源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第十章 明石の物語(一)

第五段 帝の七夜の産養

【現代語訳】
 六日目に、いつもの御殿にお移りになった。七日の夜に、内裏からも御産養がある。
 朱雀院がこのように御出家あそばされているお代わりであろうか、蔵人所から頭弁が、宣旨を承って、例のないほど立派にご奉仕した。禄の衣装など、また中宮の御方からも、公事のきまり以上に、盛大におさせになる。次々の親王方、大臣の家々が、その当時のもっぱらの仕事にして、われもわれもと、善美を尽くしてご奉仕なさる。
 大殿の君も、この時の儀式はいつものように簡略にはなさらずに、世に例のないほど大変な騷ぎで、内輪の優美で繊細な優雅さの、そのままお伝えしなければならない点は、目も止まらずに終わってしまったのであった。

大殿の君も、若宮をすぐにお抱き申し上げなさって、
「大将が大勢子供を儲けているそうなのに、今まで見せないのが恨めしいが、このようにかわいらしい子をお授かり申したことよ」と、おかわいがり申し上げなさるのは、無理もないことである。
 日に日に、物を引き伸ばすようご成長なさっていく。御乳母など、気心の知れないのは急いでお召しにならず、いままでお仕えしている者の中から、家柄、嗜みのある人ばかりを選んで、お仕えさせなさる。

 御方のお心構えが、気が利いていて品がよく、おおらかな中に、しかるべき時には謙遜して、小憎らしくわがもの顔に振る舞ったりしないことなどを、誉めない人はいない。
 対の上は、改まった形というのではないが、時々お会いなさって、あれほど許せないと思っていらっしゃったが、今では、若宮のお蔭でたいそう仲好く大切な方と思うようにおなりになっていた。子供をおかわいがりになるご性格で、天児などを、ご自身でお作りになり忙しそうにしていらっしゃるのも、たいそう若々しい。毎日このお世話で日を暮していらっしゃる。
 あの老尼君は、若君をゆっくりと拝見できないことを、残念に思っているのであった。なまじ拝見したために、またお目にかかりたく思って、死ぬほど切ない思いをしているようである。

 

《生まれて六日目に南の邸に移ると、さっそく内裏から御産養(産後の三日、五日、七日、九日の夜に臣籍者が産婦と子供に食物や衣服を贈って祝うこと・『集成』)があり、大変な贈り物があり、また使いとしてきた者への禄も大変なもので、それに続いて次々の祝いが届きます。

このところ自分の四十の賀などにはできるだけ簡素にといってきた源氏も、最も待っていた男御子の誕生とあって、「いつものように簡略になさらずに」、できるだけのことをしようとしましたから、大変な騒ぎになりました。

そうした表向きの騒ぎ賑わいが大きすぎて、「内輪の優美で繊細な優雅さ」まで目が行かないでしまったという草子地がなかなかうまく、似たようなことは、大きな行事を終えた時には私たちもよく経験することです。そしてここの場合、いちいち書くと煩わしくなるところが、書かれない分、かえってそういう小さな優雅がたくさんあったであろうと、いやほとんどその連続であっただろうと推し量られて、いっそうその優雅さが思い遣られて心に残る表現になっています。

源氏もすっかり満足で、若宮の侍女への目配りにも最善を尽くします。

紫の上と明石の御方の間柄について、上が「あれほど許せないと思っていらっしゃった」というのが、ちょっと意外で、御方が上京して間もない頃は確かに焼き餅もありましたが、それも、姫を養女に引き取る話を聞いて、でうやむやになってしまう程度のものだった(松風の巻第四章)はずですが、ともかく、あの、姫の入内以来お互いに相手を認め合う関係になっていて、今ここに至って、ますます強い信頼関係ができあがっているようです。

「天児」(小児の這う形に作った厄除けの人形・『集成』)を作っている姿を「たいそう若々しい」と言ったのも、好きな遊びに夢中になっている子供のような純真な様子が思われていい感じです。

