源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第七章 朧月夜の物語

第五段 源氏、自邸に帰る

【現代語訳】
 たいそう人目を忍んで入って来られたその寝乱れ髪の様子を待ち受けて、女君は、そんなことだろうとお悟りになっていたが、気づかないふりをしていらっしゃる。なまじやきもちを焼いたりなどなさるよりもつらくて、

「どうして、このようにお見限りなのだろうか」という気がなさるので、ひたすら、以前よりもいっそう強い愛情の約束を、永遠にお誓い申し上げなさる。
 尚侍の君の御事も、他に漏らしてよいことではないが、昔のこともご存知でいらっしゃるので、ありのままではないが、
「物越しにほんのちょっとの対面で、物足りない気がしています。何とか人に見咎められないように秘密にして、もう一度だけでも」と、打ち明けて申し上げなさる。軽く笑って、
「若返ったご様子ですこと。昔の恋を今さらむし返しなさるので、よるべのない私には辛くて」とおっしゃって、さすがに涙ぐんでいらっしゃる目もとがとてもかわいらしく見えるので、
「このようにご機嫌の悪いご様子が辛いことです。いっそ素直に抓るなりなさって、叱って下さい。他人行儀にするようには、今までお仕向けしてこなかったのに、心外なふうになってしまわれたお心ですね」とおっしゃって、いろいろとご機嫌をお取りになるうちに、何もかも残らず白状なさってしまったようである。
 宮の御方にも、すぐにはお行きになることができずに、あれこれとおなだめ申してお過ごしになる。

姫宮は、何ともお思いにならないが、ご後見人たちはご不満申し上げているのだった。うるさいお方だと思われなさるようなことであったら、あちらもこちら以上に気を遣わねばならないだろうが、おっとりとしてかわいらしいおもちゃのようにお思い申し上げていらっしゃった。


《源氏が「寝乱れ髪」のままで帰って来た、というのは、ずいぶん不粋で無神経な話です。これまでもこういう朝帰りは幾度もあったはずですが、こういうふうに書かれたことは一度もないと思います。

今朝も帰る間際には「目も眩むように美しいお姿」とありました(前段)が、あれは、こうした乱れもふくめての美しさだった、ということなのでしょうか。

さて、紫の上は全てを察しているのですが、女三の宮降嫁のショック以来の心の隙間は埋めようがなく、こういう源氏の露骨な様子を見ても知らん振りです。

源氏は困ってしまって、どこまで本気なのかとも思われますが、ともかく懸命になだめようと語りかけ、尚侍に逢ったところまでを話してしまいました。

紫の上は「軽く笑って」、源氏をからかいます。それは、新しい女三の宮だけではなく、もう済んだことと思っていたこの人まで、という、深い諦めの気持からの振る舞いだったでしょう。それが彼女にとってどれほどつらい気持から出ているのか、源氏には分かっていないようです。

彼は、上がともかくも口を利いてくれたことに安心して、とうとう「何もかも残らず白状なさってしまったよう」なのです。それで「ようやく源氏の心はおさまる」(『評釈』)のでしょうが、話された上の方は、話して貰ってすっきりした、などということには決してならず、嘘でも、何もなかったと言ってほしかったという気持ちも小さくありません。かえって彼女の悲しみは増したのではないでしょうか。

