源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

巻三十 藤袴

第二段 九月、多数の恋文が集まる

【現代語訳】
 九月になった。初霜が降りて心そそられる朝に、例によって、それぞれのお世話役たちがそれぞれ目立たないようにして持って参上するいくつものお手紙を、御覧になることもなく、お読み申し上げるのだけをお聞きになる。右大将殿の手紙には、
「それでもやはりあてにして来ましたが、過ぎ去って行く空の様子は気が気でなく、
  数ならばいとひもせまし長月に命をかくるほどぞはかなき

(人並みであったら嫌いもしましょうに、九月の間は結婚されないと頼みにしている

とは、何とはかない身の上なのでしょう)」
「月が改まったら」という決定を、ちゃんと聞いていらっしゃるようである。
 兵部卿宮は、
「言ってもしかたのない仲は、今さら申し上げてもしかたがありませんが、
  朝日さす光を見ても玉笹の葉分の霜を消たずもあらなむ

(朝日さす帝の御寵愛を受けられたとしても、霜のようにはかない私のことを忘れな

いで下さい)
 お分りいただければ、慰められましょう」とあって、たいそう萎れて折れた笹の下枝の霜も落とさず持参した使者までが、似つかわしい感じであるよ。
 式部卿宮の左兵衛督は、殿の奥方のご兄弟である。親しく参上なさる君なので、自然と事の事情なども聞いて、ひどくがっかりしているのであった。長々と恨み言を綴って、
「 忘れむと思ふものの悲しきをいかさまにしていかさまにせむ

(忘れようと思う一方でそれがまた悲しいのを、どのようにしてどうしたらよいもの

でしょうか)」
 紙の色、墨の具合、焚きこめた香の匂いも、それぞれに素晴らしいので、女房たちも皆、「すっかり諦めてしまわれることは、寂しいことだわ」などと言っている。
 宮へのお返事を、どうお思いになったのか、ただわずかに、
「 心もて光にむかふあふひだに朝おく霜をおのれやは消つ

(自分から光に向かう葵でさえ、朝置いた霜を自分から消しましょうか)」
とうっすらと書いてあるのを、たいそう珍しく御覧になって、姫自身は宮の愛情を感じているに違いないご様子でいらっしゃるので、わずかであるがたいそう嬉しいのであった。
 このように特にどうということはないが、いろいろな人々からの、お恨み言がたくさんあった。女性の心の持ち方としては、この姫君を手本にすべきだと、大臣たちはご判定なさったとか。

 

《玉鬘の出仕前に、候補者として残った人々三人のそろい踏みで、それぞれから届けられた歌合戦です。

 姫は自分で読もうとはしません。やむなくそれぞれ仲立ちした女房同士が、自分の預かった手紙を読み上げて聞かせ合うのを、姫は、関心無さそうに、しかし聞いています。

 まずは、大将からです。人の嫌がる九月の間にでも結婚できないものかと切なる訴えですが、前段にあった奔走ぶりを思うと、なんだかもう諦めたような口調に聞こえます。元来が真面目な人柄のようでしたから、そのせいでしょうか。あるいは、女性を口説くにはこういうふうにあわれを誘う調子の方が効果があると思ったのでしょうか。

 つづいて兵部卿の宮です。彼らしく趣向を凝らして、枯れた笹に結ばれた手紙でした。いくら何でも「霜も落とさずに」というのは、少々無理な気がしますが、これは作者の趣向と考えておきましょう。

 式部卿宮の左兵衛督というのは、紫の上の弟ということになりますが、この人は「玉鬘の恋人として初出」(『集成』)です。この人もまた、風流人のようで、見事な設えの手紙だったようで、女房たちの反応は、これが一等だったように見えます。

 いずれ劣らぬ有力候補者と見えますが、玉鬘は、宮の手紙にだけ返事をしました。源氏の意志を尊重したのでしょうか、あるいは本音でしょうか。彼女としては、一番いいのは帝に迎えて貰うことのようですが、周囲のことを考えると、大変な気苦労をしそうです。その点、宮なら、一番ではないまでも、十分それに肩を並べるに近い魅力はあるし、何の不満もなく優雅に暮らせそうです。

