源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第三章 朱雀院の物語(三)

第四段 源氏、結婚を承諾

【現代語訳】
「そのように考えたこともありますが、それも難しいことなのです。昔の例を聞いても、在位中の全盛の帝の内親王でさえ、人を選んでそのような婿選びをなさった例は多かったのです。ましてこのように、これが最後とこの世を離れる時になって仰々しく思い悩むこともないのですが、一方、世を捨てた中にも捨て去り難いことがあって、あれこれ思い悩んでいますうちに、病気は重くなってゆくし、再び取り戻すことのできない月日も過ぎて行くので、気が急いて…。
 恐縮なお譲りごとなのですが、この幼い内親王一人、特別に目をかけてお育ていただいて、適当な婿をもあなたのお考え通りにお決めになってお預けくださいと申し上げたいところですが、権中納言などが独身でいた時に、こちらから申し出るべきでした。太政大臣に先を越されて、残念に思っています」と申し上げなさる。
「中納言の朝臣は、実直という点では、たいそうよくお仕え致しましょうが、何事もまだ経験が浅くて、分別が足りぬことでしょう。恐れ多いことですが、真心をこめてご後見させていただきましたら、姫も御在俗中の御庇護と変わったようにはお思いにならないでしょうが、ただ老い先が短くて、途中でお仕えできなくなることがありはすまいかと、懸念される点だけが、お気の毒でございます」と言って、お引き受け申し上げなさった。

 夜に入ったので、主人の院方もお客の上達部たちも、皆御前において御饗応があり、精進料理で格式ばらずに風情ある感じにおさせになる。院の御前に、浅香の懸盤に御鉢など、これまでとは違って差し上げるのを、人々は涙をお拭いになる。胸を打つ歌が詠まれたが、煩わしいので書かない。
 夜が更けてお帰りになる。禄の品々を次々と御下賜される。別当の大納言もお送りにお供申し上げなさる。主の院は、今日の雪にますますお風邪まで召されて、御気分が悪く苦しくお思いだが、この姫宮の御身の上を御依頼しお決めになったので、御安心なさったのであった。

 


《この、院のお話は、どういう比較を言っておられるのか、ちょっと分かりにくいのですが、およそ次のようなことでしょうか。

 この内親王を嫁がせようとも考えたが、それも、内親王のままにおいて東宮に世話を頼むのと同様に、難しいことなのだ。帝の在位中に降嫁させようとした過去の例でも、婿選びに苦労したようだ。まして、自分のように世を離れるとなると(世を捨てるのだから、「仰々しく思い悩むこと」をしないで、成り行きに任せるのが本当なのかも知れないが)、人選も余計に難しく、やはり気になることであって、体調も悪くなって、急がなければならず、大変な思いでいるのだ…。 

 作者は、それを「と言って、お引き受け申し上げなさった」と書くだけで、例えば「と心を込めて言って」というような批評を何も添えていません。当然の言葉として語ってきたのでしょうか。

『評釈』は、「源氏には自信がある。読者も同じ思いである。この物語のヒーロー、神にも比すべきである」と持ち上げていますが、それは昔の話で、より多くの読者は、源氏の言葉から、あの女三の宮の乳母が言っていた「高貴な女性を得たいとのお望みが深くて」(第一章第六段)という気持、が本当にあったのだと感じて、ここはそれを隠した、ある種言い訳めいたこじつけだという感をもたないでしょうか。

源氏はこれまで、女性を口説いたり慰めたりする時は、それこそ巧言令色、言えることは何でも言って女性を喜ばせようとしてきたのですが、こういう策略めいた物言いをすることは、なかったように思います。

ここに作者の評がないのは、やはり、作者がこの老いてなお止まない好色心を「無類の美徳」(『世界』)として書いているということではあるのでしょう。

しかし、かつては彼の手が触れることによって物が全て金色に変わっていたのですが、世界の変わったこの巻では、その保証はありません。そのことを作者がどれほど意識して書いていたか分かりませんが、それには関係なく、優れた作品は自分力でその素晴らしさを発揮していくことがあるようです。》

