源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第二章 光る源氏の物語(二)

第二段 続いて空蝉を訪問

【現代語訳】

 空蝉の尼君にもお立ち寄りになった。ご大層な様子ではなくひっそりと部屋住みのような体にして、仏ばかりに広く場所を差し上げて勤行している様子がしみじみと感じられて、経や仏のお飾り、ちょっとしたお水入れの道具なども、風情があり優美で、やはり嗜みがあると見える人柄である。
 青鈍で意匠も面白い几帳に、すっかり身を隠して座って、袖口だけが格別なのも、心惹かれる感じなので、涙ぐみなさって、
「『松が浦島(尼君のお住まい)』は遥か遠くに思って諦めるべきだったのですね。昔からつらいご縁だったことです。そうはいってもやはりこの程度の付き合いは、絶えないのだったのですね」などとおっしゃる。尼君も、しみじみとした様子で、
「このように出家の身となってお頼り申し上げていますとは、ご縁は浅くないのだと存じられます」と申し上げる。
「薄情な仕打ちを何度もなさって、私の心をお乱しになった罪の報いなどを、仏に懺悔申し上げるとはお気の毒なことです。お分かりですか。このように素直な者はいないのだと、お気づきになることもありはしないかと思います」とおっしゃる。

「あのあきれた昔のことをお聞きになっていたのだ」と、恥ずかしく、
「このような姿をすっかり御覧になられてしまったことより他に、どのような報いがございましょうか」と言って、心の底から泣いてしまった。

昔よりもいっそうどことなく思慮深く落ち着きが加わって、このような出家の身を守っているのだとお思いになると、見放しがたい気持におなりになるが、色めいた冗談も話しかけるべきではないので、普通の昔や今の話をなさって、「せめてこの程度の話相手であってほしいものよ」と、あちらの方を御覧になる。
 このようなことで、ご庇護になっている婦人方は多い。皆一通りお立ち寄りになって、
「お目にかかれない日が続くこともありますが、心の中では忘れていません。ただいつかは死出の別れが来るのが気がかりです。『命ぞ知らぬ(いつまでも忘れないつもりですが)』」などと、やさしくおっしゃる。

どの女君をも、身分相応につけて愛情を持っていらっしゃる。自分こそはと気位高く構えてもよさそうなご身分の方であるが、そのように尊大にはお振る舞いにはならず、場所柄につけ、また相手の身分につけては、どなたにもやさしくいらっしゃるので、ただこのようなお心配りをよりどころとして、多くの婦人方が年月を送っているのであった。

 

《次は空蝉です。この人は、関屋の巻での妙にあっさりとした扱いにも関わらず、ここでは、「勤行している様子がしみじみと感じられて、…風情があり優美で、やはり嗜みがあると見える」と、ずいぶん好意的に書かれているように思われます。

しみじみとした対話の中で、源氏が「薄情な仕打ちを何度もなさって…」と語りかけ、空蝉は「あのあきれた昔のことを…」と思うのですが、これは彼女の出家の動機にもなった、「夫の伊予の介没後、継子の紀伊の守が言い寄ったこと」を指している(『集成』)ということのようです。

源氏としては、あの継子のしつこかったのに比べて、自分がどんなに素直だったかを認めてほしいと言っているわけです。

あとはさりげなく親しく四方山の話をして帰るのですが、帰りながら(でしょうか)、せめてこの程度の普通の対話が出来たら、と末摘花の住まいの方を見やりながら思ったと言います。自分としたことが、何という人を相手にしてしまったことかと、改めて思う源氏なのでした。