 とは言っても、これが彼女の意志的、積極的な選択とも思われません。

この巻の最初に、六条院での玉鬘の役割について、『の論』の説を紹介しましたが、ここの最後の評も、それに沿ったもののようで、『評釈』の言う「(姫たる者は)意思表示はいっさいしない」で周囲の意向に添うのがよく、それを前提に、なお多くの貴公子たちの心を惹きつけることができる女性こそがよいとされていた、ということのようです。当時の姫君という人たちは、そのように世に処することで身の安泰を得ていたということなのでしょう。

さて、『評釈』は「こうほめられて、玉鬘は尚侍の任につく。物語は終わったと見える」とこの巻の鑑賞を結びます。》

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第一段 鬚黒大将、熱心に言い寄る

【現代語訳】
 大将は、この中将が同じ右近衛の次官なので、いつも呼んでは熱心に相談し、内大臣にもお願い申し上げさせなさった。人柄もたいそうよく、朝廷の御後見となるはずの素地のある方なので、内大臣は「何の難があろうか」とお思いになる一方で、「あの大臣がこうお決めになったことを、どのように反対申し上げられようか。それにはそれだけの理由があるのだろう」と、合点なさることもあるので、お任せ申し上げていらっしゃった。
 この右大将は春宮の女御のご兄妹でいらっしゃった。大臣たちをお除き申して、次いでの御信任がすこぶる厚い方である。年は三十二、三歳くらいになっていらっしゃる。
 北の方は、紫の上の姉君である。式部卿宮のご長女なのである。年が三、四歳年長なのはこれといった欠点ではないが、人柄がどうでいらっしゃったのか、「おばあさん」と呼んで大事にもせず、何とかして離縁したいと思っている。
 その縁故から、六条の大臣は、右大将のことは、「適当でなく気の毒なことになるだろう」と思っていらっしゃるようである。好色っぽく道を踏み外すところはないようだが、ひどく熱心に奔走なさっているのであった。
「あの大臣も、全く問題外だとお考えでないようだ。女君は宮仕えを億劫に思っていらっしゃるらしい」と、内々の様子も、しかるべき詳しいつてがあるので漏れ聞いて、
「ただ大殿のご意向だけが違っていらっしゃるようだ。せめて実の親のお考えにさえ違わなければ」と、この弁の御許にも催促なさる。

 

《中将に続いて、大将の登場です。彼は以前「たいそう実直で、ものものしい態度をした人」と紹介されていて(胡蝶の巻第二章第二段)、玉鬘に大変に心を寄せていたのですが、玉鬘からはもちろん、作者からもときおり名前を出す程度で、無視されていて、ここでやっとまともに姿を現わさせて貰えました。

その彼は、今は候補から外れた中将が直属の部下でしかも玉鬘の弟とあって、そこからさまざまに情報が入り、また中将を通して内大臣にも慇懃を通じます。

本人は、「春宮の女御のご兄弟」と言いますから、若き源氏の敵役・右大臣の息子という立派な生まれ、「朝廷の御後見となるはずの素地のある方」で、「大臣たちをお除き申して、次いでの御信任が、すこぶる厚い方」と言いますから、源氏、内大臣に次ぐ、言わば№3という人物です。

内大臣は申し分ない相手と思ってはいますが、しかし、今は源氏の意向で動くしかないと、そちらに一任という格好です。

しかしその源氏は、彼については否定的なのでした。実は、この右大将の北の方は紫の上の姉であり、その人が大将より年上で、もういい歳になっていることが大将の気に入らず、離縁したいと考えているということがあって、そういう人に玉鬘を世話するわけにはいかないと考えているようです。

右大将もそれは承知なのですが、内大臣が乗り気であることにも後押しされて懸命の奔走をし、どう近づいたのか、玉鬘付きの女房・「弁のおもと」に会う機会を作れと、「催促なさる」のでした。「『おもと』とあるから上臈であろう。右中将は女の童しか手蔓がなかったが、さすが大将である」と『評釈』が言います。》

