源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

巻三十一 真木柱

第二段 近江の君、活発に振る舞う

【現代語訳】

 そうそう、あの内大臣のご息女で尚侍を望んでいた女君も、ああした類の人の癖として、色気まで加わってそわそわし出して、持て余していらっしゃる。女御も、「今に、軽率なことを、この君はきっとしでかすだろう」と、何かにつけ、はらはらしていらっしゃるが、大臣が、「今後は、人前に出てはいけません」と戒めておっしゃるのさえ聞き入れず、人中に出て仕えていらっしゃる。
 どういう時であったろうか、殿上人が大勢、立派な方々ばかりが、この女御の御殿に参上して、いろいろな楽器を奏してくつろいだ感じの拍子を打って遊んでいる。秋の夕方のどことなく風情のあるところに、宰相中将もお寄りになって、いつもと違ってふざけて冗談をおっしゃるのを、女房たちは珍しく思って、
「やはり、どの人よりも格別だわ」と誉めると、この近江の君が女房たちの中を押し分けて出ていらっしゃる。
「あら、困ったこと。これは大変」と引き止めるが、たいそう意地悪そうに睨んで出張っているので、困って、
「軽率なことを、おっしゃらないかしら」と、お互いにつつき合っていると、この世にも珍しい真面目な方を、
「この人よ、この人よ」と誉めて、小声で騷ぎ立てる声が、まことにはっきり聞こえる。女房たちは、とても困ったと思うが、声はとてもはっきりした調子で、
「 沖つ舟よるべ波路にただよはば棹さし寄らむ泊まり教へよ

(沖の舟さん。寄る所がなくて波に漂っているなら、私が棹さして近づいて行きます

から、行く場所を教えてください)
 棚なし小舟みたいに、いつまでも一人の方ばかり思い続けていらっしゃるのね。あら、ごめんなさい」と言うので、たいそう不審に思って、
「こちらの邸には、このようなぶしつけな人のことは、聞かないのに」と思いめぐらすと、

「あの噂の姫君であったのか」と、おもしろく思って、
「 よるべなみ風の騒がす舟人も思はぬかたに磯づたひせず

(寄るべもないので風がもて遊ぶ舟人でも、思ってもいない所には磯伝いしません)」
 とおっしゃったので、引っ込みがつかなかったであろう、とか。

 

《玉鬘が、人々からたくさんの篤い思いを寄せられながら周囲の思惑に翻弄され、波乱に振り回されて、その周辺に「妙に、男にも女にも物思いをさせ」(前節)、それでも今曲がりなりにもどうやら落ち着いた暮らしを得たころ、かの近江の君は、内大臣邸で、相変わらず溌剌とした厄介者を演じているのでした。

 ぼつぼ年頃となってきて、手元に預かって面倒を見ている(常夏の巻第二章)女御も不安を感じ始め、父上は心配で女御へのお勤めも控えるように言うのですが、言うことを聞くものではありませんでした。

折から、たまたま内大臣邸の弘徽殿の女御の所でくつろいだ音楽の集いがなされているところに夕霧が遊びに来て、この人には珍しく女房たちをからかい、談笑している時に、この人は何と言っても一応は姫君扱いですから、さっそく「女房たちの中を押し分けて出ていらっしゃる」と、人々の不安を知らぬげに、夕霧に向かって、雲居の雁への彼の思いをからかうように、歌を詠み掛けるのでした。周囲は、源氏の御曹司という大事な客であり、かつ、当代一の貴公子に対して、当人が一番つらく思っていることをずけずけと話しかけるとは、何ということを、と目を覆いたい気分だったことでしょう。

夕霧も驚きます。女御の周辺の女房にこんな人がいるとは、と「たいそう不審に思って」、思いめぐらし、さてはあの噂の姫君かと思い当たったのでした。

返歌は至って明快に、いえいえ、いくら行くところがなくても、噂のあなたは結構です、というものでした。

こうして、源氏中年の、いささかもたついた感のある玉鬘の物語は、口直し(いや、ほんのお口汚し?)のギャグのようなエピソードをもって幕を閉じて、以下は源氏の栄達の最終ラウンドに入ることになります。》

