源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第二章 光る源氏の物語

第五段 源氏、花散里を見舞う


【現代語訳】
 東の御方へここからお渡りになる。今朝の寒さのせいでの家事仕事であろうか、裁縫などをする老女房たちが御前に大勢いて、細櫃らしい物に真綿をひっかけて延ばしている若い女房たちもいる。とても美しい朽葉色の羅や、今風でみごとに艶出ししたのなどを、ひき散らかしていらっしゃった。
「中将の下襲ですか。宮中での壺前栽の宴もきっと中止になっているでしょう。このように吹き散らしたのでは、何の催し事ができようか。興ざめな秋になりそうだ」などとおっしゃって、何の着物であろうか、さまざまな衣装の色がとても美しいので、

「このような技術は南の上にも負けない」とお思いになる。御直衣は、花文綾を、近頃摘んできた花で薄く染め出しなさったのは、たいそう申し分ない色をしていた。
「中将にこそ、このようなのをお着せなさるがよい。若い人の直衣として無難でしょう」 などというようなことを申し上げなさって、お渡りになった。


《さて、東南の邸・紫の上の所から時計回りに六条院の女性たちを見舞って、一回りの終わりは花散里です。

ここでは、庭の様子などは語られず、彼女の家事の取り仕切りの見事さが中心です。秋の嵐が過ぎたとなると、もうすぐ冬へ季節が変わることを思えば、ここでは早速冬の衣類の準備のようです。

たくさんの美しい衣類が並べられていますが、どうやらその染色は花散里のしたもののようで、「このような技術は南の上(紫の上)にも負けない」と源氏が思うような、見事な出来映えでした。こういう女性がいると、男は安心です。

東南の邸でのむつまじい姿、西南の邸での公的な姿(庭の様子以外はあまり多くのことが書かれなかったのは、女性の立場で中宮という公人を描くことを遠慮させたのでしょうか)、西北の邸のひんやりとした気品の姿、それと対照的な先の西の対での戯れの姿、そしてここでの実務の姿と、実にさまざまに描き分けられて、夕霧はその案内の役目を終えました。

源氏は東南の邸に帰ります。夕霧も同行します。そして実は、もう一人女性が残っていたのでした。》にほんブログ村 本ブログ 古典文学へにほんブログ村 教育ブログ 国語科教育へにほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

 

第四段 夕霧、源氏と玉鬘を垣間見る

【現代語訳】
 中将は、たいそう親しげにお話し申し上げていらっしゃるのを、「何とかこの姫君のご器量を見たいものだ」と思い続けていたので、隅の間の御簾が、几帳は立ててあったがきちんとしていなかったので、そっと引き上げて中を見ると、じゃまになる物が片づけてあったので、たいそうよく見える。このように戯れていらっしゃる様子がはっきりわかるので、「おかしなことだ。親子とは申せ、このように懐に抱かれるほど馴れ馴れしくしてよいものだろうか」と目がとまった。

「お見つけになるのではないか」と恐ろしいけれども、不思議さに驚いて、なおも見ていると、柱の陰に少し隠れていらっしゃったのを、引き寄せなさると、御髪が横になびいて、はらはらとこぼれかかったところは、女君も、とても嫌でつらいと思っていらっしゃる様子ながら、それでも穏やかな態度で、寄り掛かっていらっしゃるのは、

「すっかり親密なのであろう。いやはや、ああひどい。どうしたことだろう。抜け目なくいらっしゃるご性分だから、最初からお育てにならなかった娘には、このようなお気持ちもお添いになるのだろう。もっともなことだが。ああ、嫌だ」と思う心も気恥ずかしい。

「女君のご様子は、なるほど姉弟とはいっても少し縁遠くて、異母姉弟なのだなどと思うと、どうして、心得違いを起こさないだろうか」と思われる。
 昨日拝見した方のご様子には劣って見えるが、一目見れば自然に笑みが出るところは、肩も並べられそうに見える。八重山吹の花が咲き乱れた盛りに、露の置いた夕映えが思い浮かべられる。季節に合わないたとえだが、それでも感じたままである。花は限りがあって、乱れた蘂などが混じっていることもあるが、姫君のお姿の美しさは、たとえようもないものなのであった。
 御前には女房も出て来ず、たいそう親密に小声で話し合っていらっしゃったが、どうしたのであろうか、真面目な顔つきでお立ち上がりになる。女君は、
「 吹き乱る風のけしきに女郎花しをれしぬべきここちこそすれ

(吹き乱す風のせいで女郎花は萎れてしまいそうな気持ちがいたします)」
 はっきりとは聞こえないが、お口ずさみになるのをかすかに聞くと、憎らしい気がする一方で興味がわくので、やはり最後まで見届けたいが、「近くにいたなと悟られ申すまい」と思って、立ち去った。お返歌は、
「 した露になびかましかば女郎花荒き風にはしをれざらまし

