源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第十二章 明石の物語(三)

第六段 明石御方、宿世を思う

【現代語訳】

「あなたこそは少し物の道理が分かっていらっしゃるようだから、ほんとうに結構なことで、仲好くし合って、この姫君のご後見を心を合わせてして下さい」などと声をひそめておっしゃる。
「仰せはなくとも、まことに有り難いご厚意を拝見しておりまして、朝夕の口癖にお話ししております。目障りな者としてお許しがなかったら、こんなにまでお見知りおき下さるはずもございませんのに、身の置き所もない程に人並みにお言葉をかけて下さるので、かえって面映ゆいくらいです。
 人数にも入らない私が、それでも生き永らえていますのは、世間の評判もいかがかと、まことに苦しく遠慮される思いが致しますが、落ち度のないようにいつもお庇いいただいて」と申し上げなさると、
「あなたのためには特にご好意があるのではないでしょう。ただこの姫君のご様子を始終付き添ってお世話申し上げられないのが心配で、お任せ申されるのでしょう。それもまた、一人で取り仕切って特に目立つといったようではないお振る舞いなので、何事も穏やかで体裁よく運ぶので、まことに嬉しいことです。
 ちょっとしたことにつけても、物の道理の分からずひねくれた者は、人と交際するにつけて、相手まで迷惑を被ることがあるものです。そのような直さなければならない所が、どちらにもなくいらっしゃるようなので、安心です」とおっしゃるにつけても、
「やっぱりだわ。よくここまで謙遜して来たこと」などと思い続けなさる。

対の屋へお渡りになった。

「ああして、たいそう大事になさるお気持ちが深まるばかりのようだこと。なるほどほんとうに人並み勝れて、こんなに何もかも揃っていらっしゃる様子で、無理もないとお見えになるのが立派です。
 宮の御方は、表向きのお扱いだけはご立派で、お渡りになるのも、そう十分でないらしいのは、恐れ多いことのようですね。同じお血筋でいらっしゃるが、もう一段御身分が高いことだけにお気の毒で」と陰口を申し上げなさるにつけても、自分の運命は、まことに大したものだという気がなさるのであった。
 高貴な方でさえ、思い通りにならないらしいご夫婦仲なのに、ましてお仲間入りできるような身分でもないのだから、何もかも今は恨めしく思うことはない。ただ、あの世を捨てて籠もった深山生活を思いやるだけが悲しく心配なことである。
 尼君も、ただ、「福地の園に種まきて(極楽で会おう)」というような一言を頼みにして、後世の事を考えながら、物思いに耽っていらっしゃった。

 

《「あなたこそ」と強めた言い方をしたのは、女三の宮と比べると、という気持でしょう。

 「物の道理が分かっていて」と源氏が御方を褒めるのに対して、御方は「いつもお庇いいただいて」とたいへん謙虚な物言いです。

 こう言われれば普通は、いやいや、それはあなたがちゃんとできているから、とか何とか言うところですが、源氏は「あなたのためには特にご好意があるのではない」と随分な言いようです。実際は、姫君入内の折の対面で紫の上はこの御方を「目を見張る思いで御覧にな」った(藤裏葉の巻第二章第四段)とあったように、その人柄も敬意を持っているのですから、源氏のこの言葉は、そういう序列を保っておいてほしいという気持ちの現れなのであって、それは、女御に紫の上の恩を強調したことと同じ流れの考え方です。

ここでも、『物語空間』の、「(源氏が)このようなあからさまな要求をすること自体、…この六条院世界がいつの間にか、掴みがたい異質な世界に変容してしまい、もはや自分に自信を持てなくなった光源氏の、追いつめられた思いを反映するものだった」という、ある問題意識を持った読み方は、それなりに興味をひきますが、御方は源氏の言葉を至って素直に受け入れます。そして長くそうした謙虚な姿勢を保ってきたことを、むしろ誇らしくさえ思うのでした。

御方の反応がこのようである以上、作者の立場に立ってみれば、そういう読み方は、やはり別の物語だというべきでしょう。

さて、源氏は紫の上のいる東の対に帰っていきました。それを見送りながら、御方は、女三の宮を紫の上と比べて、お気の毒に、と「陰口を申し上げなさ(原文・しりうごちたまふ)」って、彼女に比ぶべくもない身分のわが身の、身に余る幸運を思います。「陰口」というのは、この人にふさわしくない振る舞いと思われますが、もちろんこれは内心の声に過ぎないことでしょう。

