【現代語訳】2
だんだんと情のこもったお話になって、近くにある御脇息に寄り掛かって、少し覗き見しながら、お話し申し上げなさる。たいそう美しげに面やつれしておいでの様子が、見飽きず、いじらしさがお加わりになっているにつけても、他人に手放してしまうのも、あまりな気まぐれなことだと残念である。
「 おりたちて汲みは見ねどもわたり川人の瀬とはた契らざりしを
(あなたと立ち入った深い関係はありませんでしたが、三途の川を渡る時、他の男に
背負われて瀬を渡るようにはお約束しなかったはずなのに)
思ってもみなかったことです」と鼻をおかみになる様子はやさしく心を打つ風情である。
女は顔を隠して、
「 みつせ川わたらぬさきにいかでかは涙のみをの泡と消えなむ
(三途の川を渡らない前に、何とかしてやはり涙の流れに浮かぶ泡と消えてしまいた
いものです)」
「幼稚な消え所ですね。それにしても、あの三途の川の瀬は避けることのできない道だそうですから、お手先だけは引いてお助け申しましょうか」とほほ笑みなさって、
「真面目な話、思い当たられることもあるでしょう。世間にまたとない馬鹿さ加減も、また一方で安心できるのも、この世に類のないくらいなのを、いくら何でもおわかりだろうと、頼もしく思っています」と申し上げなさるのを、本当にどうしようもなく聞き苦しいとお思いでいらっしゃるので、気の毒になって、話をおそらしになりながら、
「帝が仰せになることがお気の毒なので、やはり、ちょっとの間でも出仕なさるよう取りはからいましょう。自分のものと家の中に閉じ込めてしまってからでは、そのようなお勤めもできにくいお身の上となりましょう。当初の考えとは違った格好ですが、二条の大臣はご満足のようなので安心です」などと、こまごまとお話し申し上げなさる。
ありがたくも気恥ずかしくもお聞きになることが多いけれど、ただ涙に濡れていらっしゃる。たいそうこんなにまでつらがっておいでの様子がお気の毒なので、思いのままに無体な振る舞いはなさらず、ただ心得やご注意をお教え申し上げなさる。あちらにお移りになることを、直ぐにはお許し申し上げなさらないご様子である。
《源氏は、世間話から次第に心のこもった話に話題を移します。聞いている玉鬘は、すっかり窶れしていますが、それがまた美しく見えます。 源氏の歌は、「女が死後三途の川を渡るときは、最初に関係した男にたすけられて渡る、ということが『仏説地蔵十王経』に見える」そうで(『評釈』)、それを下敷きにしたもので、自分がその役割を担いたかったというわけです。 玉鬘の歌は、いっそのこと死んでしまいたいと、少しずらしての返事のように見えますが、源氏は、にっこり笑ってそれを制し、ここに至ってなおも口説き文句です。「思い当たられること」は「胡蝶(第三章第三段以下)の、添い寝したことをさす」(『集成』)言葉で、懸命に自制したことを訴えて、悔いを語って聞かせました。 しかし、玉鬘はそれを「本当にどうしようもなく聞き苦しいとお思いでいらっしゃる」ようです。彼女は、源氏を素晴らしい人とは思っても、どうしても半分父と娘という関係であるところから先には進みません。『評釈』が、源氏の歌の後の「やさしく心を打つ」を「身も心も靡く思い」と言いますが、源氏から今そのように口説かれることは、彼女をいっそう辛い思いにさせます。「ありがたくも気恥ずかしくもお聞きになることが多い」は、そういう彼女の身の置き所のない気持を言っているのでしょう。玉鬘は、源氏にこの上なく憧れる気持はあっても、源氏が思い描くような関係でありたいと考えることは、どうしてもできなかったのでした。 しかし源氏は、あくまでも彼女を大将に簡単には渡さないつもりのようです。 彼は玉鬘を引き取るに当たって、「この邸の内に好意を寄せていらっしゃる心を騒がしてみたいものだ」(玉鬘の巻第四章第八段)と考えたのでしたが、ミイラ取りがミイラ、で、実は最も心を騒がせたのは源氏自身だったということでしょう。そのことは、彼女にとってつらいことではありますが、また誇りとしてもいいことです。 「女性の心の持ち方としては、この姫君を手本にすべきだ」(藤袴の巻末)とされた姫君への作者からの最後のご褒美として、この場面があるといった感じです。 ここまで彼女は、姫君として周囲の暮らしに華やぎや彩りを添えるという役割を最大限に発揮したのですし、また同時にそのことによって、今の彼女にとっては悲恋なのですが、「女にとって恋愛は生涯の歴史である」(ボーヴォワール)というわけで、彼女自身の青春を謳歌したともいえるのです。 なお、「二条の大臣」というのは、玉鬘の実父・内大臣のこととされます。その母の故大宮が三条邸にいて、彼の住まいは二条だったようです。》