源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

巻三十五 若菜下の巻

第四段 柏木の病、さらに重くなる

【現代語訳】

 大殿ではお待ち受け申し上げなさって、いろいろと大騒ぎをなさる。そうは言っても急変するようなご病気の様子でもなくて、ここ幾月も食べ物などをまったくお召し上がりにならなかったが、ますますちょっとした蜜柑などでさえお手を触れにならず、ただ次第に物に引き込まれていくようにお見えになる。
 このような当代の優れた人物がこのようでいらっしゃるので、世間中が惜しみ残念がって、お見舞いに上がらない人はいない。朝廷からも院の御所からも、お見舞いを度々差し上げては、ひどく惜しんでいらっしゃるのにつけても、ますますご両親のお心は痛むばかりである。
 六条院におかれても、まことに残念なことだとお嘆きになって、お見舞いを頻繁に丁重に父大臣にも申しあげなさる。大将は、それ以上に仲の好い間柄なので、お側近くに見舞っては、大変にお嘆きになっておろおろしていらっしゃる。
 御賀は、二十五日になってしまった。このような時の重々しい上達部が重病でいらっしゃることで、親、兄弟たち、大勢の方々といった高貴なご縁戚や友人方が嘆き沈んでいらっしゃる折柄なので、何か興の冷めた感じもするが、次々と延期されて来た事情さえあるのに、このまま中止にすることもできないので、どうして断念なされよう。女宮のご心中を、おいたわしくお察し申し上げなさる。
 例によって五十寺の御誦経、それから、あちらの院がおいでになる御寺でも、摩訶毘廬遮那の御誦経が。

 

《柏木の病態は、周囲は大騒ぎをするけれども、と言って急変する感じではなくて、ただ食事が採れず、一途に衰弱していくので、実際には手の施しようがありません。

以下は、柏木がいかに素晴らしい人と思われていたかということを、縷々語っていきますが、その中で、「六条院におかれても、まことに残念なことだとお嘆きになって(原文・六条の院にも、いとくちをしくわざなりとおぼしおどろきて)」というのが、目を引きます。

この言い方、特に「おどろきて」は、源氏の本心を言っているように見えますが、彼は自分の皮肉がそれほどに響くなどとは思っていなかったということなのでしょうか。

以前から源氏もこの人の素晴らしさは十分に認めていた(第六段)のですから、案外これが本気であって、憎いのは憎いが、いなくなって貰っては困るといった気持なのでしょうか。

ここで『光る』が、折口信夫の説を援用しながら、「ただ、何かに引き込まれていくようにお見えになる」について、「丸谷・この『物』は生霊だと思うんです。」、「大野・いいじゃないですか。『物』を光源氏の生霊ととるのは。」、「丸谷・さっきの六条御息所の死霊、あれは実はここの光源氏の生霊で柏木が死んでいくことの非常に重大な伏線だとぼくは思うんです。」と言っています。そう考えると、源氏は自分がどれほど柏木を憎んでいるかということに気づいていない、といったことになりそうで、葵の巻の六条御息所が思い出されます。

あるいはこのくらいの芝居は、彼らにとっては当たり前のものであって、こう書いてもなお、源氏の本心は決して許していないという前提で読むのでしょうか。

そんな中で年の押し詰まった二十五日、ようよう女三の宮の父院の御賀が催されます。

「五十寺の御誦経、…」以下は、その御賀の法要ですが、「摩訶毘廬遮那の御誦経が。」と結ばれるのが、斬新です。

『評釈』が「古来いわれるとおり、余韻を感ずべきである。…終わりは、珍しい梵語で切る。読者はここで顔をあげ目をとじ、語と文と物語の、かすかに消えてゆく先きを沈思すべきである」と言います。確かにそう読むと、長かったこの巻の終わりらしい静かな深みのある結びという印象ですが、ここでさっきの『光る』の生き霊説を思い出すと、この読経と物の怪の見えない虚空での格闘が思い浮かべられて、まったく別の印象が残ります。》

第二段 源氏、柏木に皮肉を言う

【現代語訳】

 ご主人の院は、
「寄る年波とともに、酔泣きの癖は止められないものだな。衛門督が目を止めてほほ笑んでいるのは、まことに恥ずかしくなりますよ。そうは言ってももう暫くの間だろう。さかさまには進まない年月だ。老いは逃れることのできないものだよ」と言って視線をお向けになると、誰よりも一段とかしこまって塞ぎ込んで、本当に気分もたいそう悪いので、試楽の素晴らしさも目に入らない気分でいるのだったが、その人をつかまえて、わざと名指しで、酔ったふりをしながらこのようにおっしゃる。

