源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第三章 髭黒大将家の物語(二)

第六段 鬚黒、男子二人を連れ帰る

【現代語訳】

「せめて姫君にだけでもお会いしたい」と申し上げなさるが、お出し申すはずもない。
 男の子たちは、十歳になるのは童殿上なさっている。とてもかわいらしい。人からほめられて、器量など優れてはいないが、たいそう利発で、物の道理をだんだんお分りになっていらっしゃる。
 次の君は八歳ほどで、とても可憐で、姫君にも似ているので、撫でながら、
「そなたを恋しい姫君のお形見と思って見ることにしよう」などと、涙を流してお話しなさる。宮にもお目通りをお願いになったが、
「風邪がひどくて、養生しております時なので」と言うので、きまりの悪い思いで退出なさった。

 幼い男の子たちを車に乗せて、親しく話しながらお帰りになる。六条殿には連れて行くことがおできになれないので、邸に残して、
「やはり、ここにいなさい。会いに来るのにも安心して来られるであろうから」とおっしゃる。悲しみにくれて、たいそう心細そうに見送っていらっしゃる様子がたいそうかわいそうなので、心配の種が増えたような気がするが、女君のご様子が見がいがあって立派なので、気違いじみたご様子と比べると格段の相違で、すべてお慰めになる。
 ぱったりと途絶えてお便りもせず、体裁の悪かったことを口実にしているふうなのを、宮におかれてはひどく不愉快にお嘆きになる。
 春の上もお聞きになって、
「私まで、恨まれる原因になるのがつらいこと」とお嘆きになるので、大臣の君は気の毒だとお思いになって、
「難しいものだ。自分の一存だけではどうすることもできない人の関係で、帝におかせられてもこだわりをお持ちになっていらっしゃるようだ。兵部卿宮などもお恨みになっていらっしゃると聞いたが、そうは言っても思慮深くいらっしゃる方なので、事情を知って恨みもお解けになったようだ。自然と、男女の関係は、人目を忍んでいると思っても、隠すことのできないものだから、そんなに苦にするほどの責任もない、と思っています」とおっしゃる。

 

《宮家は、姫には会わせないが、男の子たちはよいという姿勢のようです。『評釈』は「これらの男の子は簾外にかけ出すのを誰も止めることはできない」と言いますが、北の方もそういうつもりだったわけですし、この後何事もなく二人を連れて帰ったのですから、しいて止めようという考えはなかったように思います。

 したがって、最初の「せめて姫君にだけ(原文・姫君をだに見たてまるらむ)」は、北の方が駄目なら、ということで、双方とも、息子たちは当然大将の方に、と考えていたわけです。男児は父親の元で育てるのが一般だったということでしょうか。

 二人を連れて帰ったものの、「六条殿には連れて行く」ことはできないので(ということは、そちらを彼の本拠地にするつもりのように聞こえますが)、自邸において、彼はひとりそのまま六条院に行ってしまいました。見送る二人の子供たちはどんなにか心細かったであろうと思うと、「心配の種が増えたような気がする」という大将の思いは、いささか不足に思われます。

 加えて、玉鬘を見ると「気違いじみたご様子と比べると格段の相違で、すべてお慰めにな」り、「ぱったりと途絶えてお便りもせず、体裁の悪かったことを口実にして」、北の方のことをすっかり忘れたふうである、というのも、気持は分かるものの、もう少しいい人だったはずだがと思われます。

その様子を脇で見ながら、とばっちりを受けた紫の上が困り顔で、その嘆きを聞きながら源氏が、自分のまいた種に匙を投げて、言い訳めいた気休めを紫の上に独り言のように言っている様子がユーモラスです。》

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第五段 鬚黒、式部卿宮家を訪問

【現代語訳】

 大将の君は、このようにお移りになってしまったことを聞いて、
「まことに妙な、年若い夫婦のようにやきもちを焼いたようなことをなさったものだよ。ご本人にはそのようなせっかちできっぱりした性分もないのに、宮があのように軽率でいらっしゃる」と思って、御子息もあり、世間体も悪いので、いろいろと思案に困って、尚侍の君に、
「こんな妙なことがあったようです。かえって気楽になったと思ってみますものの、あのまま邸の片隅に引っ込んでいてもよい気楽な人と安心しておりましたのに、急にあの宮がなさったのでしょう。世間が見たり聞いたりしても薄情に見えるので、ちょっと顔を出して参りましょう」と言って、お出になる。
 立派な袍のお召物に、柳の下襲、青鈍色の綺の指貫をお召しになって、身なりを整えていらっしゃるのは、まことに堂々としている。