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 ここまで語って、いよいよ本題です。院の言葉は、ちょっと分かりにくいのですが、本当はあなたにとにかく一時預かっていただいて、それなりの大人になったら、改めて誰かいい婿を探してやってほしいと言うべきだが、そういう該当者は夕霧だけ、しかし彼はすでに結婚していて他に適当な若者がいないので、あなた自身の妻に迎えて欲しいと言っているようです。

それに対する源氏の答えは、ちょっと違う角度からのものでした。院がすでに諦めている夕霧をわざわざ取り上げて、彼はまだ若くて任せられないと切り捨てて、代わりに自分が「心をこめてご後見させて」いただくことにすると言うのです。

第三段 源氏、朱雀院を見舞う

【現代語訳】

院も、もの心細くお思いになられて、我慢おできになれずに涙をお流しになりながら、昔や今のお話をたいそう弱々そうにお話しあそばされて、
「今日か明日かという気がしながら、それでも年月を経てしまったが、つい油断して心からの念願の一端も遂げずに終わってしまいそうなことだ、と思い立って…。
 こうして出家しても余生がなければ、勤行の意志も果たせそうにないけれども、まずは一時なりとも命を延ばしておいて、せめて念仏だけでもと思っています。はかばかしくない体調であっても、今まで生きながらえているのは、ただこの意志に引き留められているのだと分かってはいるのですが、今まで仏道に励まなかった怠慢さえ気にかかって…」とおっしゃって、考えていらっしゃることなどを、詳しく仰せになるついでに、
「内親王たちを大勢残して行くのが気の毒です。その中でも、他に頼んでおく人のない姫を、格別に気がかりでどうしたものかと苦になっています」とおっしゃって、はっきりとは仰せにならない御様子を、お気の毒に思って見申し上げなさる。

 お心の中でも、何と言っても関心のある御事なので、お聞き過ごし難くお思いになって、
「仰せのとおり、臣下の者以上に、こういうご身分の方には、内々のご後見役がいないのは、いかにも残念なことです。東宮がこうしてご立派にいらっしゃいますから、まことに末世には過ぎた畏れ多い君として、天下の頼り所として仰ぎ申し上げておりますので、まして、これこれのことは是非にと仰せおきになることは、一事としていい加減に軽んじ申し上げなさるはずはございませんので、決して将来のことをご心配になる必要はありませんが、いかにも物事には限りがあるので、ご即位になり、天下の政治もお心のままにお執りなるとは言っても、姫宮の御ためには、どれほどのはっきりとしたお力添えができるものでもないことでしょう。
 何にしても、内親王の御ためには、いろいろとほんとうのご後見に当たる者は、やはりしかるべき夫婦の契りを交わし、当然の役目としてお世話申し上げる御保護者がいますのが、安心なことでしょうから、やはりどうしても将来にご不安が残りそうでしたら、適当にお選びになって、内々にしかるべきお世話役をお決めおきなさるのがよいでしょう」と、奏上なさる。

 

《源氏の見舞いを「たいそうお待ちかね」(前段)だった院は、源氏の挨拶を受けて、まずは自分の出家の思いから語り始めますが、「今まで仏道に励まなかった怠慢さえ、気にかかって」と出家した今なお気に掛かることが、この他にもあるように仄めかして、「考えていらっしゃること」(仏道修行の心積もりなどでしょうか)を話したついでのように、本題の内親王を残していく心配をちょっと添えられます。

 この話し方はほとんどゼロからの、ずいぶん慎重な入り方です。もし、あの左中弁が源氏の所から帰って(第二章第六段)、「承諾」の意向を伝えたのであれば、もう少し違った言い方になるような気がするのですが、どうだったのでしょうか。

 仄めかされた源氏は、ここも、ご心配ですねと言って流そうと思えば流せたところだと思われますが、そうはしませんでした。「何と言っても関心のある御事なので」ということは、この段階で彼はすでに自分が引き受けるつもりでいる、と作者は言っているのでしょうか。ここから彼は、考えられる候補者を自分で次々に消していくように見えます。

