源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第二章 光る源氏の物語(一)

第三段 源氏、花散里のもとに泊まる~その2

【現代語訳】2

 今はただ一通りのご夫婦仲で、お寝床なども別々にお寝みになる。「どうしてこのよう疎々しい仲になってしまったのだろう」と、殿はつらくお思いになる。だいたいが、何のかのと嫉妬めいたことも申し上げなさらず、長年このように折節につけた遊び事を、人づてにお聞きになっていらっしゃったのだが、今日は珍しくこちらであったことだけで自分の町の晴れがましい名誉とお思いでいらっしゃった。
「 その駒もすさめぬ草と名に立てる汀のあやめ今日や引きつる

(馬も食べない草として有名な水際の菖蒲のような私を、今日は節句なので、引き立

てて下さったのでしょうか)」
とおっとりと申し上げなさる。たいしたことではないが、しみじみとお感じになった。
「 にほどりに影をならぶる若駒はいつかあやめに引き別るべき

(鳰鳥のようにいつも一緒にいる若駒の私は、いつ菖蒲のあなたに別れたりしましょ

うか)」
 遠慮のないお二人の歌であること。
「いつも離れているようですが、こうしてお目にかかりますのは、心が休まります」と、冗談ではあるが、のんびりとしていらっしゃるお人柄なので、しんみりとした口ぶりで申し上げなさる。
 御帳台はお譲り申し上げなさって、御几帳を隔ててお寝みになる。共寝をするというようなことを、たいそう似つかわしくないこととして、まったく考えてもいらっしゃらないので、無理にお誘い申し上げなさらない。



《胸に一物を抱きながら男たちの評をすれば、紫の上なら、案外源氏の真意を読み取って、皮肉の一つも言ったかも知れませんが、その点、この花散里は、玉鬘の巻第四章第六段で挙げた『人物論』所収・沢田正子著「花散里の君~虚心の愛~」の言う「母のような姉のような愛で包みしばしの休養を提供する」ような人ですから、安心して話すことができました。

ひときり話して源氏は、今日はそこに泊まることにしますが、ここで二人の特異な関係が具体的に語られます。

この夜、二人は「今はただ一通りのご夫婦仲で、お寝床なども別々にお寝みになる」のでした。それを源氏は、どうしてそうなってしまったのだろうと、「つらくお思いになる」というのですが、これは私の訳で、ここの原文「苦しがりたまふ」を諸注は、「気の毒にお思いになる」(『集成』)、「こまっていらっしゃる」(『評釈』)、「物足りなくお思いになります」(『谷崎』)とさまざまな読み方を示しています。

私の訳は、相手に悪いとか、自分が残念だとか、そういうことではなくて、こういうことでいいのだろうかと、気まずい気持になっているという気持でのものですが、どうでしょうか。

しかし、花散里の方は、共寝など「まったく考えてもいらっしゃらない」のでした。この部分、原文は「思ひ離れ果てきこえたまへれば」で、先の諸注は、いずれも、共寝を「すっかりお諦め申していらっしゃるので」と訳しています。しかし「諦めている」というのは、本当は希望があるのだが、というニュアンスが感じられて(もちろん、てんからそれが全くないというのではないでしょうが)、例えば『評釈』が言うように、「自分の夫というよりもむしろ、お客様といった感じ」で応対しているのでしょう。

途中、「冗談ではあるが」(諸注同じ)がよく分かりません。「心が休まります」は源氏の本音のはずですが、どうしてこれが「冗談(原文・たはぶれ)」になるのでしょう。さらにそれが、「しんみりとした口ぶりで申し上げなさる」となると、いっそうです。ちょっと気休めを言った、というような気持ちなのでしょうか。》

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第三段 源氏、花散里のもとに泊まる~その1

【現代語訳】1

 大臣は、こちらでお寝みになった。お話などを申し上げなさって、
「兵部卿宮が、誰よりも格別に優れていらっしゃいますね。容貌などはそれほどでもないが、心配りや態度などが優雅で、魅力的なお方だ。こっそりと御覧になりましたか。人は立派だと言うが、もう少しですね」とおっしゃる。
「弟君ではいらっしゃいますが、大人びてお見えになりますね。ここ何年か、このように機会あるごとにおいでになっては、お親しみ申し上げなさっていらっしゃると伺っていますが、昔の宮中あたりでちらっと拝見してから後、おみかけしていません。たいそうご立派に、ご容貌などおなりになりました。帥の親王が素晴らしくいらっしゃるようですが、感じが劣って、王族程度でいらっしゃいました」 とおっしゃるので、「一目でお見抜きだ」とお思いになるが、にっこりして、その他の人々については、良いとも悪いとも批評なさらない。人のことに欠点を見つけ、非難するような人を、困った者だと思っていらっしゃるので、「右大将などをさえ、立派な人だと言っているようだが、何のたいしたことがあろうか。婿として見たら、きっと物足りないことであろう」とお思いだが、口に出してはおっしゃらない。