女三の宮の降嫁で一時暗雲が掛かりかけた六条院でしたが、今その雲も中天から離れて日の光が明るく、盤石の権勢にこの世の春を寿ぐといった様子です。》

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第四段 三月十日過ぎに男御子誕生

【現代語訳】
 三月の十日過ぎのころに、無事にお生まれになった。御産の前は仰々しく大変なこととお思いだったのだが、ひどくお苦しみになることもなくて、男御子でさえいらっしゃったので、この上なくお望みどおりで、大殿もご安心なさった。
 こちらは裏側に当たっていて、人気の近いところであるので、盛大な御産養などがひき続き騷ぎの仰々しい様子は、なるほど「かひある浦」と尼君のためには見えたが、威儀も整わないようなので、お移りになることになる。
 対の上もいらっしゃる。白い御装束をお召しになって、いかにも親のようにして、若宮をしっかりと抱いていらっしゃる様子は、たいそう素晴らしい。ご自身ではこのようなことはご経験もないし、他人のことでも御覧になったことがないので、とても珍しくかわいいとお思い申し上げていらっしゃった。まだお扱いにくそうでいらっしゃる時なのを、しじゅうお抱きになっていらっしゃるので、実の祖母君はただお任せ申して、お湯殿のお世話などをなさる。
 東宮の宣旨である典侍がお湯殿に奉仕する。御迎湯の役をご自身がなさるのも大変に胸をうつことで、内々の事情も少しは知っているので、「少しでも欠けた点があれば、お気の毒であったろうに、驚くほど気品があり、なるほどこのような前世からの約束事があったお方なのだわ」と拝見する。

この時の儀式の様子などを、そっくりそのまま語り伝えるのも、まったく今さららしく思われることよ。

 

《ご出産については、「案ずるより産むが安し。ここは、あっさりと、すます」と『評釈』も、まことにあっさりと通過します。東宮の男御子ですから、大きなできごとなのですが、物語としては当然の成り行きだということなのでしょう。

 無事お生まれになると、ここでは満足な儀式もできないということで、再び南の邸に移られることになりました。この邸は対の屋がふたつあるだけで、寝殿がないのです(第一段)。

一ヶ月前、「妙にご容態が変わってお苦しみなさるので」(同)この北の邸に移ってきたのでしたが、そのことには何も触れられないままに、早々のお移りだということは、物語の上からは、どうやら尼君から姫君に明石の話を聞かせるためのことだったようです。

それは、後の第十一、十二章の話をするために姫の予備知識として必要なものだったのですが、それはまたそこでの話です。

もっとも、実際は次の段に六日目に移ったとありますから、この段の話はまだこの北の邸でのことです。

紫の上が産屋にやって来て、初めて赤ん坊を抱きました。危なっかしい手つきだったようですが、大事そうに抱いて離しません。

産湯の儀式も紫の上が勤めて、明石の御方は一歩下がってその準備をして、「御迎湯」(産湯を使う介添え役)を勤めます。お手伝いをしている典侍が、宮中式の儀式ですから明石の御方はちゃんと知っているだろうか、手落ちがあったりしたら、女御が恥を掻かれるだろうが、と案じながら見ているのですが、その振る舞いに手抜かりはなく、安心しながら感心しています。

万事、めでたしめでたしで、これ以上あれこれ語る必要もないでしょう、と作者は後を省略します。》

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第三段 明石御方、母尼君をたしなめる

【現代語訳】
 とは言え、そう言うほどの年齢でもない。六十五、六歳ぐらいである。尼姿がたいそうこざっぱりと、気品がある様子で、目がきらきらと涙で泣きはらした様子が、なにやら昔を思い出しているようなので、胸がどきりとして、
「古めかしいわけのわからないお話でもしましたのでしょうか。よく、この世にはありそうもない記憶違いのことを交えては、妙な昔話もあれこれとお話し申し上げたことでしょう。夢のような心地がします」と、ちょっと苦笑して拝見なさると、たいそう優雅で美しくて、いつもよりひどく沈んで、考え込んでいらっしゃるようにお見えになる。自分が生んだ子ともお見えにならないほど、恐れ多い方なのだが、
「困ったことをお聞きになって、お心をお乱しになっていらっしゃるのだろうか。もうこれ以上ない位におつきになった時にお話し申し上げようと思っていたのに、残念にも自信をおなくしになる程のことではないが、さぞやお気の毒に、がっかりしていられることだろう」とご心配なさる。