こうして、尼君の昔話と入道の手紙が投じた波紋は、御方の誇りに輝きを添え、あわせて紫の上の地位を確かめる形で、一応の幕を閉じます。

 尼君と御方が、陽の当たり始めた自分たちの立場に満足しながら、それぞれに明石の入道の安否を切なく案じている中で、この場面はフェードアウトし、物語は別の事件へと展開していきます。》

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第五段 源氏、紫の上の恩を説く

【現代語訳】

「この願文には、また一緒に差し上げねばならない物があります。そのうちお話しましょう」と、女御には申し上げなさる。その折に、
「今は、このように昔のことを遡ってお分りになったのですが、あちらのご厚意をおろそかにお思いになってはいけませんよ。もともと親しかるべき夫婦や、切っても切れない親兄弟の親しみよりも、関係のない人が通り一遍の情けをかけたり、一言の厚意でも寄せたりしてくれるのは、並大抵のことではありません。
 まして、こちらの方などが始終お付きしていらっしゃるのを見ながら、最初の気持ちも変わらず、深くご厚意をお寄せ申しているのですから。
 昔の世の例にも、いかにも表面だけはかわいがっているふうにするものだと、継子が賢そうに推量するのも利口なようですが、たとえ間違っていても自分にとって内心邪険な気持でいるような継母をそうとは思わず素直に慕っていったならば、その継母も思い返してかわいがり、どうしてこんなかわいい子にと、罰が当たるだろうという気がするにつけても、改心することもきっとあるでしょう。
 並々ならぬ昔からの仇敵というようではない人は、いろいろ行き違いがあっても、お互いに欠点のない場合には、自然と仲好くなる例はたくさんあるようです。

それほどでもないことにとげとげしく難癖をつけ、かわいげなく人を疎んじる心のある人は、とてもうちとけにくく、考えの至らない者と言うべきでしょう。
 多くはありませんが、人の心のあれこれとある様子を見ると、嗜みといい教養といい、それぞれにしっかりした程度の心得は持っているようです。皆それぞれ長所があって、取柄がないでもないが、そうかと言って特別にわが妻にと思って真剣に選ぼうとすれば、なかなか見当たらないものです。
 ただ本当に素直で人柄の好い人は、この対の上だけが、この人をこそ心の寛い人と言うべきだと思います。立派な人と言っても、またあまりに締まりがなくて頼りなさそうなのも、まことに残念なことですよ」とだけおっしゃったが、きっともうお一方のことが思われたことだろう。

 

《源氏は、女御に自分の願文も一緒に渡すことを約束しますが、そのついでに、「あちらのご厚意」(紫の上の心遣い)を語り始めます。

身内の愛情よりも、他人のちょっとした厚意は、はるかにありがたいものだという一般論はなるほどと思われますし、実の母が側にいるのにそれとは関係なく、姫に初めと変わらぬ愛情を保ち続けるということは、確かに生なかのことではないように思われます。

「昔の世の例にも」以下の話は、紫の上の厚意に対してあなたはつまらぬ勘ぐりなどしないで、「素直に慕って」いればいい、ただでさえ誰とでも親しんでみれば「自然と仲好くなる」ものだが、特に紫の上は、他にめったに見られないいい人だから、信じて疑わないことが大切だ、…。

『評釈』が「平安時代の物語といえば、継子いじめがその主要部分を占めていたから、当時の人々にとって継母継子論は大いに興味のあるところ」だったと言います。

作者はそういう意味で語らせているのかも知れませんが、しかし直前の明石一族の人々のドラマチックで格調高い感慨を読んできた後では、なんとも手前勝手な世俗的説教に思われて、むしろ先にあった御方の「対の上のお心はいい加減にはお思い申されますな」(第二段)という短い一言の方がしみじみと感じられるものだったように思います。

尼君の話と入道の手紙によって生まれた親子三人の濃密な連帯の中に、源氏が、そのことに気づかないままに入り込んできているといった印象を受けます。

「ここに展開されるのは、父によって秩序づけられ、父によって組み合わせられた養子、養女の空間であろうとする光源氏体制のほころび、裂け目である」(『物語空間』)とまで言ってしまうのは、この書の例によっての読み加え、読み過ぎで、それでは別の物語になってしまうと思われますが、しかしこれまでその言動のいちいちが光り輝いていた源氏が、どこやら俗な中年男に近づいて来ている様子であることは、すでに幾度か取り上げてきましたが、やはり間違いなさそうです。

