源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第一章 玉鬘の物語

第八段 内大臣、雲井雁を訪う

【現代語訳】

 あれこれとご思案なさりながら、前ぶれもなく気軽にお渡りになった。少将もお供しておいでになる。
 姫君はお昼寝をなさっているところである。羅の一重をお召しになって臥せっていらっしゃる様子は、暑苦しくは見えず、とてもかわいらしく小柄な身体つきである。透けて見える肌つきなど、またとてもかわいらしい手つきで扇をお持ちになったまま、腕を枕にしていて、投げ出されたお髪の具合は、そう大して長く多いというのではないが、たいそう美しい裾の様子である。
 女房たちは物蔭で横になって休んでいたので、すぐにはお目覚めにならない。扇をお鳴らしになると、何気なく見上げなさった目もとは、かわいらしげで、頬が赤くなっているのも、親の目にはかわいく見えるばかりである。
「うたた寝はいけないと注意申していたのに。どうして、ひどく無用心な恰好で眠っておられたのか。女房たちも近く居ないで、どうしたことか。女は身を常に注意して守っていなければならない。気を許して無造作なふうにしているのは、品のないことです。そうかといって、ひどく利口そうに身を堅くして、不動尊の陀羅尼を読んで印を結んでいるようなのも憎らしい。日頃接する人にあまりよそよそしく遠慮がすぎるのなども、上品なようなこととはいっても、小憎らしくて、かわいらしげのないことです。
 太政大臣がお后候補の姫君にしつけていらっしゃる教育は、何事でも一通りは心得ていて偏らず、特別目立つ特技もつけず、また不案内でうろうろすることもないようにと、余裕あるふうにとお考え置いていらっしゃるという。
 なるほど、もっともなことだが、人というものは、考えにも行動にも、特に好むことはどうしてもあるものだから、成長なさった後に特徴も現れるでしょう。あの姫君が一人前になって入内させなさる時の様子が、とても見たいものだ」などとおっしゃって、
「思い通りにお世話申そうと思っていたことは、難しくなってしまったお身の上だが、何とか世間の物笑いにならないようにしてあげようと、人の身の上をあれこれと聞くたびに心配しています。試しにとばかり熱心なふりをする男の言葉に、当分は耳をお貸しになるな。考えていることがあります」などと、たいそうかわいく思いながら申し上げなさる。

「昔は、どのようなことも深い分別がなくて、かえってあの当座のつらい思いをした騒動にも、平気な顔をして父君にお会い申していたことよ」と、今になって思い出すと、胸が塞がってひどく恥ずかしい。
 大宮からも、いつも会えないことをお恨み申されるが、このようにおっしゃるのに憚られて、行ってお目に掛かることがおできになれない。

 

《内大臣は、思案に余り、ぶらりと娘の部屋にやって来ます。しかしこの物語では父親がこういうふうに娘の部屋に来ると、ろくなことがありません。

朧月夜の父がやって来たのは、源氏が忍んでいたところでしたし、源氏が玉鬘(実の娘ではありませんが)のところに来れば、年甲斐もない色恋の思いを語り始めます。

ここでも、雲居の雁には気の毒なことに、昼寝をしているところだったのでした。今でも蒸し暑いことで名高い京都の夏の盛りのことで、「羅(薄物)の一重をお召しになって」眠りこけています。侍女の一人もおらず、薄い着物からは肌が透けて見えていて、扇を持ったままの白い手が黒髪に映えてかわいらしく、無防備というか、なまめかしいというか、ともかく、父の大臣は、自分の扇を鳴らして、起こします。

女は男に寝姿を見せない、ということは、さだまさしの「関白宣言」を待つまでもなく、日本女性の美徳とされています。で、父親の説教が始まります。

しかし、内大臣は、喋りながらも、どうしても源氏のことが頭から離れないらしく、源氏の教育方針を大変に興味あるものとして語ります。それは玉鬘の巻末に「総じて女性は、何か好きなものを見つけてそれに凝ってしまうことは、体裁のよいものではありません。どのようなことにも不調法というのも感心しないものです。」と語られていました。源氏のそういう考え方を内大臣は知っていたのです。

その上で、そうは言っても、自然と好みも出てくるから、どうしてもそのことに関心が偏りがちになる、その時はお手並み拝見だと、娘には関係のない独り合点の嫌みを言って、ともあれ、悪いようにはしないから、当分は大人しくしているようにと、言い含めます。