 御加持が終わって退出したので、果物など近くにさし上げ、「せめてこれだけでもお召し上がりください」と、たいそうおいたわしく思い申し上げなさる。
 尼君は、とても立派でかわいらしいと拝見するにつけても、涙を止めることができない。顔は笑って、口もとなどはみっともなく広がっているが、目のあたりは涙に濡れて、泣き顔していた。「まあ、みっともない」と、目くばせするが、かまいつけない。
「 老の波かひある浦に立ち出でてしほたるあまを誰かとがめむ

(長生きした甲斐があると嬉し涙に泣いているからと言って、誰が出家した老人の私

を咎めたりしましょうか)
 昔の時代にも、このような老人は、大目に見てもらえるものでございます」と申し上げる。御硯箱にある紙に、
「 しほたるるあまを波路のしるべにて尋ねも見ばや浜の苫屋を

(泣いていらっしゃる尼君に道案内しいただいて、訪ねてみたいものです、生まれ故

郷の浜辺を)」
 御方も我慢なさることができずに、つい泣いておしまいになった。
「 世を捨てて明石の浦にすむ人も心の闇ははるけしもせじ

(出家して明石の浦に住む父入道も、子を思う心の晴れることもないでしょう)」
などと申し上げて、涙をお隠しになる。

別れたという暁のことも、少しもお思い出しになれないのを、「残念なことだった」とお思いになる。

 

《明石の御方は母の様子を見て、老母が姫君に昔のことを語ったのではないかという不安を抱きました。彼女は急いで、姫に、老人らしい「記憶違い」の話をしたのではないかと、取りなします。

彼女としては「これ以上ない位におつきになった時に、お話し申し上げようと思っていた」のでした。今、まだ女御としてライバルがないではない立場の時に、自信をなくされたりしては困るからです。

彼女は娘に、お婆さんは大変だったという話をしたかも知れませんが、私には昔のことはもうすっかり終わったことで、「夢のような心地がします」、だからあなたも心配しなくていいのですよ、と取りなしますが、姫は、「いつもよりひどく沈んで、考え込んでいらっしゃるようにお見えになる」のでした。

作者はそれ以上何も語りませんが、『物語空間』は、自ら初めての出産を控えて、この六条院にいてさえ不安を感じている姫君が、「光源氏も都に帰ってしまった後の明石浦でただ一人、自分を生もうとしていた時の明石御方の思いを重ねて、初めて明石女御は『母』という存在の重さを実感する」と、読み加えます。

今ここでただちにこれほどの思いを感じているというのはいささか先回りのように思われますが、いずれそういう思いに固まって行くであろう思いに、彼女は今圧倒される気持でいることは、間違いないところでしょう。

そういう娘を懸命になだめようとして、気分転換の果物を差し出します。書かれてはいませんが、この姫君なら、母の心配を汲んで、形だけでも手を付けたのではないでしょうか。

老いの涙を娘から咎められて歌で応じた祖母に、姫は優しく、話していただいてよかったと返します。

その二人のやりとりを見ていて、御方も「我慢なさることができずに」、あの明石の浦でひとり世を捨てて暮らしている父を思って泣くのでした。実は母がすでに老いて思い出の中にいる今、彼女の普段は決して開かれることのない胸の秘められた奥底にこそ、誰よりも深く鮮明に明石の浦の光景が、そして父の姿が息づいているのです。

その様子に姫は、自分たちが明石の屋敷を発った、祖父との別れの朝のことを何ひとつも思い出せず、母の思いを共有できないことを残念に思うのでした。姫君三歳の時のことです。》

