【現代語訳】
十二月になった。十日過ぎと決めて、数々の舞を練習し、御邸中大騒ぎしている。二条院の上はまだお移りになっていなかったが、この試楽のために、じっとしてもおられずに、お帰りになった。女御の君も里にお下がりになっていらっしゃる。今度御誕生の御子は、また男御子でいらっしゃった。次々とかわいらしくていらっしゃるのを、一日中御子のお相手をし申しあげなさっているので、長生きしたお蔭だと、嬉しい気持におなりになる。試楽には、右大臣殿の北の方もお越しになった。
大将の君は、東北の町で、まず内々に調楽のように、毎日練習なさっていたので、あの御方は、御前での試楽は御覧にならない。
衛門督をこのような機会に参加させないようなのは、まことに引き立たず、もの足りなく感じられるし、皆が変だと思うに違いないことなので、参上なさるようにお召しがあったが、重い病である旨を申し上げて参上しない。
しかし、どこがどうと苦しい病気でもないようなのに、自分に遠慮してのことかと、気の毒にお思いになって、特別にお手紙をお遣わしになる。父の大臣も、
「どうしてご辞退申されたのか。変わり者のように、院もお思いあそばそうのに、大した病気でもない、何とかして参上なさい」とお勧めなさっているところに、このように重ねておっしゃってきたので、つらいと思いながらも参上した。
《いよいよ押し詰まって、やっと朱雀院の五十の賀が十二月十日過ぎと決まります。
さっそく改めて催し物のおさらいが始まり、紫の上も六条院に帰ってきて、さまざまな準備が始まりました。折よく女御もご出産(入内して八年目ですが、『集成』によれば五人目、『評釈』でも四人目の御子です)のことがあって里下がりをしていて、源氏は久し振りに(かろうじて、と言うべきでしょうか)明るい気分で孫たちの相手で日を過ごします。
リハーサルが行われるとあって、玉鬘もやって来ました。夕霧だけはどういうわけか東の邸の花散里の所でひとりで桂子をしていて姿を出しませんが、六条院は女君たちがお揃いで、賑わいに満ちて見えます。
こうなると、こういうときに和琴の名手である(若菜上の巻第五章第三段)柏木の姿がないのはいかにも寂しく、また周囲からいっそう不審にも思われると、源氏は彼を招くことにしました。
彼自身はそういう気持ちではないので、一度は断るのですが、他ならぬ源氏の再度の要請もあり、事情を知らない父大臣からも勧められるとあっては、重い腰を上げないわけにはいきません。
役者は揃った、という感じなのですが、しかしその内実は、「相次ぐ延引ですっかりやる気を無くした参加者を叱咤激励し」(『物語空間』)と言ってしまうのは言い過ぎとしても、源氏の四十の賀とはまったく異なって、女三の宮や柏木はもとより、紫の上も含めて、中心となるべき三人が、みなそれぞれにおずおずとした参加であることはまちがいありません。そして源氏自身も、若い二人と朱雀院のそれぞれに対して、いろいろな面白くない思いを抱きながら、体面を保つためだけに義務的に開催する、といった面をもっているのです。》