【現代語訳】
六日目に、いつもの御殿にお移りになった。七日の夜に、内裏からも御産養がある。
朱雀院がこのように御出家あそばされているお代わりであろうか、蔵人所から頭弁が、宣旨を承って、例のないほど立派にご奉仕した。禄の衣装など、また中宮の御方からも、公事のきまり以上に、盛大におさせになる。次々の親王方、大臣の家々が、その当時のもっぱらの仕事にして、われもわれもと、善美を尽くしてご奉仕なさる。
大殿の君も、この時の儀式はいつものように簡略にはなさらずに、世に例のないほど大変な騷ぎで、内輪の優美で繊細な優雅さの、そのままお伝えしなければならない点は、目も止まらずに終わってしまったのであった。
大殿の君も、若宮をすぐにお抱き申し上げなさって、
「大将が大勢子供を儲けているそうなのに、今まで見せないのが恨めしいが、このようにかわいらしい子をお授かり申したことよ」と、おかわいがり申し上げなさるのは、無理もないことである。
日に日に、物を引き伸ばすようご成長なさっていく。御乳母など、気心の知れないのは急いでお召しにならず、いままでお仕えしている者の中から、家柄、嗜みのある人ばかりを選んで、お仕えさせなさる。
御方のお心構えが、気が利いていて品がよく、おおらかな中に、しかるべき時には謙遜して、小憎らしくわがもの顔に振る舞ったりしないことなどを、誉めない人はいない。
対の上は、改まった形というのではないが、時々お会いなさって、あれほど許せないと思っていらっしゃったが、今では、若宮のお蔭でたいそう仲好く大切な方と思うようにおなりになっていた。子供をおかわいがりになるご性格で、天児などを、ご自身でお作りになり忙しそうにしていらっしゃるのも、たいそう若々しい。毎日このお世話で日を暮していらっしゃる。
あの老尼君は、若君をゆっくりと拝見できないことを、残念に思っているのであった。なまじ拝見したために、またお目にかかりたく思って、死ぬほど切ない思いをしているようである。
《生まれて六日目に南の邸に移ると、さっそく内裏から御産養(産後の三日、五日、七日、九日の夜に臣籍者が産婦と子供に食物や衣服を贈って祝うこと・『集成』)があり、大変な贈り物があり、また使いとしてきた者への禄も大変なもので、それに続いて次々の祝いが届きます。
このところ自分の四十の賀などにはできるだけ簡素にといってきた源氏も、最も待っていた男御子の誕生とあって、「いつものように簡略になさらずに」、できるだけのことをしようとしましたから、大変な騒ぎになりました。
そうした表向きの騒ぎ賑わいが大きすぎて、「内輪の優美で繊細な優雅さ」まで目が行かないでしまったという草子地がなかなかうまく、似たようなことは、大きな行事を終えた時には私たちもよく経験することです。そしてここの場合、いちいち書くと煩わしくなるところが、書かれない分、かえってそういう小さな優雅がたくさんあったであろうと、いやほとんどその連続であっただろうと推し量られて、いっそうその優雅さが思い遣られて心に残る表現になっています。
源氏もすっかり満足で、若宮の侍女への目配りにも最善を尽くします。
紫の上と明石の御方の間柄について、上が「あれほど許せないと思っていらっしゃった」というのが、ちょっと意外で、御方が上京して間もない頃は確かに焼き餅もありましたが、それも、姫を養女に引き取る話を聞いて、でうやむやになってしまう程度のものだった(松風の巻第四章)はずですが、ともかく、あの、姫の入内以来お互いに相手を認め合う関係になっていて、今ここに至って、ますます強い信頼関係ができあがっているようです。
「天児」(小児の這う形に作った厄除けの人形・『集成』)を作っている姿を「たいそう若々しい」と言ったのも、好きな遊びに夢中になっている子供のような純真な様子が思われていい感じです。
女三の宮の降嫁で一時暗雲が掛かりかけた六条院でしたが、今その雲も中天から離れて日の光が明るく、盤石の権勢にこの世の春を寿ぐといった様子です。》