源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第一章 朱雀院の物語(一)

第六段 女三の宮の乳母、源氏を推薦

【現代語訳】

 姫宮がとてもかわいらしげで、幼く無邪気なご様子であるのを拝見なさるにつけても、
「栄えある様にお世話し申して、一方では、至らないところは見知らぬ体でそっとお教え申すような人で、頼りになるような方にお預け申したいものだ」などとおもらしになる。
 年かさの御乳母たちを御前に召し出して、御裳着の時の事などを仰せになる折に、
「六条の大殿が式部卿の親王の娘を育て上げたというように、この姫宮を預かって育ててくれる人がほしいものだ。臣下の中にはいそうにない。帝には中宮がいらっしゃる。それに次ぐ女御たちにしても、たいそう高貴な家柄の方ばかりが揃っておられるから、しっかりした後見役がいなくて、そのような宮廷生活は、かえってつらかろう。
 この権中納言の朝臣が独身でいた時に、それとなく打診してみるべきであったよ。若いけれど、たいそう有能で将来有望な人と思えるのだが」と仰せになる。
「中納言は、もともとたいそう生真面目な方で、長年、あの方に心を懸けて、他の女性には心を移そうともしなかったのでございますから、その願いが叶ってからは、ますますお心の動くはずがございますまい。
 あの院こそは、かえって、依然としてどのようなことにつけても、女性にご関心の心は、引き続きお持ちのようでいらっしゃるようです。その中でも、高貴な女性を得たいとのお望みが深くて、前斎院などをも、今でも忘れることができずに、お便りを差し上げていらっしゃると聞いております」と申し上げる。
「いや、その変わらない好色心が、たいそう心配だ」とは仰せになるが、
「なるほど、大勢の婦人方の中に混じって、不愉快な思いをすることがあったとしても、やはり親代わりと決めたことにして、そのようにお預け申そうか」などとも、お考えになるようだ。
「ほんとうに、多少とも結婚させようと思うような娘を持っていたら、同じことなら、あの院の側に添わせたいものだ。長くもない人生では、あのように満ち足りた気持ちで過ごしたいものだ。
 私が女だったら、同じ兄弟ではあっても、きっと睦まじい仲になるだろう。若かった時など、そのように思った。ましてや、女がだまされたりするようなのは、まことにもっともなことだ」と仰せになって、御心中に、尚侍の君の御事も自然とお思い出しになっているのであろう。

 

《さて、姫宮の登場ですが、先に十三、四歳とありましたから、当時としてはそろそろ結婚してもいい年齢です。ちなみに紫の上の新枕は十四歳の時でしたが、その時の様子は、「何事につけ理想的にすっかり成長なさって、まったく素晴らしくお見えなさる」(葵の巻第三章第一段2節)とありました。

しかし、この姫は「かわいらしげで、幼く無邪気なご様子(原文・うつくしげにて、若く何心なき御ありさま)」だと言います。作者は、この姫君を年齢よりも幼い人として描きたいようです。そういう姫の幼さを見ると、院は心配でなりません。源氏がその紫の上を養育したように、この姫を見てくれる人はいなかと、さまざまに物色します。

まっ先に帝を考える辺り、さすがは院ですが、この姫の幼さでは、他の夫人方に見劣りして、よほどの後見役がいないと無理のようです。次は先ほど見た夕霧ですが、彼は既に結婚してしまっていて、話をした「年かさの御乳母たち」も、長く待った挙げ句の新婚ほやほやですから、とてもいい返事は貰えそうにないと言います。

その、すると諸事を心得た「御乳母たち」が源氏の名を挙げて勧めます。しかし、「女性にご関心の心は、引き続きお持ちのよう」というのはよく分かるにしても、「高貴な女性を得たいとのお望みが深くて」というのは、これまで読者は知らなかったことです。朝顔の斎院とのことが、世間ではそういうふうに伝わっていたようなのです。

