てたが、姫宮がひどくお悩みになったので、再び延期になった。
 衛門督がお引き受けになっている宮が、その月には御賀に参上なさったのだった。太政大臣が奔走して、盛大にかつこまごまと気を配って、儀式の美々しさ、作法の格式の限りをお尽くしになった。督の君も、その折りには気力を出してご出席なさったのだった。やはり、気分がすぐれず、普通と違って病人のように日を送ってばかりいらっしゃる。
 宮も、引き続いて何かと気がひけて、ただつらいとばかり思い嘆いておられるせいであろうか、懐妊の月数がお重なりになるにつれてとても苦しそうにいらっしゃるので、院は、情けないとお思い申し上げなさる気持ちはあるが、とても痛々しく弱々しい様子をしてこのようにずっとお悩みになっていらっしゃるのを、どのようにおなりになることかと心配で、あれこれとお心をお痛めになられる。ご祈祷など、今年は取り込み事が多くてお過ごしになる。

 

《朱雀院の五十の賀は去年の秋、年が明けて二月に、と計画されたのでした(第三章第二段)が、紫の上の不調で延期されたのでした(第六章第四段)。

それも、もとはと言えば、その祝のために源氏が女三の宮に琴を教えようと思い立って紫の上から離れて籠もりきりになり、そのことが、すでに出家まで考えるようになっていた紫の上が体調不良となる遠因となったのでした。

紫の上が何とか持ち直して以後も、八月、九月と障りがあって延ばされていたのが、いったん十月と予定されながら、ここに来て、今度は姫宮の懐妊の不調のせいで、また延期となりました。密通のことがあったのは四月十日過ぎの賀茂の祭の前夜(第七章四段)でしたから、十月で六ヶ月になります。

 そのまま何もなしとはいかないからでしょうか、場つなぎのような格好で柏木の北の方・落葉宮が御賀に参上しました。もっともこちらの方が姉ですから順序としては普通と言えるでしょう。太政大臣はここぞとばかりにぎにぎしく手を尽くしますが、柏木は、「内裏へも参内なさらない」(第十章第二段)まま、長く引き籠もっていていたところを、しいてやっとのことで出席、といった有様でした。

一方女三の宮の不調も続いています。「かつて内親王として、いっさいが自分にほほえみ、すべての人が自分に敬礼し好意をもつと思い続けていた身が、いま『ものをつつましく(何かと気がひけて)』思い、『いとほしと(つらいと)』嘆く。そのせいか、妊娠の月が重なるその一月一月に、苦しむ。…祝福されて生む子ではない、とは、十分に知っているのだ。そして相談する相手もない」(『評釈』)のです。

源氏はおもしろくないと思いながら、しかし目の前で「とても痛々しく弱々しい様子をして、このようにずっとお悩みになっていらっしゃる」のを見ると、いとおしい思いもあり、朱雀院への配慮もあってでしょう、放っておけず、加持祈祷に年末を慌ただしく過ごすことになりました。

六条院も二条院も、そして同じ二条の柏木のいる太政大臣邸も、うち沈んだ空気が澱んでいます。

「院は、情けないとお思い申し上げなさる気持ちはあるが」が分かりにくいのですが、それについては次の段で。》

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