【現代語訳】5 ひどく霧の立ちこめた空もいつもとは違った風情であるうえに、霜は真白に置いて、実際の恋であったら興趣あるはずなのに、何か物足りなく思っていらっしゃる。たいそう忍んでお通いになる方への道筋であったのをお思い出しになって、門を叩かせなさるが、聞きつける人がいない。しかたなくて、お供の中で声の良い者に歌わせなさる。 「 朝ぼらけ霧立つ空のまよひにも行き過ぎがたき妹が門かな (曙に霧が立ちこめた空模様につけても、素通りし難い貴女の家の前ですね)」 と、二度ほど歌わせたところ、心得ある下仕え人を出して、 「 立ちとまり霧のまがきの過ぎうくは草のとざしにさはりしもせじ (霧の立ちこめた家の前を通り過ぎ難いとおっしゃるならば、生い茂った草が門を閉ざしたことぐらい何でもないでしょうに)」 と詠みかけて、入ってしまった。他に誰も出て来ないので、帰るのも風情がないが、空が明るくなって行くのも体裁が悪いので邸へお帰りになった。 かわいらしかった方の面影が恋しく、独り微笑みながら臥せっていらっしゃった。日が高くなってからお起きになって、手紙を書いておやりになる時、書くはずの言葉も普通と違うので、筆を書いては置き書いては置きと、気の向くままにお書きになっている。美しい絵などをお届けなさる。 《朝の帰り道、嵐の後の風情ある道中で、例の「六条京極辺り」の女の家の道筋に当たることを思い出して訪ねるのですが、相手は、お寄りになりたければお入りになればいいのに、こんなささやかな門が真っ直ぐ入ってこられないのは、誰か他の人の所に泊まった帰りのこんな時間で、気が咎めるからでしょう、そんな方をお入れする気はありません、と言って開けてくれず、すごすごと帰っていく源氏です。 軒端の荻とのことがあった後に腹痛の老婆に出くわして慌てたこととか、夕顔の葬儀の帰りに馬から転げ落ちたこととか、源氏は一つのことの終わった後のこうした時に、どうも三枚目を演じるようにされているようです。 読者が息を詰めて読み進んできたのを見計らって、ほっと一息つかせてくれる、といった趣です。 そしてその後で、源氏も、そして読者も、改めてその前にあった出来事の余韻を楽しみます。》
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