源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第一章 夕霧の物語

第八段 夕霧と雲居雁の固い夫婦仲

【現代語訳】
 灌仏会の誕生仏をお連れ申して来て、御導師が遅く参上したので、日が暮れてから、六条院の御方々から女童たちを使者に立てて、お布施など宮中の儀式と違わず思い思いになさった。御前での作法を真似て、公達なども参集して、かえって格式ばった御前での儀式よりも妙に気がつかわれて、気後れしがちである。
 宰相は、心落ち着かず、ますますめかし込み衣服を整えてお出かけになるのを、特別にではないがお情けをおかけの若い女房などは、恨めしいと思っている者もいるのであった。長年の積もる思いも加わって、理想的なご夫婦仲のようなので、水も漏れまい。
 主人の内大臣は、触れ合うにつれてますます美しいのを、かわいいい者とお思いになって、たいそう大切にお世話申し上げなさる。負けたことの悔しさはやはりお持ちだが、わだかまりも残りそうになく、誠実なご性格などで、長年浮気沙汰などもなくてお過ごしになったのを、めったにないことだとお認めになる。
 弘徽殿女御のご様子などよりも、派手で立派で理想的だったので、北の方や仕えている女房などは、おもしろからず思ったり言ったりする者もいるが、何の構うことがあろうか。按察使大納言の北の方なども、このように結婚が決まって、嬉しくお思い申し上げていらっしゃるのであった。


《灌仏会は四月八日の花祭り、夕霧にとっては結婚二日目です。

六条院では、宮中と同じように賑々しくその催しがなされます。宮中のそれは昼に行われるのですが、その時刻に同じようにするわけにはいきませんから、ずらせて「日が暮れてから」行われました。たくさんの人が儀式張った宮中からも流れてきて、参列します。

こちらは私的催しですから気軽なはずなのですが、そこは六条院、儀式に平服でお越しくださいと言われ方が困るのと同じで、かえってこちらの方が人々の趣味品格が品定めされることになるので、人々は「妙に気がつかわれて、気後れしがち」なのでした。「六条院とは、そんな雰囲気を持つ御殿なのである」と『評釈』が、どこか得意げに言います。

そういう人々の中で、夕霧だけはまったく別の思いでいるのでした。彼は、さすがにわが家ですから、そんな気遣いはないばかりか、気持はひたすら内大臣家に向いています。

催しが終わると、彼は待っていたとばかりにいそいそと出かけていきます。触れあいのあった侍女もいたようですが、もうそういう女には目もくれず、さっきよりもさらにおめかしをして。

一方迎える内大臣は、積年の思いが晴れて、掌を返した喜びようです。長女の女御よりも立派に扱われる(ちょっと不思議な比較で、落ち着かない気がしますが)ので、奥方が腹を立てるほどなのでしたが、「何の構うことがあろうか」と作者も応援します。

雲居の雁の実の母は、遠くでその話を聞いて、ほっと胸を撫でています。

内大臣のこうした歓迎も、日が経つにつれて普通に帰っていくでしょうから、気にするほどのことではありません。六年来の大きな懸案は、こうしてめでたく落着したのでした。


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第七段 後朝の文を贈る

【現代語訳】
 お手紙は、今まで同様目立たぬように配慮して届けられたのを、かえって今日はお返事をお書き申し上げることがおできにならないのを、口の悪い女房たちが目引き袖引きしているところに、内大臣がお越しになって御覧になるのは、本当に困ってしまう。
「打ち解けて下さらなかったご様子に、ますます思い知られるわが身の程です。耐えがたいつらさに、またも死んでしまいそうだが、

とがむなよ忍びにしぼる手もたゆみ今日あらはるる袖のしづくを

(お咎め下さるな、人目を忍んで絞る手も力なく今日は人目にもつきそうな袖の涙の

雫を)」
 などと、たいそう馴れ馴れしい詠みぶりである。微笑んで、
「筆跡もたいそう上手になられたものだなあ」などとおっしゃるのも、昔の恨みはない。
 お返事が、直ぐには出来かねているので、「みっともないぞ」とおっしゃって、それにしてもご躊躇なっているのももっともなことなので、あちらへお行きになった。
 お使いの者への禄は、並大抵でなくお与えになる。頭中将が風情のある様にお持てなしなさる。いつも手紙を隠して隠れるように来ていたお使いが、今日は表情など、人かどに振る舞っているようである。右近将監である人で、親しくお使いになっている者であった。