冗談のようであるが、ますます胸にこたえて、杯が回って来るのも頭が痛く思われるので真似事だけでごまかすのをお見咎めになって、杯を持たせたまま何度も無理にお勧めなさるのでいたたまれない思いで困っている様子は、普通の人と違って優雅である。
 すっかり具合が悪くなって我慢できないので、まだ宴も終わらないのにお帰りになったが、そのままひどく苦しくなって、
「いつものようなひどい深酔いをしたのでもないのに、どうしてこんなに苦しいのであろうか、居心地が悪いと感じていたためか、上気してしまったのだろうか。そんなに怖気づくほどの意気地なしだとは思わなかったが、何とも不甲斐ない有様だった」と自分自身思わずにはいられない。
 一時の酔いの苦しみではなかったのであった。そのまままひどくお病みになる。

 

《さて、問題の箇所です。

式部卿宮や老いた上達部が孫たちの舞を見て涙を流しているのを見て、若者たちは笑っていたのでしょうか。その様子を横で見ていた先ほどまでの大人の態度を一変させて、「酔ったふりをしながら」柏木に、絡みました。

急にどうしたのでしょうか。せっかく柏木のお陰もあって、好い一日になって、今楽しい場だというのに。柏木が恐縮している間は、不快な思いを抑えることができていたけれども、それがいささかでも気を許していい気持ちそうにしているのは断じて許せない、ということなのでしょうか。

今、あなた方は笑っているが、そういうあなた方もすぐに私たちのような老人になるのだ、…。

 源氏は、見ておれ、思い知らせてやる、と言っているわけではありません。ただ、お前たちもいずれ私たちのような思いをすることになるのだ、と言っているに過ぎません。『構想と鑑賞』は「ひどい皮肉」、「明らかな当てこすり」と言いますが、所詮は嫌がらせの域を出ません。前掲の『の論』所収「柏木の生と死」には、石田穣二の次のような説が引用されています。

 「少なくとも言葉の語る所、源氏の立場は全くの受身である。柏木への態度としてみれば、寛容と言うより他ない。より即して言へば、柏木に対する敗者の意識、この意識をうべなう気持がある」云々。

 柏木は、その日源氏の優しく見える対応を受け、おそらく、明らかにお役に立てたという気がして、かろうじて立ち直りかけたところだったのですが、その皮肉とも言えないような自虐的嫌みによって心をずんと刺されました(彼の耳には、いい気になるな、私は結構こたえているのだ、決して忘れないぞ、といったふうにも聞こえたということなのでしょうか)。

 柏木のおびえは、「一面には柏木の小心のためであり、他面では源氏に憎まれては世に立って行けないというほど、源氏が偉大なためである」と言い、「密通そのものはまだよいとして、(柏木にとって)対手がわるかった」と言います。

源氏は、藤壺とのことがあってもなお、表向きは平然として父・帝と対話をしていましたが、もし知られていたら同じようにできたでしょうか。いや、知られないようにするところが源氏の見事さで、その結果父に余計な心痛をかけないで済んだとも言えます。

そうだとすると、若い二人が密通を知られてしまうような未熟者同士だったために、源氏と二人の三人ともが傷つくことになってしまったという点で、「対手がわるかった」というのは、その三人のことということになりそうです。

 宴の席で柏木は追いつめられ、ほうほうの体で家(落葉宮邸であったことが次段でわかります)に帰ったものの、そのまま寝付いてしまったのでした。

 さて、少し長くなりますが、ここで考えてみると、若菜の巻になって物語の展開に大きな変化が生じています。

それは、これまで事件を起こすのは、すべて源氏自身だったのに対して、この巻では、すべての事件が彼以外の別の人によって引き起こされ、源氏はそれに巻き込まれながら、脇で見ていることしかできなくなっている、という点です。

これ以前の事件は、女性関係はもとより、須磨流謫さえ追いつめられていたとは言え、自分で去ることにして、行き場所も自分で決めて行動し、それによって物語が展開してきたのでした。

ところが、若菜の巻では、その冒頭が朱雀院の事情から語り始められているのが象徴的と言えるかも知れませんが、頑なに拒んでいた四十の賀の祝は玉鬘のサプライズによって突破され、女三の宮の降嫁も院の懇願があってこそのことでした。蹴鞠の日の垣間見は猫のいたずらという不可抗力によるものでしたし、柏木の密通も紫の上の看護の隙をつかれて彼の意思の働きようのない状況の下でした。そして悪阻に苦しむ女三の宮を見舞いに来て帰ろうとする源氏に女三の宮が、『光る』が言うところの「これだけいい歌を詠まなければ」、源氏は泊まることもなく、したがって柏木の手紙を見つけてしまうこともなかったはずなのでした。

