源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第二章 光る源氏の物語(一)

第四段 紫の上、明石御方と対面する

【現代語訳】

 三日間を過ごして、紫の上はご退出になる。入れ替わって参内なさる夜、ご対面がある。
「このように大きくなられた節目に、長い歳月のほどが存じられますので、よそよそしい心の隔ては残らないことでしょうね」と親しくおっしゃって、お話などなさる。このことも打ち解けた初めのようである。お話などする態度に、なるほどもっともだと、目を見張る思いで御覧になる。
 また、実に気品高く女盛りでいらっしゃるご様子を、こちらも素晴らしいと認めて、「大勢の御方々の中でも優れたご寵愛で、並ぶ方がいない地位を占めていらっしゃったのを、まことにもっともなことだ」と理解されるにつけて、

「こんなにまで出世し、肩をお並べ申すことができた前世の約束は、並大抵のものでない」と思う一方で、ご退出になる儀式が実に格別に盛大で、御輦車などを許されなさって、女御のご様子と異ならないのを思い比べると、やはり肩を並べると言っても段違いであることだ。
 とてもかわいらしく、お人形のような姫君のご様子を、夢のような心地で拝見するにつけても、涙がただもう止まらないのは、同じ涙とは思われないのであった。長年何かにつけ悲しみに沈んで、何もかも辛い運命だと悲観していた寿命も更に延ばしたく、気も晴れやかになったにつけても、本当に住吉の神お力も並大抵ではないと思わずにいられない。
 思い通りにお育て申し上げてあって、行き届かないことのまったくない利発さなので、周囲の人々の人気や評判をはじめとして、並々ならぬご容姿ご器量なので、東宮も、お若い心で、たいそう格別にお思い申し上げていらっしゃる。
 競っていらっしゃる御方々の女房などは、この母君がこうして伺候していらっしゃるのを、欠点に言ったりなどするが、それに負けるはずがない。堂々として並ぶ者がないことは言うまでもなく、奥ゆかしく上品なご様子を、ちょっとしたことにつけても理想的に引き立ててお上げになるので、殿上人なども珍しい風流の才を競う所としていて、それぞれに伺候する女房たちも、心寄せている女房の心構え態度までが、実に立派に整えていらっしゃる。
 紫の上もしかるべき機会には参内なさる。お二方の仲は理想的に睦まじくなって行くが、そうかといって出過ぎたり馴れ馴れしくならず、また軽く見られるような態度は言うまでもなくまったくなく、不思議なほど理想的な態度、心構えである。



《入内から三日間は紫の上が付き添い、そしてその後は明石の御方です。入れ替わりの時に、二人は初めて対面したのでした。

「このように大きくなられた節目に…」には、諸説あるようです。

紫の上が三歳の姫を預かってから八年が過ぎ、その間御方は姫を見ていなかったのでした。上は、これまでずっと御方から恨まれていたのではないかという心配があります。そこで、あなたは実の母でいらっしゃるが、私もこのように長く母としての務めを果たしてきたので、同じように母として認めていただけるのではないか、そうであれば、母同士として、御方のわだかまりも溶いてもらえたのではないか、と言っているのではないかと思いますが、どうでしょうか。

言いながら向き合ってみると、御方の様子は、源氏が出自が卑しいにもかかわらずこれほど大切にするのも「なるほどもっともだ」と思われる立派さでした。「今までの紫の上はその待遇を、ルールに反した源氏の異常な愛と見て、…気に障るものと思っていた(玉鬘の巻第四章第五段など)…(けれども)これからは違う」(『評釈』)のです。
 一方、御方の方も、紫の上の非の打ち所のない様子に感嘆します彼女は、そういう方と肩を並べることになった自分を、密かに誇らしく思うのですが、一方で、決して本当に対等でないことは、「五退出になる儀式が実に盛大で、御輦車などを許されなさって」一目瞭然、そのことを御方はきちんと受け入れます。こういう、一歩下がった所にいながら、決して卑屈にならず、もちろん思い上がりもしないで、その微妙な立場を品好くこなして行くことができるというところが、この人の素晴らしさです。