 六条の大臣も、これこれとお聞き知りになったのであった。宰相中将がいつもより美しさが増して参上なさったので、じっと御覧になって、
「今朝はどうした。手紙など差し上げたか。賢明な人でも、女のことでは失敗する話もあるが、見苦しく思いつめたりじれたりせずに過ごされたのは、少し人より優れたお人柄だと思ったことだ。
 内大臣のご方針があまりにもかたくなで、それがすっかり折れてしまわれたのを世間の人も噂するだろうよ。だからといって、自分の方が偉い顔をしていい気になって、浮気心などをお出しなさるな。
 あのようにおおらかで寛大な性格と見えるが、内心は男らしくなくねじけていて、付き合いにくいところがおありの方だ」などと、例によってご教訓申し上げなさる。釣り合いもよく、恰好のご夫婦だ、とお思いになる。
 ご子息とも見えず、少しばかり年長程度にお見えである。別々に見ると同じ顔を写し取ったように似て見えるが、御前ではそれぞれにああ素晴らしいとお見えでいらっしゃった。
 大臣は、薄縹色の御直衣に、白い御袿の唐風の織りが紋様のくっきりと浮き出て艶やかに透けて見えるのをお召しになって、依然としてこの上なく上品で優美でいらっしゃる。
 宰相殿は、少し色の濃い縹色の御直衣に、丁子染めで焦げ茶色になるまで染めた袿と、白い綾の柔らかいのを着ていらっしゃるのは、格別に優雅にお見えになる。

 

《夕霧から後朝の便りが届きますが、「今まで同様目立たぬように配慮して」というのが、いかにも夕霧流と言いますか、外に向かっては何食わぬ顔で、というところで、彼の若者らしい気負いを感じさせます。

一方雲居の雁の方は、これまではすぐにも返していた返事が、「かえって今日は」書けません。「公認された今日、…かえって恥ずかしくて返事が書けない」(『評釈』」)という、なかなか微妙なところですが、よく分かる気持です。彼女は、夕霧以上にまっすぐに純情であるようです。

その様子を見て、口さがない女房たちが気を揉んでひそひそとささやき合っていました。

雲居の雁にはそれもまたプレッシャーになりますが、おまけにそこに父親がやって来て、手紙をのぞき込みます。

夕霧の歌は、「今までこそ忍んできたが、許された今は、もう堂々と愛しますよ。恨む場合も、人目かまわず泣きます」(『評釈』)という「たいそう馴れ馴れしい詠みぶり」のものでしたから、姫は「本当に困ってしまう」のでした。

そういう姫を見ながら、内大臣は一件落着と大満悦で、姫が困っているのも分かるので、早く返事を、と一言言い置いて帰っていきました。そして手紙の使者には、返事を待たせている間に、兄の頭中将から大変な禄と馳走が振る舞われます。

一方こちらは六条院です。源氏が夕霧のことの仔細を聞いて、首尾やいかに待っているところに、夕霧が朝の挨拶に参上します。

その晴れやかな表情は、いつもの美しさの比ではありません。「今朝はどうした」は、それに対しての源氏の感嘆でしょう。

源氏は、まずこれまで見事に待ちおおせたことを褒めて、そして父親らしく教訓を垂れます。しかしどうもこういう教訓は、彼が語ると読者には滑稽で、あなたがそれを言ってどうする、という気持を禁じえません。

作者はその後、二人の衣裳がいかにその場に合っているかということなのでしょう、その見事さを(ということは二人自身の見事さですが)、自分でも感嘆の溜息をつきながらのように、縷々語っていきます。》


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第六段 夕霧、雲居雁の部屋を訪う~その2

【現代語訳】2

 男君は、夢かという気がなさるにつけても、自分の身がますます立派に思われなさったことであろう。女君はとても恥ずかしいと思っていらっしゃるが、大人になったご様子は、ますます不足なところもなく素晴らしい。
「『世のためし』となってしまいそう(恋しさに死んでしまいそう)だった身の上を、私の心がけをもって、ここまでお許しになったのでしょう。私の気持ちをお分りになって下さらないとは、変なことですね」と、お恨み申し上げなさる。
「少将が進んで謡い出した『葦垣』の心は、お分りでしたか。ひどい人ですね。『河口の(もう共寝もしたのに)』と、言い返したかったことだ」とおっしゃると、女は、とても聞き苦しい、とお思いになって、
「 浅き名を言ひ流しけむ河口はいかが漏らしし関の荒垣

(あの時軽々しい浮名を流したあなたの口は、どうしてお漏らしになったのですか)
 あきれました」とおっしゃる様子は、実におっとりしている。少し微笑んで、
「 もりにける岫田の関を河口の浅きにのみはおはせざらなく