さてこれで曼荼羅巡礼はひとまず終わりですが、実はその他にも「ただこのようなお心配りをよりどころとして、多くの婦人方が年月を送ってい」た、と言います。》

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第一段 二条東院の末摘花を訪問~その2

【現代語訳】2
 お声なども、たいそう寒そうに、ふるえながらお話し申し上げなさる。見かねなさって、
「衣装のことなどを、お世話申し上げる人はございますか。このように気楽なお住まいでは、ひたすらとてもくつろいだ様子で、ふっくらして柔らかくなっているのがよいのです。表面だけを取り繕ったお身なりは、感心しません」と申し上げなさると、ぎごちなくそれでもお笑いになって、
「醍醐の阿闍梨の君のお世話を致そうと思って、自分の着物なども縫うことができずにおります。皮衣まで取られてしまった後は、寒うございます」と申し上げなさるのは、まったく鼻の赤い兄君だったことである。素直でよいとはいっても、あまりに身も蓋もなさすぎるとお思いになるが、この人相手ではとても実直で無骨な人になっていらっしゃる。
「皮衣はそれでよい。山伏の蓑代りの衣にお譲りになってよいでしょう。そうして、この惜しげなく着られる白地の衣は、七枚襲にでも、どうして重ね着なさらないのですか。必要な物がある時々には、私が忘れていることでもおっしゃってください。もともと愚か者で気がきかない性分ですから。まして方々への忙しさに紛れて、ついうっかりしまして」とおっしゃって、向かいの院の御倉を開けさせなさって、絹や綾などを差し上げなさる。
 荒れた所もないが、源氏がお住まいにならない所の様子はひっそりとして、お庭先の木立だけがたいそう美しく、紅梅の咲き出した匂いなど、鑑賞する人がいないのをお眺めになって、
「 ふるさとの春の梢にたづね来て世の常ならぬ花を見るかな

(昔の邸の春の梢を訪ねて来てみたら、世にも珍しい紅梅の花が咲いていたことよ)」
 独り言をおっしゃったが、お聞き知りにはならなかったであろう。

 

《几帳を隔てながら、それでも二人の対話が少しずつ交わされます。「むかしは『む、む』ぐらいしか言わなかった(末摘花の巻第一章第八段2節)、…、大進歩である」と『評釈』が言います。

 しかし、女君の声は寒さに震えている様子です。「(源氏は)『いっぱい着なさい。スタイルはかまわずともよい』と言う。ずいぶんひどい言い分だが、これぐらい言わないとこたえない」(同)のです。

 その返事を、女君は「ぎごちなくそれでもお笑いになって(原文・こちごちしくさすがに笑ひたまひて)」言ったというのが、なんとも見事で、目に見るようです。

『評釈』が、「出家人の世話は、一族でするのである。常陸宮の御子であれば、出家しても相当の地位が与えられるはずで、何かと物いりである、(ところが)兄君は『同じき法師といふ中にもたづきなく、この世を離れたる聖にものしたまひて(同じ法師という中でも処世の道を知らない、この世離れした僧でいらっしゃって)』(蓬生の巻第一章第三段)、(世話をするのは)妹の姫しかいない」と解説してくれています。

彼女の返事によれば、あろうことか、あの変わり者の兄の世話のために、源氏から贈られた物を次々に贈ってしまっていたのです。

その彼女も、さすがに兄・僧都のことを困ったと思っているのですが、世話をするのが自分の勤めと諦め、それを源氏に知られることを恥じ入っているようで、その気持がぎこちない笑いになっているのでしょう。

源氏は、開いた口がふさがらない、といったところで、この並外れた素直さ、純真さに、このごろとみに得意とするようになっていた軽口も出ず、それこそ「む、む」としか言えないような気分で、「この人相手ではとても実直で無骨な人になっていらっしゃる」のでした。気を取り直して、家司に命じて改めて衣類を届けさせます。

それにしても、この兄の「聖」ぶりは、驚くべきものがあります。しかし、いかにもありそうな話で、よくもまあ似たもの同士、「まったく鼻の赤い兄君」というわけです。

源氏は、軽口の代わりに、いささか自嘲的とも思われる歌をひとり口にして、苦笑いしながらでしょうか、索漠とした気持を胸に次へ行くのでした。》

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第一段 二条東院の末摘花を訪問~その1

【現代語訳】1

 このように騒がしい馬や車の音をも、遠く離れてお聞きになる御方々は、極楽浄土の蓮の中の世界で、まだ花が開かないで待っている心地もこのようなものかと、心穏やかではない様子である。