もっとも作者としては、ここは、源氏が紫の上のことだけを話してきて、最後に「立派な人(原文は「よき人」、身分の高い人の意味もあります)と言っても」と一言添えたことで、横で聞いていた明石の御方が、「もうお一方」、女三の宮にはご不満がおありのようだと察する、という形で、紫の上の立派さを念押しする話にしたいようです。

話の筋からは逸れますが、「並々ならぬ昔からの仇敵…」以下の一般論は、しかし教訓としてはなかなかいい話です。

世の中に争いや諍いは絶えることがないが、特別な人を除いて実はそうそう悪い人がいるのではなく、問題の大方は、いい人同士の間でのつまらぬ「行き違い」、ボタンの掛け違いか、またはそれぞれが相手を色眼鏡で見ることから起こっているのだ、という意味でしょうが、本当にそう納得するには、ひと年取った上で、なお素直な目を持つという、ちょっと難しい条件が必要かも知れません。源氏はそれを、作者から超越的な地位を与えられることによって獲得したのでしょうか。彼の色好みの弁解とも取れて、滑稽とも言えそうですが。》

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第四段 源氏、手紙を見る ~その2

【現代語訳】2

「年を取って、世の中の様子をあれこれと分かってくるにつれて、不思議に恋しく思い出されるご様子の方なので、深い契りの夫婦では、どんなにか感慨も深いことであろう」などとおっしゃる機会に、

「この夢物語もお思い当られることがあるかも知れない」と思って、
「たいそう変な梵字とか言うような筆跡ではございますが、お目に止まるようなこともあるでしょうかと存じまして。これが最後と思って別れたのでしたが、やはり思いは残るものでございました」と言って、見苦しからぬ態でお泣きになる。

手紙を手にお取りになって、
「実にきちんとしていて、まだまだぼけたりはしておられないようですね。筆跡なども、総じて何につけても、ことさら有職と言ってもよい方で、ただ世渡りの心得だけが上手でなかったことです。
 あの先祖の大臣は、たいそう賢明で世にも稀な忠誠を尽くして、朝廷にお仕え申していらっしゃったが、何かの行き違いがあって、その報いでそのような子孫が絶えたのだと、人々が噂するようでしたが、娘の血筋であるけれども、このように決して子孫がいないというわけでないのも、長年の勤行の甲斐があってなのでしょう」などと、涙をお拭いになりながら、あの夢物語のあたりにお目を止めなさる。
「変に偏屈で、無闇に大それた望みを持っていると人も非難し、また私自身も、身分に相応しからぬ振る舞いをかりそめにもすることよと思ったことについては、この姫君がお生まれになった時に、前世からの宿縁だと深く理解したが、目の前に見えない遠い先のことは、どうなるかとずっと思い続けていたのだが、それでは、このような期待があって、無理やり婿に望んだのだったな。
 無実の罪によって、酷い目に遭い、流浪したのも、この人一人の祈願成就のためであったのだな。どのような祈願を思い立ったのだろうか」と知りたいので、心の中で拝んでお取りになった。

 

《いくらリップサービスと言っても、ここの初めの言葉は、それなりの実感がこもっているように聞こえますし、御方にしてみれば、前段の言葉も含めて、源氏が入道についてこれだけ多くのことを語ってくれるだけでも、嬉しいことでしょう。彼女は、この機会に、と膝を乗り出し、実は、と入道の手紙と願文を差し出しました。

まず手紙に目を通した源氏は、入道の背負った壮大な「夢物語」の一部始終を理解しました。そしてその結果が今、若宮誕生という形で現実に目の前にあってみると、あの明石で、入道が手を尽くして源氏の意を迎えて、分不相応にも娘を差し出そうとしたこと、そして源氏自身、初めは「相手から進んで参ったような恰好ならば」(明石の巻第二章第七段2節)と思っていながら、結局は自分から通うことになって姫をもうけたことの不思議が理解できますし、一方で、この「夢物語」があるのなら、生まれた若宮の将来は神仏の加護を受けているはずで、「遠い先のこと」も何の心配もいらないという喜ばしい話でもあります。