 こうしてこれまで全く日陰の存在であった御方が、一躍表舞台に登場することになって、六条院はあまねく日の差す世界となりました。
 さて、それからの御方の世話役ぶりは、これまで秘められていた彼女の本領発揮で、周囲の人の予想を越えて見事なものでした。姫のまわり、女房たちのまわりには、殿上人たちが「風流の才を競う所」として、引きも切りません。しかも折々は紫の上がやって来て、親しく言葉を交わすのですから、姫君にも御方にも箔の付くことこの上ありません。
 ここもまた、万々歳の中に一件落着です。》



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第三段 四月二十日過ぎ、明石姫君、東宮に入内

【現代語訳】

 こうして、御入内には北の方がお付き添いになるものだが、「いつまでも長々とお付き添い申していらっしゃることはできまい。このような機会に、あのお世話役を付けようか」とお考えになる。紫の上も、

「結局は一緒にならずにはいないことなのに、このように離れて過ごしておられるのを、あの方もひどいと思い嘆いておられることだろう。姫君のお気持としても、今ではだんだんと恋しく、つらくお感じになっていらっしゃるだろう。それぞれからおもしろくなく思われ申すのも、つまらないことだ」とお思いになって、
「この機会にお付き添わせ申しなさいませ。まだとてもか弱い年頃でいらっしゃるのも気がかりなのに、お仕えする女房たちといっても、若い人ばかり多いのです。御乳母たちなども、気をつける限度がありますが、私自身は、いつもお側についておられませんような時、安心できますように」と申し上げなさると、よくお気が付いたとお思いになって、「これこれで」と、あちらにもご相談になったので、明石の御方は、まことに嬉しく願っていたことがすっかり叶った心地がして、女房の着る装束その他のことまで、高貴な方のご様子に劣らないほどに準備し出す。
 尼君は、やはりこの姫君のご将来を拝見したいお気持ちが深いのであった。「もう一度拝見する時があろうか」と、生きることに執念を燃やして祈っているのであったが、「どうしてお目にかかれようか」と、思うにつけても悲しい。
 当日の夜は紫の上が付き添って参内なさるが、御方は、輦車にも一段下がって歩いて行くなど、体裁の悪いことだが、自分は構わないとしても、ただこのように大事に磨き申し上げなさった姫君の玉の瑕となって、自分がこのように長生きをしているのを、一方ではひどく心苦しく思う。
 御入内の儀式は、「世間の人を驚かすようなことはすまい」とご遠慮なさるが、自然と普通のありさまではないことだった。この上もなく大事にお世話申し上げなさって、紫の上は、本当にしみじみとかわいいとお思い申し上げになるにつけても、人に譲りたくなく、「本当にこのような子があったらいいのに」とお思いになる。大臣も宰相の君も、ただこのこと一点だけを、「物足りないことよ」と、お思いなのであった。

 

《今さら言うまでもありませんが、当時の貴族としては、娘が入内することが権力の確立を保証する最大の証しであるわけです。源氏としては、現在の冷泉帝には秋好の中宮があり、そして今度東宮に明石の姫君が入内とあれば、二代に渡って、いわゆる外戚としてその地位を保つことになりますから、このことは彼の晩年の立場を保証する、言わば締めくくりの夢が叶うことになります。

 さて、その姫の入内に当たって、源氏はその後見役に、これまで世話をしてきた紫の上に替わって、実母の明石の御方を充てようと考えました。

 読者としても、あれほど多くの巻々で大きな役割を担ってきた御方がこのまま冬の邸で埋もれてしまうのでは、ちょっと承伏できないところです。

 しかし、紫の上に世話役として不足などあるはずもありませんから、問題はどういう事情を作り出すか、にあります。それを源氏の思いにきびすを接するように、彼女は自分から言い出します。

彼女は、実の母子とあれば、宿縁でもって「結局は一緒になる」ことになるだろう、それに明石の御方も私のことを恨む気持もあろうし、姫も実の母に会いたかろう、その二人から恨まれるのは本意ではない、それなら大きな区切りになるこの時をいい機会として自分は身を引こう、と考えたのです。彼女は、大きな寂しさを我慢することさえできれば、今姫を手放すことによって失うものは何もありません。むしろここまで見事に他人の娘を育ておおせたという名誉が、そのまま確定することになります。それが自分に与えられた役割だと考えます。

