源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

巻二十四 胡蝶

第五段 苦悩する玉鬘

【現代語訳】

 翌朝、お手紙が早々にあった。気分が悪いといって臥せっていらっしゃったが、女房たちがお硯などを差し上げて、「お返事を早く」とご催促申し上げるので、しぶしぶ御覧になる。白い紙で、表面は穏やかに生真面目で、とても立派にお書きになってあった。
「またとないご様子は、つらくもまた忘れ難くて。どのように女房たちはお思い申したでしょう。
  うちとけて寝も見ぬものを若草のことあり顔にむすぼほるらむ

(気を許しあって共寝をしたのでもないのに、どうしてあなたは意味ありげな顔をし

て思い悩んでいらっしゃるのでしょう)
 子供っぽくいらっしゃいますよ」と、それでも親めいたお言葉づかいも、とても憎らしいと御覧になって、お返事を差し上げないようなのも傍目に不審がろうから、厚ぼったい陸奥紙に、ただ、
「頂戴致しました。気分が悪うございますので、お返事は失礼致します」とだけあったので、「こういうやりかたは、さすがにしっかりしたものだ」とにっこりして、口説きがいのある気持ちがなさるのも、困ったお心であるよ。
 いったん口に出してしまった以後は、「おほたの松の(いっそはっきり言ってしまおうか、どうしようか)」と躊躇うような様子もなくなって、うるさく申し上げなさることが多いので、ますます身の置き所のない感じがして、どうしてよいか分からない物思いの種となって、ほんとうに病むまでにおなりになる。
 こうして、ことの真相を知っている人は少なくて、他人も身内もまったく実の親のようにお思い申し上げているので、
「こんな事情が少しでも世間に漏れたら、ひどく世間の物笑いになり、情けない評判が立つことだろう。父大臣などがお尋ね当て下さっても、親身な気持ちで扱っても下さるまいが、それ以上に、たいそう浮ついた女だとお耳にされお思いになるだろう」と、何もかもが心配になりお悩みになる。
 宮や大将などは、殿のご意向が、相手にしていなくはないと伝え聞きなさって、とても熱心に求婚申し上げなさる。あの「岩漏る」の歌の中将も、大臣がお認めになっていると小耳にはさんで、ほんとうの事を知らないで、ただ一途に嬉しくなって、身を入れて熱心に恋の恨みを訴え申してうろうろしているようである。

 

《源氏が、いわゆる後朝の歌を届けて来ました。歌は、『伊勢物語』四十九段を踏まえたもので、「冗談にも、父親が娘に対して言うべきことではない」(『評釈』)内容です。

昨夜は、不首尾に終わって、彼も自分の振る舞いを反省し恥じ入って、思いを断つことにしたものだと思われたのですが、どうもそうではなかったようで、ここには、昨夜の自分の振る舞いを暗示しながら、うろたえた相手をからかっているような趣があります。

それどころか、玉鬘の実用便箋に書いた、「これ以上つけ入るすきを見せないような、ピシャリとした」(同)、返歌もない事務的な返事に、なおも「口説きがいのある気持ち」を抱き、「うるさく申し上げなさることが多い」のでした。

何度も思うのですが、こういうありかたもなお、当時の女房たちの憧れる色好みの男性の振る舞いなのでしょうか。「困ったお心であるよ」と言い合いながら、感嘆していたのでしょうか。

かくして玉鬘の廻りにまた一人、陰の立候補者が現れて、さまざまな思惑が錯綜します。どうも、ドタバタ喜劇の気配が漂います。もっとも、作者はそういうつもりで書いているわけではなさそうですが。

三人の正当な候補者(一応、柏木も加えて)と姫君たちに対して、源氏は三枚目と言わざるを得ません。何よりも姫自身から明瞭に拒否されています。源氏はこれまで、幾人もの女性から拒否されたことがありますが、その場合でも、その女性たちはみんな、実は内心では源氏に心を引かれていたのでした。

ところが玉鬘の場合はそうではなく、純粋に不快に思っているのです。こういうことは初めてで、「口説きがいのある」という気持も、喜劇の種にしかならない気配がしないでしょうか。

