源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第三章 光る源氏の物語(三)

第二段 源氏、踏歌の後宴を計画す

【現代語訳】

 夜がすっかり明けてしまったので、ご婦人方は御殿にお帰りになった。大臣の君は少しお寝みになって、日が高くなってお起きになった。
「中将の君は、弁少将に比べて少しも劣っていないようだったな。不思議と諸道に優れた者たちが出る時代なのだな。昔の人は本格的な学問では優れた人も多かっただろうが、風雅の方面では、最近の人より勝れているわけでもないようだ。中将などは、生真面目な官僚に育てようと思っていて、自分のようなとても風流に偏った融通のなさを真似させまいと思っていたことだ。やはり心の中は多少の風流心も持っていなければならない。とりすまして真面目な表向きだけでは、けむたいことだろう」などと言って、たいそうかわいいとお思いになっていた。

「万春楽」を、お口ずさみになって、
「ご婦人方がこちらにお集まりになった機会に、どうかして管弦の遊びを催したいものだ。私的な後宴をしよう」とおっしゃって、弦楽器などが、いくつもの美しい袋に入れて秘蔵なさっていたのを、皆取り出して埃を払って、緩んでいる絃を、調律させたりなどなさる。御婦人方は、たいそう気をつかったりして、緊張をしつくされていることであろう。

 

《翌日、日が高くなっての、昨夜の名残です。

「弁少将」は内大臣の次男、幼少の折の賢木の巻に十歳位の少年として出て来た時から、歌(詠む和歌ではなく、歌を歌うこと)の名手と称えられていました。昨日の夕霧は、その人に劣らなかったと、源氏は親ばかぶりを発揮しながら、満足の態です。

『評釈』は、弁少将はこの後も、歌の道の達人として幾度か出てくるが、夕霧がそう言われることはない、と冷たく考証しています。まったくの親ばかということになりますが、むしろ、源氏よりも作者がそう言いたかったのであって、昨夜の華やぎを描いた余韻が作者の方に残っているのだと思われます。

ここは六条院の春爛漫を語っているのであって、以下に語られる「私的な後宴」の計画を語るのも、同じ意味でしょう。

従って、その話は実際に描かれる必要はなく、この曼荼羅巡礼の巻は、こうして華やぎの中に幕を閉じます。

しかし改めてふり返ると、ここでは全てが並列的に語れて、新しい出来事はありませんでしたし、登場人物も、花散里の特異な立場と明石の御方の存在感を除けば、格別の新しい側面も、語られることがありませんでした。

『構想と鑑賞』が、「この巻をよくいえば、優雅繊細で温かい情愛が流れている目出度い物語であり、当時の宮廷人は、そのような意味で受け入れたのであろうが、今日からみると生温くて突込みが浅く、極端にいえば、平凡安逸の風俗描写に過ぎないともいえる」と酷評していますが、それももっともと思われます。

しかし、『戦争と平和』でも、冗漫に思えて跳ばして読むしかないように思われるところがずいぶんある(そこにいくと、『罪と罰』は全編がスリルとサスペンスの連続で、息つく暇がない、という気がします。一つの事件を描く作品と、大河ドラマとの違いでしょう)ことを思えば、長編物語には、そういう、時代の制約を受けたり、作者の個人的関心が書かせたと思われたりするところがあるのは、許されることではないかという気がします。そういうことを含めて、物語がゆったりと進んでいくのも、ひとつの醍醐味とでも言いましょうか。》


にほんブログ村 本ブログ 古典文学へにほんブログ村 教育ブログ 国語科教育へにほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