(浮名が漏れたのは大臣のせいでもあるのに、私のせいばかりにしないで下さい)
 長い歳月の思いも、本当に切なくて苦しいので、何も分りません」と、酔いのせいにして、苦しそうに振る舞って、夜の明けて行くのも知らないふうである。

女房たちが、起こしかねているのを、大臣が、
「得意顔した朝寝だな」と、文句をおっしゃる。けれども、すっかり夜が明け果てないうちにお帰りになる。その寝乱れ髪の朝のお顔は、見がいのあることだった。


《いかにも初々しい新婚夫婦の誕生です。

夕霧は、夢に描いて六年間待ちわびた挙げ句の、晴れての対面で、とうとう自分の意志を通し願いを果たしたことで、自分を褒めてやりたい気持です。

しかも今彼の前で羞じらっている姫君は、あの頃も美しいと思っていたのに、それをはるかに超えて「不足なところもなく素晴らしい」女性となっていました。

羞じらって顔を上げない姫を、彼は優しく口説きます。しかし優しいだけではありません。昔、はっきりとは示されていませんでしたが、どうやら共寝の事実はあったらしく、それを姫に思い出させての誘いです。

男の酔った振りでの新婚の初めての夜が更けます。

折角いい場面なのですが、『光る』が、「丸谷・ここのところ、風俗的には面白いんですけど、光源氏の時はこういうのはありません。ところが、夕霧のところで、こういうごく平均的な普通の結婚をだすわけですね…。光源氏が常識を超越した存在であるという感じをほのめかしている」、「大野・光源氏のときには、はるか上にあるものを下から、あれよ、あれよ、と見ているという感じがある」と、夕霧には気の毒に、水を差します。源氏は超一流、夕霧は二流ということになるようです。

ともあれ、『光る』がどう言うと、二人は幸福な朝寝坊ですが、それでも男君は「すっかり夜が明け果てないうちにお帰りになる」という真面目さぶりです。その帰っていく男の寝乱れた顔を、父親は、作者と共に「見がいのあることだ」と眺め、安堵と満足の思いで見送ります。》


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第六段 夕霧、雲居雁の部屋を訪う~その1

【現代語訳】1
 七日の夕月夜、月の光がほのかに差して、池の水は鏡のように静かに澄み渡っている。なるほど、まだ葉の茂らない梢が物足りないころだが、たいそう気取って横たわっている松の高くない木に咲き掛かっている藤の花の様子は、世になく美しい。
 例によって、弁少将が声をたいそう優しく「葦垣」を謡う。大臣が、
「実に妙な歌を謡うものだな」と、冗談になさって、
「年経にけるこの家の」と、お添えになるお声は、たいそう素晴らしい。興趣ある中に冗談も混じった管弦のお遊びで、わだかまりもすっかり解けてしまったようである。
 だんだんと夜が更けて行くにつれて、ひどく苦しげな様子をして見せて、
「酔いが回って我慢ができませず、帰り道も危なそうです。泊まる部屋を貸していただけませんか」と、頭中将に訴えなさる。大臣が、
「朝臣よ、お休み所を用意しなさい。年寄りはひどく酔いが回って失礼だから、引っ込もう」と言い置いて、お入りになってしまった。頭中将が、
「花の下の旅寝ですね。どういうものだろう、辛い案内役ですね」と言うと、
「松と約束したのは、浮気な花なものですか。縁起でもありません」と反発なさる。中将は、心中に、「憎らしいな」と思うところがあるが、人柄が理想通り立派なので、「最後はこのようになって欲しい」とずっと願って来たことなので、心許して案内した。


《ひとしきり宴の賑わいがあって、座が落ち着きました。夜も更けてきます。

初めの「なるほど」は、前の段の歌を受けたもので、後の「世になく美しい」にかかる言葉とされます。こういう遠い係り受けが時々出てきて、しばしば戸惑うところですが、息の長い文として、頑張って読むしかないようです。

「弁の少将」は声自慢の息子(次男?)、賢木の巻第六章第三段でデビュー、梅枝の巻第一章第四段でも登場しました。

「葦垣」は催馬楽の歌で、「わが家の姫を盗んでいくのはだれだとあてこすったもの」(『集成』)、その歌の中に「とどろけるこの家(権勢を誇るこの家)」という句があって、その部分を「年経にけるこの家の」と、内大臣が替え歌にして謙遜して見せた、という座興なのだそうです。なんだかとても心温まる宴になっていって、「わだかまりもすっかり解けてしまった」のも、なるほどと思われます。

さて、夕霧はひどく酔った振りをして、帰れそうにないので、泊まらせてほしいと、そっと中将に声をします。『光る』がこのあとの成り行きに関して「これは当時の結婚がどういうものであったかをたいへんよく示す例ですね」と言います。