源氏はなおも傍にいて一所懸命に機嫌をとろうと努めたのですが、上の心は、それに逆らうというのではないものの、すっかり冷えてしまっているようです。》

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第四段 源氏、和歌を詠み交して出る

【現代語訳】

 朝ぼらけの美しい空に、さまざまの鳥の声がとてもうららかに囀っている。花はみな散り終わって、その後に霞のかかった梢が浅緑の木立となっていて、「昔、藤の宴をなさったのは、今頃の季節であったな」と思い出されなさると、あれからずいぶん歳月の過ぎ去った事も、その当時の事も、次から次へとしみじみと思い出される。
 中納言の君が、お見送り申し上げようと妻戸を押し開けたが、立ち戻りなさって、
「この藤の花よ。どうしてこのように美しく染め出して咲いているのか。やはり、何とも言えない風情のある色あいだな。どうして、この花蔭を離れることができようか」と、どうしても帰りにくそうにためらっていらっしゃる。
 築山の端からさし昇ってくる朝日の明るい光に映えて、目も眩むように美しいお姿が、年とともにこの上なくご立派におなりになったご様子などを、久し振りに月日を経て拝見するのは、いよいよ世の常の人とは思われない気がするので、
「こんなふうにでもどうして一緒にお暮らしにならなかったのだろうか。御宮仕えにも限りがあって、特別のご身分になられることもなかったのに。故宮が万事にお心をお尽くしになって、けしからぬ世の騷ぎで軽々しいお噂まで立って、それきりになってしまったことだわ」などと思い出される。

尽きない思いが多く残っているだろうお話の終わりは、ほんとうに後を続けたいものであろうが、御身をお心のままにおできになれず、大勢の人目に触れることもたいそう恐ろしく遠慮もされるので、だんだん日が上って行くのに気がせかれて、廊の戸に御車をつけ寄せた供人たちも、そっと催促申し上げる。
 人を呼んで、あの咲きかかっている藤の花を、一枝折らせなさる。
「 沈みしも忘れぬものをこりずまに身も投げつべき宿の藤波

(須磨に身を沈めたことは忘れないが、懲りもせずにこの家の藤の花の淵に身を投げ

てしまいたい)」
 とてもひどく思い悩んでいらっしゃって、物に寄り掛かっていらっしゃるのを、お気の毒に拝し上げる。女君も、今さらにとても遠慮されて、いろいろと思い乱れていらっしゃるが、藤の花の蔭はやはり慕わしくて、
「 身を投げむ淵もまことの淵ならでかけじやさらにこりずまの波

(身を投げようとおっしゃる淵も本当の淵ではないのですから、性懲りもなくそんな

偽りの波に誘われたりしません)」
 とても若々しいお振る舞いを、ご自分ながらも良くないこととお思いになりながら、関守が固くないのに気を許してか、たいそうよく後の逢瀬を約束してお帰りになる。
 その昔も、誰にも勝ってご執心でいらっしゃったご愛情であるが、わずかの契りで終わってしまったお二人の仲なので、どうして思いの浅いことがあろうか。

 

《夜が明けて見ると、庭は昔のままに美しく、藤の花もあの時と同じ春の装いです。源氏はしばらく、ちょうど二十年前の懐旧の思いに耽っています。例によって、その姿は中納言の君をしてほれぼれとさせ、彼女は、「こんなふうに…」と、二人を一緒にさせなかった「故宮」(弘徽殿の大后)を、改めて恨めしく思わせるほどだったのでした。

人目を憚る源氏は、もう帰らなくてはなりません。従者も急かします。あの思いでの藤の花を一枝折らせて、歌を交わします。

このように久し振りに源氏の後朝の別れが描かれるのですが、情調の美しさに比して、初めに自分の呼びかけに応じる相手を見下した気持が混じるなど、どうも不純なものが感じられて、所詮はこの場だけのことになるのではないか思われ、物語の流れの中に入っていない、といった妙な感じがあります。

『構想と鑑賞』が、源氏のこうした行動を「感心させられることではない」と憤慨しながら、「二人の間の情事も、昔の思い出もあって、かなり豊かな情緒をたたえて描いている」とは言っていますが、なお、「このような心理や情緒は、今までに何度か描かれているので、生新な感興は湧かない」と言っていて、大方の率直なところではないでしょうか。

女三の宮と朧月夜との対照を意識している、ということは考えられますが、少なくとも源氏の意識としてそのように描かれてはいないようで、やはりこの話だけが浮き上がって感じられます。

『光る』は、囲碁に喩えて「丸谷・うまいですよ。これは変なところに打っておいた石がものすごく効くという仕掛けですね」と言いますが、どういうふうに効いているのか、よく分かりません。

