源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第二章 髭黒大将家の物語(一)

第六段 翌日、鬚黒、玉鬘を訪う

【現代語訳】

 日が暮れると、いつものように急いでお出かけになる。お召物のことなども体裁よく整えることもなさらず、まことに奇妙で身にそぐわないとただもう不機嫌でいらっしゃるが、立派な御直衣などは、間に合わせることがおできになれず、たいそう見苦しい。
 昨夜のは焼け穴があいて、気味悪く焦げた匂いがするのも異様である。御下着にまでその匂いが染みてついている。嫉妬された跡がはっきりして、相手もお嫌いになるに違いないので、脱ぎ替えて、御湯殿などでたいそう身繕いをなさる。
 木工の君が、お召物に香をたきしめながら、
「 ひとりゐてこがるる胸の苦しきに思ひあまれる炎とぞ見し

(北の方が独り残されて、思い焦がれる胸の苦しさが、思い余って炎となったその跡

と拝見しました)
 すっかり変わったお仕打ちは、お側で拝見する者でさえも、平気でいられましょうか」 と、口もとをおおっているが、その目もとは、たいそう魅力的である。けれども、

「どのような気持ちからこのような女に情けをかけたのだろう」などとだけ思われなさるのであった。薄情なことであるよ。
「 憂きことを思ひ騒げばさまざまにくゆる煙ぞいとど立ちそふ

(嫌なことを思って心が騒ぐので、あれこれと後悔の炎がますます立つことだ)
 まったくとんでもない事が、もし先方の耳に入ったら、両方がだめになることだろう」と、溜息ついてお出かけになった。
 一夜会わなかっただけなのに、改めて珍しいほどに、美しさが増したという気がなさるような様子に、ますます心を他の女に分けることもできないように思われて、憂鬱なので、長い間居続けていらっしゃる。

 

《玉鬘の所に行きたい気持ちを抑えて、一日北の方の祈祷に付き合った大将でしたが、夕方になると、「いつものように急いでお出かけになる」のでした。昨日の手紙には玉鬘からの返事もなく、気が気ではなかったでしょう。

ただ、行こうにも、昨日の騒ぎで着物が傷み汚れて、きちんとした物がなかったと言います。大将と言いながら、意外につましい暮らしのようです。

「焼け穴があいて」、「焦げた匂いがする」など、当たり前のことで、それを着替えたことを、わざわざ書いていることの方が不思議に思われます。出かけようと身支度をするまで一日中、そういう着物を着ていたのでしょうか。

『評釈』が、いつも北の方が世話をしていたから、見つからなかったのだと言いますが、『伊勢物語』二十三段の「筒井筒」の話から推測すると、北の方が夫の世話に自分で箪笥から出して衣服を誂えるなどあり得ないように思うのですが、どうなのでしょうか。

作者が読者サービスに大将の滑稽な姿を描こうとして、書いたにすぎないようにも思われます。

ともあれ、北の方がお世話できないので、木工の君が代わりを務めますが、彼女も、かつては大将の心を捕らえていたこともあるので、北の方のことにして自分の妬ける思いを、少々色っぽく投げかけます。が、今の大将の目に止まらず、かえって、煩わしく思われるばかりでした。詠み掛けた歌も、木工の君の心を詠んだものでしたが、そのことにも気づかず、妻のことにして返歌して、彼はそそくさと行ってしまいます。

行ってみると、そこは別世界の心地よさ、そして自宅の女性たちとは比較にならない、申し分のない新妻、彼は、自宅を思い出すこともうとましい気がして、そこに籠もってしまうのでした。》

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第五段 鬚黒、玉鬘に手紙だけを贈る

【現代語訳】

 一晩中、打たれたり引かれたり、泣きわめいて夜をお明かしになって、少しお静かになっているころに、あちらへお手紙を差し上げなさる。
「昨夜、急に意識を失った人が出まして、雪の降り具合も出掛けにくく、ためらっておりましたところ、身体までが冷えてしまいまして。あなたのお気持ちはもちろんのこと、周囲の人はどのように取り沙汰したことでございましょう」と、生真面目にお書きになっている。
「 心さへ空に乱れし雪もよにひとり冴えつる片敷の袖

(心までが中空に思い乱れましたこの雪に、独り冷たい片袖を敷いて寝ました)
 耐えられませんで」と、白い薄様に、重々しくお書きになっているが、格別風情のあるところもない。筆跡はたいそうみごとである。漢学の才能は高くいらっしゃるのであった。
 尚侍の君は、夜離れを何ともお思いなさらないので、このように心はやっていらっしゃる便りを御覧にもならないので、お返事もない。