婿殿の気持ちを察して、父親の内大臣は、あとを若い者に任せて引き下がり、嫡男が、いろいろ言いながら、結局妹のところに夕霧を案内するのでした。

「松と約束したのは、…」は、私は松の木、色を変えずこれまで姫を待っていたのだから、この間柄は浮気ではない。「旅寝」などとはとんでもない、という気持です。》


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第五段 藤花の宴 結婚を許される

【現代語訳】

 月は昇っているが花の色ははっきりと見えない時分なのに、花を愛でる心に寄せて御酒を召して、管弦のお遊びなどをなさる。大臣は、程もなく酔ったふりをなさって、遠慮もせずに無理に酔わせなさるが、用心して、とても断るのに困っているようである。
「あなたは、この末世にできすぎるほどの、天下の有識者でいらっしゃるようだが、年を取った者をお見限りでいらっしゃるのが辛いことだ。書物にも、父子の礼ということがあるではありませんか。誰かの教えも、よくご存知だろうと思いますが、ひどく辛い思いをおさせになると、お恨み申したくて」などとおっしゃって、酔い泣きというのか、上手に意中を仄めかしなさる。
「どうしてそのような。今は亡き方々を思い出しますお身変わりとして、わが身を捨ててまでもと、存じておりますのに、どのように御覧になってのことでございましょうか。もともと、私のうかつな心の至らなさのためです」と、恐縮して申し上げなさる。

頃合いを見計らって、はやし立てて、「藤の裏葉の(あなたを頼って参りましょう)」とお謡いになった、そのお心をお受けになって、頭中将が、藤の花の色濃く、特に花房の長いのを折って、客人のお杯に添えになる。受け取って、もてあましていると、内大臣が、
「 紫にかことはかけむ藤の花まつより過ぎてうれたけれども

(藤の紫色のせいにしてお許ししましょう、待ち過ぎてしまって恨めしいことだが)」
 宰相中将が、杯を持ちながら、ほんの形ばかり拝舞なさる様子は、実に優雅である。
「 いくかへり露けき春を過ぐし来て花のひもとくをりにあふらむ

(幾度も湿っぽい春を過ごして来ましたが、花咲く折りに会えたようです)」
 頭中将にお廻しになると、
「 たをやめの袖にまがへる藤の花見る人からや色もまさらむ

(若い女性の袖に見違える藤の花は、見る人によって美しさを増すことでしょう)」
 次々と杯が回り歌を詠み添えて行ったようであるが、酔いの乱れに大したこともなく、これより優れていない。

 

《「お庭先の藤の花がたいそうみごとに咲き乱れて、並一通りの美しさではなく」(第三段)という日だったのですが、今はもう日が暮れて「月は昇っているが花の色ははっきりと見えない時分」となっています。

 この月は次の段で「七日の夕月夜」とされますが、七日の月は日の出の六時間後くらいには、もう昇って来る月で、夕霧は「黄昏時も過ぎ」(前段)て出かけてきたのですから、今この月はもうほぼ中天にあるでしょうが、残念ながらおよそ半分の月です。

 夕暮れが進んでもう宵近く、少し暗くなりかけて、月の光も半月で淡く、折角の藤の花も、その色があまりよく見えないようです。

 折角ならもう数日待って、もっと明るい月に花が映える頃にすればよかったのですが、内大臣は、その花をめでることを口実に、一日も早く話を進めたいのでしょう。

さて、内大臣は本題を切り出したいのですが、夕霧が、緊張のせいでしょうか、どうも生真面目に身を固くしているようです。そういう中で切り出せば、まずは自分の非を正式に落ち度として認め、謝罪するところから始めなくてはならなくなるでしょう。

そこでとりあえず酒を出して、その力でほぐして、そこのところは何となく通り過ごしてしまおうという策です。

 大臣は、えらく早く酔ったふうにして、夕霧に酒を勧めながら、絡み掛かります。この大臣の言葉は、落語の口調を思い出したいところです。

 夕霧は、当惑してますます身を固くして、返事も至って生真面目ですが、ともかくも「私のうかつな心の至らなさ」と、こちらも儀礼上、いちおう非を認めました。

 となれば、このことは一件落着、頃やよし、「頃合いを見計らって、はやし立てて」とすかさずファンファーレが奏でられて大臣は本題に入り、用意の歌で二人の間を認める宣言をします。

 めでたしめでたし、喜びの歌が交わされ、嫡男が祝いの歌を詠みました。

 あとは当今の結婚披露宴よろしく、手放しのお祝いの席となりますが、作者もこれ以上描く必要はないと、切り上げます。》


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