「たいそうかわいく思いながら」というのが少々意外で、もともとは「女御よりはずっと軽くお思い申し上げておられたが」(少女の巻第三章第一段2節)という扱いでしたし、その後夕霧とのこともあって面白くなく思っていたのではないかと思われるのですが、この三年ほどの間に、一緒に暮らして馴染んだり、またそれほどこの姫がかわいらしくなったということなのでしょうか。

姫の方も、夕霧とのことを反省する気持になっているようで、あの頃の少し行きすぎた恋のまねごとを気恥ずかしく思っています。少し成長したのです。

ところで、うたた寝の覗き見のことは、「紫式部日記」のごく初めのあたりに、紫式部が同僚の弁の少将の昼寝姿を見たという、ここと大変よく似た場面があることを『評釈』が指摘しています。》

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第七段 玉鬘の噂

【現代語訳】

 内の大殿は、この新しい姫君のことを、お邸の人々も姫として認めず、軽んじて言い、世間でも馬鹿げたことと非難申しているとお聞きになっている上に、少将が何かの機会に、太政大臣が「本当のことか」とお尋ねになったことを、お話し申し上げると、

「いかにも。我が家では、長年噂にも立たなかった賤しい娘を迎え取って大切にしているのだ。めったに人の悪口をおっしゃらない大臣が、我が家のことは、聞き耳を立てて悪口をおっしゃるよ。それで面目を施して晴れがましい気がする」とおっしゃる。少将が、

「あの西の対にお置きになっていらっしゃる姫君は、たいそう申し分ない方だそうでございます。兵部卿宮などが、たいそう熱心に苦労して求婚なさっていらっしゃるとか。並大抵の姫君ではあるまいと、世間の人々が推し量っているようです」と、申し上げなさると、

「さあ、それはあの大臣の御姫君と思うだけのことで評判の高さだ。人の心は皆そういうもののようだ。必ずしもそんなに優れてはいないだろう。人並みの身分であったら、今までに評判になっていよう。

 惜しいことに、大臣が何一つ欠点もなくこの世では過ぎた方でいらっしゃるご信望やご様子でありながら、れっきとした奥方に姫君をお世話してなるほど申し分あるまいと察せられる素晴らしいという方がいらっしゃらないとは。

 だいたい子供の数が少なくて、きっと心細いことだろう。身分の低い母だが、明石の御許が生んだ娘は、あの通りまたとない運命に恵まれて、将来頼もしかろうと思われる。
 あの新しい姫君は、ひょっとしたら、実の姫君ではあるまいよ。何といっても一癖ある方だから、大事にしていらっしゃるのだろう」と、悪口をおっしゃる。

「ところで、どのようにお決めになるのかな。親王がうまく靡かせて自分のものになさるだろう。もともと格別にお仲がよいし、人物もご立派で婿君に相応しい間柄であろうよ」 などとおっしゃっては、やはり姫君のことが残念でたまらない。

「あのように、勿体らしく扱って、どういうふうにする気かなどと、やきもきさせてやりたかったものを」と癪なので、夕霧の位が相当になったと見えない限りは、結婚を許せないようにお思いになるのであった。

 大臣などが丁重に口添えして敢えてと言われるなら、それに負けたようにして承認しようと思うが、男君の方は一向に焦りもなさらないので、おもしろからぬことであった。

 

《人は、若いうちはわがままで青臭く固いけれども、歳を取るにつれて角が取れて柔軟になる、と考える向きもありますが、反対に、歳を取るにつれてその人の人柄がその人らしく固まってきて、それに立場を背負うことも多くなり、妙に自信を持ったりして、かえって頑なになるということも否めないようです。

源氏と内大臣(かつての頭中将)も、若い頃は張り合うことがあっても、それが終われば笑い合い肩をたたき合って収まっていた仲(紅葉賀の巻第四章など)でしたが、それぞれに一家の長といった立場や歳になると、同じ競い合いをしても、相手を見て思うところは少なくないようです。

特に内大臣の方は、中宮立后について後れを取り、東宮には明石の姫を用意されてしまい、希望をつないだ雲居の雁には夕霧に手を出されるなどあって、絵合の巻あたりから湧いてきたライバル心が、かなわないのではないかと思いながらも、何かにつけて強くなっています。

