源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第三章 夕霧の物語(二)

第三段 内大臣、大宮を訪う

【現代語訳】

 祖母宮のお側に参上なさると、静かにお勤めをなさっている。小綺麗にした若い女房などがこちらにもお仕えしているが、物腰や様子、衣装なども、栄華を極めている所とは比較にもならない。器量のよい尼君たちが、墨染の衣装で質素にしているのが、かえってこのような所では、またそれとしてしみじみとした感じがするのであった。
 内大臣も参上なさったので、御殿油などを灯して、のんびりとお話など申し上げなさる。

大宮が
「姫君に久しくお目にかからないのが情けないこと」とおっしゃって、ただひたすらお泣きになる。
「もうすぐこちらに参上させましょう。自分から心配事を作ってふさぎ込んでいまして、惜しいことに痩せてしまっているようです。女の子は、はっきり申せば、持つべきではございませんでした。何かにつけて心配ばかりさせられました」などと、依然として不快に思ってこだわっている様子でおっしゃるので、情けなくて、ぜひにとも申し上げなさらない。その話の折に、
「たいそう不出来な娘を持ちまして、手を焼いてしまいました」と、愚痴をおこぼしになって、にが笑いなさる。大宮が、
「まあ、変ですこと。あなたの娘という以上は、出来の悪いことがありましょうか」とおっしゃると、
「それが体裁の悪いことなのでございます。ぜひ、御覧に入れたいものです」と申し上げなさったとか。

 

《夕霧は、六条院から三条の宮の大宮のところにやってきます。そこは当然ながら六条院の女君たちの様子を見た目には、全く違った趣だったのでした。

六条院の女房たちがどれが主人かと思われるほどうつくしく、その中で主人の女君が、また抜きんでていたのに対して、こちらはせいぜい「小綺麗にした若い女房(原文・よろしき若人)」で、むしろ「墨染の衣装で質素にしている」「器量のよい尼君たち」の方が目立つような有様です。

さて夕霧はここまでで帰ったようで、「内大臣も参上なさったので」以下は、内大臣と大宮の二人の対話と考えるしかない内容です。

大宮の言う姫君は雲居の雁、内大臣は簡単に「もうすぐこちらに参上させましょう」と応えます。三人目の娘をもてあましたことで、彼の雲居の雁に対する厳しい考えも変えたのでしょうか。

「女の子は、はっきり申せば、持つべきではございませんでした」は、いかにも「少し男らしく事をはっきりさせたがるご気性」(少女の巻第三章第六段)の彼らしい愚痴です。

「心配ばかりさせられました」と言われれば、大宮は雲居の雁と夕霧のことで息子からひどく叱られたこと(少女の巻第四章第一段)を思い出さざるを得ず、それ以上は口が出せません。 

気まずく向かい合いながら、話は、内大臣の目下の悩みの種、近江の君のことになります。それを「ぜひ、御覧に入れたいものです」と結びます。「近江の君のほうを雲居の雁よりも先に送り込んでくるのではないだろうか」(『評釈』)という不安が湧きます。

こうしてこの巻は終わるのですが、『人物論』所収「雲居雁~立ち姿を見せた女」(福嶋昭治著)が、「野分の巻における夕霧の描かれ方は重要である。六条院を襲った野分は、…見舞いに訪れた夕霧の視線を通して六条院の栄華そのものにかげりの訪れることを読者に予感させる」と言います。「ここにおいて、第一世代つまり親である光源氏は、第二世代である子供の夕霧によって、…批判の対象たり得る相対化された存在にされてしまっている」(同)というわけですが、それが作者の意図とは思えないながら、少なくとも作者の複眼的視点の効果で、そういう変化が起こっているということは確かであるように思われます。》

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第二段 夕霧、明石姫君を垣間見る

【現代語訳】

 お戻りあそばすというので、女房たちがざわめき、几帳を元に直したりする。先ほど見た花のような二人の顔とも比べて見たくて、いつもは覗き見など関心のない人なのに、無理に妻戸の御簾に身体を入れて几帳の隙間を通して見ると、ちょうど物蔭からそっとお通りになるところが、ふと目に入る。女房が大勢行き来するので、細かいところは見えないので、たいそうじれったい。薄紫色のお召物に、髪はまだ背丈には届いていない末が広がったような感じで、たいそう細く小さい身体つきが可憐でいじらしい。
「一昨年ぐらいまでは、時々ちらっとお姿を拝見したが、またすっかり成長なさったようだ。まして盛りになったらどんなに美しいだろう」と思う。

「あの前に見た方々を、桜や山吹と言ったら、この方は藤の花と言うべきであろうか。木高い木から咲きかかって、風になびいている美しさは、このような感じだ」と思い比べられる。

「このような方々を、思いのままに毎日拝見していたいものだ。そうあってもよい身内の間柄なのに、事ごとに隔てを置いて厳しいのが恨めしいことだ」などと思うと、誠実な心も、何やら落ち着かない気がする。

《姫が紫の上のところから帰ってきます。

実は夕霧も、一昨年位前にはもう少し気軽に見ることができたようですが、この頃この姫を直接見る機会はなかったようで、今も「無理に妻戸の御簾に身体を入れて几帳の隙間を通して」でなくては、見ることができません。女の子の六歳と八歳はこのように違うということでしょうか。後見を期待されている妹だというのに、これほどの隔てが置かれるというのは、理解しがたい気がしますが、そういうものだったのでしょう。

「いつもは覗き見など関心のない人」という夕霧評も驚かされます。紫の上を垣間見た時も玉鬘の時も、十分関心がありそうでした。ここは一般の女性に関してのことであって、六条院の女君たちは別だということなのでしょうか。作者はこの人を生真面目な堅物というイメージで描こうとしています。