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第一段 玉鬘、男子を出産

【現代語訳】
 あのもとの北の方は、月日の経つにしたがって、あまりな仕打ちだと物思いに沈んで、ますます気が変になっていらっしゃる。大将殿の普段のお世話は、万事に細かくご配慮なさっていて、男の子たちを変わらずかわいがっていらっしゃるので、北の方はすっかり縁を切っておしまいにはなれず、生活上の頼りは以前と同様でいらっしゃるのであった。
 大将は姫君をたまらなく恋しくお思い申し上げなさるが、全然お会わせ申し上げなさらない。子供心にも、この父君を誰もがみな許すことなくお恨み申し上げて、ますます遠ざけることばかりが増えて行くので、心細く悲しいが、男の子たちは、いつも一緒に行き来して、尚侍の君のご様子などを自然と何かにつけて話し出して、
「私たちをも、かわいがってやさしくして下さいます。毎日おもしろいことをして暮らしていらっしゃいます」などと言うと、羨ましくなって、このようにして自由に振る舞える男の身に生まれてこなかったことをお嘆きになる。妙に、男にも女にも物思いをさせる尚侍の君でいらっしゃるのであった。

 その年の十一月に、たいそうかわいい赤子までお生みになったので、大将も、申し分なくめでたいと、大切にお世話なさることこの上ない。その時の様子は言わなくても想像できることであろう。父大臣も、自然に願っていた通りのご運命だとお思いになる。
 特別に大切にお世話なさっているお子様たちにも、ご器量などは劣っていらっしゃらない。頭中将も、この尚侍の君を、たいそう仲の好い姉弟としてお付き合い申し上げていらっしゃるものの、やはり諦めきれない様子を時々は見せながら、入内して、その甲斐あってのご出産であったらよかったのにと、この若君のかわいらしさにつけても、
「今まで皇子たちがいらっしゃらないお嘆きを拝見しているので、どんなに名誉なことであろう」と、あまりに身勝手なことを思っておっしゃる。
 公務はしかるべく取り仕切っているが、参内なさることはこのままこうして終わってしまいそうである。それもやむをえないことである。

 

《源氏の玉鬘を巡る物語は終わりました。ここはその後日談です。

 大将の北の方は、思うことが多く病状は芳しくありません。大将の息子たちは、大将の家に住んでいるのですが、しばしばそういう母を訪ねて式部卿宮邸にやって来ているようで、北の方はこの子たちかわいさに縁を切らずにいるので、したがって大将は暮らし向きの援助も以前のまま続けています。

 ただ姫君・真木柱だけは、「この父君を(宮邸の)誰もがみな許すことなくお恨み申し上げて」父親に会わせて貰えず嘆いていますし、大将も会えないのをただ一つの悲しみとしているのでした。

 その冬、玉鬘に大将の子が生まれました。大将の生活の地盤は着々と固まっていきます。また、源氏にとっては面白くないことでしょうが、実の舅である内大臣にとっては全く喜ばしいことで、玉鬘への親しみさも次第に増していくようです。嫡男・頭中将などは、まだ姉弟でなければなどと一方では思いながら、また、もしこの子が尚侍として帝の御子だったら、と欲張ったことを考えるほど、身近な気持になっているのでした。

 しかも「たいそうかわいい赤子」でしたから、玉鬘も、大将のことはともかくも、きっとその子に心を奪われて、これからはもう以前のようには源氏を恋しがったりしなくなっていくでしょう。そしてとうとう尚侍の仕事は在宅勤務となり、出仕することさえもなくなりそうなのです。

これで玉鬘十帖と呼ばれる話が終わります。この後玉鬘は主役の座を降りて、ときおり姿を見せながら、およそ二十年後の竹河の巻で再び大きな役を受け持つまで、おおむねは物語の陰に隠れることになります。

そうそう、源氏邸の玉鬘と対照的な、内大臣邸の近江の君の話が語られなければ不公平でした。》

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第八段 三月、源氏、玉鬘を思う

【現代語訳】

 三月になって六条殿の御前の藤や山吹が美しい夕映えを御覧になるにつけても、まっさきに、見る甲斐のある様子で座っていらっしゃったお姿ばかりが思い出されなさるので、春の御前の庭を放っておいて、こちらの殿に来て御覧になる。呉竹の籬に自然と咲きかかっている色艶が、たいそう美しい。
「色に衣を(口には出すまい)」などとおっしゃって、
「 思はずに井手の中道隔つとも言はでぞ恋ふる山吹の花