男君は、落胆して、一日中物思いをなさる。北の方は、依然としてたいそう苦しそうになさっているので、御修法などを始めさせなさる。心の中でも、

「せめてもう暫くの間だけでも、何事もなく、正気でいらっしゃって下さい」とお祈りになる。

「ほんとうの気立てが優しいのを知らなかったら、こんなにまで大目に見ることのできない気味悪さだ」と、思っていらっしゃった。

 

《「打たれたり引かれたり」を最初に読んだ時は、大将が北の方に、ということなのだろうかと思いましたが、そうではなくて、北の方が「取り憑いた物の怪の調伏のため」に「加持の僧に打擲され引き回され」(『集成』)ることを言うようです。

『評釈』は「加持は相当ひどいらしい」と言っていて、「明けがた、体力を使い果たして北の方はうとうとする。それを、さすがの物の怪も弱ったのだ…と加持僧は言い、家人も信ずる」(同)ということになるようです。

 こんな、病人をさらにむち打つ、漫画のようなことが実際にまじめに行われていた時代に、この『源氏物語』が書かれたのだと思うと、その文化的ギャップにちょっととまどう感じです。作品の意図や動機を過度に現代に近づけないで考える必要がありそうです。

ともかく調伏がひときりついて静かになって、大将は玉鬘に、その夜行かれなかった詫びの手紙を送りました。まったく別の理由を挙げて言い訳するのではなく、「生真面目に」妻の病気を言っておおむね本当の話を、ただぼかして書かれてあります。紙の趣味は平凡のようですが、筆跡は立派でした。しかし、きちんとはしているものの、どうも恋文らしくない、芸のない便りになっているようです。

一方の玉鬘は、いずれにしても、あまり関心がありません。「尚侍の君」(女君ではなく)という立場で読んだようです。一方は殊更に「男君(原文・男)」と呼ばれて、作者から冷やかされています。

大将は、玉鬘を訪ねるのを断念して、「一日中物思いをなさる」中で、それでも北の方のために祈祷させながら、「ほんとうの気立てが優しいのを知らなかったら、こんなにまで我慢できない気味悪さだ」と思うのでした。彼は、今でも、北の方の「気立てが優しい」心根をいとおしむ気持があるようで、そういう意味でも「生真面目」な、無骨でまっすぐな人なのです。》

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第四段 北の方、鬚黒に香炉の灰を浴びせ掛ける

【現代語訳】

 御香炉を取り寄せて、ますます香をたきしめさせてお上げになる。ご自身は、皺になったお召物類で身なりを構わないお姿が、ますますほっそりとか弱げである。沈んでいらっしゃるのが、たいそうおいたわしい。お目のたいそう泣き腫らしているのは、少し疎ましいが、しみじみといとおしいと見る時は、気にもならなくて、
「どうして今まで疎遠にしてきたのか」と、「すっかり心変わりした自分が何とも軽薄だ」とは思いながらも、やはり気持ちははやって、わざと溜息をつきながら、やはりお召物を整えなさって、小さい香炉を取り寄せて、袖に入れてたきしめていらっしゃった。
 ほどよく着馴れたお召物で、器量も、あの並ぶ人のない方の美しさには圧倒されるが、たいそうすっきりと男らしい感じで、ただ人とは見えず、気おくれするほど立派である。
 侍所で、供人たちが声立てて、
「雪が小止みです。夜が更けてしまいましょう」などと、それでもあらわにではなくて、お促し申して咳払いをし合っている。
 中将の君や木工の君などは、「おいたわしいことだわ」などと嘆きながら、話し合って臥しているが、ご本人はじっと気持を抑えていじらしく物に寄り臥していらっしゃる、と見るうちに、急に起き上がって、大きな籠の下にあった香炉を取り寄せて、殿の後ろに近寄って、ぱっと浴びせかけなさる間、人の制止する間もなく、不意のことなので呆然としていらっしゃる。
 あんな細かい灰が目や鼻にも入って、ぼうっとして何も分からない。払い除けなさるが、立ちこめているので、お召物をお脱ぎになった。
 正気でこのようなことをなさると思えば、二度と見向く気にもなれずひどいことだが、
「例の物の怪が、人から嫌われるようにしようとしていることだ」と、お側の女房たちもお気の毒に見申し上げる。
 大騒ぎしてお召物をお召し替えなどするが、たくさんの灰が鬢のあたりにも舞い上がり、あたり一面にいっぱいの感じなので、善美を尽くしていらっしゃる所に、このまま参上なさることはできない。
「病気のせいとはいっても、やはり珍しい、見たこともないご様子だ」と爪弾きされ疎ましくなって、いとしいと思っていた気持ちも消え失せたが、

