【現代語訳】
三日間を過ごして、紫の上はご退出になる。入れ替わって参内なさる夜、ご対面がある。
「このように大きくなられた節目に、長い歳月のほどが存じられますので、よそよそしい心の隔ては残らないことでしょうね」と親しくおっしゃって、お話などなさる。このことも打ち解けた初めのようである。お話などする態度に、なるほどもっともだと、目を見張る思いで御覧になる。
また、実に気品高く女盛りでいらっしゃるご様子を、こちらも素晴らしいと認めて、「大勢の御方々の中でも優れたご寵愛で、並ぶ方がいない地位を占めていらっしゃったのを、まことにもっともなことだ」と理解されるにつけて、
「こんなにまで出世し、肩をお並べ申すことができた前世の約束は、並大抵のものでない」と思う一方で、ご退出になる儀式が実に格別に盛大で、御輦車などを許されなさって、女御のご様子と異ならないのを思い比べると、やはり肩を並べると言っても段違いであることだ。
とてもかわいらしく、お人形のような姫君のご様子を、夢のような心地で拝見するにつけても、涙がただもう止まらないのは、同じ涙とは思われないのであった。長年何かにつけ悲しみに沈んで、何もかも辛い運命だと悲観していた寿命も更に延ばしたく、気も晴れやかになったにつけても、本当に住吉の神お力も並大抵ではないと思わずにいられない。
思い通りにお育て申し上げてあって、行き届かないことのまったくない利発さなので、周囲の人々の人気や評判をはじめとして、並々ならぬご容姿ご器量なので、東宮も、お若い心で、たいそう格別にお思い申し上げていらっしゃる。
競っていらっしゃる御方々の女房などは、この母君がこうして伺候していらっしゃるのを、欠点に言ったりなどするが、それに負けるはずがない。堂々として並ぶ者がないことは言うまでもなく、奥ゆかしく上品なご様子を、ちょっとしたことにつけても理想的に引き立ててお上げになるので、殿上人なども珍しい風流の才を競う所としていて、それぞれに伺候する女房たちも、心寄せている女房の心構え態度までが、実に立派に整えていらっしゃる。
紫の上もしかるべき機会には参内なさる。お二方の仲は理想的に睦まじくなって行くが、そうかといって出過ぎたり馴れ馴れしくならず、また軽く見られるような態度は言うまでもなくまったくなく、不思議なほど理想的な態度、心構えである。
《入内から三日間は紫の上が付き添い、そしてその後は明石の御方です。入れ替わりの時に、二人は初めて対面したのでした。
「このように大きくなられた節目に…」には、諸説あるようです。
紫の上が三歳の姫を預かってから八年が過ぎ、その間御方は姫を見ていなかったのでした。上は、これまでずっと御方から恨まれていたのではないかという心配があります。そこで、あなたは実の母でいらっしゃるが、私もこのように長く母としての務めを果たしてきたので、同じように母として認めていただけるのではないか、そうであれば、母同士として、御方のわだかまりも溶いてもらえたのではないか、と言っているのではないかと思いますが、どうでしょうか。
言いながら向き合ってみると、御方の様子は、源氏が出自が卑しいにもかかわらずこれほど大切にするのも「なるほどもっともだ」と思われる立派さでした。「今までの紫の上はその待遇を、ルールに反した源氏の異常な愛と見て、…気に障るものと思っていた(玉鬘の巻第四章第五段など)…(けれども)これからは違う」(『評釈』)のです。
一方、御方の方も、紫の上の非の打ち所のない様子に感嘆します彼女は、そういう方と肩を並べることになった自分を、密かに誇らしく思うのですが、一方で、決して本当に対等でないことは、「五退出になる儀式が実に盛大で、御輦車などを許されなさって」一目瞭然、そのことを御方はきちんと受け入れます。こういう、一歩下がった所にいながら、決して卑屈にならず、もちろん思い上がりもしないで、その微妙な立場を品好くこなして行くことができるというところが、この人の素晴らしさです。
こうしてこれまで全く日陰の存在であった御方が、一躍表舞台に登場することになって、六条院はあまねく日の差す世界となりました。
さて、それからの御方の世話役ぶりは、これまで秘められていた彼女の本領発揮で、周囲の人の予想を越えて見事なものでした。姫のまわり、女房たちのまわりには、殿上人たちが「風流の才を競う所」として、引きも切りません。しかも折々は紫の上がやって来て、親しく言葉を交わすのですから、姫君にも御方にも箔の付くことこの上ありません。
ここもまた、万々歳の中に一件落着です。》