源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第三章 光る源氏の物語(二)

第五段 六条院行幸の饗宴

【現代語訳】

 主人の院が、菊を折らせなさって、「青海波」を舞った時のことをお思い出しになる。
「 色まさる籬の菊もをりをりに袖うちかけし秋を恋ふらし

(色濃くなった籬の菊も、折にふれて袖をうち掛けた昔の秋を思い出すことだろう)」
 太政大臣は、あの時は同じ舞をご一緒申してお舞いなさったのだが、自分も人には勝った身ではあるが、やはりこの院のご身分はこの上ないものであったという気持がなさる。 

時雨が、時知り顔に降る。
「 紫の雲のまがへる菊の花濁りなき世の星かとぞ見る

(紫の雲と見まがう菊の花のごときあなたこそ、濁りのないこの世において、古人の

言う『星』かと見えます)
 『時こそありけれ(一段とお栄えの時を)』」と申し上げなさる。

 夕風が吹き散らした紅葉の色とりどりの濃くまた薄い葉が、錦を敷いた渡殿の上と見違えるほどの庭の面に、容貌のかわいい童べの高貴な家の子供などが、青と赤の白橡に、蘇芳と葡萄染めの下襲など、いつもの装束で、例のみずらを結って額に天冠をつけただけの飾りを見せて、短い曲を少しずつ舞っては、紅葉の葉蔭に帰って行くところは、日が暮れるのも惜しいほどである。楽所など仰々しくはしない。

堂上での管弦の御遊が始まって、書司の御琴類をお召しになる。一座の興が盛り上がったころに、お三方の御前にみな御琴が届いた。「宇多の法師」の変わらぬ音色も、朱雀院は、実に久々にしみじみとお聞きあそばす。
「 秋をへて時雨ふりぬる里人もかかる紅葉のをりをこそ見ね

(幾たびの秋を経て、時雨と共に年老いた里人でも、このように美しい紅葉の時節を

見たことがない)」
 恨めしくお思いになったのであろうか、帝は、
「 世の常の紅葉とや見るいにしへのためしにひける庭の錦を

(世の常の紅葉と思って御覧になるのでしょうか、昔の先例に倣った今日の宴の紅葉

の錦ですのに)」
と、おとりなし申し上げあそばす。御器量は一段と御立派におなりになって、まるでそっくりにお見えあそばすところに、中納言が控えていらっしゃるが、また別々のお顔と見えないのには目を見張らされる。気品があって素晴らしい感じは、思いなしで優劣があるとしても、目の覚めるような美しい点は、こちらが加わっているように見える。
 笛を承ってお吹きになるのが、たいそう素晴らしい。唱歌の殿上人が御階に控えて歌っている中で、弁少将の声が優れている。やはり前世からの宿縁によって優れた方々がお揃いなのだと思われるご両家のようである。

 

《朱雀院がおられるので、源氏は「主人の院」と呼ばれます。彼もあの時と同じ秋、誇らしい饗宴を張ることのできたことを、自ら寿ぎます。「色まさる」を『集成』が「今日の行幸にひとしお色まさる」と注しています。すると、この歌は帝と院へのお礼と讃辞となっていることになります。

そしてあの時もそうであったように、今日も「時知り顔」に時雨が降りだして、いっそうその日をまざまざと思わせると同時に、またその今昔のはるけさを感じさせます。

太政大臣が応じて、源氏への祝意と賛辞を贈ります。

子供たちの舞があって、いよいよ興がのってきたころ、主賓の前に琴が揃えられました。「お三方の御前」は、実は原文はただ「御前」とあるだけですが、諸注、「帝、朱雀院、源氏の三人」としています。もう一人太政大臣もいるのですが、どうなのでしょう。

持ち出された琴の中に「宇多の法師」という和琴の名器があって、かねてこの大臣は和琴では源氏以上の腕前とされていました(常夏の巻第一章第四段)から、ここでは彼が奏でたのでしょうか。

その音色に心惹かれた朱雀院は、「こういう素晴らしい折りに、私は遇わないでしまった」と、愚痴とも聞こえる感慨を漏らします。『評釈』も言うように、この院は、以前、冷泉帝が院に行幸された時も、そういう歌を詠まれました(少女の巻第七章第一段1節)。この人はそういう人として設定されているのです。あの時は兵部卿宮が取りなしましたが、ここは帝がその役を果たしました。もうこの方も、こうした道にさえ一人前になられたのです。