後見役はともかく、婿候補なら他にもいそうなものです。例えば太政大臣には何人もの息子がいました。特にその嫡男は「たいそう上品で美しい容貌で、お直衣姿は趣味がよくはなやかで、たいそう立派である」(藤袴の巻第二章第二段)と言われた人ですから、当代の、夕霧に次ぐ№2と言えますが、ここでは考えの中に上がってこないようです(後に出てきますが)。

『評釈』は、若い人を選んだ場合、「もし若死にでもすれば、あとに残る者は悲惨である」と言いますが、婿を選ぶ時にそんなことを考える人は、いくら当時でも多くはいないでしょう。亡くなる心配は年かさの方が高いと考えるのが普通です。

しかしともかくも、院は源氏に託そうと考えたようです。「好色心が心配だ」と言いますから、結婚させることにしたようです。

経済的、社会的には安心と言えばそうですが、好色な四十男に十三、四歳の娘では、冷静に考えれば、やはりあまりいい考えではないように思われるのですが、院のお気持ちは、源氏が立派だという思いこみもあってでしょうか、考えは、自己増殖的にどんどんその方向に膨らんでいくようなのです。》

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第五段 朱雀院の夕霧評

【現代語訳】

 女房などは、覗き見申して、
「本当に立派にお見えになる容貌や、態度ですこと」
「ああ、素晴らしい」などと、集まってお噂申し上げているのを、年輩の女房は、
「さあ、そうは言っても、あの院がこれぐらいお年でいらっしゃった時のご様子には、とてもお比べ申し上げることはできないでしょう。本当に眩しいほどお美しくていらっしゃいました」などと、言い合うのをお耳にあそばして、
「本当に、あの人は特別の人だった。今はまた、あの当時以上に立派になって、『光る』というのはこれを言うべきなのかと見える輝きが、一段と加わっている。威儀を正して公事に携わっているところを見ると、堂々として鮮やかで、目も眩ゆい気がするが、また一方で、うちくつろいで冗談を言ってふざけるところは、その方面ではまたとないほど愛嬌があって、親しみやすく愛らしいことこの上ないというのは、めったにいない人だ。何事につけても前世の果報が思いやられて、類稀な人柄だ。
 宮中で成長して、帝王がこの上なくおかわいがりになり、あれほど大事にし、ご自身以上に大切になさったが、いい気になって驕ることもなく、謙虚にして、二十歳までは中納言にもならずじまいだった。一つ越してか、宰相で大将を兼官なさっただろう。
 それに比べて、こちらはこの上なく昇進しているようなのは、親から子へと次第に声望が高まっていくのであろう。本当に公事に関する才能や心構えなどは、こちらも決して父親に劣らず、間違っても年々老成してきたという評判は、たいそう格別なようだ」 などと、お誉めあそばす。

 

《女房たちが夕霧を見て大騒ぎをするのはいつものこととしても、院は夕霧にすっかり惚れ込んだようで、絶賛です。

「古女房」や院に限らず、年を取ると、今を昔に比べたくなります。特に、他人の親子の比較は、こちらに何ひとつ及ばないだけにおもしろく、ここでも源氏と夕霧の比較に花が咲きました。

院には、特に源氏との間に比較にならない境遇の差がありますから、夕霧以上に源氏の素晴らしさが思い出され、目に付きます。

威儀を正しても、くつろいでも、それぞれに光り輝き人を惹きつけて放さない魅力は、誰にも得がたいものですが、院にも無いものでした。

幼時、父帝に誰よりもかわいがられていながら、それにもかかわらず謙虚だったと、院は言われます。もっとも、院の記憶から見ればそうかも知れませんが、読者から見ると、父帝がその行跡を厳しく注意しなければならなかった(葵の巻第一章第一段2節)ほどに、その振る舞いはかなり自由奔放なものでしたから、その点でも、先に院が語られた、威儀を正した時とくつろいだ時の落差は大きかったわけで、それが当時の読者にとっての魅力になっています。

源氏と夕霧の昇進が比較されていますが、今夕霧は十八歳で中納言、源氏は十九歳の時(紅葉賀の巻末)で「宰相」(「参議の中国風の呼び方。太政官の大納言、中納言に次ぐ地位」・『集成』)になったのですから、確かに夕霧の方が早いわけです。