そんな時に、自分の所に思いがけず見つかった姫と、源氏のところにいるという姫の出来がずいぶん違いそうで、心穏やかではありません。実はどちらも彼の娘という大変に皮肉な事態なのですが。

そこでせめて嫌みをと息子に向かって「あの新しい姫君は、ひょっとしたら、実の姫君ではあるまい」となかなか鋭い勘をみせますが、それがよもや自分の娘とは思いもよらず、読者をにんまりさせてくれます。

自分のところの姫は、素性卑しく跳ねっ返りであるのに、源氏のところの姫には、由緒正しい兵部卿の宮がぞっこんで、婿殿の第一候補であるらしい、反対だったら、どうだと言ってやれるのですが、それができず、今は嫌がらせのように、夕霧と雲居の雁の間に横槍を入れるくらいのことしかできないでいます。

しかも、源氏は、その雲居の雁についても、そこを何とかと頭を下げて言ってくる気配もなく、当の夕霧もその横槍をさして苦にしている様子もありません。内大臣は切歯扼腕というところです。》

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第六段 源氏、玉鬘への恋慕に苦悩

【現代語訳】

 お渡りになることもあまり度重なって女房が不審にお思い申しそうな時は、気が咎めて自制なさって、しかるべきご用を作り出して、お手紙の通わない時はない。ただこのお事だけがいつもお心に掛かっている。
「どうして、このような不相応な恋をして、心の休まらない物思いをするのだろう。そんな苦しい物思いはすまいとして、心の赴くままにしたら、世間の人の非難を受ける軽々しさを、自分への悪評はそれはそれとして、この姫君のためにもお気の毒なことだろう。この上なく愛していると言っても、春の上のご寵愛に並ぶほどには、わが心ながらありえまい」と思っていらっしゃる。

「そのようにして、あの方以下の待遇では、どれほどのことがあろうか。自分自身こそ太政大臣として格別な立場だが、世話する女君が大勢いる中で、あくせくするような末席にいたのでは、何の大したことがあろう。格別大したこともない大納言くらいの身分で、ただ姫君一人を妻とするのには、きっと及ばないことだろう」と、ご自身お分りなので、たいそうお気の毒で、「いっそ、兵部卿宮か大将などに許してしまおうか。そうして自分も離れ、姫君も連れて行かれたら、諦めもつくだろうか。仕方のないこととして、そうもしてみようか」とお思いになる時もある。
 しかし、お渡りになって、ご器量を御覧になり、今ではお琴をお教え申し上げなさることまで口実にして、近くに常に寄り添っていらっしゃる。
 姫君も、初めのうちこそ気味悪く嫌だとお思いであったが、「このようになさっても、穏やかなので、心配なお気持ちはないのだ」と、だんだん馴れてきて、そうひどくお嫌い申されず、何かの折のお返事も、親し過ぎない程度に取り交わし申し上げなどして、御覧になるにしたがってとても可愛らしさが増し、はなやかな美しさがお加わりになるので、やはり結婚させてすませられないとお思い返しなさる。
「それならばまた、結婚させて、ここに置いたまま大切にお世話して、適当な折々にこっそりと会い、お話申して心を慰めることにしようか。このようにまだ結婚していないうちに口説くことは面倒で姫にも気の毒であるが、自然と夫の厳しい目があるようになっても、男女の情が分るようになり、こちらがかわいそうだと思わないで熱心に口説いたならば、いくら人目が多くても差し障りはあるまい」とお考えになる、実にけしからぬ考えである。
 ますます気持ちが落ち着かず、なお恋し続けるというのもつらいことであろう。ほどほどに思い諦めることが、何かにつけてできそうにないのが、世にも珍しく厄介なお二人の仲なのであった。

 

《源氏は、四六時中玉鬘のことばかり考えている、といった有様です。

いろいろなことを考えます。

とりあえずは、自分をふり返って我ながら呆れる、といった気持ですが、それを解消するために「心の赴くままにしたら、世間の非難を受ける」というのは、妻として迎えることをいっているわけですが、それでは姫が悪い世評を受けてしまう。