最後は夕霧です。彼もまた、源氏の歴とした息子で、「目の覚めるような美しい点は、こちらが加わっているように見える」ほどの貴公子で、特異の笛を披露しました。

帝、朱雀院、太政大臣、夕霧と、源氏をとりまく主要な男性がそろい踏みで、珍しく女性の姿がありません。

こうして、優雅な賑わいを包み込んで夜が更けていき、波瀾万丈だった源氏の前半生が今やほしいままの栄華の内にフェイドアウトされていき、次からは、その後半生が始まるということになります。乞う、ご期待、と言っておくことにします。》


 ※ 明けましておめでとうございます。

 新しい年が、読者各位にとっていい歳でありますようにお祈りいたします。

  あわせて、かく言う私もそれにあやかりたいものと願う次第で、どうぞよろしく

お願いします。

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第四段 十月二十日過ぎ、六条院行幸

【現代語訳】

 神無月の二十日過ぎ頃に、六条院に行幸がある。紅葉の盛りできっと興趣あるにちがいない今回の行幸なのに、朱雀院にも御案内があって、院までがお越しあそばすので、実に珍しくめったにない盛儀なので、世間の人も心をときめかす。主人の六条院方でも、お心を尽くして、目映いばかりのご準備をあそばす。
 午前十時のころに行幸があって、まず馬場殿に左右の馬寮の御馬を牽き並べて、左右近衛府の官人が立ち並んだ儀式は、五月の節句と見まごうようにそっくりだった。

午後二時を過ぎたころ、南の寝殿にお移りあそばす。途中の反橋、渡殿には錦を敷き、よそから見通しになるような所には軟障を引き、厳めしくおしつらわせなさった。
 東の池に舟を幾隻か浮かべて、御厨子所の鵜飼の長と院の鵜飼を召し並べて、鵜を池にお下ろしになる。小さい鮒を幾匹もくわえた。特別に御覧に入れるのではないが、お通りすがりになる一興ほどとしてである。
 築山の紅葉は、どの町のも劣らず美しいが、西の御庭は格別に素晴らしいので、中の廊の壁を崩し、中門を開いて、霧がさえぎることなく御覧にお入れあそばす。
 御座を二つ整えて、主人の御座は下にあるのを、宣旨があってお改めさせなさるのも、素晴らしくお見えになったが、帝は、やはり規定があって、父子の礼を尽くしてお現し申し上げられないのを、残念にお思いあそばすのであった。
 池の魚を左少将が手に取り、蔵人所の鷹飼が北野で狩をして参った鳥の一番を右少将が捧げて、寝殿の東から御前に出て、御階の左右に跪いて奏上する。太政大臣がお言葉を賜り伝えて、料理して御膳に差し上げる。親王方や上達部たちの御馳走も、珍しい様子に、いつものと目先を変えて差し上げさせなさった。

皆お酔いになって、日が暮れかかるころに、楽所の人をお召しになる。特別の大がかりの舞楽ではなく、優雅に奏して、殿上の童が舞を御覧に入れる。朱雀院の紅葉の御賀が、例によって昔の事として自然と思い出されなさる。「賀皇恩」という楽を奏する時に、太政大臣の令息の十歳ほどになる方が、実に上手に舞う。今上の帝が、御召物を脱いで御下賜なさる。太政大臣が、下りて拝舞なさる。



《ここで突然、冷泉帝と朱雀院が揃って六条院を紅葉見物にご訪問になるという、大変な催しが語り始められます。帝としては、実は父である源氏への敬意を表すという意味を持った催して、院を誘うことで、それに花を添えることになるということなのでしょう。

帝の行幸は、史実としては、「道長や頼通がしばしば自邸に行幸を仰いだ」(『評釈』)ことがあったようで、源氏は準太上天皇となったのですから、「道長や頼通」の邸へというよりも行きやすいのでしょうが、二代の帝が一緒にというのはどうなのでしょうか。