「この時期に事を荒立てたら、大変なことになるだろう」と心を鎮めて、夜中になったが、僧などを呼んで、加持をさせる騷ぎとなる。わめき叫んでいらっしゃる声など、愛想がお尽きになるのも無理内ことである。

 

《北の方は大将のお出かけの身支度を女房に指示し、自身は着古した部屋着で、うち沈んだ様子で、いかにも心細げに、その様を見上げているのでしょう。

そういう様子を見ると、大将は改めて、大事にしてやらなければ、と思うのでしたが、玉鬘に引かれる気持ちは抑えがたく、本意ではないという気持を示すために「わざと溜息をつきながら」準備します。きちんと身繕いをすると、源氏には及びもつかないものの、さすがになかなかの人に見えるのでした。

お供の者たちが準備ができて、促すように咳払いするのが聞こえ、中将の君や、木工の君も北の方に同情を寄せながら床につきます。北の方ひとり、物に寄り掛かって思いに沈んでいます。

誰にも、大将が出て行って「この場はこれで終わると見えた」(『評釈』)のでした。

が、その時、北の方がさっと立ち上がって、そばにあった香炉を手にすると、その中の灰をつかんで大将の後から、ぱっと浴びせかけたのです。

全く一瞬のことで、誰も何もできませんでした。

我に返った大将は、衣服を改めながら、まったく愛想の尽きる思いですが、それでも彼は、他でもない、ただ「物の怪」のせいと思うと、思いを鎮めます。

彼は、今夜は出かけるのをやめて、北の方のために僧を呼んで祈祷させるのでした。

『光る』が言います。「大野・実に鮮やかに書いてありますね。丸谷・うまいですね。…。〈大野・〉…正気と狂気とを入れ違いにしながら、その間に男が女をどう見るかとか。…綾のやりとりの細かさ、筆の冴えですね。丸谷・すごいですね」。

ところで、北の方は、灰を振りかけた後どうしていたのでしょうか。同じような奇矯な振る舞いが続いていたというのではなく、一瞬の単発的な行動で、書かれている範囲では後は収まっているように見えますが、そういう北の方のために、大将は、夜中にもかかわらず僧を呼んで祈祷させたといいます。そのようにするものなのでしょうか。あるいは、そうすることで、「事を荒立て」ないために、ただ病気の発作一般という形にしようとしたのでしょうか。》

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第三段 鬚黒、玉鬘のもとへ出かけようとする

【現代語訳】

 日が暮れたので、気もそぞろになって、何とか出かけたいとお思いになるが、雪が空をまっくらにして降っている。このような天候にあえて出かけるのも人目に立って見苦しく、このご様子も憎らしく嫉妬して恨みなどなさるならば、かえってそれを口実にして自分も対抗して出て行くのだが、たいそうおっとりと、気にかけていないように振る舞っていらっしゃる様子が、たいそうお気の毒なので、どうしようかと迷いながら、格子なども上げたまま、端近くに物思いに耽っていらっしゃった。
 北の方がその様子を見て、
「あいにくな雪ですが、どう踏み分けてお出かけなろうとなさるのでしょう。夜も更けたようですわ」とお促しになる。

「今はもうおしまいだ、引き止めたところで」と見極めていらっしゃる様子が、まことに不憫である。
「このような雪では、どうして出かけられようか」とおっしゃる一方で、
「やはり、ここ当分の間だけは。私の気持ちを知らないで何かと人が噂し、大臣たちもあれこれとお耳になさろうことを憚って、途絶えを置くのは気の毒です。落ち着いて、やはりわたしの気持ちをお見届けください。こちらにでも迎えたら、気がねもなくなるでしょう。このように普通のご様子をしていらっしゃる時は、他の女に心を移すこともなくなって、いとおしくお思い申し上げます」などと、お慰めなさると、
「ここにお留まりになっても、お心が他に行っているのなら、かえってつらいことでございましょう。他の所にいても、せめて思い出してくだされば、涙に濡れた袖の氷もきっと解けることでしょう」などと、穏やかにおっしゃっておられる。

 

《十月に玉鬘は尚侍として参内し、それから一ヶ月、第一章第二段に十一月になったとありましたが、今日はあいにく外は大変な雪になっています。

それでも、夕方になって、大将は玉鬘の所に行きたくて、気もそぞろになってきました。

といって、こんな日に出かけるのは、「人目に立って(北の方に)お気の毒である」と気配りをします。いっそ、大変な焼きもちでも焼いてくれれば、それに腹を立てた格好で出て行けるのですが、北の方はあくまで何事もないふうに穏やかなので、立ち上がりもならずに、躊躇っています。

