【現代語訳】
大輔の君というのが持参して、開いて御覧に入れる。女御が、苦笑してお置きになったのを、中納言の君という者が、お近くにいて横目でちらちらと見た。
「たいそうしゃれたお手紙のようでございますね」と、見たそうにしているので、
「草仮名の文字は、読めないからかしら、歌の意味が続かないように見えます」とおっしゃって、お下しになった。
「お返事は、これと同じようにことごとしく書かなかったら、なっていないと軽蔑されましょう。ついでにあなたがお書きなさい」と、お任せになる。そう露骨に現しはしないが、若い女房たちは、何ともおかしくて、皆笑ってしまった。使いがお返事を催促するので、
「風流な引歌ばかり使ってございますので、お返事が難しゅうございます。代筆めいては、お気の毒でしょう」と言って、まるで、女御のご筆跡のように書く。
「お近くにいらっしゃるのにその甲斐なく、お目にかかれないのは、恨めしく存じられまして、
常陸なる駿河の海の須磨の浦に波立ち出でよ筥崎の松
(常陸にある駿河の海の須磨の浦にお出かけくだい、箱崎の松が待っています)」
と書いて、読んでお聞かせす申すと、
「まあ、困りますわ。ほんとうにわたしが書いたのだと言ったらどうしましょう」と、迷惑そうに思っていらっしゃったが、
「それは聞く人がお分かりでございましょう」と言って、紙に包んで使いにやった。
御方が見て、
「いいお歌だこと。待っているとおっしゃっているわ」と言って、たいそう甘ったるい薫物の香を、何度も何度も着物に焚きしめていらっしゃる。紅というものを、たいそう赤く付けて、髪を梳いて化粧なさったのは、それなりに派手で愛嬌があった。ご対面の時、さぞ出過ぎたこともあったであろう。
《さすがに女御です。大変な手紙なのですが、決して笑ったり変に批評したりしません。悠揚迫らず、「草仮名の文字は、読めないからかしら、歌の意味が続かないように見えます」と、おかしなふうに読めるのは、自分の素養がないからだろうということにして、侍女の中納言に渡します。
受け取った中納言が見ているところに、まわりから女房たちが覗いたのでしょうか、こちらは堪えきれずに笑ってしまいました。しかし、「そう露骨に現しはしない」という心得は守ります。何と言っても、相手は内大臣の御娘であり、女御の妹なのですから。
さて、この返事は、なかなか微妙で難しい課題です。どこまで調子を合わせ、どこまで崩さないか…。
しかし結果はずいぶん派手に、これ見よがしに調子を合わせたものになりました。とうとう地名はバラバラの四つになりました。
こんな歌が女御の歌だと世に広まったらどうしよう、と女御は笑います。しかし中納言は、あの姫君はともかく、普通の人は女御の歌だと聞いても、何かの間違いだと気がつくと押しきって、使いの「樋洗童」に渡します。
姫君は、「御方」と呼ばれます。女御から手紙を頂いて格が上がりました。「いいお歌だこと」と、まことに素直です。それにしても、歌が「おいで下さい」という意味だと理解できたのは立派です。
そして入念なお化粧をして、お出かけになりました。何事か、ドタバタ喜劇のようなことが起こるに違いありません。
『評釈』が言います。「読者は思い起こすであろう。玉鬘と源氏の対面を。…それからまた、玉鬘と明石の姫君の対面を(初音の巻第三章第一段)。紫の上の挨拶もあった。それができると源氏が見極めたからのことである」。しかし、こちらの内大臣は放り出すようにして行かせるのです。
玉鬘と近江の君を対照的に並べて、作者は、物語に起伏を作ろうとしているわけです。
何か起こりそうな所で一旦巻を閉じるのはこの物語の常套手段ですが、ここでも次に気を持たせる、うまいやり方です。》