ともあれ、厄介な悩みをかかえた玉鬘の周囲を、四人の、それぞれに特異な立場を与えられた男性が取り巻く構図ができあがって、この巻が閉じられ、次の巻から、その構図の中で、六条院の栄華と逸楽の様が絵巻ふうに語れていくことになります。》

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第四段 源氏、自制して帰る~その2

【現代語訳】2
 ご自分ながらも、だしぬけで軽率なこととお分かりになるので、よくよくお考え直しになられて、女房も変に思うにちがいないので、ひどく夜を更かさないでお帰りになった。
「お嫌いになるのならば、とてもつらく思います。他の人は、こんなに夢中にはなりませんよ。限りなく底深い愛情なので、人が変に思うようなことはけっしてしません。ただ亡き母君が恋しく思われる気持ちの慰めに、何気ないことでもお話し申したい。そのおつもりでお返事などをして下さい」と、たいそう情愛深く申し上げなさるが、度を失ったような状態で、とてもとてもつらいとお思いになっていたので、
「まったくそれ程までにつれないお気持ちとは知りませんでしたが、これはまたこれ以上なくお憎みのようですね」と嘆息なさって、
「けっして、人に気づかれないように」とおっしゃって、お帰りになった。
 女君も、お年こそはおとりになっていらっしゃるが、男女の仲というものをご存知でないばかりではなく、少し男女の仲を経験したような人の様子さえご存知ないので、これより親しくなるようなことはお思いにもならず、まったく思ってもみない運命の身の上だったと嘆かわしくて、とても気分も悪いので、女房たちはご気分が悪そうでいらっしゃると、お扱いに困っている。
「殿のお心づかいが、行き届いて、もったいなくもいらっしゃいますこと。実のお父上でいらっしゃっても、まったくこれ程までお気づきなさらないことはなくお世話なさることはありますまい」などと、兵部なども、そっと申し上げるにつけても、ますます心外で、不愉快なお心の程をすっかり疎ましくお思いなさるにつけても、わが身の上が情けなく思われるのであった。

 

《前段の終わりで、「まるで昔の時と同じ心地がして、たいそう感慨無量である(原文・ただ昔のここちして、いみじうあはれなり)」とあった後、ここの冒頭で、急に源氏は我に返ったように、「よくよくお考え直しになられて、…ひどく夜を更かさないでお帰りになった」のでした。

源氏に考え直させたのは何だったのでしょうか。

ひたすら震えている娘がかわいそうになったのでしょうか。

あるいは、その間に書かれてあったのは、昔の夕顔のことだけでしたから、彼女のことを思い出したのが、それだったのでしょうか。

『評釈』は、前節の源氏の口説きを「これ以上のことをしようというのではない。ただこうしておそばに寄りふして、忍ぶに余るこの思いをわずかでも慰めたいと思う」という「いささか言いわけめいた」口説きとしていますが、それが本心とも思われません。

また、今後こういう場面が幾度かくり返されることから見ると、結局、作者が、読者に、この不自然な恋はどうなるだろうとはらはらさせて面白がっているのではないか、という気もするのですが、それもあまりに身も蓋もない読み方です。

結果的に、『評釈』が言うように、「今の源氏は、十年前の源氏ではない。いかなる心の葛藤にも耐えることのできるおとな、安心して見ていられる源氏でなければならない」ということで、作者はそういう意味での理想的な、しかしいささか微温的な姿に源氏を描くことになったのでしょうか。

ともあれ源氏は、思い直して、恨み言を残して早々に帰っていきます。

一方玉鬘の方は、思いがけない出来事に、今後のことを思ってすっかり困り果てて、すっかりふさぎ込んでしまいました。そんな彼女に、ずっとおそばで彼女を守ってきた乳母子の兵部が、事情を知らないままに、「実の父に会わせない源氏を恨み、源氏と衝突してのことかと思ったのであろう」(『評釈』)、源氏の庇護のありがたいことを話して聞かせて、不心得を諭すのでした。