まず東宮ですが、申し分ない方ではあるが、「天下の政治もお心のままにお執りなる」ようになると、姫一人のことで動く訳にはいかなくなるだろう、と言い、やはりしかるべき人と結婚される必要があると、話の方向性を決めます。

ところで、ここまで延々と女三の宮の婿選びのいきさつが語られてきたのですが、こうした物語の展開の仕方について、大変興味深い論があります。『世界』所収・「源氏物語における人間造型 第五『若菜』巻の始発をめぐって」がそれです。

前巻「藤裏葉」までは、物語の展開が「偶然事の可及的に真実めかした連続であった」、つまり偶然に起こった出来事によって物語が展開して来たのだが、「『若菜』巻になると…えがく方法じたいが新しい虚構の現実状況を引き出していくという体である」。「朱雀院が女三の宮の処置に迷いながら、その病状が進んでいるという当初設定された条件」によって「必要な登場人物の会話が交わされ、交わされる会話の内容が、しだいに虚構の世界を明確化してゆくということにほかならない」。

別の言い方を引用すると、「(登場人物の)ある体験が、その内部からの必然的な展開として次の展開をみちびき出し、虚構の、いわば必然的な自己運動ともいうべき世界を純粋につくっていく」ということです。

以下は私の余計な説明ですが、例えば夕顔との出会いは、たまたま惟光の母の家の門前で待たされたことによるものでしたし、紫の上との出会いは、これもまたたまたま源氏が「小柴垣のかいま見」をしたことによるものでした。須磨流謫の原因は、右大臣邸での夜、たまたま朧月夜に出会ったことにありましたし、その流謫の先にたまたま野心を抱いている入道がいたことで、明石の御方との縁ができたのでした。

ここではそれらに反して、登場人物の対話の中で、可能な候補者が必然的理由で次々に消されていって、源氏一人に収斂していくのを読者の誰もが必然と考えるように、作者は細心の注意を払って語ってきている、つまりここには「たまたま」によらないひとまとまりの自立的な「虚構の世界」ができあがっているというわけです。》

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第二段 朱雀院、出家す

【現代語訳】

 御気分のたいそう苦しいのを我慢なさりながら、元気をお出しになってこの御儀式がすっかり終わったので、三日過ぎて、とうとう御髪をお下ろしになる。普通の身分の者でさえ今は最後と姿が変わるのは悲しいことなので、ましてお気の毒な御様子に御妃方もお悲しみに暮れていらっしゃる。
 尚侍の君は、ぴったりとお側を離れずにいらっしゃって、ひどく思いつめておられるのを、慰めかねなさって、
「『子を思ふ道』には限りがあったのだな。このように悲しんでいらっしゃる別れが堪え難いことよ」といって、御決心が鈍ってしまいそうだが、無理に御脇息に寄りかかりなさって、山の座主をはじめとして、御授戒の阿闍梨三人が伺候して、法服などをお召しになるとき、この世をお別れなさる御儀式は、堪らなく悲しい。
 今日は人の世を悟りきった僧たちなどでさえ涙を堪えかねるのだから、まして女宮たち、女御、更衣、おおぜいの男女たち、身分の上下の者たち全てが、皆どよめいて泣き悲しむので、何とも心が落ち着かず、こうしたふうにではなく、静かな所に、そのまま籠もろうとお心づもりなさっていた本意と違う思いにおなりになるのも、

「ただもう、この幼い姫宮に引かれて」と仰せられる。
 帝をおはじめ申して、お見舞いの多いことは、いまさら言うまでもない。

 六条院も、少し御気分がよろしいとお聞き申しあげなさって、参上なさる。御下賜の御封など、みな同じように退位された帝と同じく決まっていらっしゃったが、ほんとうの太上天皇の格式で威儀をお張りにはならない。世間の人々のお扱いや尊敬申し上げる様子などは格別であるが、わざと簡略になさって、例によって仰々しくないお車にお乗りになって、上達部などのしかるべき方だけが、お車でお供なさっていた。
 院におかれては、たいそうお待ちかねでお喜び申し上げあそばして、苦しい御気分をしいて元気を出して御対面なさる。格式ばらずに、ただ常の御座所に新たにお席をもう一つ設けて、お入れ申し上げなさる。
 お変わりになった御様子を拝見なさると、来し方行く末のことがこもごも湧いて、悲しく涙を止めがたい思いにおなりになるので、すぐには気持ちをお静めになれない。
「故院にお別れ申したころから、世の中が無常に思われていましたので、この方面への決心も深くなっていましたが、心弱くてぐずぐずしてばかりいまして、とうとうこのように拝見致すことになるまで、遅れ申してしまいました心の弱さを、恥ずかしい気がいたすことです。私自身のこととしては、たいしたことでもあるまいと決心致しました時々もありましたが、どうしても堪えられないことが多くございましたよ」と、心を静められないお思いでいらっしゃった。

