【現代語訳】
夜がたいそう更けて、それぞれお別れになる。
「このように参上してご一緒しては、すっかり古くなってしまった昔の事が、自然と思い出されて、懐しい気持ちが抑えきれずに、帰る気も致しません」とおっしゃって、決して気弱くはいらっしゃらない六条殿も、酔い泣きなのか、涙をお流しになる。
宮は宮でまして、姫君のお身の上をお思い出しになって、昔に優るご立派な様子、ご威勢を拝見なさると、今なお悲しくて涙をとどめることができず、しおしおとお泣きになる尼姿は、なるほど格別な風情なのであった。
このようなよい機会であるが、中将の御ことは、口にお出しにならないでしまった。一ふし思いやりがないとお思いであったので、口に出すことも外聞悪くおやめになり、あの内大臣はまた内大臣で、お言葉もないのに出過ぎることができずに、そうはいうものの胸の晴れない気持ちがなさるのであった。
「今夜も御邸までお供致すべきでございますが、急なことでお騒がせしてもいかがかと存じます。今日のお礼には、日を改めて参上致します」と申し上げなさると、
「それでは、こちらのご病気もよろしいようにお見えになるので、ぜひ申し上げた日をお間違えにならず、お出で下さるように」ということを、お約束申し上げなさる。
お二人方のご機嫌も好くて、それぞれがお帰りになる物音はたいそう盛大である。ご子息たちのお供の人々は、
「何があったのだろうか。久し振りのご対面で、たいそうご機嫌が良くなったのは」
「また、どのようなご譲与があったのだろうか」などと勘違いをして、このようなこととは思いもかけなかったのであった。
《およそ二十年前になる懐かしい青春時代の昔話に打ち解けて、別れは涙の中で、となります。大宮は、あの愛娘・葵の上が生きていれば、あの頃とは比べものにならぬこの源氏の立派な姿の脇にいられただろうにと、こちらも涙に暮れます。
そんな中でも、源氏は夕霧の話を出すことはしませんでした。このことについては、やはり内大臣に「一ふし思いやりがない」と、不満に思っているのです。
一方内大臣の方は、源氏から話がないのに、娘の親である自分から言い出す話ではないと考えて、いや、そう考えているということにして自分を納得させて、やはり言い出しません。
何のことはない、双方が意地を張っているだけで、立派に振る舞ったこの場の二人にしては、少々子供じみて思われます。
なまじ、親しい友人だけに、意地の張り合いになるのかも知れません。まことに男というのは厄介なものです。
ただ、「『むすぼほれたる心地(胸の晴れない気持ち)』がするだけ、頭中将(内大臣)の方が引け目を感じている」(『構想と鑑賞』)ということは否めません。それかあらぬか、別れ際に、源氏は腰結いの役の念押しをしながら、ちらりと一言、「こちらのご病気もよろしいようにお見えになるので」と、先日の腰結い役を断って来た時(第一章第五段)の口実に対する皮肉を添えます。からかった、という程度でしょうか。
作者は、あくまで源氏を優位に置いておきたいようです。源氏の方は、「鳴くまで待とう」と悠然と構えている格好ですが、玉鬘のことで、内大臣に言わば恩を売った(買わせた)のですから、ここは下手に出るのが大人の振るまいという気もしますが、…。
親同士は、それはそれでまた面白いのかも知れませんが、かわいそうなのは若いふたりです。
さて、会談は、大宮を入れた三人だけのものだったようで、機嫌よく別れる二人の様子を見る、内大臣の息子や供人たちは、その様子にまたさまざまな憶測をしてみるのでした。》