【現代語訳】2
例によって、「万歳楽」「賀皇恩」などという舞を形ばかり舞って、太政大臣がおいでになっているので、珍しく湧き立った管弦の御遊に、参会者一同、熱中して演奏していらっしゃった。琵琶は例によって兵部卿宮で、どのような事でも世にも稀な名人でいらっしゃって、またとない出来である。院の御前に琴の御琴、太政大臣が、和琴をお弾きになる。
長年幾度もお聞きになってきたお耳のせいか、まことに優美にしみじみと感慨深くお感じになって、ご自身の琴の秘術も少しもお隠しにならず、素晴らしい音色が奏でられる。
昔のお話なども出てきて、今は今で、このような親しいお間柄で、どちらからいっても、仲よくお付き合いなさるはずの親しいご交際などを、気持ちよくお話し申されて、お杯を幾度もお傾けになって、音楽の感興も増す一方で、酔いの余りの感涙を抑えかねていらっしゃる。
御贈り物として見事な和琴を一つ、お好きでいらっしゃる高麗笛を加えて。紫檀の箱一具に、唐の手本とわが国の草仮名の手本などを入れて、お車まで追いかけて差し上げなさる。御馬を受け取って、右馬寮の官人たちが高麗の楽を演奏して大声を上げる。六衛府の官人の禄などを、大将がお与えになる。
ご意向から簡素になさって、仰々しいことは今回はご中止なさったが、帝、東宮、上皇、中宮と、次から次へと御縁者の堂々たることは、筆舌に尽くしがたいことなので、やはりこのような晴れの賀宴の折には、素晴らしく思われるのであった。
大将がただ一人子息としていらっしゃるのを、物足りなく張り合いのない感じがしたが、大勢の人々に抜きん出て、評判も格別で、人柄も並ぶ者がないようでいらっしゃるにつけても、あの母北の方が、伊勢の御息所との確執が深く、互いに争いなさったご運命の結果が現れたのが、それぞれ身の上の違いだったのである。
その当日のご装束類は、こちらの御方がご用意なさったそうだ。禄などの一通りのことは、三条の北の方がご準備なさったようであった。何かの折節につけたお催し事、内輪の善美事をも、こちらはただ他所事とばかり聞き過していらっしゃるので、どのような事をして、このような立派な方々のお仲間入りなされようかと思われることだったが、大将の君のご縁で、まことに立派に重んじられていらっしゃる。
《とうとう作者も「例によって」と書き出すことになりました。「万歳楽」は紫の上が催した祝宴(第一段2節)で、「賀王恩」は藤の裏葉の巻末の行幸の折に舞われました。
まずはそういう公的な舞楽から始まりますが、今回はそれは「形ばかり舞って」となりました。その任に当たっている専門家の舞よりも、参会した方々がそれぞれ管絃の名手であったので、そちらの方に関心が移っていったのです。もちろん太政大臣の配慮によることなのでしょうが、帝が差し向けられた舞手の扱いとしては、いささか粗略に感じられます。
ともあれ、久し振りに太政大臣の和琴、兵部卿の琵琶、源氏の琴の御琴での音楽の語らいがなされ、昔や今のお話が親しく交わされて、宴が終わります。
いくら控えめにしても、並外れた催しになる源氏の権勢ですが、息子が一人しかいないのが寂しい限りで、優れた人物ではありますが、母親同士(六条御息所と葵の上)の諍いで恨みを呑んで身を引いた方の娘が先に出世をした中宮と比べると、因果応報が思われると、語ります。
しかし、その夕霧がいるお陰で、「こちらの御方」(花散里・原文では「こなたの上」とあります、この人が「上」と呼ばれるのは、ここが初めてだったように思います)の出番ができました。そう言えば、この宴は彼女の東北の邸で催されていたのでした。束の間の、ではありますが、彼女にとって生涯でただ一度、そして最も華やいだ一夜だったのです。
さて、女三宮の降嫁という大きな心配ごとをよそに、朧月夜との再会と四十の賀という、源氏の権勢のほどを思わせる話が続きましたが、次にさらにもう一つ、彼にとってのめでたい話が語られます。》