源氏自身、「つまらない親に賢い子が勝るという話は、とても難しいこと」と案じていた(少女の巻第二章第一段2節)のですが、その難題を見事にクリアしていて、院の感嘆も無理からぬところです。

終わりの「間違っても(原文・あやまりても)」は、意味不明です。「悪く見積もっても」というような意味なのでしょうか。》

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第四段 夕霧、源氏の言葉を言上す

【現代語訳】

 中納言の君は、
「過ぎ去りました昔の事は、何とも分りがたく存じます。成人いたしまして、朝廷にもお仕え致す間に、世間の事をあれこれと経験してまいりますうちに、大小の公事につけても、親子の打ち解けた話し合いの中でも、『昔の辛い思いをしたことがあって』などと、ほのめかされることはございませんでした。
 『このように朝廷の御後見を中途でご辞退申して、静かに暮らしたいという思いを果たそうとすっかり隠退して後は、どのような事をも関係ないようにして、故院の御遺言通りにもお仕え申すことができず、御在位時代には、年齢も器量も不十分で、すぐれた上位の方々が多くて、私の思いを十分に尽くして御覧いただくこともなかった。今、このように御退位なさって静かにお暮らしになっていらっしゃるこの折に、思うところを心おきなく、参上してお話を承りたいが、そうは言っても何やら大層な身分のために、ついつい月日を過ごしたていること』と、時々お嘆き申し上げていらっしゃいます」などと、奏上なさる。
 二十歳にもまだわずか足りない年齢であるが、まことに立派に年齢以上に成人して、容貌も今を盛りに輝くばかりでたいそう美しいので、お目に止めてじっと御覧あそばしながら、この御心中を悩ましていらっしゃる姫宮の御後見に、この人はどうかなどと、人知れずお考えよりになるのであった。
「太政大臣の邸に、今は落ちつかれたそうですね。長年納得できないふうでおられるように聞いたことが気の毒に思えていましたが、安心したものの、やはり残念に思うことがあります」と仰せになる御様子を、

「何を仰せになろうとするのか」と、不思議に思って考えてみると、

「こちらの姫宮をこのように御心配なさって、適当な人がいたら、頼んで、安心して俗世を離れたいとお思いになって、仰せになるのだろう」と、自然と漏れお聞きになるつてもあったので、「そのようなことではないか」とは思ったが、すぐさま分かったような顔をして、どうしてお答え申し上げられよう。ただ、
「頼りにもならない私には、妻もなかなか得がたくございます」とだけお答え申し上げるにとどまった。


《夕霧の返事はなかなか見事です。

「過ぎ去りました昔の事」は、「須磨流謫のことには返答しにくいので、こう(「何とも分りがたく…」と)言う」と、『集成』。古いことは存じません、とその点をまずお断りしておいて、成人の後も、源氏の口から苦労したなどとは「ほのめかされ」たことさえない、と証言します。院が昔からの因縁を悔いながら語られたのに対して、応えに窮することもなく、さらさらと語っているように読めます。

「このように朝廷の御後見を…」という源氏の言葉は、読者の知っている事実とはかなり違っています。

太政大臣から準太上天皇になったことを言うのですが、それは「静かに暮らしたい」からではありませんでしたし、「(院の)ご在位中」に仕えられなかったのは、「すぐれた上位の方々が多」かったからではなく、右大臣方(院の母方)からの圧力で謫居しなくてはならなかったからでした。

しかし、夕霧は、すべてが父・源氏のせいでそういうことになったのだと言います。もちろん源氏の言葉ではなく、彼の機転です。

「二十歳にもまだわずか足りない年齢」、彼は今十八歳ですが、それでこういう話ができなければ、一流ではないわけです。

院は、恐らく内心で源氏についてはほっと安心しながら、この若者にすっかり感心して、噂で聞いておられたのでしょう、雲居の雁とのことを喜びながら、あの姫君の婿にこの人を、とさえ考えます。

そして、その気持が、「やはり残念に思うことがあります」と、ぽろりと出ると、またしても夕霧の頭は素早く回転して、あの姫君のことを思っておられるのだなと鋭く察し当てます。

