源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第十四章 女三の宮の物語(二)

第五段 女三の宮、柏木の手紙を見る

【現代語訳】

 御前には女房たちがあまりいない時なので、この手紙を持って行って、
「あの方が、こんなにも忘れられないといって、手紙をお寄こしになるのが面倒なことでございます。お気の毒そうな様子を見るに見かねる気持ちが起こりはせぬかと、自分の心ながら分らなくなります」と、笑って申し上げると、
「とても嫌なことを言うのね」と、無邪気におっしゃって、手紙を広げたのを御覧になる。「見もせぬ」という歌を引いたところを、不注意だった御簾の端の事に自然と思い当たられたので、お顔が赤くなって、大殿があれほど何かあるごとに、
「大将に見られたりなどなさらないように。子供っぽいところがおありのようだから、ついついうっかりしていて、お見かけ申すようなことがあるかも知れない」と、ご注意申し上げなさっていたのをお思い出しになると、
「大将が、こんなことがあった、とお話し申し上げるようなことがあったら、どんなにお叱りになるだろう」と、この人が拝見なさったことについてはお考えにならないで、まずは叱られることを恐がり申される心の内は幼いことだった。
 いつもよりもお言葉がないので、はりあいがなく、特に無理して催促申し上げるべきことでもないから、こっそりといつものように書く。
「先日は、そ知らぬ顔をなさっていましたね。失礼なことだとお許し申し上げませんでしたのに、『見ずもあらぬ』とは何ですか。まあ、思わせぶりなことです」と、さらさらと走り書きして、
「 いまさらに色にな出でそ山桜およばぬ枝に心かけきと

(今さらお顔の色にお出しなさいますな、手の届きそうもない桜の枝に思いを掛けた

などと)
 無駄なことですよ」とある。

 

《小侍従は、先に「(姫宮の)乳母子」とあった人で、これまで幾度も柏木から、仲立ちをするよう責められてきました(前章第三段)が、どうやらその頼みを聞き入れたことはないようです。

しかし今、彼女は柏木の手紙を姫に見せることにしました。手紙にあった歌の意味が理解できれば、そんなことはしなかったでしょうが、「猫の騒ぎの善後処置をあやまった女房連の一人らしい」(『評釈』)軽率さです。

柏木の気持ちをただの色好みの懸想くらいに軽く考え、もちろん姫宮もまともに相手するはずもないと思い、「面倒なこと」だと言い、ひょっとすると仲立ちしますよと、姫をからかい気味に「笑って」渡します。「小侍従は柏木を笑いものにするつもり」(『評釈』)のようなのです。

姫もそれを理解して「無邪気に」受け取りますが、引き歌の意味を理解して、ひとり青ざめます(文中には「お顔が赤くなって」とありますが)。しかしそれは、わが姿を見られたことの意味を理解して恥じ入ったのではなく、源氏に叱られることを恐れて、ということで、本筋を逸れた、何とも子供じみた怖れだったのでした。それも、「いつもよりもお言葉がない」と小侍従が感じるほど、しばらく口もきけないような動揺です。

小侍従は、もちろんその理由が分からず、自分の冗談にも乗って貰えないので拍子抜けの格好で、部屋に引き下がり、しいて姫からの返事もいらないと考えて、自分からの返事を書きました。

「見ずもあらぬ」は、あの引き歌の初句で、小侍従からすれば、実際に姫宮をみたわけでもないのに、まるで見たような言い方をしているのが「思わせぶり」だというのでしょう。

このあたり、『光る』は、「大野・小侍従はもはや柏木と関係があると思う。だから少し相手をなめて無礼に扱っている」と言い、「丸谷・『及ばぬ枝』っていふときに、『およぶ枝』は自分なんですよ。(笑)」と言います。先の「笑いものにする」というのとつなげてみると、どうやら小侍従は、源氏正室の側近ということから、柏木に対しては上から目線の対応ということのようで、最後の「無駄なことですよ」は、ほとんど姉さん女房が若いツバメを叱りつける格好に聞こえます。

さて、話が小侍従の方へ変に逸れて、さまざまにボタンの掛け違いのような格好で、この巻が終わります。それを『光る』が、「丸谷・読者をじらす。…実に手慣れた小説的な進行のさせ方になっていますね」と言います。