「どうして不似合いなことがあろう」と女房たちは拝見するが、尚侍の君は、このようなことをお聞きになるにつけてもわが身が情けない気がなさるので、見向きもなさらない。
 宮に苦情を申し上げようと思って、参上なさるついでに、先に自邸にいらっしゃると、木工の君などが出てきてその時の様子をお話し申し上げる。姫君のご様子をお聞きになって、男らしく我慢なさるが、ぽろぽろと涙がこぼれるご様子は、たいそうお気の毒である。
「それにしても、普通ではないおかしな振る舞いの数々を大目に見てきた長年の気持ちをご理解なさらなかったことだ。ひどくわがままな人だったら、今までも一緒にはいたはずもない。まあよい、あの本人は、どうなさったところで、廃人同様とお見えになるから、同じことだ。子どもたちまで、どうなさろうというのだろうか」と、嘆め息をつきながら、あの真木柱を御覧になると、筆跡も幼稚だが、心根がしみじみといじらしくて、道すがら、涙を押し拭いながら参上なさると、お会いになれるはずもない。

「何の。ただ時勢におもねる心が今初めてお変わりになったのではない。年来うつつを抜かしていらっしゃる様子を長いこと聞いてはいたが、いつを再び改心する時かと待てようか。ますますひどい姿を曝すばかりで終わることにおなりになろう」とご意見申されるのも、もっともなことである。
「まったく、大人げない気がしますな。お見捨てになるはずもない子供たちもいますのでと、のんきに構えておりました私の不行届を繰り返しお詫び申しても、お詫びの申しようがありません。今はただ穏便に大目に見て下さって、罪は免れがたいと世間の人にも分からせた上で、このようにもなさるのがよい」などと、説得に苦慮していらっしゃる。

 

《式部卿宮の北の方引き取りは大変急だったので、大将は玉鬘の所にいてそのことを知ったのでした。

かねて話はあったのでしたが、北の方の帰りたくない気持も分かっていたので、楽観していたのでしょう。まさか、父宮がそういう強硬手段を採るとは想定外でした。

放ってもおけないので、玉鬘に断りを言って立ち上がるのですが、その姿は、「まことに堂々として」いたと、妙なところで讃辞が入ります。こちらに来る時は、灰をかぶった後で大変だったわけで、その対照を言っていると思えば、作者の意地悪な皮肉で、笑ってしまいますが、意を決して舅に直談判とあれば、自ずと気合いも入って、見る目に頼もしく見えるのでしょう。

しかし、玉鬘の方は、気の毒に彼がどこに行こうが関心がない趣で、そっぽを向いたままで、大将は後ろ髪を引かれる思いで、宮邸に向かいました。

途中自邸によって木工の君から情報を仕入れるまでは、宮の突然の一方的振る舞いに憤っていたのですが、姫の話を聞くと涙を堪えられません。このあたり、直情径行のこの人の人柄が現れて、躍動しています。

それにしても、玉鬘に言った「邸の片隅に引っ込んでいてもよい気楽な人(原文・さて片隅に隠ろへてもありぬべき人の心やすさ)」とか、「どうなさったところで、廃人同様(原文・とてもかくても、いたづら人)」とか、ずいぶん冷たいはっきりした言いようです。そう思いながらでも、ともかく会いに行こうとするのは、夕霧とは違った形での生真面目さ、実直さがあると言うべきでしょうか。

しかし、いざ行ってみると、北の方は会ってくれません。そばに父宮がついていて、源氏に阿って玉鬘をめとったような男(宮はそういうふうに理解しているのです、奥方の源氏への憤りがこの人に影響したのでしょう)を、「いつを再び改心する時かと待てようか」と北の方を諫めるのです。

「今はただ、穏便に…」以下の大将の弁明は、分かりにくく思えますが、『評釈』によれば、結局、玉鬘を自邸に迎えて後、自分がこの北の方をどのように扱うかを見て、その扱いが悪いようなら、その時は引き取られても文句は言わない、何もことが起こっていないうちにこういうことをするのは、大人げないではないか、ということのようです。