(思いがけずに二人の仲は隔てられてしまったが、心の中では恋い慕っていることだ)
 『顔に見えつつ(いつまでも面影に見えて)』」などとおっしゃっても、聞く人もいない。 

このように、さすがにすっかり離れてしまったことは、今になってお分かりになるのであった。ほんとうに、妙なおたわむれの心であるよ。
 鴨の卵がたいそうたくさんあるのを御覧になって、柑子や橘などのように見せて、何気ないふうに差し上げなさる。お手紙は、「あまり人目に立っては」などとお思いになって、そっけなく、
「逢わない月日も重なったのを、心外なおあしらいだとお恨み申し上げていますが、あなたお一人のお考えからではなく聞いておりますので、特別の場合でなくてはお目にかかることの難しいことを、残念に思っています」などと、親めいてお書きになって、
「 同じ巣にかへりしかひの見えぬかないかなる人か手ににぎるらむ

(私の所でかえった雛が見えないことだ、どんな人が手に握っているのだろう)
 どうしてこんなにまでもなどと、おもしろくなくて」などとあるのを、大将も御覧になって、ふと笑って、
「女性は、実の親の所にも、簡単に行ってお会いなさることは、適当な機会がなくてはなさるべきではない。まして、どうしてこの大臣は、度々諦めずに、恨み言をおっしゃるのだろう」と、ぶつぶつ言うのも、憎らしいとお聞きになる。
「お返事は、私は差し上げられません」と、書きにくくお思いになっているので、
「私がお書き申そう」と代わるのも、はらはらする思いである。
「 巣隠れて数にもあらぬかりの子をいづかたにかは取り返すべき

(巣に隠れて数にも入らない雁(仮)の子を、どちらに取り返そうとおっしゃるので

しょう)
 不機嫌なご様子にびっくりしまして。物好きなようですが」とお返事申し上げた。
「この大将がこのような風流ぶった歌を詠んだのも、まだ聞いたことがなかった。珍しくて」と言って、お笑いになる。心中では、このように一人占めにしているのを、とても憎いとお思いになる。

 

《源氏三十五歳の冬に玉鬘を六条院に迎えてから、丸二年が過ぎた春です。

あの見事な紫の上の春の庭を見ていても、源氏が思うのは玉鬘のことばかり、とうとうまた東北の邸の西の対にやって来ます。もちろんそこには、名実ともに人の妻となってしまった玉鬘の姿はすでになく、庭を眺めて物思いに耽るだけです。『伊勢物語』第四段「月やあらぬ」の風情と言えましょうか。
  彼は思わず「色に衣を」と口にします。引き歌で、珍しく『集成』と『評釈』・『谷崎』の挙げる歌が異なっていますが、いずれにしても山吹の黄色から「梔子(くちなし)」を連想して詠んだもので、「言はで心にものをこそ思へ」、または「思ふとも恋ふとも言はじ」といった気持です。やっと殊勝にも玉鬘を諦めねばならないという気持になってきたようです。

それでもまだ思いが絶えたわけではなく、「鴨の卵(『評釈』が、献上品なのだろうと言います)がたいそうたくさんあるのを御覧になって」、それに色を塗って果物のように見せて贈り、文を添えたのでした。終わりの「どうしてこんなにまでも」は、そんなに厳しくガードしなくてもよさそうなものを、という気持、逢いたい気持をストレートに書いた、親としての手紙なので、大将にも読まれて、笑われてしまいます。安堵の笑いと言いますか、大将から見て、源氏が年寄りに見えた瞬間だったように思われます。

それでも大将はまだ安心ならず、玉鬘に、独り言のようにしてそれとなく妻の心得を説いて聞かせます。そして玉鬘が返事を書きしぶっているのをさいわいに、自分が代筆しました。「物好きなようですが(原文・好きずきしきや)」を、『評釈』が「男が手紙を男あてに送るのを自嘲して」言ったものか、と言い、明石入道の源氏への手紙にも同じ言葉があった(明石の巻第二章第七段1節)ことを指摘しています。そう言われれば、大人の男同士で具体的な用件のない手紙というのは、どことなくいかがわしい感じもします。