(下葉の露になびいたならば、女郎花は荒い風には萎れないでしょうに)
 なよ竹を御覧なさい」などと、聞き間違いであろうか、あまり聞きよい歌ではない。

 

《源氏が玉鬘にどこまで本気かよく分からない口説きをしている様子を、夕霧が覗き見していました。彼は明石の御方の邸では姿を見せませんでしたが、やはり一緒について歩いていたようです。

源氏と玉鬘の様子を「戯れていらっしゃる様子」と訳しましたが、原文も「たはぶれたまふけしき」とあります。『評釈』は「ふざけていらっしゃる」、『集成』は「冗談をおっしゃる」と言います。いずれにしても、色事めいたじゃれあいの域を出ない理解でいいようです。

それにしても、夕霧が「懐に抱かれるほど馴れ馴れしくして(原文・懐離れず、もの近かべきほど)」と言っているのは、あまりのことに驚きです。諸注、これは実際にそうしていたということととっているようですが、次ぎに「柱の陰に少し隠れていらっしゃったのを、引き寄せなさる」とありますから、ここは比喩的な表現ではないでしょうか。実際は「穏やかな態度で、寄り掛かっていらっしゃる」というところではないでしょうか(それでも、この二人の父娘という間柄ではかなり「馴れ馴れし」いとは思われますが)。

夕霧はそういう様子を見ながら、玉鬘の美しさに、「八重山吹の花が咲き乱れた盛りに、露の置いた夕映えのようだ」と目を奪われました。こういう情景に喩えた美人の形容は、同じ夕霧が紫の上を覗き見た時の「春の曙の霞の間から、美しい樺桜が咲き乱れているのを見る感じがする」(第一章第二段)もそうですが、作者が彼に与えた独特の視覚と言えるでしょう。容貌のどこがどう、というのではなく、その人全体が醸し出す雰囲気、こちらが受ける印象という形での表現で、いかにも若者の感じ方と言えるのではないでしょうか。

それにしても、「女君も、とても嫌でつらいと思っていらっしゃる様子ながら、それでも穏やかな態度で、寄り掛かっていらっしゃる」という玉鬘の気持ちは、どういうものなのでしょうか。

例えば『評釈』は「源氏を恐れず、いやがらないようになっている、…源氏のすることに慣れ、騒がないようになっている」と言いますが、「とても嫌でつらい(原文・いとむつかしく苦し)」と思っているように見えるというのですから、篝火の巻の親密さから比べると、一歩離れた感じとも取れます。父親代わりの人への義務感、と言えば言い過ぎかも知れませんが…。いずれにしてもこの人の源氏への態度は、大変曖昧で微妙で、彼女自身、揺れ動いているように思われます。》

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第三段 源氏、玉鬘を見舞う


【現代語訳】
 西の対では、恐ろしく思って夜をお明かしになってしまったので寝過ごして、今やっと鏡などを御覧になるのであった。
「仰々しく先払いするな」とおっしゃるので、特に音も立てないでお入りになる。屏風などもみな畳んで隅に寄せ、乱雑にしてあったところに、日が明るく照らし出した時、目の覚めるように綺麗に身繕いをして座っていらっしゃった。その近くにお座りになって、いつものように、風の見舞いにかこつけても同じように、厄介な冗談を申し上げなさるので、たまらなく嫌だと思って、
「このように情けないので、昨夜の風と一緒に飛んで行ってしまいとうございましたわ」 と御機嫌を悪くなさると、たいそうおもしろそうにお笑いになって、
「風と一緒に飛んで行かれるのは、軽々しくないですか。そうはいっても、落ち着くところがきっとあることでしょう。だんだんこのようなお気持ちが出てきたのですね。もっともなことです」とおっしゃるので、
「確かに、ふと思ったままに申し上げてしまったこと」とお思いになって、自分自身でもほほ笑んでいらっしゃるのが、とても美しい顔色であり、表情である。ほおずきなどというもののようにふっくらとして、髪のかかった隙間から見える頬の色艶が美しく見える。目もとのほがらか過ぎる感じが、あまり上品とは見えなかったのであった。その他は、少しも非の打ち所がない。


《源氏は、本当は早くここに来たかったのでしょう。西の対というのは東北の邸のそれで、つまり玉鬘の所です。

ここの主は、これまでの二人と違って、今起きたばかりです。いかにも若い娘の暮らしというところでしょうか。しかし、それにも関わらず、「日が明るく照らし出した時、目の覚めるように綺麗に身繕いをして座って」いたというのも、若さの特権です。といっても、玉鬘が二十二歳くらいであるのに対して明石の御方と中宮が二十七歳、紫の上が二十八歳(ちなみに源氏は三十六歳)ということのようですから、数字的にはそんなに大きな差ではないのですが、この頃の女性の歳としては小さい差とは言えないかも知れません。

