【現代語訳】
兵部卿宮は、御前の管弦の御遊に伺候していらっしゃっても気が落ち着かず、このお局あたりが思いやられなさって、堪えきれずにお便りをさし上げなさる。大将は近衛府の御曹司にいらっしゃる時であって、そこからと言って取り次いだので、しぶしぶと御覧になる。
「 深山木に羽うちかはしゐる鳥のまたなくねたき春にもあるかな
(奥山の木と仲よくしていらっしゃる鳥が、またなくねたましく思われる春ですねえ)
鳥の囀る声が耳に止まりまして」とある。
困惑して顔が赤くなって、お返事のしようもなく思っていらっしゃるところに、主上がお越しあそばす。
月が明るい時で、ご容貌は言いようもなくお美しくて、まったくあの大臣のご様子に違うところなくいらっしゃる。「このような方が二人もいらっしゃったのだ」と、見申し上げなさる。あの方のお気持ちは、浅くはないが、嫌な思いの添うものだったけれども、こちらはどうしてそのように思わせなさろう。たいそうやさしそうに、期待していたことと違ってしまった恨み事を仰せられるので、顔のやり場もような気がなさることだ。顔を袖で隠して、お返事も申し上げることがおできにならないので、
「妙に黙っていらっしゃるのですね。昇進など、お分かりであろうと思うことがあるのに、何もお聞き入れなさらない様子でばかりいらっしゃるのは、そのようなご性分なのですね」 と仰せになって、
「 などてかくはひあひがたき紫を心に深く思ひそめけむ
(どうしてこう一緒になりがたいあなたを深く思い染めてしまったのでしょう)
これ以上深くはなれないのでしょうか」と仰せになる様子は、たいそう若々しく美しくて気恥ずかしいが、「どこが違っていらっしゃろうか」と気を取り直して、お返事申し上げなさる。宮仕えの年功もなくて、今年、位を賜ったお礼の気持ちなのであろうか。
「 いかならむ色とも知らぬ紫を心してこそ人は染めけれ
(どのようなお気持ちからとも存じませんでしたこの紫の色は、深いお情けから下さ
ったものだったのですね)
ただ今からはそのように存じましょう」と申し上げなさると、ほほ笑みなさって、
「その、今から思って下さろうとしても、何の役にも立たないことです。訴えを聞いてくれる人があったら、その判断を聞いてみたいものです」と、たいそうお恨みあそばす御様子が、真面目で厄介なので、「とても情けないことだ」と思われて、
「愛想の良い態度をお見せ申すまい、男の方の困った癖だわ」と思うと、真面目になって控えていらっしゃるので、お思い通りの冗談も仰せになれずに、
「だんだんと親しみ馴れて行くことだろう」とお思いあそばすのであった。
《兵部卿宮はまだ思いを残していたようで、大将の名をかたって恋文を送りました。源氏と並ぶ風流人らしく、その対極にいる大将を「深山木」(「真面目一方の髭黒を喩えて言ったもの」・『集成』)と呼んでからかいながら、あなたのお声が聞こえたのでとの歌です。
玉鬘は、かつてこの人だけには返事をしたことがあって、源氏の意向に添えばこの人と結ばれていたのかも知れない、今になればその方がよかったのに、と思うと、自分の身に起こった残念なことへの恥ずかしさがこみ上げて、ひとり顔を赤らめています。
するとそこに、今度は帝が直接やって来ます。この人に心を引かれた時もありました。
玉鬘は、源氏とあまりに似ていることに改めて驚きながら、その若々しい姿に目を奪われる思いですが、こちらは源氏のようにうるさく言い寄ることなく、遠慮がちなので、かえって好感が持てて、逆にわが身を思って恥じ入り、口もきけない思いです。
帝は、いくら語りかけても返事がないので、とうとう、あなたを「紫」(三位の服色)にしてあげた気持を分かって下さい、と、搦め手から語りかけます。自分の権威をかさに、という感じで、策に困った挙げ句のとっさの言葉とはいえ、二十歳という青年天子にしては、ちょっと頂けない気がしますが、『評釈』が「帝は冗談を言われたのだ」と言いますから、それに従っておきます。
玉鬘は、気恥ずかしいほどに素晴らしいと気おされる気持ですが、日ごろ源氏とやりとりしていることを思い出して「どこが違っていらっしゃろうか」と気を取り直して歌を返したというのは、彼女の内面の片鱗を見せたところで、ちょっとしたリアリストのようです。彼女は「愛想の良い態度をお見せ申すまい、男の方の困った癖だわ」ときまじめな態度を崩しませんので、帝もやむなく、いつかきっと、と諦めるしかなかったようです。》