源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第四章 玉鬘の物語(二)

第三段 帝、玉鬘のもとを訪う

【現代語訳】

兵部卿宮は、御前の管弦の御遊に伺候していらっしゃっても気が落ち着かず、このお局あたりが思いやられなさって、堪えきれずにお便りをさし上げなさる。大将は近衛府の御曹司にいらっしゃる時であって、そこからと言って取り次いだので、しぶしぶと御覧になる。
「 深山木に羽うちかはしゐる鳥のまたなくねたき春にもあるかな

(奥山の木と仲よくしていらっしゃる鳥が、またなくねたましく思われる春ですねえ)
 鳥の囀る声が耳に止まりまして」とある。

困惑して顔が赤くなって、お返事のしようもなく思っていらっしゃるところに、主上がお越しあそばす。

 月が明るい時で、ご容貌は言いようもなくお美しくて、まったくあの大臣のご様子に違うところなくいらっしゃる。「このような方が二人もいらっしゃったのだ」と、見申し上げなさる。あの方のお気持ちは、浅くはないが、嫌な思いの添うものだったけれども、こちらはどうしてそのように思わせなさろう。たいそうやさしそうに、期待していたことと違ってしまった恨み事を仰せられるので、顔のやり場もような気がなさることだ。顔を袖で隠して、お返事も申し上げることがおできにならないので、
「妙に黙っていらっしゃるのですね。昇進など、お分かりであろうと思うことがあるのに、何もお聞き入れなさらない様子でばかりいらっしゃるのは、そのようなご性分なのですね」 と仰せになって、
「 などてかくはひあひがたき紫を心に深く思ひそめけむ

(どうしてこう一緒になりがたいあなたを深く思い染めてしまったのでしょう)
 これ以上深くはなれないのでしょうか」と仰せになる様子は、たいそう若々しく美しくて気恥ずかしいが、「どこが違っていらっしゃろうか」と気を取り直して、お返事申し上げなさる。宮仕えの年功もなくて、今年、位を賜ったお礼の気持ちなのであろうか。
「 いかならむ色とも知らぬ紫を心してこそ人は染めけれ

(どのようなお気持ちからとも存じませんでしたこの紫の色は、深いお情けから下さ

ったものだったのですね)
 ただ今からはそのように存じましょう」と申し上げなさると、ほほ笑みなさって、
「その、今から思って下さろうとしても、何の役にも立たないことです。訴えを聞いてくれる人があったら、その判断を聞いてみたいものです」と、たいそうお恨みあそばす御様子が、真面目で厄介なので、「とても情けないことだ」と思われて、

「愛想の良い態度をお見せ申すまい、男の方の困った癖だわ」と思うと、真面目になって控えていらっしゃるので、お思い通りの冗談も仰せになれずに、

「だんだんと親しみ馴れて行くことだろう」とお思いあそばすのであった。

 

《兵部卿宮はまだ思いを残していたようで、大将の名をかたって恋文を送りました。源氏と並ぶ風流人らしく、その対極にいる大将を「深山木」(「真面目一方の髭黒を喩えて言ったもの」・『集成』)と呼んでからかいながら、あなたのお声が聞こえたのでとの歌です。

玉鬘は、かつてこの人だけには返事をしたことがあって、源氏の意向に添えばこの人と結ばれていたのかも知れない、今になればその方がよかったのに、と思うと、自分の身に起こった残念なことへの恥ずかしさがこみ上げて、ひとり顔を赤らめています。

するとそこに、今度は帝が直接やって来ます。この人に心を引かれた時もありました。

玉鬘は、源氏とあまりに似ていることに改めて驚きながら、その若々しい姿に目を奪われる思いですが、こちらは源氏のようにうるさく言い寄ることなく、遠慮がちなので、かえって好感が持てて、逆にわが身を思って恥じ入り、口もきけない思いです。

帝は、いくら語りかけても返事がないので、とうとう、あなたを「紫」(三位の服色)にしてあげた気持を分かって下さい、と、搦め手から語りかけます。自分の権威をかさに、という感じで、策に困った挙げ句のとっさの言葉とはいえ、二十歳という青年天子にしては、ちょっと頂けない気がしますが、『評釈』が「帝は冗談を言われたのだ」と言いますから、それに従っておきます。