源氏は例によって半分冗談、半分本音の口説きです。

玉鬘もこのごろはそれを冗談で受け流す術を心得たようで、「昨夜の風と一緒に飛んで行って」しまいたかったと、嫌み混じりに応じます。

源氏はそれを具体的に「落ち着くところがきっとあることでしょう」と、嫌みで返します。「落ち着くところ」とは、父の内大臣の所でしょうか、それとも誰か恋人でもできたというのでしょうか。

玉鬘は、子どもっぽい戯れで「風と一緒に」と言ったのでしょうが、言ったことが現実的な意味を持つことに気がついて、「確かに(軽々しかった)」と気がつきます。

しかし、愛されているという自信からでしょうか、それで慌てることなく、弁解などしないで、「自分自身でもほほ笑んでいらっしゃる」のでした。こうなると源氏も、若い娘に体よくあしらわれているおじさんといった役回りです。

「ほおずきなどというもののようにふっくらとして」というのが女性の美しさの表現であり得るというのが何とも想定外です。赤い丸顔ということで、赤ん坊の顔ならありそうです。色白の下ぶくれの顔が平安朝美人の典型だったような気がしますが、どうなのでしょう。》

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第二段 源氏、明石御方を見舞う

【現代語訳】
 こちらからそのまま北の町に抜けて、明石の御方をお見舞いになると、これといった家司らしい人なども見えず、もの馴れた下女どもが、草の中を分け歩いている。童女などは、気の利いた衵姿にくつろいで、心をこめて特別にお植えになった龍胆や、朝顔の蔓が這いまつわっている籬垣も、みな散り乱れているのを、あれこれと引き出して、元の姿を求めているのであろう。

 何となくもの悲しい気分のままに、箏の琴をもてあそびながら、端近くに座っていらっしゃるところに、御前駆の声がしたので、くつろいだ糊気のない不断着姿の上に、小袿を衣桁から引き下ろしてはおって、きちんとして見せたのは、なかなか立派なものである。

端の方にちょっとお座りになって、風のお見舞いだけをおっしゃって、そっけなくお帰りになるのが、恨めしげである。
「 おほかたに荻の葉過ぐる風の音も憂き身ひとつにしむここちして

(ただ普通に荻の葉の上を通り過ぎて行く風の音も、つらい我が身だけにはしみいる

ような気がして)」
と独り言をいうのであった。

 

《折角源氏が中宮の所に行ったので、久し振りに中宮ご本人の様子が語られるのかと思われましたが、巻頭と言い夕霧の訪問の時と言い、こちらについては幾度か語られたということでしょうか、少なくとも話の上では、「そのまま北の町に抜けて」行ってしまいました。

そして北の邸、ずいぶん久し振りに明石の御方の話になります。

行ってみると、「これといった家司らしい人なども見えず、もの馴れた下女どもが」いるだけでした。「家司は貴族の家の家政を司る者」(『集成』)、「下女」は原文で「下仕へ」で「下働きの女」(同)、こうしてみると、他の三つの邸とは全く異なる低い扱いです。「気の利いた衵姿」の童女はいますが、女房の姿がありません。

ちなみに、邸の姿も、後に分かるように、ここだけは寝殿が無く、東西の対の屋だけです(若菜の巻上第十章第一段)。

そういうところに「何となくもの悲しい気分のままに、箏の琴をもてあそびながら、端近くに座っていらっしゃる」御方の姿を置いてみると、彼女が「身分の高い方は、(例えお側に置いて貰っても)わたしを物の数のうちにも入れてくださるまい」須磨の巻第三章第六段2節)と、初めから心配していた姿そのままといった感じで、ちょっと切ない気がします。

それでも彼女は、源氏のお越しを知って、気丈に、すぐに「小袿(「略礼装、源氏に対する敬意を示したもの」・『集成』)を衣桁から引き下ろしてはおって、きちんとして見せ」るのです。ただ、ここに「敬意を示した」とあるのは、どうでしょうか。へりくだったという意味よりも、妻として美しくありたいという気持からのことと考えるのが自然ではないでしょうか。