それ以上に、二条東の院に離れていらっしゃる御方々は、年月とともに、所在ない思いばかりが募るが、「世の憂きめ見えぬ山路(思う人を忘れて心の安らぐ山路)」に入った気持になって、薄情な方のお心を、お咎め申そうとは思わない。その他の不安で寂しいことは何もないので、仏道修行の方面の人は、それ以外のことに気を散らさず励み、仮名文字のさまざまの書物の学問にご熱心な方は、またその願いどおりになさり、生活面でもしっかりとした基盤があって、まったく希望どおりの生活である。忙しい数日を過ごしてからお越しになった。
 常陸宮の御方は、ご身分があるので、気の毒にお思いになって、人目に立派に見えるように、たいそう行き届いたお扱いをなさる。

以前、盛りに見えた御若髪も、年とともに衰えて行き、今はまして滝の淀みに負けない白髪の御横顔などを、気の毒とお思いになると、面と向かって対座なさらない。柳襲はやはり不似合いだと見えるのも、お召しになっている方のせいであろう。光沢のない黒い掻練の、さわさわ音がするほど張った一襲の上に、その織物の袿を着ていらっしゃるのが、とても寒そうでいたわしい感じである。襲の衣などは、どうしてしまったのだろうか、お鼻の色だけは、霞にも隠れることなく目立っているので、お心にもなくつい嘆息されなさって、わざわざ御几帳を引き直して隔てなさる。

かえって女君の方がそのようにはお思いにならず、今はこのようにやさしく変わらない愛情のほどを、安心に思い気を許してご信頼申していらっしゃるご様子は、いじらしく感じられる。

このような面でも、普通の身分の人とは違って、気の毒で悲しいお身の上の方だとお思いになると、かわいそうで、せめて私だけでもと、お心にかけていらっしゃるのも、めったにないことである。

 

《さて、六条院の曼荼羅巡礼が、日を改めてもう少し続きます。

正月、紫の上のいる東の邸は、源氏の居所ですから、当然賑わっています。また、東の邸も玉鬘の入った西の対には、彼女目当てのたくさんの公達が出入りします。

それに引き替え明石の御方や花散里のところは、源氏から篤い信頼や情愛を受けているといっても、それに比べればひっそりとしているようで、二人の気持ちは「心穏やかではない様子」です。

しかしそれにもまして、東院の末摘花と空蝉は、この正月の華やぎからすっかり忘れられた寂しい生活をしています。彼女たちは、身の程を知って、源氏を恨む気持など毛頭抱かず、生活面での心配がないだけでも満足しなければならないと思って、気ままな暮らしをしています。

そういうところにも源氏はともかく忘れずに訪ねていきます。

まずは末摘花ですが、行ってみると、すっかり白髪になっていて(この人の年齢は特定しがたいようですが、今源氏は三十六歳ですから、その相手をしたこの人が、「すっかり白髪」というのは、ちょっと解せません。面白く誇張したということなのでしょうか)見るのも気の毒で源氏は横を向いて座ります。折角立派な衣裳を贈ったのですが、彼女では似合いませんでした。「色合いを考えず、手あたりしだいに着たらし」く(『評釈』)、「寒そうでいたわしい感じ」です。そこに、相変わらずの赤い鼻先がとんがっていて、源氏は改めてげんなりしてしまい、「わざわざ御几帳を引き直して隔てなさる」のでした。

しかし女君の方は、そういう振る舞いにも一向頓着なく、ただ源氏が世話をしてくれて、今日はこうして訪ねてくれることに満足して、「やさしく変わらない愛情」と思い、すっかり安心し、信頼しているようです。

物事が分かっていないだけだとも言えますが、純粋で素直な人柄であることは間違いなく、最後の「いじらしく感じられる」は、作者の感想であると同時に、源氏の気持ちでもあるでしょう。》


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