なるほど、そう言われれば、源氏も六条院ではそういう生活をしているわけですから、この当時としては一理あると言えます。》

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第四段 式部卿宮家の悲憤慷慨

【現代語訳】

 式部卿宮は待ち受けて、たいそうつらくお思いである。母の北の方は泣き騷ぎなさって、
「太政大臣を結構なご親戚とお思い申し上げていらっしゃるが、どれほどの昔からの仇敵でいらっしゃったのだろうという気がします。
 女御にも何かにつけて冷淡なお仕打ちをなさったが、それはお二人の間の恨み事が解けなかったころを思い知れということであったであろうと、思ったりおっしゃったりもし、世間の人もそう言っていた時でも、やはりそうあってよいことではなくて、一人を大切になさるのであれば、その周辺までもお蔭を蒙るという例はあるものだと、納得行きませんでしたが、まして今ごろになって、わけの分からない継子の世話をして、自分が飽きたのを気の毒に思って、律儀者で浮気しそうのない人をと思って、婿に迎えて大切になさるのは、どうして辛くないことでしょうか」と、大声で言い続けなさるので、宮は、
「ああ聞き苦しい。世間から非難されなさることのない大臣を、口に任せて悪くおっしゃるものではない。賢明な方だから、かねてから考えていて、このような報いをしようと思うことがおありだったのだろう。そのように思われるわが身が不幸なのだろう。
 何気ないふうで、すべてあのお苦しみになった当時の報いは、引き立てたり落としたり、たいそう賢くもれなく考えていらっしゃるようだ。私一人は、しかるべき親戚だと思って、先年も、あのような世間の評判になるほどに、わが家には過ぎたお祝賀があった。そのことを生涯の名誉と思って、満足すべきなのだろう」とおっしゃると、ますます腹が立って、不吉な言葉を言い散らしなさる。この大北の方は、性悪な人だったのである。

《娘とその子供たち三人を迎えた式部卿宮邸では、父宮の悲しみはもちろんですが、その奥方・北の方は悲しみを通り過ぎて、源氏に対する憤りで、恨み言を抑えきれません。

かつて姉娘を入内させようとした時も、今の梅壺の女御を立てて邪魔され(澪標の巻第三章第三段、あのころはこの宮は兵部卿でした)、またその後同じように立后もならなかった(少女の巻第三章第一段)ことの恨みを、改めて思い起こして憤ります。

それについては、宮が、源氏が須磨流謫の折の自分たちの(実は主として北の方の)言動がよくなかった(須磨の巻第一章第三段1節)から、仕方がないのだと話していたようなのですが、北の方にしてみれば、それでも紫の上をあれほど大事にしている(一人を大切になさるの)なら、その一族である自分たちに相応のお気遣いがあってしかるべきだという気がするのです。

それに、あの時からもうずいぶん時が経っているのに、いまだにそれを根に持って、大将に訳の分からぬ姫をあてがって、自分の娘に辛い思いをさせるなど、まったく意図的に企んだことに違いない、と見えるようです。

宮はあまりなことを大きな声で言われて、人に聞かれたりしては、ことは面倒になるばかりですし、彼自身は、六条院完成の折りに五十の賀を催して貰って面目を施している(少女の巻第七章第三段、もっともこのことも北の方にはおもしろくないことに思えたのでしたが)こともあって、取りあえずは必死のなだめ役です。

ここまで作者は二人のやりとりを克明に語ってきたのですが、最後は北の方に冷たく、「この大北の方は、性悪な人だったのである」と一言で切り捨ててしまいました。》

 今日、これを投稿し終わってたまたま新聞を見たら、ここでも読ませていただいている『源氏物語の論』、『源氏物語の世界』の著者・秋山虔先生の訃報が載っていました。お礼と共に、深く哀悼の意を表したいと思います。

  謝意を表する意味で、その新聞記事の一部をここに引かせてもらいます。

 「『源氏物語』研究の第一人者で文化功労者。91歳。東大名誉教授。源氏物語を中心とする平安朝文学研究で大きな功績を残した。2001年、皇太子ご夫妻の長女愛子さまが誕生した際には、『勘申(かんじん)者』の一人として名前と称号の命名案を天皇陛下に上申。『源氏物語の世界』、『平安文学の論』など著書多数。」

