源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第四章 光る源氏の物語(一)

第九段 玉鬘の六条院生活始まる

【現代語訳】
 中将の君にも、
「このような人を尋ね出したので、気をつけて親しく訪れなさい」とおっしゃったので、こちらに参上なさって、
「数にも入らない者ですが、このような者もいると、まずはお召しになるべきでございましたよ。お引っ越しの時にも、参上してお手伝い致しませんでしたことが」と、たいそう実直にお申し上げになるので、側で聞いているのも具合が悪いくらいに、事情を知っている女房たちは思う。

筑紫でも思う存分に数奇を凝らしたお住まいではあったが、あきれるくらい田舎びていたのも、比較にならないと思い比べられることだ。お部屋のしつらえを初めとして、当世風で上品で、親、姉弟として親しくさせていただきなさる方々のご様子は、容貌をはじめ、目もくらむほどに思われるので、今になって、三条も大弍を軽々しく思うのであった。まして大夫の監の鼻息や態度は、思い出すのもいまいましいことこの上ない。
 豊後介の心根をなかなかできないことだと姫君もご理解なさり、右近もそう思って口にする。いい加減にしていたのでは不行き届きも生じるだろうと考えて、こちら方の家司たちを任命して、しかるべき事柄を決めさせなさる。

豊後介も家司になった。長年田舎暮らしに沈んでいた者としては、急にすっかり変わって、どうして仮にも自分のような者が出入りできる縁などあろうかと思っていた大殿の内を、朝な夕なに親しく出入りし、人を従えて、事務を行う身となることができることを、たいそう面目に思ったのだった。

大臣の君のお心配りが細かに行き届いて、世にまたとないほどでいらっしゃることは、たいそうもったいない。

 

《中将の君は夕霧、今十四歳です。急に二十歳過ぎの姉が出来たことになりますが、生真面目な人ですから、父に言われたとおりに実の姉と思い込んでの改まった、そして大層へりくだった挨拶です。女房たちは、もし姫の生い立ちや周りの事情をご存じだったらこんな挨拶はなさらないだろうにと、むしろ居心地悪く思うほどでした。

ともかくも、こうして姫の六条院生活が始まります。それは彼ら一党にとってまったく目も眩むような変化でした。

筑紫の屋敷をあれほど立派なものはないと思っていたのに、それさえも比べようもないものでした。また、大弐はもちろん、大夫の監でさえ、大した者だと思っていたのですが、源氏を見、六条院に暮らすようになって、今や、そう思っていたこと自体が忌々しく思えるほどの身の上になりました。

しかし、都の人から見れば、お上りさんで、ついつい侮った扱いをしないとも限りませんから、源氏は専属の家司を任命して身の回りを取りはからわせます。

ここで改めて豊後介の貢献が思い出されます。思えば、彼がもっとも苦しい決断をしたのでしたし、その後の働きも、ひたすら父の遺言を守るだけのために、出立の時以来、それこそ一行に降りかかる艱難辛苦を一人の手でかき分けてきたと言ってもいいでしょう。

源氏もその功を認めて、改めて「玉鬘」姫付きの家司として任用されます。『評釈』が「職場を放棄して上京したのだから、普通なら罰せられるところだが、太政大臣のお声掛かりでその問題は吹き飛んで」しまったのだと言い、なるほどと思います。》

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 [第八段 源氏、玉鬘の人物に満足する]

【現代語訳】
 見苦しくはなくていらっしゃったのを嬉しくお思いになって、紫の上にもお話し申し上げなさる。
「ある田舎者の中で暮らしてきたので、どんなにかわいそうな様子だろうかと見くびっていたのでしたが、かえってこちらが恥ずかしくなるくらいに見える。このような姫君がいるのだと、何とか世間の人々に知らせて、兵部卿宮などがこの邸の内に好意を寄せていらっしゃる心を騒がしてみたいものだ。風流人たちが、至極まじめな顔ばかりしてここに見えるのも、こうした話の種になる女性がいないからなのだ。精一杯世話を焼いてみたいものだ。知っては平気ではいられない男たちの心を見てやろう」とおっしゃると、
「変な親ですこと。まっさきに人の心をそそるようなことをお考えになるとは。よくありませんよ」とおっしゃる。
「ほんとうにあなたをこそ、今のような気持ちだったならば、そのように扱って見たかったのですがね。まったく心ない考えをしてしまったものだ」と言ってお笑いになると、顔を赤くしていらっしゃる、とても若く美しい様子である。硯を引き寄せなさって手習いに、
「 恋ひわたる身はそれなれど玉かづらいかなる筋を尋ね来つらむ