結局この件は、源氏が年来の思いを遂げたというだけの話なのではないでしょうか。
 といっても、そこには少し意味がありそうです。例えば藤壺とのことと思い並べてみるとよいのですが、あの時はお互いに心を寄せ合いながら、思い通りの逢瀬はかないませんでした。しかしここでは同じく帝の夫人であった人とほぼ思いのままに逢うことができるのです。円熟した男女のほしいままの恋の姿であって、源氏の権勢がここまで大きくなったのだという、一つの証しとして語られているのだと考えると、収まりがいいような気がします。ただそれは、一方で秘密裏での出来事であること、また「計算高い、保身を優先させた導き手(和泉前司)の協力を得た可能になったのだという、幻滅すべき」(『物語空間』)出来事であったということにもなっていて、「生新な感興」からはほど遠いものになってしまっている、とも言えます。

なお『世界』所収「『若菜』巻の始発をめぐって」が、「(女三の宮に関わる)激しい内的葛藤の場と、さまで一見関わりのなさそうな事件や場面があまりにも繁く長々とかたられている」としてこの朧月夜の話や前の源氏四十の賀の件(第五章)などを挙げ、これらの話がはさまれていることの意味を考察することを予告しています(昭和三十九年現在)が、残念ながらまだ見ていません。》

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第三段 源氏、朧月夜を訪問~その2

【現代語訳】2

夜はたいそう更けて行く。玉藻に遊ぶ鴛鴦の声々などが、しみじみと聞こえて、ひっそりと人の少ない宮邸の中の様子を、「こうも変わってしまう世の中だな」と思い続けなさると、平中の真似ではないが、ほんとうに涙が出てしまう。昔に変わって、落ち着いて申し上げなさる一方で、「この隔てをこのままでいられようか」と、引き動かしなさる。
「 年月をなかに隔てて逢坂のさもせきがたく落つる涙か

(年月を隔ててやっと逢えたのに、関があっては堰き止めがたく涙が落ちます)」
 女、
「 涙のみせきとめがたき清水にてゆき逢ふ道ははやく絶えにき

(涙だけは関の清水のように堰き止めがたくあふれても、お逢いする道はとっくに絶

え果てました)」
などとまったくお受け付けにならないが、昔をお思い出しなさるにつけても、
「誰のせいで、あのような大変なことが起こり世の騷ぎもあったのか、この自分のせいではなかったか」とお思い出しなさるので、

「なるほど、もう一度くらいは会ってもいいことだった」と、ご決心が鈍るのも、もともと重々しい所がおありでなかった方で、この何年かは、あれこれと愛情の問題も分かるようになり、過去を悔やまれて、公事につけ私事につけ、数えきれないほど物思いが重なって、とてもたいそう自重してお過ごしなさって来たのだが、昔が思い出されるご対面に、その当時の事もそう遠くない心地がして、いつまでも気強い態度をおとりになれない。
 昔に変わらず洗練されて、若々しく魅力的で、並々でない世間への遠慮も思慕も思い乱れて、溜息がちでいらっしゃるご様子など、今初めて逢った以上に新鮮で心が動いて、夜が明けて行くのもまことに残念に思われて、お帰りになる気もしない。

 

《源氏は、話しているうちに、だんだん思いが募ってきて、とうとう隔ての障子に手を掛けて「引き動かし」ながら、歌を詠み掛けます。

言い寄られる朧月夜は、次第に源氏の言葉に事態を許す気になっていきます。そして自分で源氏の謫居の原因は自分だったのだからということを口実に、「ご決心が鈍る」のでした。

『光る』がここで、「大野・朧月夜は陽気で、何ごとも悪いと思わない性格です」と言っていますが、「陽気」というのは以前のことで、「世間の事が分かって来た」(第二段)と自ら言う彼女に、ここであのかつての華やかな奔放さを見ようとするのは、少し無理ではないかという気がします。言うなら、あの陽気さのなくなった軽々しさとでも言いましょうか。作者も「もともと重々しい所がおありでなかった」と批判の、というより彼女のための弁解の一言を付け加えます。