そういうことが、何かを意図してではなく、身についた素直な思いやりと潔さからの振る舞いと感じられて、さればこそ、六条院を仕切ってこられた人だという気がします。

こういう万事がめでたい中で、尼君(姫の祖母)ひとりは、もちろんめでたいことを喜びながらも、しかし姫がますます自分から離れていくことを悲しまずにはいられません。そういう悲しみを作者は忘れないで点描します。

入内の夜の付き添いは、まだ明石の御方ではなく、源氏の正室(とみなされている人)が務めることで、姫のゆるぎない立場を示します。

一方、御方は、「輦車にも一段下がって歩いて行くなど」、紫の上にあたかも侍女のように従います。あのプライドの高かった(例えば松風の巻頭)彼女を知っている読者としては、必要とあれば、人目にさらされながら安んじてこういうことができるようになった彼女の心の許容性に、大きな成長を感じます。ひたすら待たされている間に、諦観とは違うある寛容な認識を身につけてきていた、ということでしょう。いぶし銀的な人柄が、その光を放ち始めた場面と言えましょうか。》


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第二段 柏木や夕霧たちの雄姿

【現代語訳】

 近衛府の使者は、頭中将であった。あの内大臣邸で出立する所から人々は参上なさったのであった。藤典侍も使者であった。格別に評判がよくて、帝や春宮を初めとし申しあげて、六条院などからも御祝の品々の数々が置き所もないほどで、ご贔屓ぶりは実に素晴らしい。
 宰相中将は、出立の所にまでお手紙をお遣わしになった。人目を忍んで恋し合うお間柄なので、このようにれっきとしたお方と結婚がお決まりになったのを、心穏やかならず思っているのであった。
「 何とかや今日はかざしよかつ見つつおぼめくまでもなりにけるかな

(何と言ったかな、今日のこの插頭(葵・逢う日)は、目の前に見ていながら思い出

せなくなるまでになってしまったことよ)
 あきれたことだ」とあるのを、機会をお見逃しにならなかったことだけは、どう思ったことやら、たいそう忙しく、車に乗る時であるが、
「 かざしてもかつたどらるる草の名は桂を折りし人や知るらむ

(頭に插頭してもなおはっきりと思い出せない草の名は、葵と一緒に插頭にする桂を

折られた(進士に及第した)あなたはご存知でしょうに)
 博士でなくては」と申し上げた。つまらない歌であるが、悔しい返歌だとお思いになる。やはり、この典侍を、忘れられずこっそりお会いなさるのであろう。

 

《賀茂の祭の宮中方の使者は、頭中将でした。「当日、知人は勅使の出立所に挨拶に行くのが作法」(『集成』)だったそうで、「人々」(上達部)は、まずそこに出向いて、それから「源氏の桟敷に参上」(同)したのでした。

ところで、勅使の一行の一人に藤典侍が加わっていました。これは、「惟光の娘。五節の舞姫に出、典侍に任ぜられた。夕霧の愛人」(同)という人です(少女の巻第六章第四段)。

五節の舞姫になって夕霧に見そめられて以来、雲居の雁との仲を隔てられた夕霧を、これまでずっと慰めてきていたということなのでしょう。この人の消息も、読者に語っておかねばならないという、作者の責任感でしょうか、夕霧は、忙しい中を縫って、挨拶の便りをします。

賀茂の祭には葵を髪に差します。夕霧の歌は、その「あふひ」(逢う日)の名が思い出せない、いつ逢ったか思い出せないほど逢わないままに日数を経てしまった、と心を残していることを伝えるものです。