ただし、同書は先に「丸谷・(小侍従は、あの蹴鞠の)当日は留守で、このとき、現場を見ていなかった」と言っていますが、この返事の「先日」というのはあの日もことを言っていると考えるのが普通で、小侍従も現場にいてなお気がつかなかったのだと読む方が、この人の軽さが表れて、話としておもしろいように思います。》

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第四段 柏木、小侍従に手紙を送る

【現代語訳】

 督の君は、今なお太政大臣邸の東の対に、独り身で暮らしていらっしゃった。考えるところがあって長年このような独身生活をしてきたものの、自分の考えながらもの寂しく心細い時々もあるが、
「自分はこれほどの身分で、どうして思うことが叶わないことがあろうか」と、ひとえに自負していたけれども、この夕方からひどく気持ちが塞ぎ、物思いに沈み込んで、
「どのような機会に、再びあれぐらいでもよい、せめてちらっとでもお姿を見られるだろうか。何をしても人目につかない身分の者なら、ちょっとでも手軽な物忌や、方違えの外出も身軽にできるから、自然と何かと機会を見つけることもできようが」などと、思いを晴らすすべもなく、
「深窓の内に住む方に、どのような手段で、このような深くお慕い申しているのだということだけでも、お知らせ申し上げられようか」と胸が苦しく晴れないので、小侍従のもとに、例によって手紙をおやりになる。
「先日、たまたま誘われて立派なお邸に参上致しましたが、今まで以上にどんなにか私をお蔑すみになったことでしょう。その夕方から、思い乱れまして、『あやなく今日』は物思いに沈んで暮らしております」などと書いて、
「 よそに見て折らぬ嘆きはしげれどもなごり恋しき花の夕かげ

(よそながら見るばかりで手折ることのできない悲しみは深いけれども、あの夕方見

た花の美しさはいつまでも恋しく思われます)」

とあるが、小侍従は先日の事情を知らないので、ただ普通の恋わずらいだろうと思う。

 

《柏木は「自分はこれほどの身分で、どうして思うことが叶わないことがあろうか」と考えて、「今なお太政大臣邸の東の対に、独り身で暮らして」いる、と言います。彼は、どうやら本気で源氏の出家を待ち(第十三章第二段)、女三の宮をここに迎えることができると考えているようです。

そう言えば友人の夕霧は雲居の雁を実に六年待ったのでした。柏木も、あるいはそういう気持だったのかも知れません。彼は、いつか何とか、女三の宮をひと目みたいものと願い続けていたのでした。

そして、とうとう今日垣間見たのでした。ところが、せめて一度と思っていたことがかなってみると、そのことは案外身近な容易なものに思われてきます。彼にとって女三の宮は、一面、それほど遠くないものに思えたことでしょう。それにもかかわらず逢えない、ということが、彼に激しい喪失感となります。

柏木の、「再び…せめてちらっとでも(原文・ほのかな御ありさまをだに)」という思いについて、『光る』が「『ほのか』と『かすか』とはどう違うかということ」に注目して、「ほのか」は「大野・十分じゃない。不足なんです。…不足で不満なんです」と言います。それはあるべきものがない、という気持であり、一瞥する前には漠然としたものへの憧れであったものが、具体的な姿を持った欠落感に変わった、ということでしょうか。

柏木はかねて通じていた小侍従に、何とか取り次いでくれと込めて手紙を書きます。その文中「『あやなく今日』は…」は引き歌で、その上の句の「見ないというのでもない、見たというのでもない、ただ簾の隙間からほのかに見たあなたが恋しいので」(『集成』)という意味を隠して、女三の宮に蹴鞠の時のことをほのめかそうとしています。 