さすがに源氏も「お心を尽くして、目映いばかりのご準備をあそばす」のでした。

さて、当日、一行は「まず、馬場殿に」とありますから、東の邸、花散里の邸から院内に入りました。

以下『評釈』が、おもしろく「実況」してみせて、終わりに源氏の演出を詳細に解説しています。

メインは紅葉見物なのですが、まず競べ馬を御覧に入れます。「適度の緊張感とスピード感のある競馬は、若い帝を十分喜ばせるだろう」。そして「目もあやな南の御殿にご案内する」、その途中には「特別に御覧に入れるのではないが」、つまりただの点景として鵜飼の舟を浮かべておく、また、紅葉はさすがに西の邸が最も素晴らしいので、それがよく見えるように、この日だけのためでしょうが、南と西の邸の境の廊の壁を取り払って、南の邸から広大な一つの庭となって見通せるようにした、と言います。

そして宴となりますが、料理は山海の珍味、それも肉も魚も取れたてばかり…。

夕暮れて来て、座が、歌に舞にと賑やかになると、折も同じ秋のことで、皆が若かった頃の(冷泉帝はまだおられなかったのですが、語り種として十分聞かされていることでしょう)最も輝かしい思い出、もう二十年前になる、あの紅葉の賀の時を思い出します。あの時の源氏の舞と比べるべくもありませんが、それでも、太政大臣の令息がかわいらしく舞いを舞って、興を添えます。》



 ※ 大変おめでたい話の途中で、今日、年の瀬を迎えました。
   実はあと一回でこの巻が終わるので、そこで区切りとなると、すっきりしたのですが、そ
  こはまあ、「去年今年貫く棒のごときもの」(虚子)という気持で、明日またお
目に掛かり
  ます。

   どうぞ、よい年をお迎え下さい。

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第三段 内大臣、三条殿を訪問

【現代語訳】

 昔大宮がお住まいだったご様子ともたいして変わるところなく、あちらこちらも落ち着いてお住まいになっている様子が、若々しく明るいのを御覧になるにつけても、大変感慨無量でいらっしゃる。

中納言も改まった表情で、顔が少し赤くなって、いつも以上にしんみりとしていらっしゃる。
 申し分のない初々しいご夫婦仲であるが、女君は、他にこのような器量の人もいないこともなかろうとお見えになる。男君はこの上なく美しくいらっしゃる。古女房たちが御前で所得顔に、昔のことなどをお話し申し上げる。さきほどのお二人の歌が、散らかっているのをお見つけになって、ふと涙ぐみなさる。
「この清水の気持ちを尋ねてみたいが、老人は遠慮して」とおっしゃる。
「 そのかみの老木はむべも朽ちぬらむ植ゑし小松も苔生ひにけり

(その昔の老木はなるほど朽ちてしまうのも当然だろう、植えた小松にも苔が生えた

ほどだから)」
 男君の宰相の御乳母は、冷たかったお仕打ちを忘れなかったので、得意顔に、
「 いづれをも蔭とぞ頼む二葉より根ざしかはせる松のすゑずゑ

(どちら様をも蔭と頼みにしております、二葉の時から互いに仲好く大きくおなりに

なった二本の松でいらっしゃいますから)」
 老女房たちもこのような話題ばかりを歌に詠むのを、中納言はおもしろいとお思いになる。女君は、わけもなく顔が赤くなって、聞き苦しく思っていらっしゃる。

 

《部屋に入って、新・太政大臣は、昔、母・大宮がお住まいの頃と同じように落ち着いた様子でありながら、やはり若者の居所らしく「若々しく明るい」様子を見ると、我、人、共に大きく時代が巡ったことを感じます。それと共に、「公務にかまけて、病床にある大宮をやさしく見舞うことも、稀であった」(『評釈』)ことも悔しく思い出され、深い感慨を抱くのでした。

夕霧も、先ほど詠み交わした歌の思いから、涙のあとを残して舅を迎えます。

いい場面になるはずなのですが、ここでも、雲居の雁の容貌が、せいぜい十人並み程度であることにさらりと触れて、それと対照的に夕霧の素晴らしさを語ります。この時は姫もこの上なく美しく見えた、と言っても、何の不思議もないところですが、どこまでもクールに源氏方が優れていることにこだわる作者です。