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第二段 大尼君、孫の女御に昔を語る

【現代語訳】

 お生まれになったころのことや、大殿の君があの浦にいらっしゃった様子、もうお別れとばかり都へ上京なさった時、皆が皆、気が動転して、これが最後、これだけの御縁であったのだと嘆いていたが、姫君がお生まれになってお助けくださった御宿縁が、ほんとうに身にしみて感じられること、と、ぼろぼろと涙をこぼして泣くので、
「なるほど、大変であった当時のことを、このように聞かせてくれなかったら、何も知らずに過ごしてしまったにちがいないことだ」とお思いになって、涙をお漏らしになる。心の中では、
「わが身は、なるほど大きな顔をして威張っていられるような身分ではなかったのに、対の上のご養育のお蔭で立派になって、世間の人の見方などもなまなかなものではなかったのだ。宮仕えをしていても、傍輩の女御更衣たちをまったく問題にもせず、すっかり思い上がっていたものだわ。世間の人は蔭で噂することもあったであろうよ」などと、すっかりお分りになった。
 母君については、もともとこのように少し身分が低い家柄とは知っていたが、お生まれになったときの状況などを、あのような都から遠く離れた田舎だなどとはご存知なかったのである。実にあまりにおっとりし過ぎていらっしゃるせいであろう。変に頼りないお話であったこと。
 あの入道が、今では仙人のように、とてもこの世ではないような暮らしぶりでいるとの話をお聞きになるにつけても、お気の毒ななどと、あれやこれやとお心をお痛めになる。

 たいそう物思いに沈んでいらっしゃるところに、御方が参上なさって、日中の御加持にあちらこちらから参まって来て大声を立てて祈祷しているのに、御前に特に女房たちも伺候していず、尼君が、得意顔にたいそう身近にお付きしていらっしゃる。
「まあ、見苦しいこと。低い御几帳をお側に置いてこそ、お付きなさればよいのに。風などが強くて、自然と隙間もできましょうに。医師のようにして。ほんとうに盛りを過ぎていらっしゃること」などと、はらはらしていらっしゃる。十分気を付けて振る舞っているという気持でいるらしいけれども、すっかり年をとって耳もよく聞こえなかったので、「ああ」と、首をかしげている。

 

《姫君が紫の上の許に引き取られていったのは三歳の時(薄雲の巻第一章第三段)ですから、以来ちょうど十年ぶりに、尼君は孫娘の顔を見ることになりました。

尼君はいそいそと姫のお世話をします。お世話しながら物語ります。そして、年寄りの話は、何を話していても昔へ帰ります。ましてこの尼君は、娘が姫の入内以来にしたがって宮中に去って以来この一年間、おそらくほとんどを一人で暮らしていて、その間幾度も幾度も自分の人生を思い返し辿り返していたに違いありませんから、それこそが彼女の現実でもあったでしょう。

姫君には、実は自分の出自について知る機会はほとんどなかったようです。物心ついてそういう話ができるころには、すでに紫の上の許にいたわけで、上や源氏が、あるいは侍女たちが実母の話をする中で、いくらかのことは察せられたかも知れませんが、むしろ避けたい話で、そういうことをきちんとした形で聞かせる人はいなかったでしょう。

尼君はそれを孫娘に語り残しておかずにはいられません、もちろんただの話のタネではありません。

それは多分、孫娘の今後のためにというよりも、より多く我が娘の名誉と誇りのために、語られます。あなたのお母さんのお父様との出会いがどんなに奇跡的で、そして美しいものであったか、二人の別れがどんなに悲しいものであったか、そしてあなたのお母さんはどんな思いでひとりであなたを生み、何を思って手放すことにしたのか、…。

そしてほんの幾分かは、その側にいて終始心を傷めてきた彼女自身の生きた証しと誇りにために。

それは直接母から聞くよりも、はるかに客観的で確かなものとして、素直な姫の心に響いたことだろうと思われます。彼女は、まだ面識のない「お祖父様」のことにまで想いを致して、世の常を越えて幸運な自らの生い立ちを思うのでした。

そこにちょうど明石の御方がやって来て、老母が女御と二人だけで向き合って話している姿を見て、慌てます。

「姫のそばには若い女房がいるべきで、尼がいるべきではない」(『評釈』)ので、せめて低い几帳を挟んで下さいな(高い几帳では、風で几帳が開いてしまうので)、医者のように几帳の中に入り込んでいるみたいでご無礼ですよ、お母様はもうお年なのだから、とたしなめますが、老母は「『ああ』と、首をかしげて」、分かったのか分からないのか…。