結局彼がこの二巻で自らの意志でしたことと言えば、女三の宮降嫁の要請に「うん」と言ったことと、この宴席で皮肉を言ったことくらいだけと言ってもいいので、ほとんどが起こったことに追われて対応しているだけです。

その結果、源氏は、自分が若い頃に犯した罪の罰を、そのままの形で引き受けることになりました。彼自身は、今、そのことをそれほどには意識していないようですが、他人の起こす出来事の中で翻弄される姿は、まさにその因果応報が天の摂理であることを如実に現していると言っていいでしょう。

もちろんそれは単に勧善懲悪というような意味ではなくて、人の生はすべてある逃れがたい摂理の中に絡め取られてあるのだ、という恐るべき認識に繋がるものなのです(もっとも逆に、太宰治が抱いた「もしも、あのドスト氏が、罪と罰を…アントニムとして置き並べたものとしたら?」(『人間失格』)という疑問には、別の恐ろしさもありますが、それは別の問題です)。

ともあれ今ここで源氏は、この密通問題を表に出せない以上、柏木にも女三の宮に対しても同じように何もできません。彼はもうすっかり前半生の「錬金術師のようなスーパーヒーロー」(若菜上の巻第二章第一段)ではなくなって、せいぜいこういう嫌みを言って鬱憤を晴らすことしかできない、という事態になっています。
 今、物語を主導しているのは、朱雀院の愚かしさと若い二人のそれぞれの未熟さと至らなさ、つまり人間の弱さなのであって、かつての「スーパーヒーロー」がそれに振り回されているといった事態なのです。》


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第一段 御賀の試楽の当日

【現代語訳】

 今日はこのような試楽の日であるが、ご夫人方が見物なさるのに見がいのないようにはすまいと思って、あの御賀の日は赤い白橡に葡萄染の下襲を着るはずだが、今日は青白橡に蘇芳の下襲を着て、楽人三十人は今日は白い下襲を着ているが、東南の方の釣殿に続いている廊を楽所にして、山の南の側から御前に出る所で「仙遊霞」という楽を奏して、雪がほんのわずか散らついて、「春のとなり近く(春がお隣まで来ていて)」梅の花の様子が見栄えがしてほころびかけている。
 廂の御簾の内側にいらっしゃるので、式部卿宮、右大臣だけがお側に伺候していらっしゃって、それ以下の上達部は簀子で、事々しくない日のことで御饗応などは手軽な物を用意してある。
 右の大殿の四郎君、大将殿の三郎君、兵部卿宮の孫王の公達二人は「万歳楽」、まだとても小さい年なので、とてもかわいらしげである。四人とも、誰もが高貴な家柄のお子であって、器量もかわいらしく装い立てられている姿は、思いなし、気品がある。
 また、大将の典侍がお生みになった二郎君と、式部卿宮の兵衛督と言った人で今では源中納言になっている方の御子は「皇麞」、右の大殿の三郎君は「陵王」、大将殿の太郎は「落蹲」、その他では「太平楽」「喜春楽」などといういくつもの舞を、同じ一族の子供たちや大人たちなどが舞ったのであった。
 日が暮れて来たので、御簾を上げさせなさって、感興が高まっていくにつれて、実にかわいらしいお孫の君たちの器量や姿で、舞の様子も又とは見られない妙技を尽くして、お師匠たちもそれぞれ技のすべてをお教え申し上げたうえに、深い才覚をそれに加えて、素晴らしくお舞いになるのを、どの御子もかわいいとお思いになる。年老いた上達部たちは、皆涙を落としなさる。式部卿宮も、お孫のことをお思いになって、お鼻が赤く色づくほどお泣きになる。

 

《御賀のリハーサルの日です。

「青い白く脱ぎに祖薫襲の火重ねを着て」は舞の童の装束で、本番は赤色系なのだが、今日は青色系でまとめています。前段からの続きと見れば、柏木の選択だったようにも見えますが、後の饗応のことも含めて、やはり源氏の差配なのでしょう。

正月の女楽以来、一年ぶりに久々に、ともかくも晴れやかに一同が会しました。ご夫人方に加えて、「廂の御簾の内側」の源氏の傍に紫の上の父・式部卿宮、髭黒の右大臣です。

源氏の親友にして柏木の父・大臣が呼ばれていないのは、一族ではないということなのだろうかと思いますが、弟・蛍兵部卿が、孫だけいてご本人がここにいないのは、どうしたのでしょうか。まさか上達部と一緒に簀子に、というわけでもないでしょうが。