典侍は、その名は、「桂を折られたあなた」(学問のあるあなた)ならご存じでしょうに(逢えなくなったのは、あなたのせいではありませんか)、と切りかえします。

夕霧は、うまく切りかえされたと悔しく思いながら、さすがにと感心し、作者は今後の夕霧の愛情を保証します。

こちらもまた、めでたしめでたしです。》


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第一段 紫の上、賀茂の御阿礼に参詣

【現代語訳】

 こうして、六条院の御入内の儀は、四月二十日過ぎのころであった。

対の上が賀茂の御阿礼に参詣なさるということで、例によって御方々をお誘い申し上げになったが、なまじ、そのように後に付いて行ってはおもしろくないとお思いになってどなたもお残りになって、仰々しいほどでなく、お車二十台ほどで、御前駆などもごたごたするほどの人数でなく、簡略になさったのが、かえって素晴らしい。
 祭の日の早朝に参詣なさって、帰りには御見物なさるお桟敷席におつきになる。御方々の女房たちは、それぞれの車を後から連ねて御前に車を止めているのは、堂々として、「あれはあの人だ」と、遠くから見ても大変なご威勢である。
 大臣は、中宮の御母御息所が、お車の榻を押し折られなさった時のことをお思い出しになって、
「権勢を頼んで心奢りしてあのようなことを起こすのは、心ないことだった。まったく無視していた方も、その恨みを受けた形で亡くなってしまった」と、そこの頃のことは言葉をお濁しになって、
「後に残った人で、中将はこのような臣下としてやっと立身した程度だ。宮は並ぶ者のいない地位にいらっしゃるのも、考えてみれば、まことに感慨深い。何もかもひどく定めない世の中なので、どのようなことも思い通りに生きている間の世を過ごしたく思うが、後にお残りになる晩年などが、言いようもない衰えなどまでが、心配されるものですから」と、親しくお話しなさって、上達部などもお桟敷に参集なさったので、そちらにお出ましになった。

 

《さて、夕霧のことが片付き、いよいよ明石の姫君の入内の運びとなりますが、その前に、若者たちが華やぎの前座を務めます。

四月の、中の申の日と言いますから、およそ中旬の頃、賀茂の祭の一連の祭事の中の「御阿礼の日」と呼ばれる日があって、例によって勅使が遣わされるのを、見物の人々が出たもののようです。

その日紫の上は、勅使の来る前に参拝をすませて、その後見物の席に着きます。

参拝に当たって、六条院の御方々を誘いましたが、「なまじ、そのように後に付いて行ってはおもしろくない(原文・心やましき)とお思いになって、どなたもお残りに」なりました。そう聞くと、紫の上の信望が薄いのではないかという気がしますが、『評釈』が「こういう時は辞退するのが賢明。都大路に、紫の上を六条の院の女王として、源氏のそばにただ一人並べることになるのを承知しての判断」と言います。

なるほどそういうことであれば話は通りますが、それにしては続く描写がそういう視点からではなくて、ただ「簡略になさったのが、かえって素晴らしい」とだけあるのは、ちょっと気になります。

中宮がついて行くなどということはもともとないでしょうから、行くとすれば、花散里と明石の上、実は、どうも二人ともそういう所には好んでは出かけそうにない、控えめな人のようですし、格が違いすぎて花を添えるといった感じでもないような気がするのを、「心やまし」と言ったのではないでしょうか。『評釈』の言う「賢明」も、あるいはそのことを言っているのでしょうか。若菜上の巻での展開をすでに知っている読者には、このことは、うららかな春の日に思いがけずほの見えた遠い翳りのような感じを抱かせます。

さて、紫の上が見物の席に着く頃、その御方々もやってきて、賑々しく車を並べます。その光景は源氏に、十七年前の同じ賀茂の祭で起こった葵の上と六条御息所の車争い(葵の巻第一章第二段)を思い出させました。

彼は、その加害者側となった葵の上の息子がやっと一人前になったところであり、あの時被害者として悲哀にうちひしがれた御息所の姫が、今や中宮として時めいていることに、「何もかもひどく定めない世の中」と感慨を抱くのでした。

私たちから見ると、二人の今の境遇は、ひとえに源氏がそのようにしようとしてきたこの結果であって、世の無常から発したことではないように思われます。しかし、源氏がそのようにしようと考えたこと自体が、「世の無常」という絶対的摂理の働きによるのだという気もします。

ともあれ、今の六条院には、源氏がそういう感慨を抱いても、何の不安も感じないで済むほどに、あの車争いなどというようなことは一切起こる気遣いのない、紫の上を頂点とする絶対的な、また極めて平穏で安定的な秩序が保たれていると、作者は言っているわけです。》


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