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第二段 柏木、玉鬘と和歌を詠み交す

【現代語訳】

「参内なさる時のご都合を、詳しい様子も聞くことができないでいますので、内々にご相談下さるのがよいでしょう。何事も人目が遠慮されて参上することができず、お話申し上げられないことを、かえって気がかりに思っていらっしゃいます」などと、お話し申し上げるついでに、
「いやもう、馬鹿らしい手紙も差し上げられないことです。いずれにせよ、私の真心を知らないふりをなさってよいものかと、ますます恨めしい気持ちが増してくることです。まずは今夜などのこのお扱いぶりですよ。奥向きといったようなお部屋に招き入れて、あなたたちはお嫌いになるでしょうが、せめて下女のような人たちとだけでも、話をしたいものですね。他ではこのような扱いはあるまい。いろいろと不思議な間柄ですね」と、首を傾けながら、恨みを言い続けているのもおもしろいので、これこれとお取り次ぎする。
「おっしゃるとおり、他人の手前、急な変わりようだと言われはしまいかと気にしておりましたところ、長年の引き籠もっていた苦しさを晴らしませんのは、かえってとてもつらいことが多うございます」と、ただ素っ気なくお答え申されるので、きまり悪くて、何も申し上げられずにいた。
「 妹背山ふかき道をば尋ねずて緒絶の橋にふみまどひける

(姉弟という関係を知らずに遂げられない恋の道に踏み迷って文を贈ったことです)
 よ」と恨むのも、自分から招いたことである。
「 まどひける道をば知らで妹背山たどたどしくぞ誰もふみ見し

(ご存知なかったとは知らず、妙だと思いながらお手紙を拝見しました)」
「どういうわけのものか、お分かりでなかったようでした。何事も、あまりなほど世間を気になさっておいでのようなので、お返事もおできにならないのでしょう。いずれこうしてばかりいられないでしょう」と宰相の君が申し上げるのも、それもそうなので、
「いや、長居をしますのも、時期尚早の感じだ。だんだんお役にたってから、恨み言も」 とおっしゃって、お立ちになる。
 月が明るく高く上がって、空の様子も美しいところに、たいそう上品で美しい容貌で、お直衣姿は趣味がよくはなやかで、たいそう立派である。
 宰相中将の感じや、容姿には、並ぶことはおできにならないが、こちらも立派に見えるのは、「どうしてこう揃いも揃って美しいご一族なのだろう」と、若い女房たちは、例によって、さほどでもないことをもとり立ててほめ合っていた。

 

《中将は、やっと父から用向きを伝えることになりました。出仕の準備の大方は源氏がするのでしょうが、内大臣は何も知らされていないようで、気がもめるのです。源氏に直接聞くのは失礼でできないから、あなたの方から相談の形で教えてほしい、というわけで、無理もない話です。

源氏は内大臣に事情を打ち明けはしたものの、すっぱりと手渡す気はないようで、形だけそういうことにして、良心の呵責を和らげようとした、といった案配です。

中将は、さっき「いやいや、よろしい」と引き上げたばかりですが、伝言のついでに、重ねて恨み言を言わずにはいられませんでした。その恨み言は、取り次ぎの宰相の君を「あなたがた(原文は『君達』です)」と呼び、「お嫌いになるでしょうが、せめて下女のような人たちとだけでも」と、前節の言葉同様に、ずいぶんへりくだった、むしろ嫌みな言い方のように聞こえます。

もっとも『評釈』は、こういう中将について「(彼としては)あと追っかけて冗談と遊ぶつもりだった」と言っていて、『集成』もそれに歩調を合わせるように、「おもしろいので」という宰相の君の反応について「口説き方のうまいのに感心するのである」と言っていますから、そのように読むところなのでしょう。

玉鬘は、そういう弟の誘いに乗りません。「ただ素っ気なく」返事をし、歌を詠み掛けても、とりつく島のない返ししかありません。『評釈』が、玉鬘にしてみれば、「遊ぶ相手には、当代きっての名手、源氏がいる。…それに比すれば中将のごとき、…」ということだと言います。