生真面目な大将にしては、洒落た返事だと源氏は笑いますが、心の内は、生まれて初めて恋の競い合いに負けて、だらしなく引っ込むしかない敗北感です。『構想と鑑賞』は「悩んだ末の諦観ともいうべきものがあり、人間的生長がみられる」と言います。昔だったら、なお忍んで行って、思いを遂げただろうに、そうしなかったことを評価するのでしょうが、自分で選択した結末ではないわけですから、「生長」と言えるかどうか…。むしろ、結果的に恋愛ゲームであったということを物語っていると考える方がいいでしょう。もちろん、当時の大宮人には生活の中に必須のゲームだという前提で、ですが。》

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第七段 源氏、玉鬘の返書を読む

【現代語訳】

 手紙を広げて軒の玉水のように涙がこぼれるような思いがなさるのを、「人が見たら、体裁悪いことだろう」と、平静を装っていらっしゃるが、胸が一杯になる思いがして、あの昔の、朧月夜の尚侍の君を朱雀院の母后が無理に逢わせまいとなさった時のことなどをお思い出しになるが、目前のことだからであろうか、こちらは喩えようなく、しみじみと心にかかるのであった。
「色好みの人は、自分から求めて物思いの絶えないのだ。今は何のために心を悩ましたいしようか。似つかわしくない恋の相手であるよ」と、冷静にとお努めになるができなくて、お琴を掻き鳴らして、やさしくしいてお弾きになると、その爪音に、玉鬘の爪音が、つい思い出されておしまいになる。

和琴の調べを、すが掻きにして、『玉藻はな刈りそ』と、謡い興じていらっしゃるのも、恋しい人に見せたならば、感動せずにはいられないご様子である。
 帝におかせられても、わずかに御覧あそばしたご器量やご様子をお忘れにならず、「赤裳垂れ引き去にし姿を(立っても思い坐っても思い)」と、耳馴れない古歌であるが、お口癖になさって、物思いに耽っておいであそばすのであった。お手紙は、そっと時々あるのであった。

玉鬘は、わが身を不運な境遇と思い込みなさって、このような軽い気持ちのお手紙のやりとりも、似合わなくお思いになるので、うち解けたお返事も申し上げなさらない。
 やはり、あの大殿の、またとないほどであったお心配りを何かにつけて深く身に沁みてありがたく思いになったことが、忘れられないのであった。


《源氏の綿々たる思いが続きます。

彼は、若かりし頃の朧月夜の君とのことを思い出し、それと比べて「目前のことだからであろうか、こちらは喩えようなく」胸にしみた、と言うのですが、思い出に比べて現実の方が生々しく心を捕らえるのはあまりに当たり前の話で、それならわざわざ昔のことを引き合いに出す必要がないようにも思われます。

玉鬘よりも朧月夜の方が、はるかにキャラクターが鮮明で、魅力的な人物であるのは間違いないのに、玉鬘の方に源氏の思いが傾いているのでは、源氏の偉大さを損なう書き方と言えるのではないでしょうか。

もちろん、作者としては、藤袴の巻末にあったように、玉鬘を女性の手本になるような人と考えて書いているので、これはあくまでも現代感覚の見方ということになりますが。

ともあれ、そういう気持の中で、気を鎮めようと琴を弾くと、その音がそのまま玉鬘を思い出させるというのですが、このところ、原文で、「御琴掻き鳴らして、なつかしう弾きたまひし爪音、思ひ出でられたまふ」とあって、「なつかしう弾きたまひし」の部分が、源氏の行為であって、同時にそのまま玉鬘のでもあるという、おもしろい流れの表現になっています。

帝もまた、さすがに源氏の子だけあって、連綿としていますが、もう玉鬘の関心は引きません。彼女は、ただ源氏とのことを懐かしく恋しく思っているのでした。
 源氏が、ここで「玉藻はな刈りそ」と口ずさむのは、「なんの意味があるのか、古注も困っている」と『評釈』が言っています。》