それを見ていて、北の方がむしろ気遣うような物言いで、早く行かねば、と促します。

しかもその裏では、もう諦めているような気配が感じられて、大将は何とも言えない気持になります。

一応は、そんな気はないような返事をしたものの、しかし、やはり行かなければ「何かと人が噂し」て、源氏がいろいろ思われるだろうし、姫が恥ずかしい思いをすることになるから、暫くの間はきちんと通わなければと、北の方に許しを請います。

北の方の返事は、この上ない見事なもので、ここの二人の会話は、義理と人情の板挟みといったような、お互いに思いやりの溢れたもので、それなりに美しい光景です。》

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第二段 鬚黒、北の方を慰める~その2

【現代語訳】2

「宮の御事をどうして軽んじ申そう。恐ろしい、人聞きの悪いおっしゃりようをなさいますな」となだめて、

「あの通っております所の、たいそう眩しい玉の御殿に、もの馴れず、生真面目な恰好で出入りしているのも、あれこれ人目に立つだろうと気がひけるので、気楽なように迎えてしまおうと考えているのです。

 太政大臣が、ああした世に比べるものもないご声望を今さら申し上げるまでもなく、恥ずかしくなるほど行き届いていらっしゃるお邸に、よくない噂が漏れ聞こえては、たいそうお気の毒であるし、恐れ多いことでしょう。
 穏やかに、仲好くして、親しく付き合って下さい。父宮邸にお渡りになっても、忘れることはないでしょう。いずれにせよ、今さら私の気持ちが遠のくことはあるはずはないのですが、世間の噂や物笑いになって、私にとっても軽々しいことでございましょうから、長年の約束を違えず、お互いに力になり合おうと、お考えください」と、とりなし申し上げなさると、
「あなたのお仕打ちはどうこうと申しません。世間の人と違った身の病を、父宮におかれてもお嘆きになって、今さら物笑いになることと、お心を痛めていらっしゃるとのことなので、お気の毒で、どうしてお目にかかれましょう、と思うのです。
 大殿の北の方と申し上げる方も、決して縁のない方ではいらっしゃいません。あの方は、私の知らないところで成長なさった方で、後になって、このように人の親のように振る舞っていらっしゃる辛さを考えて、お口になさるようですが、私の方では何とも思っていませんわ。なさりようを見ているばかりです」とおっしゃるので、
「たいそう良いことをおっしゃるが、いつものご乱心では、困ったことも起こるでしょう。大殿の北の方がご存知になることでもございません。箱入り娘のようでいらっしゃるので、このように軽蔑された人の身の上まではご存知のはずがありません。あの人の親らしくなくおいでのようです。このようなことが耳に入ったら、ますます困ったことになるでしょう」などと、一日中お側で、お慰め申し上げなさる。

 

《大将の懸命の懐柔と弁解が続きます。

彼が源氏邸の玉鬘の所に出入りしていることは、北の方ももう知っているようです。そして大将もそのこと自体については、弁解しません。それを前提に、そういうところに通うのは人目が憚られるので、自邸に迎えてしまいたいと、必死の説得です。

「父宮邸にお渡りになっても、忘れることはございません」が、それでもここに残って下さい、というのは、当時としてはなかなかの言葉と言っていいのではないでしょうか。

それに対して北の方も、辛い中で、精一杯の言葉で応じます。

新しい妻を迎えられることは、仕方がないと思う、里帰りすることは考えていない、父宮は紫の上が、「(娘である私からあなたを奪った)人(玉鬘)の親のように振る舞っていらっしゃる」ことを、不快に思っていらっしゃるようだけれども、それも、「私の方では何とも思っていません」、なるようにしかならないでしょう、と大将に語ります。

大将は、いきなり紫の上の名前が出てきて驚きます。そうでなくても自分は源氏から決して好感を持たれているわけではなく、玉鬘のことも、やむなく認められたに過ぎないのに、「この人の悪口を北の方が言ったと六条の院に知られたら、源氏は長く根に持つ」(『評釈』)でしょうから、慌てて、そのことを口止めします。

一方で、「どうこうと申しません」とは言っても、もちろん北の方は、大将の話に納得し、承知したというわけではなく、「おだやかでなく辛い」(前節)と思い、憤り、悲しく情けなく思っていることは明らかなので、大将は、何かまだ言わなくてはなりません。その後も、「一日中」北の方をなだめすかすのでした。》

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