確かにそういうふうに読むと、ここのあちらこちらぎくしゃくした感じが読み解けますが、そうすると今度は、玉鬘という人がずいぶん嫌みな女性に見えてこないでしょうか。ぽっと出の田舎娘で、確かに美人には違いないようですが、確たる自分というものも持たないままに、たまたま源氏に拾われるという幸運に恵まれたことを笠に着て、中将である実の弟に冷たい対応をする、そんな女性に見えてきます。これまでこの物語にはいなかったタイプの女性ではあります。

戯れそこなった中将は、すごすごと帰るのかと思いきや、その後ろ姿を玉鬘の女房たちはほれぼれとして見送るのです。さすがと言ってしまえば、その通りですが、作者の視点がどこにあるのか、いまひとつすっきりしないように思います。

『光る』が、この巻について「丸谷・長編小説の真ん中へんは、小説家はひどいことになって、わけがわからなくなってくる。…紫式部は(この辺で)必ず十二指腸潰瘍をやっていたにちがいない」と言います。同じギャグを繰り返す(胡蝶の巻第二章第一段で一度話しました)のはこの大御所らしくありませんが、言っていることは当たっているのではないか、という気がします。》

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第一段 柏木、内大臣の使者として玉鬘を訪問

【現代語訳】
 実のご兄弟の公達は近づくことができず、「宮仕えの時のご後見役をしよう」と、それぞれ待ちかねているのであった。

頭中将が、心の底から恋い焦がれていたことはすっかり途絶えてしまったのを、「てきめんに変わるお心だこと」と女房たちがおもしろがっているところに、殿のお使いとしていらっしゃった。いまだに、表向きにはしないでこっそりとお手紙なども差し上げていらっしゃったので、月の明るい夜、桂の木の蔭に隠れていらっしゃる。これまでは手紙を見たり話を聞いたりしなかったのに、すっかり変わって南の御簾の前にお通し申し上げる。
 ご自身からお返事を申し上げなさることは、やはり遠慮されるので、宰相の君を介してお答え申し上げなさる。
「私を選んで差し向け申されたのは、直に伝えよとのお便りだからでございましょう。このように離れていては、どのように申し上げたらよいでしょう。私など、物の数にも入りませんが、切っても切れない縁という喩えもあるようです。どうでしょうか、古風な言い方ですが、頼みに存じておりますよ」と言って、おもしろくなく思っていらっしゃる。
「お言葉通りこれまでの積もる話なども加えて申し上げたいのですが、ここのところ妙に気分がすぐれませんので、起き上がることなどもできずにおりまして。こんなにまでおとがめになるのも、かえって身内の情をかけて下さらない気持ちが致します」と、たいそう真面目に申し上げさせなさる。
「ご気分がすぐれないとおっしゃる御几帳の側に、入らせて下さいませんか。いやいや、よろしい。なるほど、このようなことを申し上げるのも、気の利かないことでした」と言って、大臣のご伝言の数々をひっそりと申し上げなさる態度などは、誰にも引けをおとりにならず、まことに結構である。

 

《内大臣家の若君たちは、これまで玉鬘に思いを寄せていたのに、姉弟とわかって(玉鬘は嫡男・中将の二歳ほど年上になるようです、『評釈』は中将を「兄」と言いますが)、そのまま源氏の屋敷にいるのでは、かえって近づきにくくなりました。宮仕えに出られたら、と待っています。

そんな折り、頭の中将(後に柏木と呼ばれる人)が内大臣の使いでやって来ます。これまでいくどか話題にはなりましたが、実際に読者の前に姿を現したのは、事実上ほとんど初めてと言っていいでしょう。

彼は、玉鬘が姉とわかった後は「(手紙が)すっかり途絶えてしまった」ので、玉鬘の女房たちは「おもしろがって」いるのでしたが、実は「こっそりとお手紙なども差し上げていらっしゃった」ので、その習慣からなのでしょうか、父上の使いで来たこの時も、「こっそりと」人目を憚っている態です。「桂の木」は月夜だったことからの文飾とされます。

