源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第三章 玉鬘の物語(二)

第七段 内大臣、近江の君を愚弄

【現代語訳】

 内大臣は、この願いをお聞きになって、たいそう陽気にお笑いになって、女御の御方に参上なさった折に、
「どこですか、これ、近江の君。こちらに」とお呼びになると、
「はあい」と、とてもはっきりと答えて、出て来た。
「たいそうよくお仕えしているご様子は、公人として、なるほどどんなにか適任であろう。尚侍のことは、どうして私に早く言わなかったのですか」と、たいそう真面目な態度でおっしゃるので、とても嬉しく思って、
「そのようにご内意をいただきとうございましたが、こちらの女御様がいずれお伝え申し上げて下さるにちがいないと、精一杯期待しておりましたのに、なる予定の人がいらっしゃるようにお聞きしましたので、夢の中で金持になったような気がしまして、胸に手を置いたようでございます」とお答えなさる。その口ぶりはまことにはきはきしたものである。 

笑ってしまいそうになるのを堪えて、
「たいそう変った、はっきりしないご気性だね。そのようにもおっしゃってくださったら、まず誰より先に奏上したでしょうに。太政大臣の姫君がどんなにご身分が高かろうとも、私が熱心にお願い申し上げることは、お聞き入れなさらぬことはありますまい。今からでも、申文をきちんと作って、立派に書き上げなさい。長歌などの趣向のあるのを御覧あそばしたら、きっとお捨て去りになることはありますまい。主上は、とりわけ風流を解する方でいらっしゃるから」などと、たいそううまくおだましになる。人の親らしくない、見苦しいことであるよ。
「和歌は下手ながら何とか作れましょう。表向きのことの方は、殿様からお申し上げ下されば、それに言葉を添えるようにして、お蔭を頂戴しましょう」と言って、両手を擦り合わせて申し上げていた。

御几帳の後ろなどにいて聞いている女房は、死にそうなほどおかしく思う。おかしさに我慢できない者は、すべり出して、ほっと息をつくのであった。女御もお顔が赤くなって、とても見苦しいと思っておいでであった。殿も、
「気分のむしゃくしゃする時は、近江の君を見ることによって、何かと気が紛れる」と言って、ただ笑い者にしていらっしゃるが、世間の人は、
「ご自分でも恥ずかしくて、ひどい目におあわせになる」などと、いろいろと言うのであった。

 

《内大臣は、近江の君が尚侍を希望しているという話を聞いて、重ねてからかいます。

「どうして私に早く言わなかったのですか」と言われた姫は、すっかりその気になって、自分の素朴な気持を真っ正直に、しかも「まことにはきはき」としています。

「精一杯期待しておりました(原文・頼みふくれてなむさぶらひつる)」、「夢の中で金持に…」は、ともに庶民的下賤の表現であろうとされます。

「それに対して内大臣は、あり得ない可能性を示して、気の利いた長歌などを作れば、あるいは、と「人の親らしくない、見苦しい」返事をしたのでした。

それでも姫はまったく疑うこともなく、正式の願い書は殿が書いて下されば(漢文で書くことになるからのようです)、あとは私が少し言葉を添えますから(これを『評釈』は「遠慮したのである。…へりくだって言う」と言いますが、逆に、内大臣の書いたものに言葉を添えるなど、余計なことではないかと思えるのですが)、「両手を擦り合わせて申し上げ」ます。これは、お願いの所作ではなく、もう実現したかのような喜びの所作ではないでしょうか。

世人の言葉として「ご自分でも恥ずかしくて、ひどい目におあわせになる」とあるのは、内大臣が、こういう姫を娘として引き取るはめになったことを恥じて、その気持の裏返し、いわば八つ当たり気味に嫌がらせをしている、ということのようで、内大臣を良しとしているわけではないようですが、と言って、作者が近江の君を、例えば一人の女性の生き方として好意的に描いているというのではなさそうです。

そうした内大臣と姫のやり取りは、陰で聞いている女房たちが「死にそうなほどおかしく思」っています。作者の立場は、この女房の立場であるわけで、作者は内大臣の意地悪な態度を「人の親らしくない、見苦しい」と言いながら、やはり一緒に笑っているのではないでしょうか。それは例えば、以前にも挙げましたが、『枕草子』二九四段(『集成』版)「僧都の乳母のままなど」に見られる女房の意地悪さに通じるもののように思われます。