『人物論』所収「朱雀皇権の巫女・朧月夜論」(河添房江著)が、朧月夜について、「夕顔をプレテクストする(下敷きとする、というよう意味でしょうか)ような〈遊女性〉」を指摘していますが、彼女生来の派手で軽いところ、つまり好色なところは、ここに至って、花宴の巻で初めて登場してきた時に感じられた若々しく奔放な「無邪気さとあだっぽさ」(第二段2節)とは違った、女性の弱さとしての「遊女性」とでもいったものに変わっているように思われます。

源氏が「スーパーヒーローから、ほんの少し、下界に下りてきた」(第二章第一段)のと同様に、この人も作者の中で変わってきたようです。

と言っても、作者はこの女性を批判しているのではないようです。「昔に変わらず洗練されて…」以下は、障子の内側に入っての源氏の、「案の定だ。やはり、すぐに靡くところは」(前段)と思ったことなどきれいに忘れたような賛嘆の思いを通して、朧月夜の昔に変わらぬ、あるいはそれにも増しての魅力を語っています。》

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第三段 源氏、朧月夜を訪問~その1

【現代語訳】1

 宵が過ぎるのを待って、親しい者ばかり四、五人ほどで、網代車の昔を思い出させる粗末なのでお出かけになる。和泉守を遣わしてご挨拶を申し上げなさる。このようにお渡りになった旨を小声で申し上げると、驚きなさって、
「変だこと。どのようにお返事申し上げたのだろうか」とご機嫌が悪いが、
「気を持たせるようにしてお帰し申すのは、たいそう不都合でございましょう」と言って、無理に工夫をめぐらして、お入れ申し上げる。お見舞いの言葉などを申し上げなさって、
「ほんのここまでお出になってください、几帳越しにでも。まったく昔のけしからぬ心などは、無くなったのですから」と、切々と訴え申し上げなさるので、ひどく溜息をつきながらいざり出ていらっしゃった。「案の定だ。やはり、すぐに靡くところは」と、一方ではお思いになる。

お互いに知らないではない相手の身動きなので、感慨も浅からぬものがある。東の対だったのだ。東南の方の廂の間にお座りいただいて、御障子の端だけは固くとめてあるので、
「とても若い者のような心地がしますね。あれからの年月の数をも、間違いなく数えられるほど思い続けているのに、このように知らないふりをなさるのは、たいそう辛いことで 

す」とお恨み申し上げなさる。

 

《源氏は、彼女の断りの返事を無視してやって来ました。朝から入念に準備して(前段)、しかし目立たぬように車は粗末に、お付きの者も厳選してのお忍びです。

女君の方は、初めはとんでもないと拒否気味ですが、女房(中納言の君でしょう)が上手にそそのかします。

あなたが一度お断りになったのを、「お耳に入れねばならないことがある」(前段)ということで、それを押してわざわざおいでになっているのは、本当にぜひにというご用がおありなのではないでしょうか、それを、ここでお帰しするようなことをすれば、かえってこちらが先回りして色めいたことを考えているようで、かえって「気を持たせるような」応対になりますよ。…。

「ひどく溜息をつきながら(原文・いたく嘆く嘆く)」会うことにしたというのが、いやいやながら、ということは分かりますが、会うのがいやなのか、会うことにした自分がいやなのか、何とも微妙です。

ともあれ、女房の懇願(?)を受けて仕方がないように、端近に出てきます。その気持ちを見透かした源氏から「案の定だ。やはり、すぐに靡くところは(原文・さればよ。け近さは)」と思ったというのがずいぶん冷たい言葉で、ちょっと驚きです。昔だったら、むしろかわいいとかなんとか思いそうなところですが、彼のこういうことへの気持が、普通の中年男らしく(?)、いささか不純なものになっているのではないかと思わせます。そう言えば、女三の宮の件も、なれそめを言えば不純でした。

しかし、そういうことはあるにしても、「お互いに知らないではない相手の身動き」の感じられる間柄であり、場所も、たまたま東の対、「昔、藤の花の宴が行われた所」(『集成』)であり、二人が二度目に会うことになった催しのあった思いでの場所、とあってみれば、「御障子の端だけは固くとめてある」とは言っても、あとは時間の問題でしょう。例によって例の如くの口説きが始まります。》

