【現代語訳】
 こうして姫君は西南の御殿に夜八時お渡りになる。中宮のいらっしゃる西の放出を整備して、御髪上の内侍などもそのままそこに参上した。紫の上もこの機会に中宮にご対面なさる。お二方の女房たちが一緒に来合わせているのが、数えきれないほどに見えた。
 夜十二時、御裳をお召しになる。大殿油の明かりは微かであるが、御器量がまことに素晴らしいと、中宮はご拝見あそばす。大臣は、
「お見捨てになるまいと期待して、失礼な姿を進んでお目にかけたのでございます。後世の前例になろうかと、心狭い親心から密かに案じております」などと申し上げなさる。

中宮は、
「そんなに大変な事とも思わないで致したことですのに、このように大層におっしゃって戴きますと、かえって気が引けてしまいまして」と、なんでもないことのようにおっしゃる御様子は、とても若々しく愛嬌があるので、大臣も、理想通りに立派なご様子の婦人方が集まっていらっしゃるのを、ご一門の間柄が素晴らしいとお思いになる。母君が、このような機会でさえお目にかかれないのを、たいそう辛い事と思っているのも気の毒なので、参列させようかしらと、お考えになるが、世間の悪口を慮って、見送りなさる。
 このような邸での儀式は、普通の場合でさえとても煩雑で面倒なので、一部分だけを、例によってまとまりなくお伝えするのも、かえってどうかと思い、詳細には書かない。

 

《明石の姫君の裳着の儀式の当日です。

真夜中の儀式というのが驚かされますが、花の宴の巻の二人の姫君(第五段)や、行幸の巻の玉鬘の時(第三章第四段)も夕方から夜にかけてでしたから、この儀式はそういうものだったのでしょうか。概して当時の人は宵っ張りだったようですから、平気だったのでしょう。

源氏が義理の娘である中宮に大変他人行儀に語りかけるのが、格式が感じられて優雅ですが、それに対する中宮の返事が、謙遜しながらもきちんと上からの言い方で、またなかなかいい感じです。

こうしためでたい式ですが、実の母、明石の御方は呼ばれていません。もちろん身分の問題なのでしょう。そう言えば、中宮と紫の上の女房が大勢いたことは書かれていますが、その他の参列者には全く触れられていません。

さて、成人式を中宮が執り行うというので、この巻の初めから前段まで大変な騒ぎの準備だったのですが、実際の儀式は以上で終わりで、ずいぶんあっさりした書きようです。

もっとも、大抵の儀式は型どおりのもので、裳着も、読者である女房たちにとっては幾度も関わったり立ち会ったりしてよく承知していることでしょうから、改めて語る必要もないことなのでしょう。

それに、本命は入内の方でもあり、また前の二例が大変豪勢な催しだったこと思えば、重複することもあって、ここはその全てが省略されたのでしょう。

中宮の腰結いということだけで十分というわけです。》

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