玉鬘は、気恥ずかしいほどに素晴らしいと気おされる気持ですが、日ごろ源氏とやりとりしていることを思い出して「どこが違っていらっしゃろうか」と気を取り直して歌を返したというのは、彼女の内面の片鱗を見せたところで、ちょっとしたリアリストのようです。彼女は「愛想の良い態度をお見せ申すまい、男の方の困った癖だわ」ときまじめな態度を崩しませんので、帝もやむなく、いつかきっと、と諦めるしかなかったようです。》

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第二段 男踏歌、貴顕の邸を回る

【現代語訳】

 踏歌は、局々に実家の人が参内し、ふだんとは違ってことに賑やかな見物なので、どなたもみな綺羅を尽くし、袖口の色の重なりをうるさいほど立派に整えていらっしゃる。東宮の女御もたいそう華やかになさって、東宮はまだお若くいらっしゃるが、すべての面でたいそう風流である。
 帝の御前、中宮の御方、朱雀院と参って、夜がたいそう更けてしまったので、六条院には、今回は仰々しいのでとお取り止めになる。朱雀院から帰参して、東宮の御方々を回るうちに、夜が明けた。
 ほのぼのと美しい夜明けに、たいそう酔い乱れた恰好をして、「竹河」を謡っているところを見ると、内大臣家の御子息が四、五人ほど、殿上人の中で、声が優れ、器量も美しくて、うち揃っていらっしゃるのが、たいそう素晴らしい。
 殿上童の八郎君は正妻腹の子で、たいそう大切になさっているのだが、とてもかわいらしくて、大将殿の太郎君と立ち並んでいるのを、尚侍の君も、他人とはお思いにならないので、お目が止まった。

高貴な身分で長く宮仕えしていらっしゃる方々よりも、この御局の袖口は全体の感じが今風で、同じ衣装の色合いの重ね具合であるが、他の所より格別華やかである。
 ご本人も女房たちも、このようにご気分を晴らして、暫くの間は宮中でお過ごせになれたら、と思い合っていた。
 どこでも同じように肩にお被けになる綿の様子も、色艶も格別に洗練なさって、こちらは水駅であったが、様子が賑やかで、女房たちが心づかいし過ぎるほどで、作法通りの御饗応などの用意がしてある様子は、特別に気を配って大将殿がおさせになったのであった。

宿直所にいらっしゃって、一日中申し上げなさることは、
「夜になったらご退出おさせ申そう。このような機会にと、宮仕えにお考えが変わるのはたまらない」とばかり同じことをご催促申し上げなさるが、お返事はない。お側にいる女房たちが、
「大臣が、『急いでということではなく、めったにない参内なので、帝のご満足がいくように、お許しがあってから、退出なさるよう』と、申し上げていらっしゃったので、今夜は、あまりにも急すぎませんか」と申し上げたのを、たいそうつらく思って、
「あれほど申し上げたのに、何とも思い通りに行かない夫婦仲だ」とお嘆きになっていらっしゃった。

《二年前(初音の巻)にも催された「男踏歌」が、今年も行われて、冷泉帝の後宮は大変な賑わいです。

その様子は、帝の話を直接語るのは恐れ多いのか、東宮の周辺の様子で代表されました。「東宮の女御」は、紛らわしい言い方ですが「東宮の母女御。朱雀院の女御で、承香殿の女御と申した方。髭黒の妹(明石の巻第四章第一段)。東宮とともに梨壺(昭陽舎)におられる(澪標の巻第三章第二段)」(『集成』)という方です。

さて、二年前の男踏歌は、御所から回ってきた六条院での様子が語られましたが、今度は六条院は回ること自体が取りやめられて、御所の様子が中心でした。

内大臣の子息たちが中心のようですが(何と言っても人数が多いのは強みです)、中に髭黒大将の嫡男が交じって健闘していました。

玉鬘からすると、実の兄弟に交じって義理の息子がいるわけで、その子が、内大臣の八男と同じ舞台いるのを見ると、「お目が止まった」のでした。いや、読者としては、ここで玉鬘がどう思ったのか知りたいところですが、彼女の具体的な思いは「このようにご気分を晴らして、暫くの間は宮中でお過ごせになれたら」という、いささか軽すぎるものだったのでした。どうもこの人の気持ちはこちらに伝わってこないように思われます。