(夕顔をずっと恋い慕っていたわが身は同じなのだが、その娘はどのような縁でここ

に来たのであろうか)
 ほんとうに、まあ」と、そのまま独り言をおっしゃるので、「なるほど、深くお愛しになった女の忘れ形見なのだろう」と御覧になる。

 

《他人の娘であることを承知で、その親が知らないことをいいことにして無断で引き取り、それを、死なせてしまったかつての自分の最愛の女性の娘として、幸せにしてやろうというならともかく、その姫君を餌に、六条院を訪れる貴公子たちの心を騒がせてみたい、と源氏は考えました。

『評釈』は「そういういたずらを楽しむ年になったのである」といいますが、随分な悪趣味に思われます。

紫の上が「よくありませんよ(原文・けしからず)」と言うのが、彼女の気持ち以上にもっともです。

ただ、このことは前に右近にも、連れて来させる話をしている中でもしていて(第三段)、右近もそれを承知の上で「ただお心のままにどうぞ」と言っていましたから、そういういきさつはともかく、またそれが源氏にとってはただのいたずらでも、六条院で注目を浴びる花形になるのなら、女性としての幸福を与えることになるのだと、当時は、女性の目からも見えたのでしょう。

してみると、紫の上の「けしからず」も、姫のことを思ってではなく、兵部卿宮(源氏の弟)を初めとする貴公子たちについてのことなのでしょうか。考えてみれば、源氏に、「あなたをこそ、…そのように扱って見たかった」と言われて、赤くなっているのは、あなたにはそれだけの魅力があると言われたのだと考えるから、なのでしょう。

そういう立場に姫はいるというふうに考えるべきところなのでしょう。

作者も、この姫に悪いというような書き方はどこにもしていません。

源氏は、「いたずら」の種にするとは言え、あの夕顔の娘がそれに相応しい姫として自分のもとにやって来ることになったについて、改めて宿縁を感じて、歌を詠みます。この巻の名は歌によっていますし、この歌によって後世、この姫を玉鬘と呼び習わします。》


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第七段 源氏、玉鬘に対面する



【現代語訳】
 その夜、さっそく大臣の君がお渡りになった。以前から光る源氏などといった名はずっとお聞き申し上げていたものの、長年都の生活に縁がなかったので、それほどともお思い申していなかったが、かすかな大殿油の光に、御几帳の隙間からわずかに拝見すると、ますます恐ろしいまでに思われるお美しさであるよ。
 お渡りになる方の戸を、右近が掛け金を外して開けると、
「この戸口から入れる人は、特別な気がするね」とお笑いになって、廂の間のご座所にお座りになって、
「燈火が暗くて、とても懸想人めいた心地がするな。親の顔は見たいものと聞いている。そうお思いにならないかね」と言って、几帳を少し押しやりなさる。

たまらなく恥ずかしいので、横を向いていらっしゃる姿態など、たいそう難がなく見えるので、嬉しくて、
「もう少し明るくしてくれないか。あまりに奥ゆかしすぎる」とおっしゃるので、右近が、燈芯をかき立てて少し近付ける。「遠慮のない人だね」と少しお笑いになる。