ともあれ、ここでは、音楽の方は措いて、もっぱら源氏の孫世代の舞が人目を引きました。たくさんいるので、『評釈』によって整理しますと、「万歳楽」を四人、「皇麞」を二人、「陸王」と「落蹲」をそれぞれ一人ずつ、その他に「『太平楽』『喜春楽』などという舞のかずかずを同じ一族の子供たちや大人たちなどが舞」ったのでしたが、それぞれ「年齢と父の地位などの諸条件を十分に勘案しての配役」と言います。

「雪がほんのわずか散らついて、…梅の花の様子が見栄えがして」というのは、開けっ放しにしているということでしょうか、この時旧暦十二月初旬、大寒の頃ではないかと思われますが、いつものことながら、貴族というのは元気な人たちです。

その中で、「日が暮れて来たので、御簾を上げさせなさって」の見物です。源氏も今はもの思いを忘れて、満足の様子です。

これもまた、嵐の前の静けさです。》

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第七段 柏木と御賀について打ち合わせる

【現代語訳】

「ここ幾月、それぞれにご心配でいらっしゃるということをお聞きしてご案じ申しておりましたが、春ごろから、普段も病んでおりました脚気という病気がひどくなって苦しみまして、しっかり立ち歩くこともできませず、日が経つにつれて臥せってしまいまして、内裏などにも参内せず、世間と絶縁したようにして家に籠もっておりました。
 院のお年がちょうどにおなりになる年で、誰よりもきちんと数えてお祝いをして差し上げようということを致仕の大臣が思い立って申されましたが、『冠を挂け、車を惜しまず捨てて官職を退いた身で、進み出てお祝い申し上げるようなのも身の置き所がない。なるほどそなたは身分が低いと言っても、自分と同じように深い気持ちは持っていよう。その気持ちを御覧に入れるがよい』と、促し申されることがございましたので、重病をなんとか押して、参上いたしました。
 このごろは、院は、ますますひっそりとしたご様子に世間のことはお捨てになって、盛大なお祝いの儀式をお待ち受け申されることは、お望みではありますまいと拝察いたしましたが、いろいろなことを簡略にあそばして、静かなお話し合いを心からお望みであるのを叶えて差し上げるのが、上策かと存じられます」と申し上げなさったので、盛大であったと聞いた御賀の事を、女二の宮の事として言わないのは、大したものだとお思いになる。
「ただこれだけです。簡略にした様子に世間の人は浅薄に思うに違いないが、さすがによく分かっておっしゃるので、やはりこれでよかったと、ますます安心に思われます。大将は朝廷の方ではだんだん一人前になって来たようだが、このように風雅な方面は、もともと性に合わないのであろうか。
 あの院は、どのような事でもお心得のないことはほとんどない中でも、音楽の方面には御熱心で、まことに御立派に精通していらっしゃるから、そのように世をお捨てになっているようだが、静かにお心を澄まして音楽をお聞きになることは、このような時にこそ心遣いすべきでしょう。

あの大将と一緒に面倒を見て、舞の子供たちの心構えや嗜みをよく教えて下さい。音楽の師などというものは、ただ自分の専門についてはともかくも、他はまったくどうしようもないものです」などと、たいそう打ち解けてお頼みになるので、嬉しいけれども、辛く身の縮む思いがして、口数少なくこの御前を早く去りたいと思うので、いつものようにこまごまと申し上げず、やっとの思いで下がった。
 東の御殿で、大将が用意なさった楽人や舞人の装束のことなどをさらに重ねて指図をお加えになる。できるかぎり立派になさっていた上に、ますます細やかな心づかいが加わるのも、なるほどこの道には、まことに深い人でいらっしゃるようである。

 

《「柏木の挨拶は立派である」と『評釈』が保証しますが、なるほど、きちんとしたものです。「お返事もすぐには申し上げられない」(前段)とありましたが、胸の内にそれほどのおびえを抱きながら、これだけのことを言うのは、容易なことではないでしょう。彼が懸命に背筋を伸ばして頑張っている気持を思い遣ると、痛々しいような気がします。

無沙汰の弁明はそれとして、「院のお年が…」は、十月に妻の落葉宮と院の賀に参上したときの話です。二の宮の賀とすると、三の宮の賀が遅れたことに繋がるところから、父のことにしたのが配慮がきいているところと『評釈』が解説します。父・大臣は「母の大宮との関係で朱雀院のいとこに当たり、北の方四の君は朱雀院の母弘徽殿の大后の妹であり、長男の柏木は二の宮の婿である」(『集成』)から、先に立って「誰よりも人一倍しっかりと数えてお祝いをして差し上げよう」と考えても不思議ではない、というわけです。