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第六段 二月、源氏、玉鬘へ手紙を贈る

【現代語訳】

 二月になった。大殿は、
「それにしても、無愛想な仕打ちだ。まったくこのようにきっぱりと自分のものにしようとは思いもかけないで、油断させられたのが悔しい」と体裁悪く、どうにもお心から離れない時とてなく、恋しく思い出されていらっしゃる。
「前世からの縁などというのも、軽く見てはならないものだが、自分のどうすることもできない気持ちから、このように自ら求めての物思いをすることだ」と、寝ても起きても幻のように目に浮かぶ思いがなさる。
 大将のような、おもしろみも愛想もない人に連れ添っていては、ちょっとした冗談も遠慮され、不似合いな気がなさって、我慢していらっしゃるとき、雨がひどく降ってとてものんびりとしたころ、このような所在なさも気の紛らし所としてお行きになって、お話しになったことなどがたいそう恋しいので、お手紙を差し上げなさる。
 右近のもとにこっそりと差し出すのも、一方では、それをどのように思うかとお思いになると、詳しくは書き綴ることがおできになれず、ただ相手の推察に任せた書きぶりなのであった。
「 かきたれてのどけきころの春雨にふるさと人をいかに偲ぶや

(降りこめられてのどやかな春雨に、昔馴染みの私をどう思っていますか)
 所在なさにつけても、恨めしく思い出されることが多くありますが、どのようにして申し上げることができるでしょうか」などとある。
 人のいない間にこっそりとお見せ申し上げると、ほろっと泣いて、自分の心にも、月日の経つにつれて、思い出しておしまいになるご様子を、正面きって、「恋しい、何とかしてお目にかかりたい」などとは、おっしゃることのできない親なので、「おっしゃるとおり、どうしてお会いすることができようか」と、もの悲しい。
 時々、応対に困ったご様子をいやらしいとお思い申し上げたことなどは、この人にもお知らせになっていないことなので、自分ひとりでお思い続けていらっしゃるが、右近は、うすうす感じ取っていたのであった。実際、どんな仲であったのだろうと、今でも納得が行かず思っていたのであった。
 お返事は、「差し上げるのも気が引けるが、ご心配をされようか」と思ってお書きになる。
「 ながめする軒のしづくに袖ぬれてうたかた人を偲ばざらめや

(物思いに袖を濡らして、どうしてあなた様のことを思わずにいられましょうか)
 時が経つと、おっしゃるとおり、格別な所在なさも募りますこと。あなかしこ」と、恭しくお書きになっていた。

 

《ここの冒頭、「『…と油断させられたのが悔しい』と体裁悪く」のところは、原文では「たゆめられたるねたさを、人わろく」と、源氏の思ったことから地の文に流れていっています。現代文だったら必ず書きなおさせられるところです。

さて、源氏は依然として玉鬘に連綿としています。そしてそれは玉鬘も同様です。

『光る』が、「玉鬘十帖」のうち「玉鬘」と「真木柱」を除く巻々は「よくない」として、その理由を「やはり具体的な行動がないからです。要するに受身で、ただ内心で悩んでいるだけなんです」と言っていますが、この巻も、大将の行動はあるものの、源氏は、そのまわりでおろおろしているだけで(そのおろおろの姿も特には描かれず)、ただ連綿としている「気持」だけが語られるので、同様の批判を受けなければならないでしょう。

しかし、作者としては、というか当時の感覚としては、ひょっとしてそのように連綿としているということ自体が、一度心を交わした女性は最後まで見はなさないということの証しとして、価値あることだったのかも知れません。それは例えば末摘花や空蝉に対しては経済的後見という形を取るのですが、この玉鬘の場合は、経済的にはその必要がほとんどなく、必要なのは心の平安だけだったので、こうした精神的な繋がりを持ち続けるという形を取った、と考えるわけです。

現代的には、いつまでうじうじと、という気がしますが、案外身についた誠意だったのだと読むべきところなのかも知れません。

それにしても動きがないのも事実で、ちらりと右近(もと、夕顔の侍女だった人)が出てくると、賢い侍女の姿が思い描かれて、ほっとするような印象です。

また源氏が、恋文を送りたいと思いながら、無骨な大将が側にいることを思うと、迂闊にそれもできないと、何やら得体の知れない者をこわがっているような気配があるのが、二人の対照的な姿が思われて、愉快です。》

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