なるほどと思われるお目もとの美しさである。少しも他人として隔て置くようにおっしゃらず、まことに実の親らしくして、
「長年お行く方を知らないで、心にかけぬ間もなく嘆いていましたが、こうしてお目にかかれたにつけても、夢のような心地がして、過ぎ去った昔のことがいろいろと思い出されて、堪えがたくて、すらすらとお話もできないほどですね」と言って、お目をお拭いになる。ほんとうに悲しく思い出さずにはいられない。お年のほどをお数えになって、
「親子の仲で、このように長年会わずに過ぎた例はあるまいものを。宿縁のつらいことであったよ。今は恥ずかしがって、子供っぽくなさるほどのお年でもあるまいから、長年のお話なども申し上げたいのだが、どうして何もおっしゃってくださらぬのか」とお恨みになると、申し上げることもなく、恥ずかしいので、
「幼いころに流浪するようになってから後、何ごとも頼りなく過ごして来まして」と、かすかに申し上げなさるお声が、亡くなった母にたいそうよく似て若々しい感じであった。微笑して、
「苦労していらっしゃったのを、かわいそうにと、今は、私の他に誰が思いましょう」と言って、嗜みのほどは悪くはないとお思いになる。

右近にしかるべき事柄をお命じになって、お帰りになった。


《初めの源氏の印象は、姫は「御几帳の隙間から」覗いたりしないようです(『評釈』)から、すると乳母のものでしょうか。同書は、別本には「ここに兵部の君(乳母の下の娘)の名が…見える」(同)として、「ずっとお聞き申し上げていた」の主語はこの人だろうとします。そう言えば、このところ(第三章第八段以来)乳母の姿が見えませんが、どうしたのでしょう。

 源氏は、この年三十五歳、もはや中年を過ぎた年と言ってもいいように思われますが、田舎から上ってきたばかりの人の目とはいえ、まだ「ますます恐ろしいまでに思われるお美しさ」と言われます。読者としては、少々戸惑う気持になっても仕方ないところではないでしょうか。

その源氏は、自分をこの姫を恋う人に見立てて、このごろすっかり持ち味となった軽口を言いながらやって来ます。あるいは年甲斐もない気持の昂揚に、自ら照れて、その気持をごまかそうとしているのかも知れません。先の、梅壺の中宮や花散里に言い寄ろうとして、うまくいかなかったことに対する経験値、反省はこの人には全くないようなのです。

「遠慮のない人だね(原文・おもなの人や)」について、諸説あります。

『評釈』・「右近が軽々しく姫君を見せようとしたことに対して、柔らかくたしなめたのであろう」

『集成』・「右近のこと。(源氏が)自分の顔がはっきり見えることを気にしている」

『光る』大野・「源氏が、(灯の芯をかきあげさせまでして)玉鬘の顔をよく見ようとする自分のことを笑っているわけです」

『評釈』が一番標準的でしょうか。しかしこのあたり、源氏がさかんに軽口をきいていること、また「と少しお笑いになる」とあることから見ると、これも後の二つのような、軽口的なニュアンスがあます。ここでは『光る』説がおもしろく思われます。

次の「なるほどと思われる(原文・げにとおぼゆる)」も、①姫が「なるほど夕顔に似ていると思われる」(『評釈』、『谷崎』)と、②「なるほど、右近の言ったとおり美しい」(『光る』)と、③源氏が「なるほど立派だ」(『集成』)と、諸説ありますが、「お目もとの」と容姿の一部を言っていることからみると、普通には、①ではないでしょうか。

源氏は、実際に姫と向き合うと、姫が右近からお互いの関係を聞かされているのを知らないのか、「親の顔は見たいものと聞いている」とか、「親子の仲で、このように長年会わずに過ぎた例は…」と、すっかり実の親としての物言いです。

彼が実の父ではないことを知っている姫が「申し上げることもなく、恥ずかしい」という気持になるのも、まったく無理ありません。》

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第六段 玉鬘、六条院に入る

【現代語訳】

 こういう話は九月のことなのであった。お渡りになることは、どうしてすらすらと事が運ぼうか。適当な童女や若い女房たちを探させる。筑紫では、見苦しくない人々も、京から流れて下って来た人などを縁故をたどって呼び集めなどして仕えさせていたのだが、急に飛び出して上京なさった騒ぎに、その皆を残して来たので、また他に人もいない。京は何と言っても広い所なので、町の物売り女などのような者をたいそううまく探し出して、連れて来る。誰それの姫君などとは伏せておいたのであった。

