【現代語訳】
「参内なさる時のご都合を、詳しい様子も聞くことができないでいますので、内々にご相談下さるのがよいでしょう。何事も人目が遠慮されて参上することができず、お話申し上げられないことを、かえって気がかりに思っていらっしゃいます」などと、お話し申し上げるついでに、
「いやもう、馬鹿らしい手紙も差し上げられないことです。いずれにせよ、私の真心を知らないふりをなさってよいものかと、ますます恨めしい気持ちが増してくることです。まずは今夜などのこのお扱いぶりですよ。奥向きといったようなお部屋に招き入れて、あなたたちはお嫌いになるでしょうが、せめて下女のような人たちとだけでも、話をしたいものですね。他ではこのような扱いはあるまい。いろいろと不思議な間柄ですね」と、首を傾けながら、恨みを言い続けているのもおもしろいので、これこれとお取り次ぎする。
「おっしゃるとおり、他人の手前、急な変わりようだと言われはしまいかと気にしておりましたところ、長年の引き籠もっていた苦しさを晴らしませんのは、かえってとてもつらいことが多うございます」と、ただ素っ気なくお答え申されるので、きまり悪くて、何も申し上げられずにいた。
「 妹背山ふかき道をば尋ねずて緒絶の橋にふみまどひける
(姉弟という関係を知らずに遂げられない恋の道に踏み迷って文を贈ったことです)
よ」と恨むのも、自分から招いたことである。
「 まどひける道をば知らで妹背山たどたどしくぞ誰もふみ見し
(ご存知なかったとは知らず、妙だと思いながらお手紙を拝見しました)」
「どういうわけのものか、お分かりでなかったようでした。何事も、あまりなほど世間を気になさっておいでのようなので、お返事もおできにならないのでしょう。いずれこうしてばかりいられないでしょう」と宰相の君が申し上げるのも、それもそうなので、
「いや、長居をしますのも、時期尚早の感じだ。だんだんお役にたってから、恨み言も」 とおっしゃって、お立ちになる。
月が明るく高く上がって、空の様子も美しいところに、たいそう上品で美しい容貌で、お直衣姿は趣味がよくはなやかで、たいそう立派である。
宰相中将の感じや、容姿には、並ぶことはおできにならないが、こちらも立派に見えるのは、「どうしてこう揃いも揃って美しいご一族なのだろう」と、若い女房たちは、例によって、さほどでもないことをもとり立ててほめ合っていた。
《中将は、やっと父から用向きを伝えることになりました。出仕の準備の大方は源氏がするのでしょうが、内大臣は何も知らされていないようで、気がもめるのです。源氏に直接聞くのは失礼でできないから、あなたの方から相談の形で教えてほしい、というわけで、無理もない話です。
源氏は内大臣に事情を打ち明けはしたものの、すっぱりと手渡す気はないようで、形だけそういうことにして、良心の呵責を和らげようとした、といった案配です。
中将は、さっき「いやいや、よろしい」と引き上げたばかりですが、伝言のついでに、重ねて恨み言を言わずにはいられませんでした。その恨み言は、取り次ぎの宰相の君を「あなたがた(原文は『君達』です)」と呼び、「お嫌いになるでしょうが、せめて下女のような人たちとだけでも」と、前節の言葉同様に、ずいぶんへりくだった、むしろ嫌みな言い方のように聞こえます。
もっとも『評釈』は、こういう中将について「(彼としては)あと追っかけて冗談と遊ぶつもりだった」と言っていて、『集成』もそれに歩調を合わせるように、「おもしろいので」という宰相の君の反応について「口説き方のうまいのに感心するのである」と言っていますから、そのように読むところなのでしょう。
玉鬘は、そういう弟の誘いに乗りません。「ただ素っ気なく」返事をし、歌を詠み掛けても、とりつく島のない返ししかありません。『評釈』が、玉鬘にしてみれば、「遊ぶ相手には、当代きっての名手、源氏がいる。…それに比すれば中将のごとき、…」ということだと言います。
確かにそういうふうに読むと、ここのあちらこちらぎくしゃくした感じが読み解けますが、そうすると今度は、玉鬘という人がずいぶん嫌みな女性に見えてこないでしょうか。ぽっと出の田舎娘で、確かに美人には違いないようですが、確たる自分というものも持たないままに、たまたま源氏に拾われるという幸運に恵まれたことを笠に着て、中将である実の弟に冷たい対応をする、そんな女性に見えてきます。これまでこの物語にはいなかったタイプの女性ではあります。
戯れそこなった中将は、すごすごと帰るのかと思いきや、その後ろ姿を玉鬘の女房たちはほれぼれとして見送るのです。さすがと言ってしまえば、その通りですが、作者の視点がどこにあるのか、いまひとつすっきりしないように思います。
『光る』が、この巻について「丸谷・長編小説の真ん中へんは、小説家はひどいことになって、わけがわからなくなってくる。…紫式部は(この辺で)必ず十二指腸潰瘍をやっていたにちがいない」と言います。同じギャグを繰り返す(胡蝶の巻第二章第一段で一度話しました)のはこの大御所らしくありませんが、言っていることは当たっているのではないか、という気がします。》