 

《実際の儀式については語られないまま、院は、大きな懸案を済ませて出家しました。ありとあらゆる人々が、世を挙げての悲しみに暮れています。中でも、いろいろなことがありながら、院からの寵愛をずっと受け続けた朧月夜の尚侍は、うち沈んで側を離れずにいます。

これまで源氏のように周囲に賑やかに人の集まるよう様子の描かれたことのなかった朱雀院ですが、それは語る機会がなかっただけで、今この時に当れば「身分の上下の者たち全てが、皆どよめいて泣き悲しむ」ほどに、彼を慕う多くの人々があったのだと、少し安心させられます。

もっとも、院自身は周囲のそういう様子を見ると、「こうしたふうにではなく静かな所に、そのまま籠もろうとお心づもりなさっていた本意と違う思いにおなりに」なります。できることなら、もっとさっぱりと姿を消したかったのですが、周囲の愛惜の思いを見るにつけ、思うのは女三の宮のことです。

院はそのためらいを「ただもう、この幼い姫宮に引かれて」と語ります。朧月夜を慰めようとして言った「『子を思ふ道』には…」という言葉と噛み合いませんが、どちらも本当の思いなのでしょう。

 そういう院の所に、さまざまな人が出家の「お見舞い」に来ます。そしてもちろん源氏も訪れます。「院におかれては、たいそうお待ちかねで」というのが、意味深長です。

ところで、出家というのは、世の中の縁をすべて切って、仏道三昧に入ると、一応理解していますが、実際どういう事態を意味するのか、今ひとつよく分かりません。

例えば藤壺も出家しましたが、その後も、澪標の巻では源氏と一緒になって、今の中宮の入内を画策していましたし、絵合の巻では彼女の御前で梅壺と弘徽殿の女御の絵合わせを催していました。また、明石の入道は、妻子と共に暮らしていましたから、本当に世の中と絶縁するという感じとはほど遠いように思われます。

そうだとすると、藤壺の場合も同様でしたが、書かれてあるように世を挙げて嘆くといった雰囲気であるのは、一体どういう理由によるのでしょうか。

しかし、私たちはとりあえず、なにがしかの心理的な隔絶感があったのだろうと思って読み進めるしかありません。物語は大きな転換点を迎えることになります。》

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第一段 歳末、女三の宮の裳着催す

【現代語訳】
 年も暮れた。朱雀院におかれては御気分もやはり快方に向かう御様子もないので、何かと気忙しく御決心なさって、御裳着の儀式の御準備なさる様子は、後にも先にも例のないと思われるほど、ものものしく大騷ぎである。
 お部屋の飾り付けは、柏殿の西面に、御帳台、御几帳をはじめとして、この国の綾や錦はお加えあそばさず、唐国の皇后の装飾をお考えになって端麗で豪華に光眩しいほどに御準備あそばした。
 御腰結の役には、太政大臣を前もってお願い申し上げていらっしゃったので、物事を大げさにお考えになる方なので、参上しにくくお思いであったが、院のお言葉に昔から背き申しあげなさらないので、参上なさる。
 もう二方の左右大臣たち、その他の上達部などは、どうにもならない支障がある方も無理に何とかし都合をつけて参上なさる。親王たち八人、殿上人は言うまでもなく、内裏、東宮の人々も残らず参集して、盛大な御儀式との評判である。
 院の御催事は今回が最後であろうと、帝、東宮をおはじめ申してお気の毒にお思いあそばされて、蔵人所、納殿の舶来品を、数多く献上させなさった。
 六条院からも、御祝儀がたいそう盛大にある。数々の贈り物や、人々の禄、主客の大臣の御引出物などを、あちらの院からご献上あそばしたのであった。