  ご存命中に先生のお説を引用したのは、私が最後の人間かも知れない(藤袴の巻冒頭で、十月二十五日でした)、などと不謹慎な感慨を抱きます。
ご冥福をお祈りします。


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第三段 姫君、柱の隙間に和歌を残す

【現代語訳】

 いつも寄りかかっていらっしゃる東面の柱を他人に譲るような気がなさるのも悲しくて、姫君は桧皮色の紙の重ねにほんの小さく書いて、柱のひび割れた隙間に笄の先でお差し込みになる。
「 今はとて宿かれぬとも馴れ来つる真木の柱はわれを忘るな

(今はもうこの家を離れて行くけれど、馴れ親しんだ真木の柱は私を忘れないでね)」
 すらすらと書き終わることもできずお泣きになる。

母君は、「いえ、なんの」と言って、
「 馴れきとは思ひ出づとも何により立ちとまるべき真木の柱ぞ

(長年馴れ親しんで来たと真木柱が思い出しくれるにしても、どうしてここに留まっ

ていられましょうか)」
 お側に仕える女房たちもそれぞれに悲しく、「日ごろはそれほどまで思わなかった木や草のことまで、恋しく思うことでしょう」と、目を止めて、鼻水をすすり合っていた。
 木工の君は殿の女房として留まるので、中将の君は、
「 浅けれど石間の水は澄み果てて宿守る君やかけ離るべき

(浅い関係のあなたが残って、邸を守るはずの北の方様が出て行かれることがあって

よいものでしょうか)
 思いもしなかったことです。こうしてお別れ申すとは」と言うと、木工の君は、
「 ともかくも岩間の水の結ぼほれかけとむべくも思ほえぬ世を

(何とも言いようもなく私の心は悲しみに閉ざされて、いつまでここに居られますこ

とやら)
 いや、そのような」と言って泣く。
 お車を引き出して振り返って見るのも、再び見ることができようかと、心細い気がする。梢にも目を止めて、見えなくなるまで振り返って御覧になるのであった。「君が住む」というわけではないが、長年お住まいになった所がどうして名残惜しくないことがあろうか。

 

《いくら待っても帰って来ない父親に、姫はとうとう立ち上がるしかなくなりました。彼女は別れの歌を、いつもそれに寄りすがってさまざまに思いを馳せていた部屋の真木の柱に挟んで残します。ここに詠まれた真木柱が巻の名の拠るところで、また後世、この姫の呼び名となります。

歌も、することも、何とも幼い、かわいらしいもののように思われますが、北の方の反応は、こんな所に留まったところで何の甲斐もないと、夫全否定の、何とも手厳しいものでした。しかし、後の女房たちの感慨が、それが本心ではないことを間接的に示しているわけで、彼女の腹立たしさは、情けなさ、悲しさの裏返しなのであろうと思わせます。

木工の君と中将の君も歌をかわしますが、一方は大将の所に残り、一方は北の方に従っていくとあって、どちらも相手の方が羨ましいと思われる面があって、これはこれでまた何とも微妙なやりとりです。

「梢にも目を止めて」以下は、「菅原道真が左遷されて京を去った時の歌…による」(『集成』)叙述ということで、「事の大小に差がありすぎるから、喜劇にもなるところであるが、読者を笑わすつもりは作者にはなさそうだ。ただ少し余裕をつける気持はあろう」と『評釈』は言います。

夫に腹を立てて出て行く母親が、お父さん子らしい姫の嫌がるのを敢えて連れて、見返りしながら去っていくというかなり切ない図に、いささか皮肉な色合いを加えた、という感じでしょうか。どうも、作者はこの北の方にあまり好意的ではないようです。》