《その夜、源氏はこの東邸に泊まりました。以前、「夜のお泊まりなどのように、わざわざお見えになることはない」とありました(薄雲の巻第二章第一段)から大変珍しいことと思われますが、玉鬘の話をしたかったようです。

話は彼女自身についてではなくて、婿候補者たちです。

まずは兵部卿宮です。源氏はこの人を一押しにしていますから、とりあえずはなかなか高い評価です。しかし、「人は立派だと言うが、もう少しですね(原文・よしといへど、なほこそあれ)」と、最後に急に一言添えます。『集成』は「言葉の裏に源氏のわれぼめの気持がある」と言います。加えて『評釈』の言うように、まだ姫を人に渡したくない気持が働いているのでしょう。

花散里の返事は、さすがに非常に慎重です。普通、宮は源氏の一、二歳下と考えられているようですが、「大人びてお見えになりますね(原文・ねびまさりてぞ見えたまひける)」というのは、源氏より年上に見えるというのでしょうか、老けているともとれますが、必ずしも悪いだけの言い方ではないようにも思われます。「帥の親王」は、「源氏の異腹の弟。この日参会した親王の一人。ここにだけ見える人物」(『集成』)です。源氏の言うことにことさら異を唱えるのは憚られて、そういう人に話題を逸らしたように見えます。

源氏は、腹の中で、右大将も大したことはない、と思ってみます。

『評釈』が、「源氏が選りに選った候補者のトップを行く人が、このような評価を下されてしまっては、いったい玉鬘の花婿として誰を推すというのか」と言うのももっともで、まったく困った人です。》

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第二段 六条院馬場殿の騎射

【現代語訳】

 殿は、東の御方にもお立ち寄りになって、
「中将が、今日の左近衛府の競射の折に、男たちを引き連れて来るようなことを言っていたから、そのつもりでいて下さい。まだ明るいうちにきっと来るでしょう。不思議と、こちらでは目立たぬようにする内輪の催しも、この親王たちが聞きつけて、見物においでになるので、どうしても大げさになりますから、心づもりなさい」などと申し上げなさる。
 馬場の御殿は、こちらの渡廊から見渡す距離もさほど遠くない。
「若い女房たちは、渡殿の戸を開けて見物しなさいよ。左近衛府にたいそう立派な官人が多い時だ。なまじっかの殿上人には負けまい」とおっしゃるので、見物することをとても興味深く思っていた。
 対の御方からも、童女などが見物にやって来て、渡廊の戸口に御簾を青々と懸け渡して、洒落た裾濃の御几帳をいくつも立て並べ、童女や下仕などがあちこちしている。菖蒲襲の袙、二藍の羅の汗衫を着ている童女は、西の対のであろう。感じのいい物馴れた者ばかり四人、下仕え人は、楝の裾濃の裳、撫子の若葉色をした唐衣で、いずれも端午の日の装いである。
 こちらの童女は、濃い単衣襲に、撫子襲の汗衫などをおっとりと着て、それぞれが競い合っている振る舞いは、見所がある。
 若い殿上人などは目をつけては流し目を送る。午後二時のころに馬場殿にお出になって、なるほど親王たちがお集まりになっている。競射も公のそれとは趣が異なって、中将少将たちが連れ立って参加して、風変りに派手な趣向を凝らして、一日中お遊びになる。
 女性には、何も分からないことであるが、舎人連中までが優美な装束を着飾って、必死になって競技をしている姿などを見るのはおもしろいことであった。
 南の町まで通して、ずっと続いているので、あちらでもこのような若い女房たちは見ていた。「打毬楽」「落蹲」などを奏でて、勝ち負けに大騒ぎをするのも、夜になってしまって、何も見えなくなってしまった。舎人たちが禄を位階に応じて頂戴する。たいそう夜が更けてから、人々は皆お帰りになった。

 

《ここでも六条院の華やぎが語られます。源氏から、夕霧の中将が左近衛府の競射の帰りに仲間を連れてこの馬場に来るから準備するようにと言われて、彼の教育係になっている花散里の夏の邸は大変な騒ぎになりました。

繰り返しですが、馬場は南邸の北寄りから東邸にかけての東側に添って直線で造られていて、東邸の東の対の奧に当たるところに馬場殿があります。若い公達が大勢来るとあって、源氏のお許しも出たことで、花散里の「若い女房たち」は、渡殿にずらりと並んで見物します。そこに西の対の玉鬘の童女たちも見物にやって来て、東の対の花散里の童女たちと、その美を競っています。

馬場は南邸からも見えるので、そちらでも同じよに、紫の上の女房たちが居並んで見詰めています。

そこに、早めにやって来たのでしょうか、殿上人たちが居並ぶ女房たちの気を引くようにデイスプレイを見せています。

「今日の左近衛府の競射」は午前中に行われたようで、午後二時、やおら源氏が姿を見せた時には、そこから回ってきた若者が勢揃いしていて、やがて公式の競射とは違って気楽で、その分楽しい競射が催されて、艶やかな女房たちに囲まれ、見守られる中で、若者の歓声が庭に響きます。歓楽は夜まで続きました。

