【現代語訳】
翌朝、お手紙が早々にあった。気分が悪いといって臥せっていらっしゃったが、女房たちがお硯などを差し上げて、「お返事を早く」とご催促申し上げるので、しぶしぶ御覧になる。白い紙で、表面は穏やかに生真面目で、とても立派にお書きになってあった。
「またとないご様子は、つらくもまた忘れ難くて。どのように女房たちはお思い申したでしょう。
うちとけて寝も見ぬものを若草のことあり顔にむすぼほるらむ
(気を許しあって共寝をしたのでもないのに、どうしてあなたは意味ありげな顔をし
て思い悩んでいらっしゃるのでしょう)
子供っぽくいらっしゃいますよ」と、それでも親めいたお言葉づかいも、とても憎らしいと御覧になって、お返事を差し上げないようなのも傍目に不審がろうから、厚ぼったい陸奥紙に、ただ、
「頂戴致しました。気分が悪うございますので、お返事は失礼致します」とだけあったので、「こういうやりかたは、さすがにしっかりしたものだ」とにっこりして、口説きがいのある気持ちがなさるのも、困ったお心であるよ。
いったん口に出してしまった以後は、「おほたの松の(いっそはっきり言ってしまおうか、どうしようか)」と躊躇うような様子もなくなって、うるさく申し上げなさることが多いので、ますます身の置き所のない感じがして、どうしてよいか分からない物思いの種となって、ほんとうに病むまでにおなりになる。
こうして、ことの真相を知っている人は少なくて、他人も身内もまったく実の親のようにお思い申し上げているので、
「こんな事情が少しでも世間に漏れたら、ひどく世間の物笑いになり、情けない評判が立つことだろう。父大臣などがお尋ね当て下さっても、親身な気持ちで扱っても下さるまいが、それ以上に、たいそう浮ついた女だとお耳にされお思いになるだろう」と、何もかもが心配になりお悩みになる。
宮や大将などは、殿のご意向が、相手にしていなくはないと伝え聞きなさって、とても熱心に求婚申し上げなさる。あの「岩漏る」の歌の中将も、大臣がお認めになっていると小耳にはさんで、ほんとうの事を知らないで、ただ一途に嬉しくなって、身を入れて熱心に恋の恨みを訴え申してうろうろしているようである。
《源氏が、いわゆる後朝の歌を届けて来ました。歌は、『伊勢物語』四十九段を踏まえたもので、「冗談にも、父親が娘に対して言うべきことではない」(『評釈』)内容です。
昨夜は、不首尾に終わって、彼も自分の振る舞いを反省し恥じ入って、思いを断つことにしたものだと思われたのですが、どうもそうではなかったようで、ここには、昨夜の自分の振る舞いを暗示しながら、うろたえた相手をからかっているような趣があります。
それどころか、玉鬘の実用便箋に書いた、「これ以上つけ入るすきを見せないような、ピシャリとした」(同)、返歌もない事務的な返事に、なおも「口説きがいのある気持ち」を抱き、「うるさく申し上げなさることが多い」のでした。
何度も思うのですが、こういうありかたもなお、当時の女房たちの憧れる色好みの男性の振る舞いなのでしょうか。「困ったお心であるよ」と言い合いながら、感嘆していたのでしょうか。
かくして玉鬘の廻りにまた一人、陰の立候補者が現れて、さまざまな思惑が錯綜します。どうも、ドタバタ喜劇の気配が漂います。もっとも、作者はそういうつもりで書いているわけではなさそうですが。
三人の正当な候補者(一応、柏木も加えて)と姫君たちに対して、源氏は三枚目と言わざるを得ません。何よりも姫自身から明瞭に拒否されています。源氏はこれまで、幾人もの女性から拒否されたことがありますが、その場合でも、その女性たちはみんな、実は内心では源氏に心を引かれていたのでした。
ところが玉鬘の場合はそうではなく、純粋に不快に思っているのです。こういうことは初めてで、「口説きがいのある」という気持も、喜劇の種にしかならない気配がしないでしょうか。
ともあれ、厄介な悩みをかかえた玉鬘の周囲を、四人の、それぞれに特異な立場を与えられた男性が取り巻く構図ができあがって、この巻が閉じられ、次の巻から、その構図の中で、六条院の栄華と逸楽の様が絵巻ふうに語れていくことになります。》