源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第四章 光る源氏の物語(一)

第三段 紫の上の心中

【現代語訳】
 心の中でも、
「このように空から降って湧いたようなことで、ご辞退がおできにならなかったのだから、恨み言は申し上げまい。ご自身気が咎めなさり、他人の諌めにお従いになるような、当人同士の心から出た恋でない。せき止めるすべもないものなのに、馬鹿らしくうち沈んでいる様子は、世間の人に漏れ見せまい。
 式部卿宮の大北の方が、常に呪わしそうな言葉をおっしゃっては、どうにもならない大将の御身の上の事についてまで、変に恨んだり妬んだりなさるというが、このように聞いて、どんなにか思い合わせてお思いになることだろう」などと、おっとりしたご性分とはいえ、どうしてこの程度の邪推をなさらないことがあろうか。

今はもう大丈夫とばかり、わが身の上を気位高く持って、心の隔てなく過ごして来た夫婦仲が物笑いになろうことを心の中では思い続けなさるが、ひたすらとても穏やかに振る舞っていらっしゃった。

 

《さっきあんな立派な模範解答をした紫の上の内心の言葉です。

 彼女は本当に院から結婚を求められたのだと思っているようで、この話を「空から降って湧いたようなこと」と源氏が言ったとおりに受け取っています。

そして、そのように避けられないことなら、その前でおろおろするような見苦しいまねはすまいと決心します。それは一方では『光る』の言うように、彼女の身分でのそういう態度は姫宮に対して「おこがましく」見えるということもあるでしょうし、それが彼女のプライドでもあります。しかしそれでも「(彼女の)心に影が残る」(同)ことは、もちろん避けられることではありません。

こういう立場になった私を、人はさまざまに言うだろう、さしずめ、中でも「式部卿宮の大北の方」は、彼女の継母ですが、あの人は、私をねたんでおられて、源氏の須磨流謫の時も、そら見たことかと冷たい対応だった人であり、また髭黒の妻であった娘が玉鬘のためにその地位を追われたと思って、玉鬘の親代わりであった私たちを恨んでいる人だから、一番にもいい気味だとお思いだろうなどと、彼女には珍しく人に対しての「邪推」(原文・隈)を持ったりもするのです。

それにしても、この年になって「今はもう大丈夫とばかり」に少々思い上がり、何も考えないで過ごしてきた夫婦仲を、笑いものにする人もあろうと思うと、居心地はこれまでのようには行かない気はしますが、ともかくも外には素知らぬふりで、おおらかに振る舞っています。

『評釈』はここでも、「源氏に対してはいかにも従順で、無邪気な風を示しながらも、心の中では一つ一つと今後の準備を整えていく」と、大変な知略家のような解し方をしていますが、何とか理性的に事に当たろうとしているのはそのとおりでも、彼女の心はもっとみずみずしく素直で、今の彼女は自分を何とか納得させるのに精一杯の思いなのだと解する方が、彼女をより見事な女性として見ることになるのではないかと思います。

大変な境遇の変化の予感の前で、孤立無援の中、まっすぐにそれに向き合おうとする、いじらしくけなげなさまに、私としては喝采を送りたい心境です。
 が、世の女性読者はどのようにお読みになるのでしょうか。》

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第二段 源氏、紫の上に打ち明ける

【現代語訳】

 翌日、雪がちらつき空模様もものあわれで、来し方行く末をお話し合いになる。
「院がお弱りにおなりになったお見舞いに参上して、胸を打たれることがいろいろありました。女三の宮の事を、実に放っておきがたく思し召されて、これこれのことを仰せになったので、お気の毒で、お断り申し上げることができなくなってしまったのを、大げさに人は言いなすでしょう。
 今はそのようなことも気恥ずかしく、不似合いなことだと思うようになっているので、人を通してそれとなく仰せになった時には何とか逃げ申したが、対面した折りに、あわれ深い親心をいろいろおっしゃるのには、すげなくご辞退申し上げることができませんで。
 深い山住み生活にお移りになるころには、こちらにお迎え申し上げることになるでしょう。おもしろくなくお思いでしょうか。どんなことがあっても、あなたにとって今あることから変わることは決してないつもりですから、隔て心を持たないで下さいよ。
 あちらの方にとってこそ、お気の毒でしょう。その方も見苦しからずお世話しよう。皆が皆、穏やかにお過ごしくださったなら」などと申し上げなさる。
 ちょっとしたお遊び事でさえ、あきれたとお思いになって、心穏やかでないご性分なので、「どうお思いだろうか」とお思いになるのだが、まったく平静で、
「ほんとうにお気の毒なご依頼ですこと。私などが、どのような快からぬ心をお抱き申しましょうか。目障りな、こうしていてなどと、咎められないようでしたら、安心してここにおりましょうが、あちらの御母女御の御縁からいっても、仲好くしていただけるでしょうか」と、謙遜なさるのを、
「あまり、こんなに快くお許しくださるのも、どうしてかと不安に思われます。ほんとうは、せめてそのようにでもお許しになって、こちらもあちらの方も事情を分かりあって、穏やかに暮らしてくださるなら、一層ありがたいことです。
 根も葉もない噂などをする人の話は、信じなさるな。総じて、世間の人の口というものは、誰が言い出したということもなく、自然と他人の夫婦仲などを、事実とは違えて意外な話が生まれて来るもののようですが、自分一人の心におさめて、実際の様子に従うのが良い。先回りして騷ぎ出して、つまらない嫉妬をなさるな」と、たいそうよくお教え申し上げなさる。

 