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第二段 和泉前司に手引きを依頼

【現代語訳】
 その人の兄に当たる和泉前司を招き寄せて、若めいて、昔に返ってご相談なさる。
「人を介してではなく、物越しにお耳に入れねばならないことがある。しかるべくお話し申してご承知いただいた上で、ごくこっそりと参上したい。今は、そのような忍び歩きも窮屈な身分で、並々ならず秘密のことなので、そなたも他の人にはお漏らしなさるまいと思うゆえ、お互いに安心だ」とおっしゃる。尚侍の君は、
「どうしたものだろう。世間の事が分かって来たにつけても、昔から薄情なお心で辛い思いをしてきた長の年月の果てに、しみじみと悲しい御事をさしおいて、どのような昔話をお話し申し上げられようか。
 なるほど他人は漏れ聞かないようにしたところで、良心に聞かれたら恥ずかしい気がするに違いない」と嘆息をなさりながら、やはり、会うことはできない旨だけを申し上げる。

「昔、逢瀬も難しかった時でさえ、お心をお通わしなさらないでもなかったものを、なるほどご出家なさったお方に対しては後ろ暗い気はするが、昔なかった事でもないのだから、今になって綺麗に潔白にしたところで、『立ちしわが名(一度立った自分の浮名)』は、今さらお取り消しになることができるものでもあるまい」と、お思い起こして、この「信田の森(和泉前司)」を道案内にしてお出かけになる。女君には、
「東の院にいらっしゃる常陸の君が、このところ久しく患っていましたのに、何かと忙しさに取り紛れてお見舞いもしていないので、お気の毒に思って。昼間など、人目に立って出かけるのも不都合なので、夜の間にこっそりと思っております。誰にもそうとは知らせまい」と申し上げなさって、とてもたいそう改まった気持ちでいらっしゃるのを、いつもはそれほどまでにはお思いでない方を、妙だ、と御覧になって、お思い当たりなさることもあるが、姫宮の御事の後は、どのような事も、まったく昔のようにではなく、少し隔て心がついて、見て知らないようにしていらっしゃる。

 その日は、寝殿へもお渡りにならず、お手紙だけを書き交わしなさる。薫物などを念入りになさって一日中お過ごしになる。

 

《「その人」は、前段の「昔の中納言の君」、その人の兄が、「前司」だった、ということは現在無役で浪人中、そこでこの男に、うまく話を通じてくれれば、「お互いに安心だ」、つまりお前には次の人事で恩恵を与えよう、と話を持ちかけました。

もちろん(と言っていいのでしょうか)前司は承知して、さっそく尚侍の許に出かけました。

しかし、彼女もひと歳とったことでもあり、昔正式の話になりかけた時に源氏がすげなかった(葵の巻第三章第二段2節)ことも思い出されて、結局は源氏の都合のいい時だけ相手をすることになり中途半端な扱いをうけただけでつらい思いをしてきたし、今また出家の時を待っているような、こういう時では、「良心に聞かれたら恥ずかしい」こともあって、断りの返事をしたのでした。

ところが、今回の源氏は、朝顔の斎院や玉鬘の時とは違って、いたって積極的、といよりも「昔なかった事でもないのだから、今になって綺麗に潔白にしたところで」となにやらひどく品が無く開き直った感じで、見方によってはやけっぱち的、攻撃的で、「ご承知いただいた上で」と言っていたのに、返事を無視して出かけることにします。

紫の上には、同じ二条にある源氏の院にいる末摘花の病気見舞いということにしますが、そこは紫の上、「妙だ、と御覧になって、お思い当たりなさることもある」のですが、女三の宮の降嫁以来、気持が冷えてしまっている、と言います。自信や誇りをすっかりなくしてしまっているのです。

そうとも知らないで、源氏は、まさに「こりずま」に出かけて行こうとしています。

「寝殿」は女三の宮のところ、源氏は、今日はもちろんそこには行きません。断りの手紙だけを届けました。》

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