それに、いくら愛しく思っているといっても、「春の上のご寵愛に並ぶほど」ではありえない、と言います。

長々と玉鬘への執着が語られてきたのですが、それは「源氏についての全部ではなく、玉鬘に対する部分だけだった」(『評釈』)のであって、源氏の心の全体の中では紫の上に占める部分が断然大きかったということのようです。なんだ、そうだったのかと、読者は安心すると同時に、少しばかばかしい気がしないでしょうか。

結局玉鬘とのことは、現実を離れた、二人だけの世界を独立させたときに成り立つ間柄のようで、いかにも中年男の道ならぬ恋という趣ですが、当人自身は「ほどほどに思い諦めることが、何かにつけてできそうにない」ことと感じているのでしょう。まことに「真昼の悪魔」という、理屈では片付かないことなのです。

玉鬘のことを考える範囲では、強い思いがあるのですが、と言って、妻として迎えれば、どうしても多くの女君の社会で、紫の上を頂点とする「ピラミッドの中に入れなければならない」(『評釈』)、そうすれば、そこでは「あくせくするような末席」にいるしかないだろうから、それは姫にかわいそうだ。

それならいっそのこと誰かと結婚させて、自分は「仕方のないこととして」、手を引くことにしようか。

そう考えて、読者としては、どうやら一件落着の見通しが立ち始めたか、と思ったとたんに、えてしてそうしたものですが、今度は姫の方が「だんだん(源氏に)馴れてきて、そうひどくお嫌い申されず、…御覧になるにしたがってとても可愛らしさが増し、はなやかな美しさがお加わりになる」といったことになって、折角の思いもまたぞろぶり返しです。

果ては、誰かと結婚させて、姫はこのままここに住まわせ、初心な生娘でなくなった姫なら、もうちょっと気楽に考えてくれるだろうから、自分はこっそり会うということにしようか、とまで考えます。

しかし作者もさすがにそれを「実にけしからぬ考えである(原文・いとけしからぬことなりや)」と言いますが、まことにその通りです。》

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第五段 源氏、玉鬘と和歌を唱和

【現代語訳】

 女房たちが近くに伺候しているので、いつもの冗談も申し上げなさらずに、
「撫子を十分に鑑賞もせずに、あの人たちは立ち去ってしまったな。何とかして、内大臣にもこの花園をお見せ申したいものだ。世の中は常無いものと思うが、昔も、話の折りにあなたのことをお話しになったことが、まるで昨日今日のことのように思われる」とおっしゃって、その時のことを少しお口になさったのにつけても、感慨無量である。
「 撫子のとこなつかしき色を見ばもとの垣根を人や尋ねむ

(撫子の花のいつ見ても美しい色を見たら、人はもとの垣根を尋ねることだろう)
 このことが厄介に思われるので、『繭ごもり』させている(私の手元に引き籠めている)のだが、それも気の毒に思い申しています」とおっしゃる。姫君は、涙を流して、
「 山がつの垣ほに生ひし撫子のもとの根ざしをたれか尋ねむ

(山家の賤しい垣根に生えた撫子の、もとの素性など誰が尋ねたりしましょうか)」

人数にも入らないように言いなしてお答え申し上げなさった様子は、ほんとうにたいそう優しく若々しい感じである。
「来ざらましかば(もし来ないようなことあったならば)」とお口ずさみになって、ひとしお募るお心は、苦しいまでにやはり我慢しきれなくお思いになる。


《源氏が玉鬘とひそひそと喋っている間に、若者たちは帰ってしまったようです。

「撫子を十分に鑑賞もせずに、…立ち去ってしまったな」もないもので、そういう意図があったのなら、彼はあまりに彼らを無視して長々と喋りすぎました。もっとも、源氏にしてみれば、本命も穴馬もいない一行ですから、もともと、姫がいることだけを知らしめればよかったとも言えるので、眼中になかったのも仕方ないのかも知れません。

源氏は、玉鬘が実父に会いたいと思っていることは、当然承知していながら、内大臣との帚木の巻時代の思い出話をします。何か、自分への関心を引こうとして、または自分の力を見せつけようとしてでしょうか、意図的な話題に見えますが、どうでしょうか。

そういう話をしておきながら、源氏の歌は、彼をもしあなたに会わせたら、きっと母親の行く方を尋ねられることだろうな、という意味で、「このことが厄介に思われる」と言います。夕顔とのいきさつは、源氏としては語りたくない話のようです。彼には、彼女を死なせてしまったことが、失敗談として心の傷になっているといったところでしょうか。

