【現代語訳】

 不思議に思うが、

「これこそは、それでは、はっきりしたお手紙であろう」と思って、
「こちらに」と言わせると、とても小ぎれいで上品な童で、えも言えず着飾った者が歩いて来た。円座を差し出すと、簾の側に跪いて、
「このような形で扱いを受けることはないと、僧都はおっしゃっていました」と言うので、尼君がお返事などなさる。手紙を中に受け取って見ると、
「入道の姫君の御方へ、山から」とあって、署名なさっていた。人違いだ、などと否定することもできない。
 とても体裁悪く思えて、ますます奥に身を縮める思いで、誰にも顔を見せない。
「いつも控え目でいらっしゃる人柄だが、とても情けない、困ったことです」などと言って、僧都の手紙を見ると、
「今朝、こちらに大将殿がおいでになって、ご事情をお尋ねになるので、初めからの有様を詳しく申し上げました。ご愛情の深かった間柄に背をおむけになって、賤しい山家の中で出家なさったことは、かえって仏のお叱りが加わるに違いないはずのことだと、お話をうかがって驚いています。
 しようがありません。もともとのご宿縁をお間違えなさらず、愛執の罪をお晴らし申し上げなさって、一日の出家の功徳は無量のものですから、やはりおすがりなさいませと。細かいことは、拙僧自身お目にかかって申し上げましょう。とりあえず、この小君が申し上げなさることでしょう」と書いてあった。

 

《先ほど僧都から手紙が届いたばかりというのに、また誰やら僧都の手紙を持って来たというので、尼君は「不思議に思」いながら、一方、先ほどの手紙が意味の分からないものだったので、これが、その謎を解いてくれるのかも知れないと、使いの者を通すように言いました。

 やって来たのは「とても小ぎれいで上品な」子供で、立派な様子をしていました。『評釈』が「薫の目から見ると『他の兄弟たちよりは、器量もよく見える』(第一章第四段)に過ぎないのだが、こうまでなるのである」と言います。

 「円座を差し出」したのは、簀子へ、で、小君は一人前に、その扱いに、中に入れてほしいと恨み言を言います。「女を訪うと、男はよくこういう」(『評釈』)のですが、この子は、それを心得た、いささかませた子であるようです。

 尼君は、おやおや、なかなかのことを言う子だこととでも思ったのでしょう、様子が分からないまま、自分で対応します。「普通の訪問者なら、女房が中に入るもの」(同)なのだそうで、様子のいい童に言われて、本当に由緒ある子かも知れないと思ったからでしょうか、僧都の使いという触れ込みだからでしょうか、立派な身なりだからでしょうか、やはり特別扱いです。

 手紙を受け取って浮舟に見せますが、彼女は先ほどの僧都からの手紙以来、自分が話題の中心に据えられて、触れられたくない過去と向き合わされようとしている怖れに、身を縮めていたところですから、ますます臆して、ただもう顔を背けるようにしているばかりですから、尼君が引き取って、開きます。

 「一日の出家の功徳は無量のものですから、やはりおすがりなさいませ」とは、読者には、大将殿のような方からの思し召しがあるのなら、たとえ出家の期間が一日でも功徳があるのだから、その功徳に「おすがり」して、還俗して「もともとのご宿縁」を大事にされるがよい、ということ、と知れて、僧都の考えは明らかですが、しかし、尼君が読んでも、今朝の僧手紙と変わらない話でよく分からない上に、「大将殿」とあり、「ご愛情の深かった間柄」、「愛執の罪」とかあって、ただ事でない話のようです。

委細はこの小君が話すだろうと、書かれているのでした。》

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