《とうとう源氏は事態を紫の上に話しました。しかしその話の内容は、私たちの知っている事実と異なる点がありました。

 源氏は院が「これこれのことを仰せになった」と言うのですが、この「これこれ」の内容は、実際は、しばらく養育して後に適当な婿を探してほしい、ということだったのですが、ここでは、「今はそのようなことも気恥ずかしく…」と言うのですから、院が妻として迎えてほしいと言われたと言っている訳です。

 すでに事が決まってしまっている以上は、紫の上が受け入れやすいように、出来る限り彼女を傷つけないように話すことは、必ずしも悪いことではありませんから、源氏自身の気持ちで決めたと言うより、院からのたっての頼みとした方が穏やかに話が進みます。

しかし、先にも言いましたが、こういう明らかな嘘を策略として用いる源氏の姿は、これまでにはなかったものです。

 さて、源氏の話を聞いた紫の上の返事は、およそ考えられる最も見事な貞女賢婦のものでした。あまりに立派で、読んで面白くないと感じるくらいで、私には、一瞬彼女がさっと白い仮面をかぶったようにさえ感じられます。

 その返事は、源氏もびっくりしてしまうほどで、彼は、ほっとしながら改めて、例によって言葉を尽くして弁解し、まるで子供に話すように慰め諭します。

 そこでまた驚きですが、作者はそれを「たいそうよくお教え申し上げなさる(原文・いとよく教へきこえたまふ)」と言います。この言い方は、源氏の言うことをよしとして言っているように聞こえます。

『評釈』は、紫の上のこういう源氏への素直で鷹揚な態度を「そこには、ちゃんと紫の上の計算があったはずである。…今の場合、紫の上のほうが、役者は一枚上だったようだ」と言いますが、この人にそういう策略めいた振る舞いは不似合いですし、それでは後の彼女の苦悩が不自然になりそうです。

前段で、彼女はこういう話があることを薄々知っていて、「前斎院」とのこと(朝顔の巻第一章第四段)を思い出してもいたわけで、彼女自身そうとはっきりは意識しないままに、内心、自然とある準備が生まれていた、さまざまなシミュレーションをしていた、というようなことがあったのではないでしょうか。あの時も、彼女はその噂を聞いて「普通のことは恨みごとも憎げなく申し上げたりなさるが、心底つらいとお思いなので、顔色にもお出しにならない」という態度だったのでした。

いずれにしても、ここの彼女の言動は、異母姉妹・髭黒の前北の方に通うところのある、自分を平静に保とうする懸命の振る舞いに違いないのです。》

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第一段 源氏、結婚承諾を煩悶す

【現代語訳】

 六条院は、何となく気が重くて、あれこれと思いお悩みになる。
 紫の上も、このようなお話があると、以前からちらちらお聞きになっていたが、
「決してそのようなことはあるまい。前斎院を熱心に言い寄っていらっしゃるようだったが、ことさら思いを遂げようとはなさらなかったのだから」などとお思いになって、

「そのようなお話があるのですか」ともお尋ね申し上げなさらず、平気な顔でいらっしゃるので、おいたわしくて、
「このことをどのようにお思いになるだろう。自分の心は少しも変わるはずもなく、そのことがあった場合には、かえってますます愛情が深くなることだろうが、それがお分りいただけない間は、どんなにお疑いになるだろう」などと、気がかりにお思いになる。
 長の年月を経たこのごろでは、以前にもましてお互いに心を隔て置き申し上げることもなく、しっくりしたご夫婦仲なので、一時でも心に隔てを残しているようなことがあるのも気が重いのだが、その晩はそのまま休んで、夜明けをお迎えになった。

 

《源氏は、院に女三の宮を引き受けるという約束をしてしまって、改めて紫の上のことを思い、どのように言えるだろうかと、思い悩むことになりました。今さら何を、という感じですが、つまりは彼の欲望がなしたこと、彼はそれを背負うしかありません。

英雄のドラマというのは、避けがたい危機的事態の中でその英雄が読者にもなるほどやむを得ないと思われる選択をして、それが引き起こす事態に見事に立ち向かう時に、または、やむを得ない抵抗にあって滅びる時に、生まれるものだと思います。つまり、事件は必然の連鎖の中で進まなければ、感動は生まれません。

そこには基本的には後悔も反省も生まれる余地はないはずです。

源氏は、あのように承諾しておきながら、帰って紫の上のことを考えると「あれこれと思いお悩みになる」というのは、この物語が、英雄の物語ではなくなったということを意味します。

もちろんそれはそれで一つの物語です。というより、そうなってこそ、英雄の物語から、人間の物語に変わったと言えるわけです。

幾度も言いますが、この物語は、確かに人間の物語に変質して来ているのです。

これまでの源氏に降りかかった不幸は、臣籍降下にしても須磨流謫にしても、みな運命のしからしむるところであって、源氏はそれを決して自分が責めを負うものとは考えていませんでした。

しかし、これから始まる源氏の悩みは、まったく私たちの悩みと同じ質のものになります。彼は、その悩みを、彼は私たちよりもはるかに重く真摯に受けとめていきます。または、受けとめざるを得なくなっていきます。その抱える問題の重さと受けとめる真摯さにおいてこそ、源氏はヒーローであるのだと、私には感じられます。

源氏の煩悶にもかかわらず、朝顔の斎院の時以外は結局彼を信じて疑ったことのない紫の上は、いささかのことを小耳には挟みながら、今も全く彼を信じて、「平気な顔でいらっしゃる」のでした。案外、この人の無垢な可憐さが、いまや童話的・英雄的というべきで、さればこそ読者の憧れかも知れません。この人は大人の女性には人気が薄いのではないでしょうか。》

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