源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

巻二十七 篝火

第三段 柏木、玉鬘の前で和琴を演奏

【現代語訳】

「風の音が秋になったなあと聞こえる笛の音色に、我慢ができなくてね」と言って、琴を取り出して、聞き惚れるばかりにお弾きになる。源中将は、「盤渉調」にたいそう美しく吹く。

頭中将は、気をつかって歌いにくそうにしている。「遅い」とお言葉があるので、弁少将が、拍子を打って静かに歌う声は、松虫かと思うほどである。二度ほどお歌わせになって、琴は中将にお譲りあそばした。まことに、あの父大臣のお弾きになる音色に、少しも劣らず、はなやかで素晴らしい。
「御簾の中に、音楽の分かる人がいらっしゃるようだ。今晩は、杯などにも気をつかわれよ。盛りを過ぎた者は、酔泣きする折に、言わなくともよいことまで言ってしまうかもしれない」とおっしゃると、姫君も、そのとおりにしみじみとお聞きになる。
 切っても切れないご姉弟の関係は、並々ならぬものだからであろうか、この君たちを人に分からないように目にも耳にも止めていらっしゃるが、よもやそんなことは思いも寄らず、この中将は、心のありったけを尽くして、思いを寄せることがあって、このような機会にも抑えきれない気がするが、姿よく振る舞って、少しも気を許して琴を弾き続けることなどしない。

 

《源氏は三人を迎えて、さっきまで玉鬘に教えていた琴を弾きます。それは例によって見事なものでした。夕霧が笛を添えます。

そこでは歌が入るところなのでしょうか、頭中将が担当すべきところのようですが、彼は、後にあるように「思いを寄せることがあって」、つまり玉鬘の前とあって緊張しているのでしょう、どうも歌い出す勇気が出ないようです。

源氏に「遅い」と言われて、代わりに弟が「松虫かと思う」ような様子で歌ったと言いますが、これはどういう意味なのでしょう。

『評釈』は「声のよい例に引いたのであろう」と注をした上で、「小声にうたう」と言い、『谷崎』も「忍びやかに謡う声が、鈴虫に紛うて聞こえます」と訳しています。

なお、古語の鈴虫は今の松虫だとされます。ちなみに、余計な事ながら、童謡「虫のこえ」には、「あれ松虫が鳴いているチンチロチンチロチンチロリン あれ鈴虫も鳴き出してリンリンリンリンリインリン」とあります。

源氏は、中将が歌おうとしないので、琴を渡します。内大臣が琴の名手であることは、源氏が常夏の巻の中で話していて折り紙付きです。さすがに中将は、その手を受け継いでいて、こちらは見事に弾いて見せました。してみると、やはり歌はあまり得手ではなかったのでしょうか。もちろん源氏のように何でも100%という方がおかしいのですが、こうして苦手なことはうじうじしてやらないで、自信のあることはバリバリにやってみせるというのは、どうも見事とは言えない気がして、この人の器の小ささを感じさせます。『徒然草』三十五段にも「手のわろき人の、はばからず文書きちらすはよし」と言います。といっても実はなかなかできないことですが…。

源氏が思わせぶりに、御簾の中に玉鬘が居ることを言って、戯れ事を添えるのですが、「そのとおりに(原文・げに)しみじみとお聞きになる」がよく分かりませんが、「源氏が言ったとおり(隠し事があることだ)」と思って、二人の客の話を兄弟の声なのだと思いながら聞いたという意味でしょうか。

「切っても切れないご姉弟の関係」のところ、原文は「絶えせぬ仲の御契り」ですが、『集成』の年立てによれば、どちらも年齢を特定できないようですが、一応玉鬘と中将の二人が同い年か、玉鬘が一歳年上ということになっています。

もちろん中将は相手が姉妹であるなどとは思いもしないで、今にも思いを伝えてしまいそうなほどに、ひたすら思いを掛け、落ち着かない気持でその場を務めています。

そういう若者たちの様子を、源氏は、自分のことを棚に上げて、まことに我が意(「兵部卿宮などがこの邸の内に好意を寄せていらっしゃる心を騒がしてみたい」玉鬘の巻第四章第八段)を得たりと、興味津々、眺めていたのでしょう。蛍兵部卿宮の蛍の趣向の場面と言い、ここと言い、源氏の望みはおおむね達せられました。ぼつぼつ種明かしをしてもよさそうではあるのですが、…。