姫はその様子を見ながら、泣き笑いというところでしょうか。大変に心温まる好い場面です。》

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第一段 明石女御、産期近づく

【現代語訳】
 年が改まった。桐壺の御方の御出産がお近づきになったことによって、正月上旬から、御修法を不断におさせになる。多くの寺社の御祈祷は、これまた数えきれないほどである。大殿の君は、不吉なことをご経験なさったことがあるので、このような時のことはたいそう恐ろしいものと身に沁みて思っていらっしゃるので、対の上などがそのようなことがおありでなかったのは残念に物足りなく思うものの、一方では嬉しくお思いになりながら、まだとても頼りないお身体なので、どんなことにおなりかと、前々からご心配であったが、二月ごろから、妙にご容態が変わってお苦しみなさるので、どなたもご心痛のようである。
 陰陽師たちもお住まいを変えてお大事になさるのがよいと申したので、他のかけ離れた所は気がかりであると思って、あの明石の御町の中の対にお移し申し上げなさる。こちらは、ただ大きい対の屋が二棟だけあって、幾つもの渡廊などが周囲を廻っていたが、御修法の壇を隙間なく塗り固めて、たいそう霊験ある修験者たちが集まって、大声を上げて祈願する。
 母君は、この時に自分の御運もはっきりするだろうことなので、たいそう気が気でない思いでいらっしゃる。

 あの大尼君も、今ではすっかりもうろくした人になったのであろう。このご様子を拝見するのは夢のような心地がして、早速お側に上がり、親しくお付き添い申し上げる。
 今まで、母君はこうしてお付き添いなさっていたが、昔のことなどはまともにお聞かせ申し上げなかったけれども、この尼君は、喜びを抑えることができず、参上してはたいそう涙っぽく、大昔のことどもを震え声を出しては度々お話し申し上げる。
 初めのころは、妙にうるさい人だと、じっと顔を見つめていらっしゃったが、このような人がいるという程度には、うすうす聞いていらっしゃったので、やさしくお相手なさっていた。

《さて、源氏の権勢の総仕上げの物語が始まります。

年改まって、数え年十三歳の明石の姫君の出産です。当時出産はただでさえ女性にとって自分の命に関わる重大事件でしたが、この姫の年齢もまた心配であり、また源氏は、あの葵の上の経験から、「たいそう恐ろしいものと身に沁みて思っていらっしゃるので」ありとあらゆる手を尽くして安産祈願をします。

彼の心配は、「対の上などがそのようなことがおありでなかったのは…一方は嬉しくお思いにな」るといったほどなのです。

しかし、もしうまく皇子がお生まれになれば、これは一転して、源氏の外祖父の地位が確定する大変な慶事で、その権勢は決定的に揺るぎないものになります。

愛娘の死か、栄達の極みかという大変なところにいるわけです。

姫君の悪阻がひどくなって里下がりしてきたのは「夏のころ」でした(第八章第一段)から、「二月ごろ」ともなれば、いよいよ出産が近づいています。「妙にご容態が変わってお苦しみなさる」とあって、居所が東南の寝殿から「あの明石の御町の中の対」に移されます。彼女はここで暮らしたことはありませんが、何と言っても実母の実家とも言う所、そして、ここでは彼女が一番の上位者で何の気遣いも遠慮もいらないところです。

物語としては、ここまで四年前の野分の折(野分の巻)と二年前の姫の入内の時にいずれもちょっと姿を見ることができただけの明石の御方の、六条院での本格的出番が期待されるということになります。

また、そこには、娘も孫も宮中に取られてしまって、一人寂しく邸を守っていた老尼君が、二人の帰りを待ちわびていました。姫君にしてみれば、ほとんど初めての対面ですが、そこは明石の御方と紫の上の薫陶を受けた方ですから、粗略な扱いなどは決してありません。待ちかねて、息せき切るように昔話を語る尼君に、初めこそ戸惑いがありました(「妙にうるさい人だと、じっと顔を見つめていらっしゃった」という様子が、いかにも幼い姫君らしい仕種と感じられます)が、慣れてしまえば、よく心得てやさしいいたわりの態度です。さすがと思われ、何だかとても素晴らしい姫君に見えて、いい感じです。》

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