第一段 男踏歌、六条院に回り来る

【現代語訳】

 今年は男踏歌がある。内裏から朱雀院に参上して、次にこの六条院に参上する。道中が遠く、明け方になってしまった。月が曇りなく澄みきって、薄雪が少し降った庭が何ともいえないほど素晴らしいところに、殿上人なども音楽の名人が多いころなので、笛の音もたいそう美しく吹き鳴らして、殿の御前では特に気を配っていた。御婦人方が御覧に来られるように、前もってお便りがあったので、東西の対の屋、渡殿などに、それぞれお部屋を設けていらっしゃる。
 西の対の姫君は、寝殿の南の御方にお越しになって、こちらの姫君とご対面があった。紫の上もご一緒にいらっしゃったので、御几帳だけを隔て置いてご挨拶申し上げなさる。
 朱雀院の后宮の御方などを回っていったころに、夜もだんだんと明けていったので、水駅として簡略になさるはずのところを、例年の時よりも特別に追加して、たいそう豪華に饗応させなさる。
 白々とした明け方の月夜に、雪はだんだんと降り積もってゆく。松風が木高く吹き下ろして、興ざめしてしまいそうなころに、青い、糊気のなくなった袍に、白い下襲を着た色合わせは何の飾り気も見えない。
 插頭の綿は、何の色艶もないものだが、場所柄のせいか風情があって、うっとりとして寿命も延びるような気がする。
 殿の中将の君や、内の大殿の公達は、大勢の中でも一段と勝れて立派に目立っている。
 ほのぼのと明けて行くころ、雪が少し散らついて何となく寒く感じられるころに、「竹河」を謡って寄り添い舞う姿や思いをそそる声々が、絵に描き止められないのが残念である。
 御婦人方の席では、いずれ劣らぬ押し出しがこぼれ出ている仰々しさ、お召し物の色合いなども、曙の空に春の錦が姿を現した霞の中かと見渡される。不思議なほどに満足のゆく催し物であった。
 一方では、高巾子の世離れした様子や、寿詞の騒々しく滑稽なこともしかつめらしく言い立てたのは、かえって何ほどの面白い節も聞かれなかったのだが、例によって、綿を一同頂戴して退出した。

 

《「男踏歌」は「正月十四日、宮中で行われる儀式。清涼殿東庭の帝の前で、歌を歌い足拍子を踏んで舞を舞う。終わると禄の綿を賜り、宮中を退下、つづいて院、中宮、東宮などを廻って同様に踏歌を行い、暁に宮中に帰る。」というもので、「隔年、または数年を隔てて行われた。『今年は』と、特にことわるゆえん」と『集成』にあります。

 「舞台装置は満点である。自然は名月と薄雪を賜い、人工の極みをいたした庭に、源氏の知性下とて音楽上手が多く、今年の踏歌は格別の物に」(『評釈』)なりました。

 その一行が夜明け方になって六条院南邸にやって来ます。婦人方も招かれて東西の対の屋や渡殿にずらりと並んで見物です。中で、西の対の姫君(玉鬘)は、娘扱いと言うことがあるからでしょうか、寝殿の南の部屋、源氏、紫の上、明石の姫君がいるところに呼ばれて、姫と対面し、上にご挨拶を許さるのでした。

 「插頭の綿は、何の色艶もないものだが、場所柄のせいか風情があって…」について、『評釈』が次ぎのようなことを言っています。男踏歌は九八三年に中絶した儀式で、作者は五,六歳のはずで実際には見た記憶はなく、後に、あまり面白くなかったというような話を聞いていたのだろう、そこで、そういう儀式でも六条院なら素晴らしかった、と言っているのだ…。

 しかし実際の儀式はやはり面白く書きようもなかったのでしょうか、具体的な描写もなく、もっぱらこの場の人々の様子の素晴らしさが語られていきます。

「殿の中将の君」(夕霧)や「内の大殿の公達」は、この一行のリーダーを務めていて、ひときわ華やかに見えます。

居並んだ女性たちの押し出し(外から美しく見えるように女房の衣の裾、袖口などを御簾の下からはみ出させて置くこと、またその衣)(『辞典』)も、艶やかでした。

つまり作者の関心は、聞き知っていた男踏歌という、今はなくなった儀式を話題にすることで、古きよき時代の物語であることを示して、六条院というところを、その「よき時代」の素晴らしさ、艶やかさを現前している場として描く、という点にあったのではないかと思われます。》

にほんブログ村 本ブログ 古典文学へにほんブログ村 教育ブログ 国語科教育へにほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

プロフィール

ikaru_uta

カテゴリー
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