ともあれ、明石の姫君の姿が、こうして夕霧の目を通して、初めて読者の前に少し明らかになりました。それは「たいそう細く小さい身体つきが可憐でいじらしい(原文・いと細く小さき様体、らうたげに心苦し)」という具合で、いかにも少女らしい姿です。

彼は姫を、例によって花にたとえて、垂れ下がって揺れて咲いている藤の花だと見ながら、「このような方々を、思いのままに毎日拝見していたいものだ」と考えます。

しかし考えてみると、女性を、花を見るように見るというのは、ずいぶん子どもっぽい見方です。彼もまだ十五歳、当時でも思春期をちょっと越えた程度というところなのでしょうか。源氏は、と思って物語をふり返ってみると、ちょうどこの前後、十三歳から十六歳は桐壺の巻と帚木の巻の間で抜け落ちています。》

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第一段 夕霧、雲井雁に手紙を書く

【現代語訳】
 気疲れのする方々をお回りになるお供をして歩いて、中将は何となく気持ちが晴れず、書きたい手紙など、日が高くなってしまうのを心配しながら、明石の姫君のお部屋に参上なさる。
「まだあちらにおいでいらっしゃいます。風をお恐がりになって、今朝はお起きになれませんでしたこと」と、御乳母が申し上げる。
「ひどい荒れようでしたから、宿直しようと思いましたが、大宮がたいそう恐がっていらっしゃったものですから。お雛様の御殿は、いかがでいらっしゃいましたか」とお尋ねになると、女房たちは笑って、
「扇の風でさえ、吹いてくれば大変なことにお思いになっているのを、今にも壊されそうでございました。この御殿のお世話に、困りっております」などと話す。
「大げさでない紙はありませんか。お局の硯を」とお求めになると、御厨子に近寄って、紙一巻を、御硯箱の蓋に載せて差し上げたので、
「いや、これは恐れ多い」とおっしゃるが、北の御殿の世評を考えれば、そう気をつかうほどでもない気がして、手紙をお書きになる。
 紫の薄様の紙であった。墨はていねいにすって、筆先を見ながら念を入れて書いて、筆を休めていらっしゃる姿は、とても素晴らしい。けれども、妙に型にはまって、感心しない詠みぶりでいらっしゃった。
「 風騒ぎむら雲まがふ夕べにも忘るる間なく忘られぬ君

(風が騒いでむら雲が乱れる夕べにも、片時も忘れることのできないあなたです)」
 風に吹き乱れた刈萱にお付けになったので、女房たちは、
「交野の少将は、紙の色と同じ色の物に揃えましたよ」と申し上げる。
「それくらいの色も考えつかなかったな。どこの野の花を付けようか」などと、こんな女房たちにも、言葉少なに応対して気を許すふうもなく、とてもきまじめで気品がある。
 もう一通お書きになって右馬助にお渡しになると、美しい童やまたよく心得た御随身などにひそひそとささやいて渡すのを、若い女房たちは宛先をひどく知りたがっている。

 

《最後に残っていたもう一人の女性とは、八歳になった明石の姫君です。

一回りして東南の邸に源氏と一緒に帰ってきた夕霧は、感動したり、気骨が折れたり、また驚くべき光景を見たりで、思うことが色々あって、少々くたびれています。

それに、雲居の雁に手紙も書きたいのですが、それよりも先に明石の姫君の所にも顔出ししておかなければと、源氏のそばを離れて、寝殿西面の姫の部屋にやってきました。

源氏から、将来兄という立場からこの姫の後見役をするように、ということで、「南面の御簾の内側に入ることはお許しになっていた」(蛍の巻第三章第四段)のだったので、まじめな彼が、「お雛様の御殿は」などと、珍しく軽口をきくような、気楽に出入りできるところなのです(姫の人形遊びの相手をしていたことが、同じ所に書かれていました)。

しかし姫はまだ「あちら」(寝殿の東面、紫の上の所)に行って、留守でした。昨夜は風におびえて、向こうで寝たのでしょうか。

夕霧は手紙を書こうと、女房に紙と硯を求めます。彼は「お局の硯を」と頼んだのです(「局」は女房の部屋です)が、女房は「御厨子に近寄って」、つまり姫の硯と紙をもってきたのでした。相手が源氏の御曹司だからそうしたのでしょうか。夕霧は、一旦は「恐れ多い」と思ったのですが、「北の御殿の世評を考えれば、そう気をつかうほどでもない気がして」、それを使うことにします。仮に東の邸なら、取り替えさせたということでしょうか。

初めから女房のものを持って来たということにしても物語としては何の問題もなかったのですが、作者がことさらに姫のものを持って来させることにして、夕霧にそういう屈折した思いを抱かせたことで、夕霧のリアリステイックな一面が、ちらりと描かれました。

何も思わずに使えば、鷹揚か無神経か傲慢です。彼は若者らしく、源氏の嫡男である自分と父の御方である相手の位置を計っているのです。

「お局の硯を」と一応謙遜しておきながら、そういう計算をして姫のものを使う、こういうところが、この人を若く、悪くいえばちょっと小さく見せます。

彼はいろいろに思案しながら手紙を書きます。その姿は「とても素晴らしい」のですが、肝心の手紙を付ける花の小枝を選び損ねて、女房に注意されてしまいます。彼は大変まじめで、マメな人なのですが、こういう点でも、また今一歩、気持の入らないところがあるのです。まじめな若者に時々見られるタイプ、という気がします。》

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