『繭ごもり』は自分がこうして姫を抱え込んでいることを言うのですが、一方でそれを「気の毒に思う」という気持もあります。作者としては、源氏の心優しさを言おうとしているのでしょうが、願うことをさせずにおいてのこういう言葉は、ただの弁解めいていて、かえって嫌みな感じがするのですが、どうでしょうか。

そういう点で全く無力な玉鬘は、私など誰が捜してくれましょうと、ただ泣くしかありません。その姿がしおらしく、よけいに心を惹かれるのでした。

「来ざらましかば」は、「引歌があろうが未詳」(『集成』)で、分からないところのようです。「あなたの言うように内大臣がもし来ないようなことあったならば、その時はあなたは私のものにできるのだが(結局はそうもいくまい)」というような気持かというのは、私の思いつきです。》

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第四段 源氏、玉鬘と和琴について語る~その2

【現代語訳】2

和琴をお弾きになる姿はとても素晴らしく、はなやかで趣がある。

「これよりも優れた音色が出るのだろうか」と、親にお会いしたい気持ちが加わって、このことにつけてまでも、「いつになったら、こんなふうにくつろいでお弾きになるところを聞くことができるのだろうか」などと、思っていらっしゃった。
「貫河の瀬々のやはらた」と、たいそう優しくお謡いになる。「親避くるつま(親が遠ざける夫)」というところは、少しお笑いになりながら、ことさらにでもなくお弾きになる菅掻きの音は、何とも言いようがなく美しく聞こえる。
「さあ、お弾きなさい。芸事は人前を恥ずかしがっていてはいけません。『想夫恋』だけは、心中に秘めて、弾かない人があったようだが、遠慮なく、誰彼となく合奏したほうがよいのです」と、しきりにお勧めになるが、あの辺鄙な田舎で、何やら京人と名乗った皇孫筋の老女がお教え申したので、誤りもあろうかと遠慮して、手をお触れにならない。
「もう少しの間でもお弾きになってほしい。聞いて覚えることができるかも知れない」と聞きたくてたまらず、この事のために、お側近くにいざり寄って、
「どのような風が吹き加わって、このような素晴らしい響きが出るのでしょう」と言って、耳を傾けていらっしゃる様子は、燈の光に映えてたいそうかわいらしげである。

お笑いになって、
「耳聡いあなたのためには、身にしむ風も吹き加わるのでしょう」と言って、和琴を押しやりなさる。何とも迷惑なことである。

 

《琴の蘊蓄を語って、源氏は「楽曲を少しお弾きになる」のでした。その姿は言うまでもなく優雅でしたが、またその音もなかなかのものだったようで、玉鬘は、「現在では、あの内大臣に並ぶ人はいません」と、その源氏自身が折り紙を付けた父の内大臣の和琴は一体どれほどなのだろうと、ますます心引かれる思いが募ります。

「貫河の瀬々のやはらた」は催馬楽の一節で「親避くる夫」はそれに続く詞、「親が娘に言い寄る男を離し遠ざけることだが、源氏は、親の立場にありながら玉鬘に恋をしかけているので、にやにやしながら弾く」(『集成』)ということのようです。

源氏は玉鬘に弾かせようとしますが、「芸事は人前を恥ずかしがっていてはいけません」というのは、なかなかいい忠告で、『徒然草』第百五十段「能をつかんとする人・…」が思い出され、作者の鋭い人間観察が感じられます。

しかし彼女は田舎仕込みを恥ずかしがって手を出さず、源氏が弾いてくれるのをもっと聞きたくて「お側近くにいざり寄」ります。

「耳聡いあなたの…」は、玉鬘の耳を褒めた格好ですが、普段は私の言うことが少しも聞こえないようなのに、という皮肉、からかいも交じっているようです。

「和琴を押しやりなさる」は、さっき言ったように、玉鬘の方に、さあ、弾いてみよと「押しやった」ようにも思われますが、以下にその反応が書かれないところを見ると、脇に置いたということのようです。

そうすると「何とも迷惑なことである」は、源氏の言葉が、皮肉混じりに言い寄る内容になっていることに対しての、草子地であり、また玉鬘の気持ちでもあるのでしょう。》

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