と読んで来ると、巻の初めに引いた『光る』の言葉にも関わらず、この巻も、美しい場面でもありますし、それなりの意味を持っているとも思われます。》

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第二段 初秋の夜、源氏、玉鬘と語らう

【現代語訳】

 秋になった。「初風」が涼しく吹き出して、「背子が衣(を吹き返すの)」もものさびしい気持ちがなさるので、堪えかねては、たいそうしきりにお渡りになって、一日中おいでになって、お琴などをお教え申し上げなさる。
 五、六日の夕月夜はすぐに沈んで、少し雲に隠れた様子で、荻の葉音もだんだんしみじみと感じられるころになった。お琴を枕にして、一緒に横になっていらっしゃる。このような例があろうかと、溜息をもらしながら夜更かしなさるが、女房が変だとお思い申すだろうことをお思いになるので、お帰りになろうとして、御前の篝火が少し消えかかっているのを、お供の右近の大夫を召して焚きつけさせなさる。
 たいそう涼しそうな遣水のほとりに、格別風情ありげに枝を広げている檀の木の下に、松の割木を目立たない程度に積んで、少し下がって篝火を焚いているので、お部屋の方は、たいそう涼しくちょうどよい程度の明るさで、女君のお姿は見れば見るほど美しい。お髪の手ざわりなど、とてもひんやりと気品のある感じがして、身を固くして恥ずかしがっていらっしゃる様子は、たいそうかわいらしい。帰りづらくぐずぐずしていらっしゃる。
「しじゅう誰かいて、篝火を焚いていよ。夏の月のないころは、庭に光がないと、何か気味が悪く、心もとないことだ」とおっしゃる。
「 篝火にたちそふ恋の煙こそ世には絶えせぬ炎なりけれ

(篝火とともに立ち上る恋の煙は、永遠に消えることのない私の思いなのです)
 いつまで待てとおっしゃるのですか。くすぶる火ではないが、苦しい思いでいるのです」と申し上げなさる。女君は、「奇妙な仲だ」とお思いになって、
「 行方なき空に消ちてよ篝火のたよりにたぐふ煙とならば

(果てしない空に消して下さいませ、篝火とともに立ち上る煙とおっしゃるならば)
 人が変だと思うことでございますわ」とお困りになるので、「さあて」と言って、お出になると、東の対の方に美しい笛の音が、箏と合奏していた。
「中将が、いつものように一緒にいる仲間たちと合奏しているようだ。頭中将であろう。たいそう見事に吹く笛の音色であることだ」と言って、お立ち止まりなさる。

お便りに、「こちらに、たいそう涼しい火影の篝火に、引き止められています」とおっしゃったので、連れだって三人参上なさった。

《比較される近江の君があって、玉鬘の株は源氏の中でいっそう上がります。

折から、物思われる秋の訪れ、吹き初める秋風とともに玉鬘の部屋への訪れが頻繁となります。今は姫ももう心を許して、一緒に琴をつま弾き、そのまま「お琴を枕にして、一緒に横になっていらっしゃる」ほどになりました。

『評釈』は、「『お琴を枕に』とは風流だが、美人も一緒とは風流の極だ」と言いますが、琴をどういうふうに枕にしたのか、弦が邪魔にならないだろうかなどと、気になります。

ウエブサイト「源氏物語探求教室 第二章・名場面を考察する」(今年五月にはあって、現在はネットから削除されてしまったようです)がこのことについて、この「枕」は、「枕言」、つまり「話の種」ではないか、と言っていました。そして併せて「添い臥す」についても、「一緒に横になっている」というのではなくて、「多くの遮蔽物の向こうにいるはずの『被写体』が、人の視線にさらされた時使用される動詞である」と言っています。

それをまとめると、琴を話題にして御簾の奧で話し合っている姿が見える、というようなことになりますが、これならあまり驚かないで、すっきり読むことができます。

さて、源氏は、そのままここにいたいのですが、女房たちの目を気にして、やおら立ち上がります。一、二歩行ってふり返ると、「篝火を焚いているので、お部屋の方は、…ちょうどよい程度の明るさ」で、「女君」(姫)の美しい姿がよく見えました。心惹かれて後返りして髪を撫でると、豊かな髪のひんやりとした感触が、なんとも「気品のある感じがして」、はにかんでいる様がひとしおかわいいと思われてしまいます。