右近の実家の五条の家にまずこっそりとお移し申し上げて、女房たちを選び整え、装束を調えたりして、十月に六条院にお移りになる。

大臣は、東の御方にお預け申し上げなさる。
「いとしいと思っていた女が、気落ちしてさびれた山里に隠れ住んでいたのだが、幼い子がいたので、長年人に知らせず捜していましたところ、聞き出すことが出来なくて年頃の女性になるまで過ぎてしまっていたが、思いがけない方面から聞きつけたので、せめて聞きつけた今からでもと思って、引き取ることにします」と言って、

「母も亡くなってしまいました。中将をお預け申しましたが、不都合ありませんね。同じようにお世話なさってください。山家育ちのようで大きくなったので、田舎めいたことが多いでしょう。しかるべく、機会にふれて教えてやってください」と、とても丁寧にお頼み申し上げなさる。
「ほんとうに、そのような人がいらっしゃるのを、存じませんでした。姫君がお一人いらっしゃるのは寂しいので、よいことですわ」と、おおようにおっしゃる。
「その母親だった人は、気立てがめったにいないまでによい人でした。あなたの気立ても安心にお思いしておりますので」などとおっしゃる。
「立派にお世話しているなどと言っても、することも多くなく、暇でおりますので、嬉しいことです」とおっしゃる。
 殿の内の女房たちは、殿の姫君とも知らないで、
「どのような女を、また捜し出して来られたのでしょう。厄介な昔の女性をお集めになることですわ」と噂したのだった。
 お車を三台ほどで、お供の人々の姿などは、右近がいたので、田舎くさくないように仕立ててあった。殿から、綾や何やかやかとお贈りなさっていた。



《ここの冒頭に九月とありますが、少女の巻末で明石の御方は十月に六条院に入ったとあったことが思い出され、前節の話とちぐはぐです。ここはその翌年の九月なのだとか、前節の紫の上は明石が来月入ることが決まっているから、来る前から「北の町におられる人(原文・北の御殿)」と言ったのだとか、諸説あるところのようです。

 さて、いよいよ姫が院に移ってきて、源氏は花散里に預ける話をします。

この人が表に出てきたのはこれまで三回、花散里の巻と、源氏の巻の須磨謫居の前後に訪問した時ですが、そこでも少し触れたように、この人は源氏に大変特異な地位を与えられていました。なお、夕霧が「器量はさほどすぐれていないな。このような方をも、父はお捨てにならなかったのだ」と思った(少女の巻第六章第五段)というような人であることも、この物語の場合、大切なことかも知れません。

『人物論』所収・沢田正子著「花散里の君~虚心の愛~」がこの人について分かりやすく説いていますので、そこからこの人の人柄をまとめますと、「女の情念や苦悩を意志の力によって積極的に自制し、自らに執することなく生きる」ことによって「冷静に物事に対処しうる理性と人々の心を寛く容認するつつましさ」を獲得した人、「努力と諦念によりそこ(人間的煩悩)を通過して自由の地を得た」人ということになるでしょうか、その結果、源氏から深い信頼を得て、姉のように頼みとされている人です。「涼やかな透徹した明るさ、心温かさが生命」とも同論は呼んでいます。

そういう人であればこそ、源氏は夕霧を預けもしましたし、ここでまた新しい姫を預けようとするわけです。

そして、ここでのこの君の源氏への応答にもそういう人柄がよく現れているように思われます。》

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第五段 源氏、紫の上に夕顔について語る

【現代語訳】

お住まいになるべき部屋をお考えになると、
「南の町には、空いている対の屋などもない。威勢も特別でいっぱいに使っていらっしゃるので、目立つし人目も多いことだろう。中宮のいらっしゃる町は、このような人が住むのに適してのんびりしているが、そうするとそこにお仕えする女房と同じように思われるだろう」とお考えになって、

「少し引っ込んでいる感じではあるが、東北の町の西の対が文殿になっているのを、他の場所に移して」とお考えになる。
「一緒に住むことになっても、花散里は慎ましく気立てのよいお方だから、話相手になってよいだろう」とお決めになった。

