【現代語訳】
九月になった。初霜が降りて心そそられる朝に、例によって、それぞれのお世話役たちがそれぞれ目立たないようにして持って参上するいくつものお手紙を、御覧になることもなく、お読み申し上げるのだけをお聞きになる。右大将殿の手紙には、
「それでもやはりあてにして来ましたが、過ぎ去って行く空の様子は気が気でなく、
数ならばいとひもせまし長月に命をかくるほどぞはかなき
(人並みであったら嫌いもしましょうに、九月の間は結婚されないと頼みにしている
とは、何とはかない身の上なのでしょう)」
「月が改まったら」という決定を、ちゃんと聞いていらっしゃるようである。
兵部卿宮は、
「言ってもしかたのない仲は、今さら申し上げてもしかたがありませんが、
朝日さす光を見ても玉笹の葉分の霜を消たずもあらなむ
(朝日さす帝の御寵愛を受けられたとしても、霜のようにはかない私のことを忘れな
いで下さい)
お分りいただければ、慰められましょう」とあって、たいそう萎れて折れた笹の下枝の霜も落とさず持参した使者までが、似つかわしい感じであるよ。
式部卿宮の左兵衛督は、殿の奥方のご兄弟である。親しく参上なさる君なので、自然と事の事情なども聞いて、ひどくがっかりしているのであった。長々と恨み言を綴って、
「 忘れむと思ふものの悲しきをいかさまにしていかさまにせむ
(忘れようと思う一方でそれがまた悲しいのを、どのようにしてどうしたらよいもの
でしょうか)」
紙の色、墨の具合、焚きこめた香の匂いも、それぞれに素晴らしいので、女房たちも皆、「すっかり諦めてしまわれることは、寂しいことだわ」などと言っている。
宮へのお返事を、どうお思いになったのか、ただわずかに、
「 心もて光にむかふあふひだに朝おく霜をおのれやは消つ
(自分から光に向かう葵でさえ、朝置いた霜を自分から消しましょうか)」
とうっすらと書いてあるのを、たいそう珍しく御覧になって、姫自身は宮の愛情を感じているに違いないご様子でいらっしゃるので、わずかであるがたいそう嬉しいのであった。
このように特にどうということはないが、いろいろな人々からの、お恨み言がたくさんあった。女性の心の持ち方としては、この姫君を手本にすべきだと、大臣たちはご判定なさったとか。
《玉鬘の出仕前に、候補者として残った人々三人のそろい踏みで、それぞれから届けられた歌合戦です。
姫は自分で読もうとはしません。やむなくそれぞれ仲立ちした女房同士が、自分の預かった手紙を読み上げて聞かせ合うのを、姫は、関心無さそうに、しかし聞いています。
まずは、大将からです。人の嫌がる九月の間にでも結婚できないものかと切なる訴えですが、前段にあった奔走ぶりを思うと、なんだかもう諦めたような口調に聞こえます。元来が真面目な人柄のようでしたから、そのせいでしょうか。あるいは、女性を口説くにはこういうふうにあわれを誘う調子の方が効果があると思ったのでしょうか。
つづいて兵部卿の宮です。彼らしく趣向を凝らして、枯れた笹に結ばれた手紙でした。いくら何でも「霜も落とさずに」というのは、少々無理な気がしますが、これは作者の趣向と考えておきましょう。
式部卿宮の左兵衛督というのは、紫の上の弟ということになりますが、この人は「玉鬘の恋人として初出」(『集成』)です。この人もまた、風流人のようで、見事な設えの手紙だったようで、女房たちの反応は、これが一等だったように見えます。
いずれ劣らぬ有力候補者と見えますが、玉鬘は、宮の手紙にだけ返事をしました。源氏の意志を尊重したのでしょうか、あるいは本音でしょうか。彼女としては、一番いいのは帝に迎えて貰うことのようですが、周囲のことを考えると、大変な気苦労をしそうです。その点、宮なら、一番ではないまでも、十分それに肩を並べるに近い魅力はあるし、何の不満もなく優雅に暮らせそうです。
とは言っても、これが彼女の意志的、積極的な選択とも思われません。
この巻の最初に、六条院での玉鬘の役割について、『の論』の説を紹介しましたが、ここの最後の評も、それに沿ったもののようで、『評釈』の言う「(姫たる者は)意思表示はいっさいしない」で周囲の意向に添うのがよく、それを前提に、なお多くの貴公子たちの心を惹きつけることができる女性こそがよいとされていた、ということのようです。当時の姫君という人たちは、そのように世に処することで身の安泰を得ていたということなのでしょう。