この近江の君は、現代の私たちが読むと、確かに『構想と鑑賞』が言うように、「晴れやかで軽く、憎めない明るさ、善良さ」があり、「生新で溌剌として」いますが、だからといって『人物論』所収「落胤近江の君」(島田とよ子著)のように、「(晩年の紫の上のように)自由に自分の思いを言うことも出来ず、全く自主性を閉ざされている女の生き難さを思う時、近江の君の生き方が真面目に問い直されてくるだろう」といったふうに読むのは、あまりに現代的な読み方のように思われます。

やはりここは、とんでもない姫と手を焼く内大臣のやりとりを内大臣家のドタバタ劇として思い切り笑って、源氏の栄華を讃える形にして、この巻をめでたく終わらせようとしたのではないでしょうか。

そうした中で、作者の筆力が、たまたま現代にマッチした女性を造形したのでしょう。現代という時代は、かの時代から見れば、まったく呆れた下品な物知らずの、「死にそうなほどおかしく思」われる世界に違いないのです。》

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第六段 近江の君、玉鬘を羨む

【現代語訳】

 世間の人の口の端のために、「暫くの間はこのことを表に出さないように」と、特にお隠しになっていたが、おしゃべりなのは世間の人だったのであって、自然と噂が流れ流れて、だんだんと評判になって来たのを、あの困り者の姫君が聞いて、女御の御前に中将や少将が伺候していらっしゃる所に出て来て、
「殿は、姫君をお迎えになるそうですね。まあ、おめでたいこと。どんな方が、お二方に大切にされるのでしょう。聞けば、その人も賤しいお生まれですね」と、無遠慮におっしゃるので、女御は、聞き苦しく思って、何ともおっしゃらない。中将が、
「そのように、大切にされるわけがおありなのでしょう。それにしても、誰が言ったことを、このように唐突におっしゃるのですか。口うるさい女房たちが、耳にしたらたいへんだ」とおっしゃると、
「おだまりなさい。すっかり聞いています。尚侍になるのだそうですね。私が宮仕えにと進んで出て参りましたのは、そのようなお情けもあろうかと思ってなので、普通の女房たちですら致さぬようなことまで、進んで致しました。女御様がひどくていらっしゃるのです」と、恨み言をいうので、みなにやにやして、
「尚侍に欠員ができたら、私こそが願い出ようと思っていたのに、無茶苦茶なことをお考えですね」などとおっしゃるので、腹を立てて、
「立派なご兄姉の中に、人数にも入らない者は、仲間入りすべきではなかったのだわ。中将の君はひどくていらっしゃる。お節介でお迎えになって、軽蔑し馬鹿になさる。普通の人では、とても住んでいられない御殿の中ですわ。ああ、恐いこと、恐いこと」と、後ろの方へいざり下がって、睨んでいらっしゃる。憎らしくもないが、たいそう意地悪そうに目尻をつり上げている。
 中将は、このように言うのを聞くにつけ、「まったく失敗したことだ」と思うので、まじめな顔をしていらっしゃる。少将は、
「こちらの宮仕えでも、またとないようなご精勤ぶりを、疎かにはお思いでないでしょう。お気持ちをお鎮めになって下さい。固い岩も淡雪のように蹴散らかしてしまいそうなお元気ですから、きっと願いの叶う時もありましょう」と、にやにやして言っていらっしゃる。中将も、
「天の岩戸を閉じて引っ込んでいらっしゃるのが、無難でしょうね」と言って、立ってしまったので、ぽろぽろと涙をこぼして、
「この方々までが、みな冷たくあしらわれるのに、ただ女御様のお気持ちだけが優しくいらっしゃるので、お仕えしているのです」と言って、とても身軽に精を出して、下働きの女房や童女などが行き届かない雑用などをも、走り回り気軽にあちこち歩き回っては、真心をこめて宮仕えして、
「尚侍に、私を推薦して下さい」とお責め申すので、あきれて、