そこで、「なかなか妻になってくれる人もなくて」(結局あの者しかおりませんで、という意味でしょうか)と、半分謙遜、半分冗談ふうに返事をします。『評釈』は「今は、やっとのことで許しを得た雲居の雁のことで頭がいっぱいなのである」と言いますが、しかし、聞きようによっては、まだ可能性が残っていると聞こえなくもないように思われるのですが、…。この人は、そんなに純なわけではないように思います。》

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第三段 源氏の使者夕霧、朱雀院を見舞う

【現代語訳】

朝な夕なにこの方の御事を御心配なさる。年が暮れてゆくにつれて、御病気がほんとうに重くおなりあそばして、御簾の外にもお出ましにならない。御物の怪で時々お悩みになったことはあったが、とてもこのようにいつまでも小康もない病状ではおありでなかったが、「今度は、やはり最期だ」とお思いでいらっしゃった。
 お位をお退きあそばしたが、やはりそのご在位中からお頼り申し上げるようになられた人々は、今でもおやさしくご立派なお人柄を心の慰め所にして、参上しお仕えなさっている方々は皆、心の底からお悲しみ申し上げなさる。

 六条院からもお見舞いが頻繁にある。ご自身も参上なさる由、お聞きあそばして、院はとてもたいそうお喜び申し上げあそばす。
 中納言の君が参上なさったのを、御簾の中に招き入れて、お話を親しくなさる。
「故院の帝の御臨終の際に多くの御遺言があった中で、この院の御事と今上の帝の御事を特別に仰せになったが、皇位に即くと何かと自由にならないもので、心の中の好意は変わらないものの、ちょっとした事の行き違いから、お恨まれ申さすこともあっただろうと思うが、長年何かにつけて、その時の恨みが残っていらっしゃるご様子をお見せにならない。

賢人と言っても、自分自身の事となると、道理を離れて心が動き、必ずその報復をし、道を踏みはずす例は、昔でさえ多くあったのだ。

どのような時にか、お恨みの心が漏れ出ることだろうかと、世間の人々もその気で疑っていたが、とうとう辛抱なさって、東宮などにもご好意をお寄せ申されていらっしゃる。

今では、またとなく親しい姻戚関係になって交際していらっしゃるのも、この上なく有り難く心の中では思いながら、生来の愚かさに加えて、子を思う『闇(親心)』で目がくらみ、見苦しいことではないかと思って、かえってよそ事のようにしてお任せ申している有様です。
 帝の御事は、あの御遺言通りにしましたので、このような末世の名君として、これまでの宮中の不面目を挽回して下さっています。願い通りで、まことに嬉しく思います。
 この秋の行幸の後は、昔のことがあれこれと思い出されて、懐かしくお会いしたく存じます。お目にかかって申し上げたいことどもがございます。必ずご自身お訪ね下さるよう、お勧め申し上げて下さい」などと、涙ぐみながら仰せになる。


《東宮にお話しされた後も、院は、あの女三の宮のことを、日夜を心配し、嘆いておられます。その心労につれて、というわけでもないのでしょうが、お加減が日毎に悪くなって、「小康もない」ということになっていきました。

 源氏からも見舞いしきりでしたが、いよいよ自身も参上することにして、とりあえずは夕霧を使いに立てると、院は親しく御簾のうちに招き入れて、源氏に対する積年の思いを語るのでした。

院は、父・桐壺院の、東宮(今の冷泉帝)と源氏を頼むという遺言(賢木の巻第二章第一段)にもかかわらず、源氏を須磨に行かせることになったことを、今でも心の傷としていたようです。

そしてそれにもかかわらず、源氏が自分を恨むような素振りを見せないどころか、今の東宮にも大変よくしてくれて、姫を入内させてくれるなど、「またとなく親しい姻戚関係」を結んでくれて、今では親の私の出る幕ではないと、東宮のことも源氏に任せているほどだと、感謝を伝えます。