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第二段 母君、子供たちを諭す

【現代語訳】

 お子様たちは無心に歩き回っておられるのを、母君が皆を呼んで座らせなさって、
「私は、このようにつらい運命と今は見届けてしまったので、この世に未練はありません。どうなりとなって行くことでしょう。生い先も長いのに、何といっても散り散りになって行かれるだろう様子が、悲しくも思われることです。
 姫は、どうなるにせよ、私についていらっしゃい。かえって、男君たちはどうしてもお父様のもとに参上してお会いしなければならないでしょうが、構っても下さらないでしょうし、どっちつかずの頼りない生活になるでしょう。宮が生きていらっしゃるうちは、型通りに宮仕えはしても、あの大臣たちのお心のままの世の中ですから、あの気を許せない一族の者よと、やはり目をつけられて、立身することも難しい。それだからといって、山林に続いて入って出家することも、来世まで大変なこと」とお泣きになると、皆、深い事情は分からないが、べそをかいて泣いていらっしゃる。
「昔物語などを見ても、世間並の愛情深い親でさえ、時勢に流され、後妻の言うままになって、冷たくなって行くものです。まして、形だけの親のようで、今でさえすっかり変わってしまったお心では、頼りになるようなお扱いをなさるまい」と、乳母たちも集まって来て、北の方は一緒にお嘆きになる。

 日も暮れ、雪も降って来そうな空模様も心細く見える夕方である。
「ひどく荒れて来ましょう。お早く」と、お迎えの君達はお促し申し上げて、お目を拭いながら物思いに沈んでいらっしゃる。姫君は、殿がたいそうかわいがって、懐いていらっしゃるので、
「お目にかからないではどうして行けようか。『これで』などと挨拶しないで再び会えないことになると困る」とお思いになると、突っ伏して、「とても出かけられない」とお思いでいるのを、「そのようなお考えでいらっしゃるとは、とても情けない」などと、おなだめ申し上げなさる。

「今すぐにも、お父様がお帰りになってほしい」とお待ち申し上げなさるが、このように日が暮れようとする時、あちらをお動きなさろうか。

 

《「子供たちはいつもと違うありさまをおもしろがる」(『評釈』)ものです。この日も、引っ越し騒ぎの中で、はしゃいで、「無心に歩き回って」います。

それを北の方が呼んで、諭して聞かせるのでした。お父様との間がもうどうにもならなくなったので、みんな別れ別れにならなくてはなりません。姫は、女の子だから私と一緒にいらっしゃい。心配なのは男君たちです。「男君たちは、どうしてもお父様のもとに参上してお会いしなければならない」とありますから、一応は連れて行くつもりのようですが、やはり大将の力を借りなければ世に出ることはできないでしょう。しかしその父は新しい奥方のことがあって、「構っても下さらないでしょう」。お祖父様の宮がいらっしゃるから、それなりの地位は貰えるかも知れないが、宮は源氏と疎遠だから、大きな望みは持てないでしょう。と言って、出家などしてくれては、私にとって来世までの悲しみの種になるし…。

子供たちは一緒になって泣き出します。「皆、深い事情は分からないが」が、当然ですがうまいところで、「子供は、母の、この激した言葉を理解したのではない。母の泣き声に合わせて、おろおろ泣く」(『評釈』)のであって、それによってどうしようもない哀れが描かれます。

乳母たちも集まってきて、殿は後妻の玉鬘の顔色を窺わなくてはならなくなって「言うままに」おなりになるだろう、するとあなた方たちには「冷たくなって行」かれるに違いなく、「頼りになるようなお扱いをなさるまい」と、「一緒になって」繰り言が尽きません。

今の北の方には、希望的な思いは、何ひとつ描き出せない気持だということなのでしょうが、実は、この北の方は「人にひけをお取りになるようなところはない」(第二章第一段)人だったはずで、別れ際に子供たちにこんなにまでひどいことを言うというのは、ちょっと解せません。普通なら、嘘でも、もう少し元気づけてやろうとするところでしょう。

「昔物語」(「『住吉物語』や『落窪物語』など、継母の言いなりになって先妻の子をうとんずる話」・『集成』)並みに、泣かせ所といった感じで書いて、こうなってしまったのでしょうか。

夕暮れになり、雪模様になって来たので、出立を急かされます。しかし姫君は、父親になついているので、せめて一言別れの言葉を、と、帰りを待って、動こうとしません。

母親は面白くありません。自分が折角娘のためを思って連れて行こうとしているのに、その娘は父に思いを残しているのでは、立つ瀬がなく情けなく、いらだたしいばかりです。

しかも父親は、こうして雪模様の夕暮れに、新しい妻のもとを離れてくるはずもありません。》

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