誰にも話せない悩みを抱えて、彼女は、ひとり悶々とするばかりなのでした。》


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第四段 源氏、自制して帰る~その1

【現代語訳】1

女君は、つらくて、どうしようかしらと思われて、ぶるぶる震えている様子もはっきり分かるが、
「どうして、そんなにお嫌いになるのですか。うまくうわべをつくろって、人に非難されないように配慮しているのですよ。何でもないようにお振る舞いなさい。いい加減にはお思い申していない思いの上に、さらに新たな思いが加わりそうなので、世に類のないような心地がしますのに、この懸想文を差し上げる人々よりも、軽くお見下しになってよいものでしょうか。とてもこんなに深い愛情がある人は、世間にはいないはずなので、気になてなりません」とおっしゃる。実にさしでがましい親心である。

 雨はやんで、風が竹に音を立てるころ、明るく照らし出した月の光の中で、美しい夜の様子もしっとりとした感じなので、女房たちは、こまやかなお語らいに遠慮して、お近くには伺候していない。
 いつもお目にかかっていらっしゃるお二方であるが、このようによい機会はめったにないので、言葉にお出しになったついでの、抑えきれないお思いからであろうか、柔らかいお召し物のきぬずれの音は、とても上手にごまかしてお脱ぎになって、お側にお臥せりになるので、とてもつらくて、女房もへんに思うだろうと、たまらなく思われる。
「実の親のもとであったならば、冷たくお扱いになろうとも、このようなつらいことはあろうか」と悲しくなって、隠そうとしても涙がこぼれ出し、とても気の毒な様子なので、
「そのようにお嫌がりになるのがつらいのです。全然見知らない男性でさえ、男女の仲の道理として、みな身を任せるもののようですのに、このように年月を過ごして来た仲の睦まじさから、この程度のことを致すのに、何の嫌なことがありましょうか。これ以上の無体な気持ちは、けっして致しません。一方ならぬ堪えても堪えきれない気持ちを、晴らすだけなのですよ」と言って、しみじみとやさしくお話し申し上げなさることが多かった。

まして、このような気配は、まるで昔の時と同じ心地がして、たいそう感慨無量である。

 

《「女君」は、仮にも父のすることと思っていたのに、思いがけない話と振る舞いにすっかり困ってしまいます。まさか大声を上げることも出来ません。しかし、「今にも泣き出しそうな顔つきで下を向いてじっと押し黙っている様子がいっそう源氏の気持ちをあおりたて」(『評釈』)ることになって、彼は懸命になって口説きます。「気がかりでなりません」というのは、「(他の男にあなたを託すのは)心配でなりません」(『集成』)という気持のようです。

折りから、「夏は夜。月の頃はさらなり」(『枕草子』)と言われた、好い頃おい、二人のむつまじい語り合いと思っている侍女たちは、「遠慮して、お近くには伺候していない」のでした。

とうとう源氏は着物を脱いで添い臥して、なお甘く語りかけます。

玉鬘には、ただただ「とてもつらくて、女房もへんに思うだろうと、たまらなく思われる」ばかりです。

源氏はなおも口説き続けます。終わりの「まして」は、いつにもまして、なのでしょう。こうして傍近くこの娘をかき抱いてみると、二十年ほど前の夕顔との逢瀬が思い出されて、いっそう思いが募ります。》

 

 一昨日は所用で広島に行き、時間ができたので、時節柄、平和公園に行きました。小学校の修学旅行以来です。

平日でしたが、たくさんの人で、慰霊碑の前には行列ができていました。

 その奧の原爆ドームを見に行きました。元安川のほとりから対岸のドームを見ると、思っていたよりも小さく、少し頼りなげに思えました。

ドームの上は何もなく、広く雨雲が拡がっているばかりです。そこに閃光が走った姿を思い描き、そして今ここにいる私を含む無数のあの人この人が焼けただれ、皮膚を引きずり、あえぎ、倒れ重なっている様子を思ってみました。