その一切が「無実の罪によって、酷い目に遭い、流浪した」ことから始まったのであり、ここに至る宿縁の道程だったと合点が行くのでした。

そしてそれは、すべて入道がその「夢物語」の成就を、たった一人で強く祈願してくれたお陰だと思うと、さっきまでのリップサービスが本物の気持になって、手紙は置いて、今度は「心の中で拝んで(その願文を)お取りになった」のでした。

ところで、源氏が入道の先祖のことを知っていたというのは意外です。

明石で入道の問わず語りの身の上話を聞いた時(明石の巻第二章第六段2節)にも、「そのような(あなたのような)人がいらっしゃるとは、うすうす聞いてはいた」と言っていましたが、それはかつて北山で良清から聞いた(若紫の巻第一章第二段)入道個人の範囲だと思っていましたが、明石の後、縁ができてから知ったのでしょうか。》

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第四段 源氏、手紙を見る~その1

【現代語訳】1

 さきほどの文箱も、慌てて隠すのも見苦しいので、そのままにしておかれたのを、
「何の箱ですか。深い子細があるのでしょう。懸想人が長歌を詠んで大事に封じ込めてあるような気がしますね」とおっしゃるので、
「まあ、いやですわ。今風に若返りになられたようなお癖で、聞いても分からないようなご冗談が、時々出て来ますこと」と言って、ほほ笑んでいらっしゃるが、しんみりしておられたようなご様子がはっきりと感じられるので、妙だと首を傾けていらっしゃる様子なので、厄介に思って、
「あの明石の岩屋から、内々で致しましたご祈祷の巻々や、またまだ願解きをしていない願などがございましたのを、殿にもお知らせ申し上げるべき適当な機会があったら、御覧になって戴いたほうがよいのではないかと送って来たのでございますが、只今は、その時でもございませんので、何のお開けあそばすこともございますまい」と申し上げなさると、「なるほど、しんみりしているのも無理はない」とお思いになって、
「どんなに修行を積んでお暮らしになったことだろう。長生きをして、長年の勤行の功徳の積み重ねによって消滅した罪障も、数知れぬことでしょう。世の中で教養があり賢明であるという方々として見ても、現世の名利に執着した煩悩が深いのでしょうか、学問は優れていても、実に限度があって、及ばないことです。
 いかにも悟りは深く、それでいてものの情の分かった人だ。聖僧ぶって現世から離れているというふうでもないのに、心根は、すっかり極楽浄土に行き来しているように、見えました。まして、今では気にかかる係累もなく、解脱しきっているでしょう。気楽に動ける身ならば、こっそりと行って、ぜひにも会いたいものだが」とおっしゃる。
「今は、あの住んでいた所も捨てて、鳥の音も聞こえない奥山にと聞いております」と申し上げると、
「それでは、その遺言なのですね。お手紙はやりとりなさっていますか。尼君はどんなにお思いだろうか。親子の仲よりも、また夫婦の仲は、格別に悲しみも深かろう」とおっしゃって、涙ぐんでいらっしゃった。

 

《「そのままにしておかれたのを」とありますから、文箱は、女御の傍らにあったのでしょう。「長歌を詠んで大事に封じ込めて」は、その文箱の大きかったことを言っているようで、源氏はそれに気がつきながら、今までそれに触れないで、ここで初めて、「何の箱ですか」と尋ねたのでしょうか。そうだとすれば、源氏の余裕を示したことが感じられます。

そして彼は戯れながら、それとなくその仔細を訊ねます。

御方も、一度は皮肉に「今風に若返りなさったようなお癖で」と「若い女三の宮を迎えたことを含んで」(『集成』)戯れて応じますが、いまさら引っ込めようもなく、「源氏がよけいな気をまわしたりしては」(『評釈』)「厄介」だと悟って、おおよその話をしました。

明石の入道からの便りと聞いて、源氏は十四年前になる入道とのやり取りやその風貌を改めて思い出して、御方に語ります。

妻に舅を語るわけですが、それにしても随分な褒めようです。今、自分の孫として東宮の若宮誕生という幸運をもたらしてくれたもともとの人ですから、どれほど言ってもいいわけですが、最後の「気楽に動ける身ならば、こっそりと行って、ぜひにも会いたいものだ」は、ちょっと言いすぎのように思われます。普通なら反対に、来て貰えないかと言うところでしょう。この一言があるために、それまでの褒め言葉に、幾分型どおりのリップサービスか、という気配が漂います。