「どんなつもりで言っているのだろう」とお思いになると、何ともおっしゃることができない。

 

《「このことを表に出さないように」というのは、玉鬘を尚侍にしよう、ということでしょう。それは、源氏と内大臣、大宮、そして弘徽殿女御しか知らないはずなのですが、どこから漏れたのか、「自然と噂が流れ流れて、だんだんと評判になって」しまいました。

こうした周囲の動きは、往々にして当事者の耳には入らないことがあるものですが、近江の君は当事者たちから一歩離れた立場に置かれていたことによって、かえってどこからか入ってしまったようです。

彼女は、早速女御の所にやってきて、二人の兄もいるところで、おそらくは例の「上っ調子」の「早口」で(常夏の巻第一章第三段)、私は期待するような待遇を受けていないのに、源氏と内大臣の双方から大事にされるのは、どんな姫なのでしょうと、嫌みたっぷりに言って、ついでに「その人も賤しいお生まれですね」と「無遠慮に」付け加えます。

これ以上下手なことを言われては困ると、何とか黙らせようとする嫡男の中将を、「お黙りなさい(原文・あなかま)」と、ほとんど叱りつける勢いです。

そして、彼女は、とうとう「尚侍」という話も口にして、自分がそういう待遇を受けないのは、あなたが冷たいからだと、今度は女御に恨み言です。

中将は、「尚侍」などという自分も知らない情報に呆れて、そんないいポストが空いたら、自分でも名乗り出たいくらいだと、姫を愚弄(『集成』)しながら冗談にしてごまかしてしまおうとします。

姫は中将に、私を馬鹿にして仲間はずれにすると、部屋の隅に退いて、恨めしそうに目をつり上げて本気で中将をにらんでいるのですが、それがまた、どうも憎めないかわいい顔つきなのでした。

『構想と鑑賞』が「末摘花の滑稽には鬱陶しさがあって重く、近江の君の笑いは、晴れやかで軽く、憎めない明るさ、善良さがある」と言っていますが、この人は、いつも一所懸命で、開けっ放しです。

そんな姫を、少将と中将が追いかけるように、「素戔嗚尊を相手に勝った天照大神を思わせる」元気いっぱいの喧嘩のしぶりなら、「尚侍にもなれましょうよ」(『評釈』)と、さらにからかいます。

素戔嗚尊云々は、日本紀の局と呼ばれた作者らしく、日本書紀を踏まえた戯れですが、もちろん近江の君には何のことか分からなかったでしょう。一座には分かっていて当人にだけ分からない話でからかうのは、相手を最も馬鹿にした対応でしょう。

姫は、分からないままに、少女のように「ぽろぽろと涙をこぼして」、なおも尚侍にしてほしいと女御に訴えるので、女御はあきれながら、ほとほと手を焼いている様子です。》

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第五段 祝賀者、多数参上

【現代語訳】

 親王たち、それ以下の方々が残らずお祝いに参上なさる。思いを寄せている方々も大勢混じっていらっしゃるので、この内大臣がこのように中にお入りになって暫く時間が経つので、どうしたことかとお疑いになっている。
 あの殿のご子息の中将や弁の君だけは、うすうすご存知だったのであった。密かに思いを懸けていたことを辛くも、また嬉しくも、お思いになる。弁の君は、
「よくもまあ言い出さなかったことだ」と小声で言って、