それは思いがけず現実的な迫力を持っていました。その絵を、私は今後、容易に忘れられないだろうと思います。

  一度現場を見るということは、大切なことだと感じます。

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第三段 源氏、玉鬘を訪問し恋情を訴える

【現代語訳】

 雨が少し降った後の、とてもしっとりした夕方、お庭先の若い楓や柏の木などが青々と茂っているのが、何となく気持ちよさそうな空をお覗きになって、「(四月の天気)和して且た清し」とお口ずさみなさって、まずはこの姫君のご様子の、つややかな美しさが思い出されなさって、いつものようにそっとお越しになった。
 手習いなどをしてくつろいでいらっしゃったが、起き上がりなさって、恥ずかしそうにしていらっしゃる顔の色の具合は、とても美しい。物柔らかな感じが、ふと昔の母君が思い出されなさるにつけても、堪えきれなくて、
「初めてお会いした時は、とてもこんなにも似ていらっしゃるまいと思っていましたが、不思議と、まるでその人かと間違えられる時々が何度もあります。感慨無量なことです。中将が少しも昔の母君の美しさに似ていないのに見慣れて、そんなにも親子は似ないものと思っていたが、このような方もいらっしゃったのですね」とおっしゃって、涙ぐんでいらっしゃる。箱の蓋にある果物の中に、橘の実があるのをいじりながら、
「 橘のかをりし袖によそふればかはれる身とも思ほえぬかな

(あなたを昔懐かしい母君と比べてみますと、とても別の人とは思われません)
 いつになっても心の中から忘れられないので、慰むことなくて過ごしてきた歳月だが、こうしてお世話できるのは夢かとばかり思ってみますと、なおさら堪らない気がします。お嫌いにならないでくださいよ」と言って、お手を握りなさるので、女君は、このようなことに経験がおありではなかったので、たいそういやに思われたが、おっとりとした態度でいらっしゃる。
「 袖の香をよそふるからに橘のみさへはかなくなりもこそすれ

(懐かしい母君とそっくりだと思っていただくと、我が身までが同じようにはかなく

なってしまうかも知れません)」
 困ったと思ってうつ伏していらっしゃる姿は、たいそう魅力的で、手つきのふっくらとしていらっしゃるところ、体つき、肌合いがきめこまやかでかわいらしいので、かえって物思いの増す心地がなさって、今日は少し思っている気持ちをお耳にお入れになった。

《これまで幾度も見てきた、源氏の口説きの場面です。例によって例の如く、という気がしますが、前段までのおずおずした感じが前提になるところがこれまでとは大きく異なります。

ここで『評釈』は、玉鬘が源氏について「男を思う女の気持」を持っていたとして、源氏の突然の訪れに際して「それを隠す余裕がなかった」と言っていますが、ここまでのところでは彼女についてそういう話は書かれていないように思います。いつ実父に会わせて貰えるかということが最大の関心事であって、源氏を男性として見る目はまだなく、ここの羞じらいは、まだ物慣れない娘の一般的なそれとして考えるのがいいようです。

第一段の歌の応答にも見られたように、今現在、取りあえずは素直に源氏の庇護を受けるのがいいと考えているのであって、また源氏はそういう素直さに余計に引かれていくのだと思われます。

そういう彼女に源氏は、夕顔に似ていることからいっそう思いが募って(と言うか、そのことをダシにして、と言うべきか)、少しずつ本音を語り始めます。「橘の実があるのをいじりながら(原文・橘のあるをまさぐりて)」というのが、ためらいがちに聞こえておかしいのですが、そこから「お手を握りなさる」となるのがなんとも唐突です。

玉鬘はさぞ驚いただろうと思われるのですが、作者はそのことには触れないで、「たいそういやに思われたが、おっとりとした態度」だったと言います。ここでも『評釈』は、「そんな(いやだという)気持を表しては、反応を示したことになり相手を刺激してしまう。そこで気づかないふりをする」と言いますが、そういう手管を考えるような場慣れた人ではなく、もっと素直な人ではないでしょうか。彼女はここまでは取りあえず実の娘として振る舞っているだけと考えたいところです。