その際、父はすでに職を辞しているので自分が代理で行ったということにします。あくまでも二の宮は出しません。

「このごろは、院は、…」以下は、その時の院のご様子から彼の意見を語ったものです。

この度のあなた様の賀は、いくらでも「盛大なお祝いの儀式」をなさることがおできになるのでしょうが、あの時の院のご様子からして、「思うとおりにもできず、型通りに精進料理を差し上げる予定」(前段)という、「諸事簡略にあそばして、静かなお話し合いを心からお望みであるのを叶えて差し上げる」方が、かえってよろしいのではないでしょうか。

源氏は、「盛大であったと聞いた(二の宮の)御賀の事」を何も言わないで、しかも父大臣のことにして話すのを、「大したものだとお思いになる」のでした。そして、息子の夕霧はこういう方面はどうも不調法のようで任せられないとまで話して、親しく音楽の指導を頼みます。その言い方は、本当に期待しているようで、呼ばないのは「皆が変だと思うに違いない」から呼んだ(第五段)という感じではなくなっています。

柏木の方は、必要なことをともかく言い終えて、冷や汗三斗の思いで、早々に御前を下がりました。下がって音楽の指導を始めれば、さすがの技量、夕霧が用意したところに「さらに重ねて指図をお加えになる」くらいです。この人は、本当は立派な人なのです。》

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第六段 源氏、柏木と対面す

【現代語訳】

まだ上達部なども参上なさっていない時分であった。いつものようにお側近くの御簾の中に招き入れなさって、母屋の御簾を下ろしていらっしゃる。なるほど、実にひどく痩せて蒼い顔をしていて、いつも陽気で派手な振る舞いは、弟の君たちに気圧されて、いかにも嗜みありげに落ち着いた態度でいるのが格別であるだが、いつもより一層静かに控えていらっしゃる様子は、

「どうして、内親王たちのお側に夫として並んでも、全然遜色はあるまいが、ただ今度の一件については、どちらもまことに思慮のない点で、ほんとうに罪は許せないのだ」などと、お目が止まりなさるが、平静を装って、とてもやさしく、
「特別の用件もなくて、お会いすることも久し振りになってしまった。ここいく月は、あちらとこちらの病人を看病して、気持ちの余裕もなかった間に、院の御賀のためにこちらにいらっしゃる内親王が御法事をして差し上げなさる予定になっていたのだが、次々と支障が重なって、このように年もおし迫ったので、思うとおりにもできず、型通りに精進料理を差し上げる予定だが、御賀などと言うと仰々しいようだが、わが家に生まれた子供たちの数が多くなったのを御覧に入れようと、舞などを習わせ始めた、その事だけでも予定どおり執り行おうと思って、調子をきちんと合わせることは誰にお願いできようかと思案に困って、いく月もお顔を見せにならなかった恨みも捨てました」とおっしゃるご様子が、何のこだわりもないように見えるけれども、とてもとても顔も上げられない思いに、顔色も変わるような気がして、お返事もすぐには申し上げられない。

 

 

《「柏木は早く来すぎた」と『評釈』は言います。しかしずいぶんの無沙汰の後ですから、この場合は、そのくらいが普通のように思われます。むしろ源氏の方が、どう声を掛けようかと困るくらいでしょう。

源氏は、「いつものようにお側近くの御簾の中に招き入れ」ました。簀子から廂の間に入れたということのようです。『評釈』が載せている『絵入源氏物語』の絵には、他に三人の貴公子が同じ部屋に描かれていますから、彼の兄弟と共に招き入れられたと考えているのでしょう。本来ならその中で押しも押されぬ総領なのですから、彼が中心であるべきですが、今日は陽気な弟たちの中で小さくなっている、と言います。

そういう彼を、源氏は母屋にいて御簾越しに、自分は顔を見せないで応接します。お互いにその方がいいでしょう。

「実にひどく痩せて蒼い顔をして」はいますが、源氏は「内親王たちのお側に夫として並んでも、全然遜色はあるまい」と、その立派な姿に太鼓判を押しますが、気持はもとより穏やかではありません。そこを抑えて、「平静を装って、とてもやさしく」、大人の態度で大変に丁寧に語りかけます。その挨拶は、例によって見事で、こういう場合のお手本のようなものでした。

ただ、事がすでにこの人に知られていると知っている柏木にしてみれば、このように語りかけられると、むしろ、その穏やかさによっていっそう、十分底知れない恐ろしさを感じざるを得ません。「とてもとても顔も上げられない思い」で、ものも言えないような気持になるのも、無理ありません。》

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