しかし、さすがに大将は、そういう新妻の気質や気持ちをたいへんよく察していたようで、このような宮中の華やかさ、居心地よさに、このまま居座られてはたまらないと、今夜にでも退出を、と催促です。それも「一日中」言い続けていたというのが、この人流の生真面目さというところでしょうか。

ところが、お側の女房たちは、自分たちの希望もあって(いや、そちらが優先でしょう)、源氏の言葉を盾にガードは張りますから、大将としては心穏やかでありません。》

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第一段 玉鬘、新年になって参内

【現代語訳】
 このようなことの騒動に、尚侍の君のご気分はますます晴れる間もなくているのを、大将は、お気の毒にとお気づかい申し上げて、
「あの参内なさる予定であったことも沙汰止みになって、妨げ申したのを、帝におかせられても、快からず何か含むところがあるようにお聞きあそばし、方々もお考えになるところがあろう。宮仕えの女性を妻にしている男もいないではない」と思い返して、年が改まってから、参内させ申し上げなさる。男踏歌があったので、ちょうどその折に、参内の儀式をたいそう立派に、この上なく整えて参内なさる。
 お二方の大臣たちに、この大将のご威勢までが加わり、宰相中将が熱心に気を配ってお世話申し上げなさる。兄弟の公達も、このような機会にと集まって、ご機嫌を取りに近づいて大事になさる様子は、たいそう素晴らしい。
 承香殿の東面にお局を設ける。西面に式部卿の宮の女御がいらっしゃったので、馬道だけの間隔であるが、お心の中は遠く離れていらっしゃったであろう。御方々は、どの方も互いに競い合いなさって、宮中は奥ゆかしくはなやいだ時分である。

格別家柄の劣った更衣たちは、多くはお仕えなさっていない。中宮、弘徽殿女御、この宮の王女御、左大臣の女御などがお仕えしていらっしゃる。その他には、中納言、宰相の御息女が二人ほどがお仕えしていらっしゃるのであった。

 

《大将としては、北の方のことが曲がりなりにも一応一つの区切りがついた形になったので、今度は新しい妻の方のご機嫌を直すことに専念することができるようになりました。

気分転換をさせようと、以前渋っていた宮仕えに、いよいよ尚侍として出仕させることにします。

なにせ太政大臣と内大臣の娘であり、おまけに大将の妻とあって、参内の儀式は、その設えだけでも大変な華やかなものでしたが、直接にお世話するのが、その二人の大臣の息子たちという豪華さです。

「たいそう素晴らしい(原文・いとめでたし)」とあるのについて、『評釈』が、「女御の入内なら、両大臣家あげての後援ということはあり得ない。敵味方に分かれるはずだ」、しかし尚侍という軽い役目だったから、こういう仕儀となったのであって、かえって「素晴らしい」ことになったと言い、「作者は読者の意表をつく」と評します。

「承香殿の東面にお局を設け」られましたが、なんと、選りに選って式部卿の宮の女御(王の女御)の部屋と対の所だったのでした。「お心の中は遠く離れていらっしゃった」は、話の流れから言うと女御のお気持ちのようです。

一方、こういう時に、玉鬘はどう思うのだろうかと推測してみますが、どうもイメージがはっきりしません。かつて帝を素晴らしいと思ったこともあった(行幸の巻第一章第二段)のですから、気に染まない大将とのいきさつの末の参内には、思うことも少なくないと思われますが、一言も触れられないままです。

さらに、賜ったこの局については、彼女の所為ではないとは言え、女御に対して全く無関心というわけにもいかなかったでしょうが、しかし、作者の関心は、いずれ劣らぬやんごとない妃同士の「競い合い」による宮廷の華やかな雅びの方にあるようで、彼女の内面はこうした時も書かれることがありません。》

 
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