「一風変わった大臣のお好みのようだ。中宮とご同様に入内させなさろうとお考えなのだろう」などと、めいめい言っているのをお聞きになるが、
「もう暫くの間はご注意下さって、世間から非難されないようにお扱い下さい。何事も、気楽な身分の人にはみだらなことがままあるでしょうが、こちらもそちらも、いろいろな人が噂して悩まされるようなことがあっては、普通の身分の者よりも困ることですから、穏やかにだんだんと世間の目が馴れて行くようにするのが、好いことでしょう」と申し上げなさると、
「ただあなたのなさる通りにいたしましょう。こんなにまでお世話いただき、またとないご養育によって守られておりましたのも、前世の因縁が特別であったのでしょう」とお答えなさる。
 御贈物などは言うまでもなく、すべて引出物や禄などは、身分に応じて、通常の例では限りがあるが、それに更に加えて、またとないほど盛大におさせになった。大宮のご病気を理由に断りなさった事情もあるので、大げさな音楽会などはなかった。
 兵部卿宮は、
「今はもうお断りになる支障もないでしょうから」と、熱心にお願い申し上げなさるが、
「帝から御内意があったことをご辞退申し上げて、また再びの仰せの言葉に従いまして、他の話はその後にでも決めましょう」とお返事申し上げなさった。
 父内大臣は、
「かすかに見た様子を、何とかはっきりと再び見たいものだ。少しでも不具合なところがおありならば、こんなにまで大げさに大事にお世話なさるまい」などと、かえって焦れったく恋しく思い申し上げなさる。
 今になってあの御夢も本当にお分かりになったのであった。弘徽殿女御だけには、はっきりと事情をお話し申し上げなさったのであった。

 

《前段の内大臣と源氏のやり取りは、姫のいる御簾の中で行われる儀式の中で交わされたもので、その外には「親王たち、それ以下の方々」が、ギャラリーよろしく、その様子を少しでも知りたい、見たいと興味津々で様子を窺っているのですが、内大臣が出てこられるのがいささか手間が掛っているとあって、また、さまざまに思いを巡らしています。

「あの殿のご子息の中将や弁の君」は内大臣家の子息の嫡男と次男です。彼らはそれぞれに姫に関心を抱いていたのですが、こうした事情を誰かに聞いたようで(「うすうすご存じだった」と言いますから「父内大臣から直接説明を聞いたのではないようだ。女房などから耳にしたのだろう」『評釈』)、思いがかなわないことになったことを知って、一面ではがっかりし、また美しい(らしい)妹ができたのを喜んでもいるのでした。

弟はもう少しで思いを伝えるところだったのですが、まだだったことにほっとします。兄の方は手紙を届けたりしていて、ちょっと気まずいところもあるようです。

その兄弟が、さて源氏はこの姫をどうされるのだろうとささやいているのを知って、源氏は内大臣に、両家一体どちらの娘だろうなどという噂されるのはまずいので、今暫くはこのままに、と耳打ちします。

さて、裳着が終わったとなると、いつでも結婚できるとあって、早速、兵部卿の宮は、改めて、早々にと申し込みますが、源氏は、こちらについても、大宮に初めて話した時(第三段)同様に、帝から尚侍の話があったことにして、そちらの話をきちんと断ってから、と結論を先送りします。

いずれの話も、姫を手放すことになるわけで、まだ、そのことについて最終的には腹が決まらないのでしょうか。

一方、内大臣は、源氏との約束にも関わらず、「弘徽殿女御だけには、はっきりと事情をお話し申し上げ」てしまいました。これを『評釈』は、「女御は、内大臣家の長女であり、内大臣家を代表して宮中にいるのだから」、「諒承を得ていかねばならない」と、話したのだと言いますが、どうでしょうか。

それもあるのでしょうが、そういうふうに手続きをきちんと踏んだ形だと考えるよりも、彼は蛍の巻末の夢を思い出しながら、この大変な事実の一切を黙って自分の腹だけに収めておくということができずに、現在最も信頼できる娘に、「あなたの腹だけに収めておいてくれ」などと言って、そっと話したのだと考える方が、作者の描こうとするこの人らしいような気がします。》

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第四段 内大臣、腰結に役を勤める

【現代語訳】

 内大臣はさほど進んでともお思いになれなかったのだが、思いがけない話をお聞きになった後は、早く会いたいとお心にかかっていたので、早く参上なさった。
 裳着の儀式などは、しきたりを越えて、目新しい趣向を凝らしてなさる。いかにも特にお心をかけていらっしゃることだと御覧になると、もったいないと思う一方で、風変わりなことだという気がなさる。
 夜九時ごろになって御簾の中にお入れになる。慣例通りの支度はもとよりのこと、御簾の中のお席をまたとないほど立派にお整えになって、御酒肴を差し上げなさる。御灯火は慣例の儀式よりも少し明るくして、気を利かせてお持てなし申し上げなさった。
 たいそうお顔を見たいとお思いになるが、今夜はとても急なことなので、お結びになる時、涙をお抑えになれない様子である。主人の大臣が、
「今夜は昔のことは何も話しませんから、何の詳細もご承知でないふうに。事情を知らない人の目を繕って、やはり普通通りの作法で」とお申し上げなさる。
「全く何とも申し上げようもございません」と言って、お杯をお口になさる時、
「言葉に尽くせないお礼の気持ちは、世間に例のないご厚意と感謝申し上げますが、今までこのようにお隠しになっていらっしゃった恨み言も、どうして申し添えずにいられましょう」と申し上げなさる。
「 うらめしや沖つ玉藻をかづくまで磯がくれける海士の心よ