しかし、そうは言っても、父の姿をありありと思い描いている今の御方にしてみれば、言わば殺し文句というような効果があるかも知れません。

御方は、父が山に入ってしまうのだと話しました。入道の覚悟を知って、すぐに尼君の心配をするあたり、さすがになかなか気配りが利いています。

しかし、その前に「お手紙はやりとりなさっていますか」と訊ねるところを見ると、普段そういうことに気が向いていなかったようで、それも今ひとつという感じです。》

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第三段 源氏、女御の部屋に来る

【現代語訳】

 院は、姫宮の御方にいらっしゃったが、中の御障子から不意にお越しになったので、手紙を引き隠すことができず、御几帳を少し引き寄せてご自身はなんとかお隠れになった。
「若宮は目をお覚ましですか。ちょっとの間も恋しいものですよ」と申し上げなさると、御息所はお答えも申し上げなさらないので、御方が、
「対の上にお渡し申し上げなさいました」と申し上げなさる。
「それはいけない。あちらでこの宮を独り占め申されて、懐から少しも放さずお世話なさっては、好き好んで着物もすっかり濡らして、しきりに脱ぎ替えているようです。どうして簡単にお渡し申しなさるのか。こちらに来てお世話申し上げなさればよいものを」とおっしゃると、
「まあ、いやな思いやりのないお言葉ですこと。女宮でいらっしゃってさえもあちらでお育て申し上げなさるのがよいことでございましょう。まして男宮は、どれほど尊いご身分であっても、構わないと思っておりますのに、ご冗談にも、そのような分け隔てをするようなことを、変に知ったふうに申されなさいますな」とお答え申し上げなさる。ほほ笑んで、
「お二人のお仲にお任せして、お構い申さないのがよいようですね。分け隔てをして、このごろは、誰も彼もが除け者にして、知ったふうだなどとおっしゃるのは、考えが足りないことです。まずは、そのようにこそこそ隠れて、冷たくこき下ろしなさるようだ」と言って、御几帳を引きのけなさると、母屋の柱に寄り掛かって、たいそう居ずまいよく気が引けるほど立派な様子でいらっしゃる。


《明石の女御が涙とともに祖父・入道の遺書を読んでいるところに、源氏が、同じ寝殿の、女三の宮のいる西面から、隔ての「中の障子」をあけて不意にやって来ました。御方はすぐに引き下がって「お隠れになった」ので、やって来た源氏は、女御にまず、若宮は、と尋ねますが、彼女はいま涙に暮れているといった案配ですから、代わって御方が几帳の蔭から応対します。

紫の上の所に渡していると聞いて、こちらにおいて紫の上がここに来るのがよいと、ここの二人へのリップサービスです。

「(若宮のおしっこで)着物もすっかり濡らして」は、知られているように『紫式部日記』に道長がそういうことがあって喜んだという記述があり、そのエピソードを取り込んだのでしょう。

御方の「女宮でいらっしゃってさえも…」については、『集成』が「女は人に見られないよう、簾外に出ることを憚った」からのことと言っていて、つまり御方は、紫の上はそれほど信頼できる方だと言っているようです。さっき、娘に上を大切に思うように言ったばかりですから、むしろ女御に聞かせる意図かも知れません。

源氏は、上と御方の双方からのけ者にされていると戯れながら、そんなふうに私をこき下ろすものの顔が見たいといったふうに、御方の隠れている御几帳を引きのけます。源氏はどうやら、機嫌がいいようです。

初めの「手紙を引き隠すことができず(原文・えしも引き隠さで)」(主語は、諸注、「御方」としており、また原文には「手紙を」とはありません)のところが、実はよく分かりません。

以下、源氏は、手紙のことに触れないままおしゃべりをしていますから、「隠すことができず」と言っても、手紙が見える状態ではなかったことになりますが、そうすると、さっきまで女御が手にして読んでいた手紙は、今どこにあるのでしょうか。さすがに、文字どおり「不意に」というのではなく、手紙を畳んで御方に渡すくらいの余裕はあって、御方が手紙を持ったままで御几帳の陰に隠れた、ということでしょうか。あるいは、次段で文箱はそのままそこにあったとありますから、「隠すことができなかった」のは、その文箱なのかも知れないと思ったりしますが、…。》

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