 中宮からも、御装束、櫛の箱を特別にお作らせになって、あの昔の御髪上の道具を趣のあるように手を加えて、それでいて元の感じも失わず、それと分かるようにして、その日の夕方、献上おさせになった。中宮の権の亮で、院の殿上にも伺候している人を御使者として、姫宮の御方に献上させるべく仰せになったが、このような歌が中にあったのだった。
「 さしながら昔を今に伝ふれば玉の小櫛ぞ神さびにける

(挿したまま昔から今に至りましたので、玉の小櫛は古くなってしまいました)」
 院は御覧になって、しみじみとお思い出されることがあるのであった。あやかり物として悪くはないとお譲り申し上げなさるだが、なるほど名誉な櫛なので、お返事も昔の気持はさておいて、
「 さしつぎに見るものにもが黄楊の小櫛の神さぶるまで

(あなたに引き続いて姫宮の幸福を見たいものです、千秋万歳を告げる黄楊の小櫛が

古くなるまで)」
とお祝い申し上げなさった。


《朱雀院は出家を決心して、その前に女三の宮の裳着を急ぐことにしました。

以下、延々とその裳着の様子が語られます。院の最愛の姫宮ですから、院自身はもちろん可能な限りの準備をされるのですが、また周囲も、院が出家されることが前提とあって、「院の御催事は、今回が最後であろう」と考えて、精一杯の贈り物をしますから、「後にも先にも例のないと思われるほど、ものものしく大騷ぎ」ということになります。

腰結いの役は太政大臣に依頼されました。大臣が、初め渋ったのは「物事を大げさにお考えになる方」だから、と言いますから、自分では任が重すぎると考えたということなのでしょう。臣下の身で恐れ多いということでしょうか。

院にしてみれば、そういうことよりも、後に源氏の所に輿入れするのですから、こうすることで姫に、当代の両巨頭との縁ができることのメリットを優先したのでしょう。

「(大臣は)院のお言葉に昔から背きなさらない」というのは、読者には新しい情報ですが、それについて『評釈』は、源氏の須磨流謫の間、宮中に孤立無援でいた大臣(当時の頭中将)に「やさしい朱雀院(当時の帝)は、…お心にかけお言葉をたもう。お役を命ぜられることがあり、それを勤めることで無援の若者はノイローゼを克服したのではなかったか」と言い、以後、その恩義を感じていたのではないかと示唆しています。

しかし、それは全く新しく大きな一つの挿話を入れることになるわけで、それならそういう書きかたがあるように思われます。

ここはそのまま、この大臣の人柄、立場として理解する方が自然な気がします。源氏が臣籍に下っているとは言え、院と意識的には対等、ないしは、どうかするとそれ以上であるのに対して、大臣はあくまで臣下として仕えている、という差を示しているとは言えないでしょうか。

さまざまな贅を尽くした贈り物が集まる中で、中宮からのお祝いも届きました。品物は以前、中宮が院から頂いた「玉の小櫛」に手を加えたものでした。

院からは二度櫛を頂いたことがあって、これは「斎宮下向の折、帝手ずから斎宮の額に挿された黄楊の小櫛」(『集成』)とも言い、「秋好む入内の際に、院より贈られたものの中の一つ」(『評釈』)とも言いますが、それはいずれにしても一繋がりの話の中のものです。

初めの時の帝の一言(賢木の巻第一章第五段)は、「京の方に赴き給うな」という斎宮にとってつらいものでしたから、今それに関わる櫛を贈るというのは、受け取り方によってはかなり危うい気がしますが、院は、中宮が「あやかり物として悪くはない」と考えたことを理解して、めでたく中宮にまでなられた方の身につけた物として、喜んで受け取りました。

しかし『評釈』のように「院は、…、中宮が昔の事を忘れないやさしさに心が躍る」とまで読むのは、いかがなものかという気がするのですが、そういうものなのでしょうか。》

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