 紫の上にも、今初めて、あの昔の話をお話し申し上げたのであった。このようお心に秘めていらしたことがあったのを、お恨み申し上げなさる。
「困ったことですね。生きている人の身の上でも、問わず語りは申したりしましょうか。このような時に、隠さず申し上げるのは、他の人とは格別にあなたのことを思っているからです」と言って、とてもしみじみとお思い出しになっていた。
「他人の身の上としても多く見て来たことですが、それほどにも思わない仲においてでも、女性というものの愛執の深さをたくさん見たり聞いたりしてきましたので、決して浮気心は持つまいと思っていたが、いつの間にかそうあってはならなかった女の人を多数相手にした中で、しみじみとひたすらかわいらしく思えた方では、他に例がなく思い出されます。生きていたならば、北の町におられる人と同じくらいには、世話しないことはなかったでしょう。人の有様は、いろいろですね。才気があって気の利いているという点では劣っていたが、上品でかわいらしかったことだ」などとおっしゃる。
「そうは言っても、明石の方と同じようには、お扱いなさらないでしょう」とおっしゃる。

 やはり、北の殿の御方を、気にさわる者とお思いなのである。姫君が、とてもかわいらしげに何心もなく聞いていらっしゃるのが、いじらしいので、また一方では、「もっともなことだわ」と思い返しなさる。

 

《改めて六条院の女君たちの配置が語られます。院の内は全体がは田の字に区画がされて、東南(原文では南)が紫の上と源氏の住まいで養女にした明石の姫君と暮らしていて、いわば院の表座敷の趣き、西南が梅壺中宮、西北(同じく、後で北)は明石の御方で、東北(原文では丑寅、次節では東)には花散里がいて夕霧が預けられています。

さて夕顔の姫君を迎えるに当たって、その住まいを源氏は考えます。「源氏は、…最もよい位置から、順に」(『評釈』)考えていきます。「姫君の扱いを、かなり重く考えていることになる」(同)と言えます。

そのついでに、作者は三人のお方の都合を挙げて配慮を示しながら、それぞれの女君のことをそれとなく語りますが、なぜか明石の御方のところは挙げられません。そして続く紫の上との対話の中で、明石の御方が源氏から、ひとり異例の扱いを受けていることが語られるのです。

さて、源氏はこの姫を迎えるに当たって、紫の上に夕顔の話をする必要が生じました。前節で手紙と一緒に届けた贈り物は彼女と相談したとあったのに、「今初めて、あの昔の話をお話し申し上げた」というのは変ですが、『評釈』が、これはその時の話だろうと言いますから、少し無理があるような気もしますが、そういうことにしておきましょう。

源氏の話は、いつもながら持って回ったもので(ということは、相手の気持に大変に気を使った丁寧な、ということでもあり、それが当時の女性にとっては、男の色好みの要点であったと思われますが)、しかもよくもまあぬけぬけとも思われる言葉もあって、これをもっともらしく語っている姿を思うと、なかなか滑稽です。

紫の上は、夫に「しみじみとひたすらかわいらしく思えた方では、他に例がなく思い出されます」という女性がいたことを聞いて、「お恨み申し上げなさる」のでしたが、この人の焼き餅はいつも一時で、すぐに自分なりに納得してしまいます。そういうところが源氏の考える女性の、夫の浮気に対する理想的な対処の仕方なのです。焼きもちを焼かないようではいけない、しかしそれにこだわってはいけない…。女性から見れば虫のいい話ですが、偽らざる願望と言っていいでしょうか。

彼女には、こういう源氏に寄せる思いとともに、あっけらかんとした割り切りのよさ、人の好さがあります。それは源氏に対する信頼とも言えそうですが、ちょっと違って、むしろ自分への自信という方が近いでしょう。

それが「そうは言っても…」と、思ったことはぴしゃりと言うという態度に表れているように思います。

そう言えば、六条院以前の夕顔や空蝉、朧月夜、六条御息所や出家前の藤壺が源氏に振り回されている感じがあったのに対して、この六条院に今いる女君たちは、四人ともに、明石の御方を含めて、どことなく自立している感じがあります。

そして、姫がいる以上当然ではありますが、紫の上は、誰よりもその明石の御方を意識しているようです。》


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