小侍従はそういう事情は知らないようで(もちろん、夕霧以外には誰も知らないわけですが)、ただの恋文と思ったのでした。》

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第二段 柏木と夕霧、同車して帰る

【現代語訳】

 大将の君が同じ車に乗って帰り、道中お話なさる。
「やはりこの季節の退屈な時は、こちらの院に参上して気晴らしするといいですね。」

「今日のような暇な時を見つけて、花の季節を逃さず参上せよと、おっしゃったが、行く春を惜しみがてらに、この月中に、小弓をお持ちになって参上ください」と約束し合う。お互いに別れる道までお話なさって、宮のお噂がやはりしたかったので、
「院におかれては、やはり東の対にばかりいらっしゃるようですね。あちらの方へのご愛情が格別だからでしょう。こちらの宮はどのようにお思いでしょうか。院の帝が並ぶ者のないお扱いをずっとしてお上げになっていらっしゃったのに、それほどでもないので、沈み込んでいらっしゃるようであるのは、お気の毒なことです」と、よけいな事を言うので、
「とんでもないことです。どうしてそんなことがありましょう。こちらの御方は、普通の方とは違った事情でお育てなさった親しさの違いがおありなのでしょう。宮を何かにつけて、たいそう大事にお思い申し上げていらっしゃいますものを」とお話しになると、
「いや、おやめ下さい。すっかり聞いております。とてもお気の毒な時がよくあるというではありませんか。実のところ、並々ならぬ御寵愛の宮ですのに。考えられないお扱いではないですか」と、お気の毒がる。
「 いかなれば花に木づたふ鶯の桜をわきてねぐらとはせぬ

(どうして、花々を飛び移る鴬は、桜を別扱いしてねぐらとしないのでしょう)
 春の鳥が、桜だけにはとまらないことよ。不思議に思われることですよ」と、口ずさみに言うので、
「何と、つまらないおせっかいだ。やっぱり思った通りだな」と思う。
「 深山木にねぐら定むるはこ鳥もいかでか花の色に飽くべき

(深山の木にねぐらを決めているはこ鳥も、美しい花の色を嫌がりましょうか)
 理屈に合わない話です。そう一方的におっしゃってよいものですか」と答えて、面倒なので、それ以上物を言わせないようにした。他に話をそらせて、それぞれ別れた。

 

《六条院からの帰り道、大将(夕霧)は三条の雲居の雁の所に、柏木は二条の太政大臣邸に、夕霧が柏木の車に(でしょうか)同乗して帰っていきます。若い友人同士二人だけの暫くの時間です。

 最初の二つの対話について、「大将が」と書き出された話の流れからは、初めが夕霧、後が柏木となりそうですが、話の内容からは逆の方が自然で、『谷崎』はそうしています。『集成』は二つをまとめて夕霧の言葉とし、『評釈』もそのようです。いずれにしても、今日は楽しかったね、という普通の対話です。

 ところが、その後の柏木の話は、友人の父親、それも名にし負う準太上天皇の夫婦関係についての批判ということで、非礼この上ないと言ってもいいような話です。

それも、夕霧が否定してもなお、追及をやめないというのは、およそ貴公子の振るまいとは思われません。

『の論』所収「蹴鞠の日―柏木登場」に至っては「彼は、彼がそこに生き生かされている現実の秩序、掟の外に逸脱し、ただ自己の内部にかかえこむ情念に忠実な、言わば狂気びととして発足する」と極言していますが、それはともかく、『光る』もソフトにですが、「丸谷・こういうところを読むと、柏木という人はかなり鈍感というか、あるいは恋心のせいで無分別になっているというべきか、少なくともこの状態ではあまり賢くないっていう感じ。その、一般に男が恋愛するとおかしくなるという状態を大変うまく出していますね」と言います。

柏木としては、恋しく思い続けていた人の姿が見られたという、先ほどの感動と興奮が残っていて、車の中というくつろいだ場でそれを語りたい思いが募って、ついついあらぬ方向から話し始めてしまったということでしょう。

それに対して夕霧は、さすがに非礼な言葉にちょっと腹を立てたのでしょうか、「何と、つまらないおせっかいだ(原文・たいだいしきこと)」と気分を損ねて、「紫の上は特別な人なのだ」反論しますが、そこには、彼の義母に対する憧れも混じっているようです。もちろん彼が感じている女三の宮の至らなさも、口にはできません。

柏木は、いや、自分は情報を持っているのだと、なおも食い下がりますが、こちらは女三の宮への垣間見た生々しい感動が胸の底から彼の口を突き動かすのです。

お互いに自分の本音は伏せたままでの対話ですが、夕霧が、話が「現実の秩序、掟の外に逸脱し」てしまわないように、「それ以上物を言わせないようにした。他に話をそらせて」という、大変実務的な配慮をするのが、彼らしいところです。

それにしても、そこで二人で「あまり上手じゃない」(『光る』)歌を交わすというのは、なんとも悠長です。一体こういう議論の締めくくりなどに歌など詠むものなのでしょうか。