(恨めしいことですよ。玉裳を着る今日まで隠れていた人の心が)」
と言って、やはり隠し切れず涙をお流しになる。姫君は、とても立派なお二方のお揃いで、気恥ずかしさに、お答え申し上げることがおできになれないので、殿が、
「 よるべなみかかる渚にうち寄せて海士も尋ねぬ藻屑とぞ見し

(寄る辺がないので、このような私の所に身を寄せて、誰にも捜してもらえない気の

毒な子だと思っておりました)
 何とも無体なだしぬけのお言葉です」と、お答え申し上げなさると、
「まことにごもっともです」と、それ以上申し上げる言葉もなくて、退出なさった。


《さて、裳着の当日、内大臣はいそいそとやってきましたが、もちろん、気持は複雑です。

源氏の大層な心配りの利いた儀式に、実の親としてありがたいことと思う一方で、内大臣の娘だと明かした上で、なお、自分でこの儀式を主催して、実の父に腰結の役を頼むというのは、やはり「風変わりだという気がなさる」というのも無理からぬところです。やはりただの関係ではないのだろうと疑う気持が湧いたのでしょう。

彼はぜひ早く姫の顔を見たいと思う(「こういう場合、姫君は扇で顔を隠している」『集成』)のですが、初対面で、というのも「急なことなので」、つまりいきなりすぎるので、と続きます。

この後に「見るのを我慢して」などがないまま、「涙をお抑えになれない様子である(原文・え忍びたまはぬけしきなり)」となります。すると、彼の涙は、実の親娘なのに顔も見られず、親とも名乗ることさえできない残念な間柄であることへのものということでしょうか。源氏は既に手さえ付けいているのかも知れないことを思うと、いかにも無念という思いもあるでしょう。

内大臣の思いが募っている様子を察して、源氏は、周囲の者がへんに思うことを憚って、「どうか普通に」と耳打ちします。

内大臣は、取りあえずは礼を言わざるを得ませんが、酒を口にして向き合えば、つい恨み言も出ます。彼は、どうしてこんなに長い間私にそうと告げてくれなかったのか、とそっと姫に詠み掛けますが、緊張している姫は応えられず、源氏が代わりに応じました。

あなたは「腰結いの役を頼んだのに、ことわったではないか。あのとき来てくれれば、もっと喜んでもられる演出法があったのだ」と『評釈』は解説しますが、それはあの時の内大臣には分かるはずもないことで、今ここでは「まことにごもっともです」と言うしかない内大臣に同情したくなります。彼は、せっかくの役割を務めながら、ちょっとつらい立場です。

ではどう振る舞えば好かったのか、と余計なことを考えてみますが、なかなか難しいのではないでしょうか。姫を自分のものとするには、しばらくは隠忍自重、取りあえず今日のところは帰るしかないようです。》

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第三段 常陸宮の祝儀

【現代語訳】

 青鈍色の細長を一襲、落栗色とか何とかいう、昔の人が珍重した袷の袴を一具、紫色の白っぽく見える霰地の御小袿を、結構な衣装箱に入れて、包み方をまことに立派にして、差し上げなさる。お手紙には、
「お見知り戴くような数にも入らない者でございませんので、失礼ですが、このような時はお祝い申さずにはいられませんで。これは、とてもお粗末ですが、女房たちにでもお与え下さい」と、おっとり書いてある。殿が御覧になって、たいそうあきれて、例によって、とお思いになると、お顔が赤くなった。
「妙に昔気質の人だ。ああした内気な人は、引っ込んでいて出て来ない方がよいのです。やはり体裁が悪い」と言って、