しかし源氏の関心は、残念ながら、今は彼女には向いていませんでした。彼は一言声を掛けただけで、もっと心惹かれている人の所に行ってしまいます。

ここは、普通に書かれていますが、あれからずっと夕霧は源氏について歩いているようで、ここも彼の目に写った様として読むところのようです。》

第一段 源氏、中宮を見舞う

【現代語訳】
 南の御殿では、御格子をすっかり上げて、昨夜見捨てて寝るのがつらかった花々が見るかげもなく萎れて倒れているのを御覧になった。中将が、階段にお座りになって、お返事を申し上げなさる。
「激しい風を防いで下さいましょうかと、子供のように心細がっておりましたが、今はお使いを頂いて、もう安心しました」と申し上げなさると、
「妙に気が弱くいらっしゃる宮だ。女ばかりで空恐ろしくお思いであったに違いない昨夜の様子だったから、おっしゃる通り、不親切だとお思いになったことであろう」とおっしゃって、すぐに参上なさる。御直衣などをお召しになろうとして、御簾を引き上げてお入りになる時、低い御几帳を引き寄せて、わずかに見えたお袖口は、「きっとあの方であろう」と思うと、胸がどきどきと高鳴る気がするのもいやな感じので、他の方へ視線をそらした。
 殿が御鏡などを御覧になって、小声で、
「中将の朝の姿は美しいな。今はまだ子供のはずなのに、不体裁でなく見えるのも、親の欲目からであろうか」と言って、ご自分のお顔は、年を取らず美しいと御覧のようである。とてもたいそう気をおつかいになって、
「中宮にお目にかかるのは、気後れする感じがします。特に人目につく由緒ありげなところもお見えでない方だが、奥の深い感じがする。何かと気をつかわされるお人柄だ。とてもおっとりして女らしい感じだが、どこか人と違ったところがおありだ」とおっしゃって外にお出になると、中将は物思いに耽って、すぐにはお気づきにならない様子で座っていらっしゃったので、察しのよい人のお目にはどのようにお映りになったことか、引き返してきて、女君に、
「昨日、風の騷ぎに、中将は見申したのではないでしょうか。あの妻戸が開いていたからね」とおっしゃると、お顔を赤らめて、
「どうして、そのようなことがございましょう。渡殿の方には、人の物音もしませんでしたもの」とお答え申し上げなさる。
「どうも変だ」と独り言をおっしゃって、お渡りになった。
 中宮のお部屋の中にお入りになったので、中将は、渡殿の戸口に女房たちのいる様子がしたので近寄って冗談を言ったりするが、心に掛かるあれこれが嘆かわしくて、いつもよりもしんみりとしていらっしゃる。

 


《中宮への使いを終えた夕霧が南邸に帰ってきています。

南の邸では、格子をすっかり上げて、部屋から源氏夫妻が昨夜の嵐で荒らされた庭をながめています。もちろん紫の上は御簾の中です。そこに夕霧が中宮の所からに帰って来て、中宮からの返事を伝えます。

「激しい風を防いで下さいましょうか」というのは、源氏の威勢を持ってすれば、嵐など来ないかと思っていた、という子どものような甘えです。「こんなふうに言われると、源氏が足を運ばねばならなくなる」(『評釈』)ので、早速準備に部屋に入ります。その時上げた御簾の下から、夕霧のめざとい目が、わずかに見えた女性の袖口を捉えます。この時彼女がいた場所について、『評釈』がいろいろに考察した結果、女君は庇の間の御簾の陰まで出ていた、といったところか、としながら、「どうも、こういうことになると、後世の者にはわからない」と言います。源氏は簀子にいたのでしょうか。

ともあれ、夕霧はその袖口を間違いなく紫の上のものと感じて、胸を高鳴らせ、目を逸らします。若き源氏なら、どうしたでしょう。

源氏は、部屋に入って鏡の前で身支度をしながら、息子の思いがけないりりしい若者ぶりに、妻に「親の欲目か」と語りかけますが、「ご自分のお顔は、年を取らず美しいと御覧のよう」だ、と続くと、それは妻から「いいえ、あなたも」と言ってくれという意味なのだろうかと思われます。息子と張り合ってどうする、という気がして、おかしいのですが、彼としては大まじめなのでしょう。

中宮の所へ行きかけて、夕霧の様子がおかしいと思い、やはり妻が見られたかと疑い、いや、気づいたと言うべきでしょう、紫の上に注意を促します。

当時の父子関係には、そういう配慮が必要なほどに、さまざまなトラブルが珍しくなかったということなのでしょうか。源氏と藤壺はもとより、そう言えば空蝉にも義理の息子との間にそんなことがありました(帚木の巻第三章第二段3節、蓬生の巻末)から、これで三件目です。

ある種の獣は、子どもの雄がある程度成長すると、群のボスがその子を群から追い出すという話があったように思いますが、…。

さて、源氏は中宮の所に赴き、ついて行った夕霧は、部屋の外で女房と戯れ言を交わしながら、まだ紫の上の幻を追っているようです。》


 都合により、明日と明後日、休載します。二十九日の火曜日にまたお目に掛かります。

ちょっとの間、ごきげんよう。


 
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