そこに先ほどの二人の歌の紙片がありました。紙に書いて、お互いに見せ合ったもののようです。大臣はそれを見つけて応じますが、年寄りが昔のことを言い出すことは控えて、そこから一転してめでたく二人の新生活が始まったことを寿ぐ歌にしました。

夕霧の乳母は、「冷たかったお仕打ちを忘れなかったので」、あなたはあのように厳しく反対なさったのですが、私はこのお二人が幼い時から深いご縁のあったことはよく承知していて、ずっとお頼りしていたのですよ、と少々当てつけ気味に、戯れます。夕霧は内心よく言ったと思うのですが、姫の方は、そんなことをまた今改めてばらさなくても、と羞じらっています。これもまた、美しい、幸せな親子・主従の光景です。》


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第二段 夕霧夫妻、三条殿に移る

【現代語訳】

 内大臣は太政大臣にご昇進になって、宰相中将は中納言におなりになった。そのお礼言上にお出かけになる。輝きがますますお加わりになったご容姿をはじめとして、足らぬところのない様子を、主人の大臣も、「なまじ人に圧倒されるような宮仕えよりはましであった」とお考え直しになる。
 女君の大輔の乳母が「
初婚の相手が六位との御縁では」と、ぶつぶつ言った夜のことを何かの機会ごとにお思い出しになったので、菊のたいそう美しくて色変りしているのをお与えになって、
「 浅緑若葉の菊を露にても濃き紫の色とかけきや

(浅緑色をした若葉の菊を、濃い紫の花が咲こうとは夢にも思わなかっただろう)
 辛かったあの時の一言が忘れられない」と、たいそう美しくほほ笑んでお与えになった。恥ずかしく、お気の毒なことをしたと思う一方で、いとしくもお思い申し上げる。
「 二葉より名たたる園の菊なれば浅き色わく露もなかりき

(二葉の時から名のある園に育つ菊ですから、浅緑で差別する者など誰もございませ

んでした)
 どんなふうにお気を悪くお思いになったのでしょうか」と、いかにも物馴れた様子に言い訳をする。

 ご威勢が増して、このようなお住まいでは手狭なので、三条殿にお移りになった。少し荒れていたのをたいそう立派に修理して、大宮がいらっしゃったお部屋を修繕してお住まいになる。昔が思い出されて、懐しく心にかなったお部屋である。前栽など、小さい木であったのが、たいそう大きな木蔭を作り、一叢薄ものび放題になっていたのを、手入れさせなさる。遣水の水草も取り払って、とても気持ちよさそうに流れている。
 美しい夕暮れ時をお二人で眺めなさって、情けなかった昔の子供時代のお話などをなさると、恋しいことも多く、女房たちが何と思っていたかも恥ずかしく、女君はお思い出しになる。古い女房たちで、退出せずにそれぞれの曹司にいた人たちなどが参集して、実に嬉しく互いに思い合っていた。

男君、
「 なれこそは岩もるあるじ見し人のゆくへは知るや宿の真清水

(お前こそこの家の主人だ、亡き人の行方は知っているか、邸の真清水よ)」
 女君、
「 なき人のかげだに見えずつれなくて心をやれるいさらゐの水

(亡き人の姿さえ映さず知らない顔で心地よげに流れている浅い清水であること)」
などとおっしゃっているところに、太政大臣が、宮中からご退出なさった途中、紅葉のみごとな色に驚かされてお越しになった。

 

《舅の内大臣が源氏のあとを受けて太政大臣に、そして夕霧は念願の中納言に昇進しました(梅枝の巻第三章第一段)。その姿は、舅も、娘の雲居の雁を、なまじ気を使う女御に上がらせるよりも、この人に嫁がせてかえってよかったと、ほれぼれするくらいです。

夕霧は、かの大輔の乳母に、どうだとばかりに歌を送ります。作者は、あの女君の大輔の乳母のつぶやき(少女の巻第五章第五段)が忘れられないようです。

しかし決して恨めしげにではなく、微笑みとともにのからかいであるところが、この人の人柄です。そうはいっても大輔はもう少し恐縮してもよさそうなものですが、姫の第一の側近であり、古くから母代わりの保護者であるという立場からでしょうか、思いのほか上から目線で、「いとしくもお思い申し上げる」と、こちらもいくらか余裕の態度です。いい関係になっていると言っていいのでしょう。