「返事はおやりなさい。きまり悪く思うでしょう。父親王が、たいそう大切になさっていたのを思い出すと、他人より軽く扱うのはたいそう気の毒な方です」と申し上げなさる。御小袿の袂に、例によって同じ趣向の歌があるのであった。
「 わが身こそうらみなりけれ唐衣君が袂に馴れずと思へば

(自分自身が恨めしいことです、お側にいつもいることができないと思いますと)」
 ご筆跡は、昔でさえそうであったのに、たいそうひどくちぢかんで、彫り込んだように深く強く固くお書きになっている。大臣は、憎く思うものの、おかしさを堪えきれないで、
「この歌を詠むのにはどんなに大変だったろう。まして今は昔以上に助ける人もいなくて、思い通りに行かなかったことだろう」と、お気の毒にお思いになる。
「どれ、この返事は、忙しくても、私がしよう」とおっしゃって、
「妙な、誰も気のつかないようなお心づかいは、なさらなくてもよいことなのに」と、憎らしさのあまりにお書きになって、
「 唐衣また唐衣唐衣かへすがへすも唐衣なる

(唐衣唐衣と、あなたはいつまでも唐衣とおっしゃいますね」
 と書いて、
「たいそうまじめに、あの人が特に好む趣向ですから、書いたのです」と言って、お見せなさると、姫君はたいそう顔を赤らめてお笑いになって、
「まあ、お気の毒なこと。からかったように見えますわ」と気の毒がりなさる。つまらない話が多かったことよ。

 

《少し縁の薄い関係の中でのこういう時の儀礼を、するべきかしない方がいいのか、またするとしても、その内容はどれほどのレベルが適当なのか、受け取った相手がどう感じるだろうか、など、私たちの生活に置いても、迷うことがよくあります。

 末摘花の贈り物はどういうレベルのものだったのか、よく分かりませんが、「昔の人が珍重した袷」が入っていることで、およその見当がつきそうです。品物は立派なのでしょうが、時代後れで使い物にならない態のものなのでしょう。もともと時代錯誤的に生きてきた彼女には、残念ながら周囲にそういうことを教えてくれる人もいなければ、また言われても彼女の頑なさがそれを聞き入れなかったでしょう。

 それには歌も添えられていましたが、またしても「唐衣」でした。出会った頃に、年末、彼女から源氏にとんでもない衣裳を贈ってきた時の歌も「唐衣」だったのです(末摘花の巻第一章第九段1節)。

彼は、玉鬘に礼の返事だけはするように言います。「きまり悪く思うでしょう」は、もし、それがなかったら、という意味でしょう。

しかし、そうした的外れで場違いな贈り物をするような人を、少なくとも夫人として持っている、ということは源氏の恥ともなることなのだと思われます。

彼は、自分のそういう不愉快を本人に向かって隠そうともしません。一度は玉鬘に書くように言った返事を自分で書くことにします。

話しているうちに気が変わって「俄然末摘花をちゃかそうという気になったらしい」(『評釈』)とも考えられますが、「末摘花の歌が、祝意よりも閨怨の趣があるので」(『集成』)と言われると、確かに玉鬘からこの歌に返歌するのは、落ち着きません。

不必要な贈り物だったことをはっきりと言い、彼女の歌を露骨に揶揄する歌をしたためて、それをまた、わざわざ玉鬘に見せるのでした。それは末摘花の巻末で、何も知らない紫の上に自分の鼻を赤く塗っておどけて見せたのと同様に、悪意ある振る舞いに見えます。

前段での大宮を冷たく笑う話といい、また蓬生の巻で折角優しく折り合いを付けた末摘花を、またしても引っ張り出して笑いものにするこの段の話といい、作者の意図は、一体何なのでしょうか。

『構想と鑑賞』がこの段の話について「例の作者の変化のあやをみせた手法であるかも知れないが、依然として古めかしさの反復で、またかというような感じがする」と酷評していますが、いずれの話についても、その場面の絵を囲んで話を辿っている女房たちからは、案外、優越感からどっと笑いが湧いたところなのかも知れません。》

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