そしてあの遺言どおり即位させることのできた今上・冷泉帝については、よもやそれが源氏の息子とは知らないままに、「名君」と呼んで、「これまでの宮中の不面目を挽回して下さっています(原文・来しかたの御面をも起こしたまふ)」と讃えるのですが、「宮中の不名誉」を諸注は、桐壺院以来の失政と解しています。桐壺院の更衣執着のスキャンダルとご自分の時の源氏謫居前後のドタバタを言うのでしょう。

大変思いきった、夕霧に向かってしか言えない話で、ここに彼を来させた意味があります。そして院がこう語られることによって、源氏の評価は不動のものになります。

その源氏に、ぜひ直接来てほしいと伝えます。「必ずご自身お訪ね下さるよう」という、「涙ぐみながら仰せになる」にしてはずいぶん強い、珍しく一方的な指示が、読者は気になります。》

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第二段 東宮、父朱雀院を見舞う

【現代語訳】

 東宮は、「このような御病気に加えて、御出家あそばすお心づもりだ」とお聞きあそばして、お越しあそばした。母女御もご一緒申されて、おいでになった。格別のご寵愛というほどでもなかったが、東宮がこうしていらっしゃるご運勢が、この上なく素晴らしいので、久しぶりのお話を、親しくお話し合いになったのであった。
 東宮にも、いろいろなこと、国をお治めになる時の御注意など、お教え申し上げなさる。お年よりもとても立派にご成人あそばされていて、ご後見役たちも、あちらこちらと重々しい立派なお間柄でいらっしゃるので、たいそう安心だとお思い申し上げていらっしゃる。
「この世に不満の残ることはありません。女宮たちが大勢後に残るその行く末を思いやると、それが『さらぬ別れ』の時にきっと障りとなることでしょう。これまで他人事として見聞きしてきたにつけても、女は意に反して、浅はかだと世間から批判される運命であるのが、たいそう残念で悲しいことだ。
 どなたをも、御即位なさった御代には、何かにつけてお心にかけてお世話なさって下さい。その中で、後見する人のいる方は、そちらに任せてよいと思います。
 ただ三の宮は、幼い年で私一人だけをずっと頼りとしてきたので、出家した後の世に、寄るべなく心細い世を送るだろうことが、とてもまことに気がかりで悲しく思っています」と、お目を拭いながら、お聞かせ申し上げあそばす。
 女御にも、やさしくして下さるようお頼み申し上げあそばす。けれども、母女御が他の人よりは優れて御寵愛が厚かったために、皆が競い合いなさったころ、お妃方の御仲も、あまりよろしくできなかったので、その影響で、「なるほど、今では特に憎いなどとは思わなくても、本当に心にかけてお世話しようとまではお思いでなかろう」と推し量られる。
 

《院のご様子を聞いて、東宮とその母の承香殿女御がお見舞いに行かれました。この女御には「格別のご寵愛というほどでもなかった」のですが、皇子の生母ということで、それなりに親密です。

 帝王学としてのお諭しもありますが、このお二方は、母女御が例の髭黒の大将の姉であって、その大将は、今や、太政大臣の娘婿であり、東宮妃は源氏の明石の姫君ですから、文句のない後見役がいろいろあるわけで、今後のことは何の心配もありません。

院の関心はもっぱら、出家のあとに残る四人の姫たちのこと、その内の三人については「後見する人のいる方は、そちらに任せてよい」と、それぞれ母方もしっかりしているようですが、残るあの女三の宮だけは、母が亡くなったあと、父院だけを頼りにしてきているので、ただ一人残ることになり、ひたすら気がかりです。

東宮に、ご即位の後はくれぐれもよろしくと頼みます。女御にも頼むのですが、こちらは、三の宮の母・藤壺が在世中、院の寵愛がそちらに傾いていて、この女御としてはおもしろくなかったということがあって、どうも当てにはできなさそうです。

地位の低い妃に帝の思いが篤いということは、父・桐壺帝にもあって、この物語のそもそもはそこから始まったわけですが、息子の院も同じような悩みを抱えたのです。そして実は、後半の物語は、この姫宮を巡って展開していくことになるのです。》

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