いや、歌によって、議論だけでは先鋭になりすぎて収拾が付かなくなることをカバーして、歌でぼかして話を軟着陸させようとするのでしょうか。

いずれにしても二人の話は平行線のままで別れました。とてもこのままでは終わりそうにありません。》

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第一段 蹴鞠の後の酒宴

【現代語訳】

 大殿がこちらを御覧になって、
「上達部の席には、あまりに軽々しいな。こちらに」とおっしゃって、東の対の南面の間にお入りになったので、皆そちらの方にお上りになった。

兵部卿宮も席をお改めになって、お話をなさる。それ以下の殿上人は、簀子に円座を召して、気楽に、椿餅、梨、柑子のような物が、いろいろないくつもの箱の蓋の上に盛り合わせてあるのを、若い人々ははしゃぎながら取って食べる。適当な干物ばかりを肴にして、酒宴の席となる。
 衛門督はたいそうひどく沈みこんで、ややもすれば花の木に目をやってぼんやりしている。大将は、事情を知っているので、

「妙なことから垣間見た御簾の透影を思い出しているのだろう」とお考えになる。
「とても端近にいた姿を、一方では軽率だと思っているだろう。いやはや。こちらの御方のご様子は、あのようなことは決してないであろうものを」と思うと、

「こんなふうだから、世間の評判が高い割には、内々のご愛情は薄いようなのだった」と合点されて、
「やはり、他人に対しても自分に対しても不用心で、幼いのはかわいらしいようだが不安なものだ」と、軽んじられる。
 宰相の君は、いろんな欠点に少しも思い至らず、思いがけない御簾の隙間からちょっとその方と拝見したのも、

「自分の以前からの気持ちが報いられるのではないか」と、前世からの約束でもあるかと嬉しく思われて、どこまでもお慕い続けている。

 院は、昔話を始めなさって、
「太政大臣がどのような事でも私を相手に勝負の争いをなさった中で、蹴鞠だけはとても敵わなかった。ちょっとした遊び事に伝授などあるはずもないが、血筋はやはり特別だったよ。たいそう目も及ばぬほど、上手に見えた」とおっしゃると、ちょっと苦笑して、
「公の政務にかけては劣っております家風が、そのような方面では伝わりましても、子孫にとっては大したことはございませんでしょう」とお答え申されると、
「とんでもない。何事でも他人より勝れている点を、書き留めて伝えるべきなのだ。家伝などの中に書き込んでおいたら、面白いだろう」などと、おからかいになるご様子がつやつやとして美しいのを拝見するにつけても、
「このような方と一緒にいては、どれほどのことに心を移す人がいらっしゃるだろうか。どうしたら、かわいそうにとお認め下さるほどにでも、気持ちをお動かし申し上げることができようか」と、あれこれ思案すると、ますますこの上なくお側には近づきがたい身分の程が自然と思い知らされるので、ただもう胸の塞がる思いで退出なさった。

 

《源氏は蹴鞠に飽いたのでしょうか、夕霧と柏木が階段の途中に坐っているのを「軽々しい」と上に招じ入れるのを潮に、東の対の南面に一同を誘いました。

とりあえず茶菓が出て、すぐに酒宴となるのは、現代でもしばしばあることです。

さて、柏木がふさぎ込んでいるように見えますが、もちろんさっきの女三の宮の面影を追いかけているのです。夕霧は、内心、軽率な女三の宮を「こちらの御方」、義母の紫の上と比べて改めて批判しています。

が、柏木には姫宮のそういう振る舞いさえも僥倖に思われて、ほとんど上の空といった感じです。

そんな二人の胸中に思い及ぶよしもない源氏は、のんびりと昔話を始めます。柏木の蹴鞠が大変巧みだった(前章第四段)ことから、太政大臣が、この道だけは源氏も及ばないと認めるほどうまかったことを話して、さすがに血筋と感心して見せます。太政大臣は和琴も卓越していたはずですが、こうした趣味の点でも、本格的なことは源氏が優れていて、太政大臣の方は第二ランクのことの達人と、やはり差が付けられています。

柏木が、こんなことがうまくても、と謙遜すると、源氏は、「家伝などの中に書き込んでおいたら、面白いだろう」と、上から目線のからかいです。

それがまた柏木にとって「つやつやとして美し」く見えるのですから、彼としては立つ瀬がありません。両家の間にそういう隔絶された権勢の差があるということなのです。

柏木はすぐに女三の宮を思い浮かべて、この人と張り合っても、到底過勝ち目はなさそうだと、「ただもう胸の塞がる思いで退出」するしかないのでした。》

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