物語の展開にはあまり関係のない話ですが、作者にしてみれば、おそらくは実際にあった、似たような催しを見た時の感動を思い出しながらの記述でしょうから、書きながら、きっと心躍るものだったことでしょう。》

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第一段 五月五日端午の節句、源氏、玉鬘を訪問

【現代語訳】
 五日には、馬場殿にお出ましになった機会に、お越しになった。
「どうでしたか。宮は夜更けまでいらっしゃいましたか。あまりお近づけ申すまい。やっかいなお癖がおありの方ですよ。女の心を傷つけたり、何かの間違いをしないだろうというような男は、めったにいないものですよ」などと、誉めたりけなしたりしながら注意していらっしゃるご様子は、どこまでも若々しく美しくお見えになる。光沢も色彩もこぼれるほどの御衣に、お直衣が無造作に重ね着されている色合いも、どこに普通と違う美しさがあるのであろうか、この世の人が染め出したものとも見えず、普通の直衣の色模様も、今日は特に珍しく見事に見え、素晴らしく思われる薫香なども、「物思いがなければ、どんなに素晴らしく思われるにちがいないお姿だろう」と姫君はお思いになる。
 宮からお手紙がある。白い薄様で、ご筆跡はとても優雅にお書きになっていらっしゃる。見ていた時には素晴らしかったが、こう口にすると、たいしたことはないものだ。
「 今日さへや引く人もなき水隠れに生ふるあやめのねのみ泣かれむ

(今日も引く人もない水の中に隠れて生えている菖蒲の根のように、相手にされない

私はただ声を上げて泣くだけなのでしょう)」
 語りぐさにもなりそうな長い菖蒲の根に文を結んでいらっしゃったので、「今日のお返事を」などとお勧めしておいて、お出になった。誰彼も「やはり、ご返事を」と申し上げるので、ご自身どう思われたであろうか、
「 あらはれていとど浅くも見ゆるかなあやめもわかず泣かれけるねの

(見せていただきましてますます浅く見えました、わけもなく泣かれるとおっしゃる

あなたのお気持ちの浅さは)
 お年に似合わないこと」とだけ、薄墨で書いてあるようである。「筆跡がもう少し立派だったら」と、宮は風流好みのお心から、少しもの足りないことと御覧になったことであろうよ。
 薬玉など、実に趣向を凝らして、あちこちから多くあった。おつらい思いをして来た長年の苦労もすっかりなくなったお暮らしぶりで、お気持ちにゆとりのおできになることも多かったので、「同じことなら、あちらが傷つくようなことのないようにして終わりにしたいものだ」と、強くお思いになるのだった。

 

《五月五日、ここは前節の翌日、というふうに読むところのようで、この章はその一日を描いたものです。

「(東北の町の)東面は、割いて馬場殿を造り埒を結って、五月の御遊の場所として…」(少女の巻第七章第四段)とありましたが、その馬場殿から南へ東の塀に沿って馬場があったようです。端午の節句には宮中で騎射や競馬が行われるのですが、源氏も自邸でそれにあやかって催したのを見るついでに、玉鬘の部屋を覗きます。

ここでは源氏は、昨夜とはうって変わって、宮には気を付けなければならないようなことを言います。「誉めたりけなしたり」は原文は「活けみ殺しみ」と、ずいぶん強い調子で書かれている感じです。

ところが、その言葉の厳しさにもかかわらず、この時の彼の様子が、またしても比類なく素晴らしいふうに語られていていちょっと違和感がありますが、これは半分、玉鬘目線であるようで、「物思い(源氏から言い寄られることの不愉快さ)がなければ、どんなに素晴らしく思われるにちがいないお姿だろう」、と残念なふうです。

昨夜の自信と言い、この気持と言い、彼女もまた、源氏への気持を、ただ厭わしいと感じていたように思われた胡蝶の巻末あたりと比べると、少し変化させてきているようです。侍女たちが折々源氏を讃えていた効果もあるでしょうか。

源氏が行ってみると、宮からの手紙は変わらず届いているようです。

玉鬘は、侍女や源氏に督促されて、返しの歌を送りました。「お年に似合わないこと(原文・若々しく)」という添え書きも、歌の内容もなかなかきつい言葉のように思われるのですが、このくらいは当たり前なのでしょうか、宮は、意に介しないふうに、字がもうちょっとうまければいいのに、という、年長の風流人らしく、さめた感想をもったのでした。作者は、まだこの姫を山出しの娘という範囲に置いて、そういう素朴な初々しさを強調しています。

姫は、その一方で、今の自分の生活に慣れて、源氏との今のような関係を、源氏を傷つけないうちに終えなくてはと、源氏を気遣う余裕を持ち始めているのでした。》

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