以前の中将からの恋文には、身内と知っていた玉鬘は見向きもしなかったのですが、今日は晴れてその身内の訪問ですから、正面の座敷に通しました。

挨拶が交わされますが、さすがに玉鬘は侍女を介しての応対です。中将はぜひ直接に、と言うのですが、玉鬘が、不調を理由に、かえって身内なら気を使ってほしいと断ると、中将は、いったんさらに「御几帳の側に、入れさせて下さいませんか」と言っておいて、思い返したのでしょうか、「いやいや、よろしい」と引き上げます。これもまた別の意味で、どういうことだろうと気になりますが、作者は「まことに結構である(原文・いとめやすし)」と感心しています。作者がそういうのですから、中将の態度は素晴らしかったのだと思うしかありませんが、言うだけいって、さっと引く、というのが、お見事ということでしょうか。

それにしても、ここの中将は、恋文を出さなくなったと思ったら、陰では送っていた、とか、「桂の蔭に隠れていらっしゃる」かと思うと、直接に話をしてほしいと言い、「御几帳の側に、…」と言ったと思うと「いやいや、よろしい」と引き上げたりで、初めての登場にしては、よく分からない振る舞いのように思われます。夕霧とはまた違った、何か複雑な人物の匂いがします。》

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第七段 玉鬘の出仕を十月と決定

【現代語訳】

大臣も、
「やはりそうか。このように人は推量するのに、その思ったとおりのことがあったら、まことに残念でおもしろくないことだろうに。あの内大臣に、何とかしてこのような身の潔白なさまをお知らせ申したいものだ」とお思いになると、

「なるほど、宮仕えということにして、はっきりと分からないようにごまかした懸想を、よくもお見抜きになったものだ」と、気味悪いほどにお思いになる。
 こうして御喪服などをお脱ぎになって、
「来月になると、やはり御出仕するには障りがあろう。十月ごろに」とおっしゃるのを、帝におかせられても待ち遠しくお思いあそばされ、求婚なさっていた方々は、皆が皆、まことに残念で、この御出仕の前に何とかしたいと考えて、懇意にしている女房たちのつてづてに泣きつきなさるが、

「吉野の滝を堰止めるよりも難しいことなので、まことに仕方がございません」と、それぞれ返事をする。
 中将も、言わなければよいことを口にしたため、「どのようにお思いだろうか」と胸の苦しいまま駆けずり回って、たいそう熱心に何かとお世話をするふりをしながら、ご機嫌をとっていらっしゃる。簡単に、軽々しく口に出しては申し上げなさらず、体よく気持ちを抑えていらっしゃる。

 

《源氏は、夕霧にはあのように何とか弁明したものの、やはり心配していたように、世間はさまざまに取りざたをしているのだと思うと、ちょっと考え込みました。

源氏としては、一応潔白なのですが、危うい気持は十分にあったのですから、そう威張れたものでもありません。一歩先に進まなかったことを、今になってみると、やれやれ、と胸をなで下ろす気持です。

そしてそういう気持ちを見抜いた内大臣に、負い目を感じました。

さて、出仕の日取りですが、「来月になると…障りがあろう。十月ごろに…」はちょっと分かりにくい言い方ですが、「来月」を九月と考えて、その先の十月にしようということのようです。「九月は結婚を忌む習慣があった。季(この場合は秋)の果てだからであろう」(『集成』)ということがあったようで、九州で玉鬘が大夫の監から言い寄られた時(玉鬘の巻第二章第二段)の乳母の言い訳にも使われた俗信です。

日取りが決まると、あとは粛々と段取りが進むのかと思うと、どうもそうではないようで、かねて思いを寄せ、名乗りを上げていた人々が次々に「この御出仕の前に何とかしたいと考えて」、お付きの女房たちを口説いたと言いますから、驚きです。こういうことには帝の威光は利かないのでしょうか。

朧月夜尚侍と源氏のことは、当時の弘徽殿方が許し難く思ったことから、源氏謫居の誘因となりましたが、こちらは正式なルートを通しての表の話だから構わないということなのでしょうか。恋の道は平等だったのかも知れません。

その後夕霧は、玉鬘については、失敗に懲りたようで、あの口説きを忘れたようなふうに、以前にも増して彼女の世話に務めます。少し遠ざかるのが普通だという気がしますが、このあたりも彼の彼たる所以なのでしょう。》

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