【現代語訳】
「せめて姫君にだけでもお会いしたい」と申し上げなさるが、お出し申すはずもない。
男の子たちは、十歳になるのは童殿上なさっている。とてもかわいらしい。人からほめられて、器量など優れてはいないが、たいそう利発で、物の道理をだんだんお分りになっていらっしゃる。
次の君は八歳ほどで、とても可憐で、姫君にも似ているので、撫でながら、
「そなたを恋しい姫君のお形見と思って見ることにしよう」などと、涙を流してお話しなさる。宮にもお目通りをお願いになったが、
「風邪がひどくて、養生しております時なので」と言うので、きまりの悪い思いで退出なさった。
幼い男の子たちを車に乗せて、親しく話しながらお帰りになる。六条殿には連れて行くことがおできになれないので、邸に残して、
「やはり、ここにいなさい。会いに来るのにも安心して来られるであろうから」とおっしゃる。悲しみにくれて、たいそう心細そうに見送っていらっしゃる様子がたいそうかわいそうなので、心配の種が増えたような気がするが、女君のご様子が見がいがあって立派なので、気違いじみたご様子と比べると格段の相違で、すべてお慰めになる。
ぱったりと途絶えてお便りもせず、体裁の悪かったことを口実にしているふうなのを、宮におかれてはひどく不愉快にお嘆きになる。
春の上もお聞きになって、
「私まで、恨まれる原因になるのがつらいこと」とお嘆きになるので、大臣の君は気の毒だとお思いになって、
「難しいものだ。自分の一存だけではどうすることもできない人の関係で、帝におかせられてもこだわりをお持ちになっていらっしゃるようだ。兵部卿宮などもお恨みになっていらっしゃると聞いたが、そうは言っても思慮深くいらっしゃる方なので、事情を知って恨みもお解けになったようだ。自然と、男女の関係は、人目を忍んでいると思っても、隠すことのできないものだから、そんなに苦にするほどの責任もない、と思っています」とおっしゃる。
《宮家は、姫には会わせないが、男の子たちはよいという姿勢のようです。『評釈』は「これらの男の子は簾外にかけ出すのを誰も止めることはできない」と言いますが、北の方もそういうつもりだったわけですし、この後何事もなく二人を連れて帰ったのですから、しいて止めようという考えはなかったように思います。
したがって、最初の「せめて姫君にだけ(原文・姫君をだに見たてまるらむ)」は、北の方が駄目なら、ということで、双方とも、息子たちは当然大将の方に、と考えていたわけです。男児は父親の元で育てるのが一般だったということでしょうか。
二人を連れて帰ったものの、「六条殿には連れて行く」ことはできないので(ということは、そちらを彼の本拠地にするつもりのように聞こえますが)、自邸において、彼はひとりそのまま六条院に行ってしまいました。見送る二人の子供たちはどんなにか心細かったであろうと思うと、「心配の種が増えたような気がする」という大将の思いは、いささか不足に思われます。
加えて、玉鬘を見ると「気違いじみたご様子と比べると格段の相違で、すべてお慰めにな」り、「ぱったりと途絶えてお便りもせず、体裁の悪かったことを口実にして」、北の方のことをすっかり忘れたふうである、というのも、気持は分かるものの、もう少しいい人だったはずだがと思われます。
その様子を脇で見ながら、とばっちりを受けた紫の上が困り顔で、その嘆きを聞きながら源氏が、自分のまいた種に匙を投げて、言い訳めいた気休めを紫の上に独り言のように言っている様子がユーモラスです。》