ところが庇護者であるはずの源氏が、手を取っただけではなくて、「今日は少し思っている気持ちをお耳に入れなさった」のです。ここで初めて彼女は源氏の気持ちを知ることになったのです。

玉鬘の歌の前のところで、作者はこの人を「女」と呼んでいます。源氏の思いが募ったことを表しているということなのでしょう。

途中、「中将(夕霧)が少しも昔の母君の美しさに似ていない」というのが意外です。彼も若手の中では、屈指の貴公子であった(少女の巻第五章第三段)はずですが、単なる父親の謙遜なのでしょうか、あるいは、いささか生真面目すぎるこの若者は、源氏から見ると、物足りなく思われていたということなのでしょうか。》

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第二段 源氏、紫の上に玉鬘を語る

【現代語訳】

 殿は、ますますかわいいとお思い申し上げなさる。上にもお話し申し上げなさる。
「不思議に人の心を惹きつける人柄であることです。あの亡くなった人は、あまりにもはれやかなところがなかった。この君は、ものの道理もよく分かりそうだし、人なつこい性格もあって、心配なく思われます」などと、お褒めになる。

ただではすみそうにないお癖をご存知でいらっしゃるので、思い当たりなさって、
「分別がおありでいらっしゃるらしいのに、すっかり気を許して、あなたをご信頼申し上げていらっしゃるというのは、気の毒ですわ」とおっしゃると、
「どうして、頼りにならないことがありましょうか」とお答えなさるので、
「さあどうでしょうか、私でさえも、堪えきれずに悩んだ折々があったお心が、思い出される節々がないではございませんでした」と、微笑して申し上げなさると、

「まあ、察しの早いことよ」とお思いになって、
「嫌なことを邪推なさいますね。とても見抜かずにはいない人ですよ」と言って、厄介なので、言いさしなさって、心の中で、

「上がこのように推量なさるのも、どうしたらよいものだろうか」とお悩みになり、また一方では、道に外れたよからぬ自分の心の程も、お分かりになるのであった。
 気にかかるままに、頻繁にお越しになってはお目にかかりなさる。

 

《玉鬘が遠慮がちにしているからでしょうか、源氏は、その慎ましい感じに、次第に強く心引かれていくようです。

そういう気持ちを黙っておれなくて、「上にもお話し申し上げなさる」のでした。上はもちろん紫の上ですが、源氏は、ここでは、まるで母親に甘えようとする子供のようです。もともとこの人を側に置いたのは、母・桐壺更衣にそっくりといわれた藤壺に似ていたからなのでしたから、そういう気持ちも無理からぬことです。彼は、自分が愛しいと思っている玉鬘のことを、この人に向かって言わずにいられずに、手放しで褒めるのです。

彼自身としては、娘を褒めているのだという形でいるつもりでいて、そう聞いて欲しいのですが、こういう時の男には、しばしばそういうふうに話すことで、自分がこの娘に抱いているのは恋心ではないのだという非在証明を得ようとしてのことであることが多いので、聡明な紫の上は、そういう源氏の気持ちをお見通しで、「あなたを信頼している人を、またどうにかしようと思っていらっしゃるとは、その方のお気の毒なこと」と、巧みな嫌みで応じます。

むきになって言い返す源氏に、私も苦労しましたから、とさらにきつい嫌みを、しかも「微笑して申し上げなさる」という紫の上の前では、源氏はまるで形無しで、そう言われて彼は改めて自分が小娘に抱いている思いが穏やかならぬものであることを思い知らされるのでした。

それでもなおかつ、のこのこと、それらしい様子で娘の所に出かけていく源氏を、一体どう考えればいいでしょうか。『評釈』は「いささか自分自身にいやきがさす」と言いますが、それは評者の思いであって、源氏にはそんな様子はありません。》

 

※ 明日は都合で一日休載します。

うち続く猛残暑のみぎり、各位ご自愛下さい。もっとも、今日の当地はひさびさの

曇り空、わずかに息を吹き返す思いです。地球温暖化は、まったく喫緊の大課題です。


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