住まいを三条殿の、幼い頃大宮と三人一緒に過ごした(少女の巻第三章第二段)、懐かしい大宮の屋敷に移しました。

すでに十分語れていた夕霧の新婚生活を、ここで再び取り上げます。

大宮の死後、少し荒れていた屋敷や庭を十分手入れして、当時の女房たちも集めて、この屋敷の主人として新た思いで夕暮れの庭を眺める二人に、長かった年月をふり返るだけでも、感慨はひとしおのものがあります。

そこに、新居の紅葉に心引かれた新・太政大臣が、勤め帰りにふらりと様子を見に訪ねてきました。》


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第一段 源氏、秋に准太上天皇の待遇を得る

【現代語訳】

大臣も、しきりに長くはないという気がなさるこの世に存命中にとお思いであったご入内を立派な地位にお付け申し上げなさって、本人が求めてのことであるが、身の上が落ち着かず、体裁の悪かった宰相の君も、心配もなく安心した結婚生活に落ち着きなさったので、すっかりご安心なさって、今はかねての本意を遂げようと、お思いになる。
 対の上のご様子の見捨て難いのにつけても、「中宮がいらっしゃるので、並々ならぬお味方である。この姫君におかれても、表向きの親としては、真っ先にきっとお思い申し上げなさるだろうから、いくら何でも大丈夫」と、お任せになるのであった。
 夏の御方が、何かにつけて華やかになりそうもないのも、「宰相がいらっしゃるので」と、皆それぞれに心配はなくお考えになって行く。
 明年四十歳におなりになる御賀のことを、朝廷をお始め申して、大変な世を挙げてのご準備である。
 その年の秋、太上天皇に準じる御待遇をお受けになって、御封が増加し、年官や年爵など全部お加わりになる。そうでなくても、世の中でご希望通りにならないことはないのが、やはりめったになかった昔の例を踏襲して、院司たちが任命され、格段に威儀厳めしくおなりになったので、宮中に参内なさることが難しいだろうことを、一方では残念にお思いであった。
 それでも、なおも物足りなく帝はお思いあそばして、世間に遠慮して皇位をお譲り申し上げられないことが、朝夕のお嘆きの種であった。


《明石の姫君の入内という大事を終えると、子供たちのことが全て思い通りに片付き、秋を迎えます。わが家の夫人方の今後も安心とあって、その季節の到来が思わせるのでしょうか、あとの願いは来世の幸福、またしても出家のことを考えます。

若い頃にも幾度か考えたことがあった(賢木の巻第四章第一段、絵合の巻第四章第二段など)のですが、あの頃はまだしがらみがあって果たせないままでしたが、ここは、この源氏の思いにも説得力があって、案外本当にそうなるのか、とも思わせます。

子供たちはもちろん、六条院の夫人たちもそれぞれに支える人があって、後顧の憂え無し、といったところです。書き出しが「大臣も」とありますが、前段の「理想的に睦まじくなって行く」の内容を受けていると思われ、出家も「理想的」な状態の一つと考えられていたことを覗わせます。

 しかし実際には、この世での栄耀がさらに続いていって、四十の賀を迎えて「朝廷をおはじめ申して、大変な世を挙げてのご準備」といった騒ぎ、加えてその前に、「太上天皇に準じる御待遇」も受けることになって、その地位は確固不動のものとなります。

「太上天皇」は「上皇待遇で、『院』と呼ばれる」(『評釈』)もので、ここで、「桐壺の巻の高麗人の相人の予言(帝でもなければ臣下でもない人になるだろう・桐壺の巻第三章第三段)と首尾相応ずる」(『集成』)ことになりました。物語の大きな区切りが近づいているようです。

太上天皇になったのはいいのですが、そうなると、それなりの威儀を正さねばならず、進退が窮屈になって、宮中に赴いて息子(秘密の、ですが)の顔を見ることがままならなくなってしまいました。ありがた迷惑といったところですが、それも当の帝の切なるおもんばかりとあれば、この上ない幸福と思わなければならず、贅沢な悩みです。》


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