歌を交わして去ろうとすると、この西の対から寝殿を隔てた東の対の方から見事な笛と箏の音が聞こえてきました。そこは夕霧の居る部屋で(花散里は寝殿にいるということのようです・『評釈』)、源氏は、その音から、どうやら何時も一緒にいる頭中将(内大臣の嫡男)が来ているようだと察します。

少しでも長くここにいたかったところで、ちょうどいい口実ができました。

早速に、若者たちを呼び寄せることにしました。三人がやってきます。もう一人は、次の節で弁の少将(頭中将の弟)と分かります。》

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第一段 近江君の世間の噂

巻二十七 篝火 光る源氏の太政大臣時代三十六歳の初秋の物語

玉鬘の物語 養父と養女の禁忌の恋物語

第一段 近江君の世間の噂

第二段 初秋の夜、源氏、玉鬘と語らう

第三段 柏木、玉鬘の前で和琴を演奏

 

【現代語訳】
 近頃、世間の人の噂に、「内の大殿の今姫君は」と、何かにつけては言い触らすのを、源氏の大臣がお聞きあそばして、
「何はともあれ、人目につくはずもなく籠もっていたような女の子を、何ほどかの言い分はあったにせよあれほど仰々しく引き取った上で、このように人に見られたり噂されたりするのは納得できないことだ。たいそう物事にけじめをつけすぎなさるあまりに、深い事情も調べずに、お気に入らないとなると、このような体裁の悪い扱いになるのだろう。何事も、やり方一つで穏やかにすむものなのだ」とお気の毒がりなさる。
 このような噂につけても、「ほんとうによくこちらに引き取られてものだ、親と申し上げながらも、長年のお気持ちを存じ上げずに、お側に参っていたら、恥ずかしい思いをしただろうに」と、対の姫君はお分りになるが、右近もとてもよくお申し聞かせていた。
 困ったお気持ちがおありであったが、そうかといって、お気持ちの赴くままに無理押しなさらず、ますます深い愛情ばかりがお増しになる一方なので、だんだんとやさしく打ち解け申し上げなさる。

 

《この巻は、物語中、最も短い巻で、名前は第二段の場面と歌によります。

 『光る』が「次は『篝火』。これは源氏三十七歳の初秋です。この巻はたいしたことはありません。何もない。(笑)」と言っていて、残念ながら、読み所があまりないのですが、最初のこの節には、いくらかの心にとまることもあります。

近江の君の様子は、もはやすっかり世の中の噂になってしまったようです。

私たちから見ると天真爛漫、女御の所にでかけるにも、自分で思い立ってその手立てを講じるなど、たいへん自主的主体的で、快活積極的な女性にも見えるのですが、当時の貴族社会の中では、とんでもない跳ねっ返りで、全く破天荒な振る舞いということになるのでしょう。いや、案外、現代でも上流社会では、基本的にはそういうスタイルには、眉をひそめる傾向があるのかも知れません。

ともあれ、源氏はその姫の噂を聞いて、内大臣に同情するのですが、同時に、彼の「たいそう物事にけじめをつけすぎなさる」傾向に批判的です。

そこにいくと源氏は、「けじめ」を付けないで、「鳴くまで待とう、ほととぎす」とばかりに、紫の上の時も、明石の御方の時も、そして今度の玉鬘の時も、自分の思うことがかなう機の熟すのを、手を尽くしながらじっと待ってきたことを、読者は思い出します。

さて、玉鬘も内大臣邸の姫が女房として出仕するという噂を聞いて、自分も一つ間違えば、今のような深窓の姫ではなく、あの姫君と同じく「人に見られ」る立場になったかも知れないと、安堵の胸を撫でながら、翻って源氏のもてなしに感謝するのでした。脇で、右近も、源氏のお陰を強調します。

ただ困るのは、源氏の例の「困ったお気持ち」ですが、しかしそれとても、源氏の待ちの姿勢の遠慮がちなアプローチに、姫の方も次第に心を開いて気を許して来たようです。》

 
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