【現代語訳】
一晩中、打たれたり引かれたり、泣きわめいて夜をお明かしになって、少しお静かになっているころに、あちらへお手紙を差し上げなさる。
「昨夜、急に意識を失った人が出まして、雪の降り具合も出掛けにくく、ためらっておりましたところ、身体までが冷えてしまいまして。あなたのお気持ちはもちろんのこと、周囲の人はどのように取り沙汰したことでございましょう」と、生真面目にお書きになっている。
「 心さへ空に乱れし雪もよにひとり冴えつる片敷の袖
(心までが中空に思い乱れましたこの雪に、独り冷たい片袖を敷いて寝ました)
耐えられませんで」と、白い薄様に、重々しくお書きになっているが、格別風情のあるところもない。筆跡はたいそうみごとである。漢学の才能は高くいらっしゃるのであった。
尚侍の君は、夜離れを何ともお思いなさらないので、このように心はやっていらっしゃる便りを御覧にもならないので、お返事もない。
男君は、落胆して、一日中物思いをなさる。北の方は、依然としてたいそう苦しそうになさっているので、御修法などを始めさせなさる。心の中でも、
「せめてもう暫くの間だけでも、何事もなく、正気でいらっしゃって下さい」とお祈りになる。
「ほんとうの気立てが優しいのを知らなかったら、こんなにまで大目に見ることのできない気味悪さだ」と、思っていらっしゃった。
《「打たれたり引かれたり」を最初に読んだ時は、大将が北の方に、ということなのだろうかと思いましたが、そうではなくて、北の方が「取り憑いた物の怪の調伏のため」に「加持の僧に打擲され引き回され」(『集成』)ることを言うようです。
『評釈』は「加持は相当ひどいらしい」と言っていて、「明けがた、体力を使い果たして北の方はうとうとする。それを、さすがの物の怪も弱ったのだ…と加持僧は言い、家人も信ずる」(同)ということになるようです。
こんな、病人をさらにむち打つ、漫画のようなことが実際にまじめに行われていた時代に、この『源氏物語』が書かれたのだと思うと、その文化的ギャップにちょっととまどう感じです。作品の意図や動機を過度に現代に近づけないで考える必要がありそうです。
ともかく調伏がひときりついて静かになって、大将は玉鬘に、その夜行かれなかった詫びの手紙を送りました。まったく別の理由を挙げて言い訳するのではなく、「生真面目に」妻の病気を言っておおむね本当の話を、ただぼかして書かれてあります。紙の趣味は平凡のようですが、筆跡は立派でした。しかし、きちんとはしているものの、どうも恋文らしくない、芸のない便りになっているようです。
一方の玉鬘は、いずれにしても、あまり関心がありません。「尚侍の君」(女君ではなく)という立場で読んだようです。一方は殊更に「男君(原文・男)」と呼ばれて、作者から冷やかされています。
大将は、玉鬘を訪ねるのを断念して、「一日中物思いをなさる」中で、それでも北の方のために祈祷させながら、「ほんとうの気立てが優しいのを知らなかったら、こんなにまで我慢できない気味悪さだ」と思うのでした。彼は、今でも、北の方の「気立てが優しい」心根をいとおしむ気持があるようで、そういう意味でも「生真面目」な、無骨でまっすぐな人なのです。》