【現代語訳】

 あの殿は、

「この子をそのまま遣わそう」とお思いになったが、人目が多くて具合が悪いので、邸にお帰りになって、翌日、改めてお遣わしになる。親しくお思いになる人で、大した身分でない者を二、三人付けて、昔もいつも使者としていた随身をお加えになった。人が聞いていない間にお呼び寄せになって、
「そなたの亡くなった姉の顔は、覚えているか。今はこの世にいない人と諦めていたが、まことに確かに生きていらっしゃるということだ。他人には聞かせまいと思うので、行って確かめよ。母にははっきりしないから言ってはならない。かえって驚いて大騒ぎするうちに、知ってはならない人まで知ってしまおう。その母親のお嘆きがいたわしいので、このようにして確かめるのだ」と、今からもう厳しくに口封じなさるのを、子供心にも、姉弟は多いが、この姉君の器量を他に似る者がないと心に焼き付いていたので、お亡くなりになったと聞いてとても悲しいと思い続けていたが、このようにおっしゃるので、嬉しいにつけても涙が落ちるのを、恥ずかしいと思って、
「はい、はい」とぶっきらぼうに申し上げた
 あちらでは、まだ早朝に、僧都の御もとから、
「昨夜、大将殿のお使いで、小君が参られたでしょうか。事情をお聞き致しまして、困ったことで、かえって悪いことをしたという気がしておりますと、姫君に申し上げてください。拙僧自身で申し上げなければならないことも多いが、今日明日が過ぎてから伺いましょう」と書いていらっしゃった。

「これはどういうことか」と尼君は驚いて、こちらに持って来てお見せ申し上げなさると、顔が赤くなって、

「自分のことが知られたのではないか」とつらく、

「隠し事をしていた」と恨まれることを思い続けると、答えようもなくてじっとしていらっしゃるので、
「やはり、おっしゃってください。情けなく他人行儀ですこと」とひどく恨んで、事情を知らないので、慌てるばかりの騷ぎのところに、
「山から、僧都のお手紙といって、参った人があります」と申し入れた。

 

《薫は、実は帰りに童(この段で僧都が「小君」と呼んでいますので、以下、そう呼ぶことにします)を浮舟のもとに行かせようかとも考えたようですが、何せ大勢の従者たちがいて目につくので、その日はそのまま京に帰り、翌日、信頼できる数人の者だけを付けて、改めて行かせることにしたのでした。

 出立の前にその小君を呼んで、いろいろな思惑を背景に、子供にとってはなかなか難しそうないくつかの心得を、こんこんと言い含めます。

 彼は「子供心にも」、大変大切な、しかも憧れだった義姉に会える嬉しいお役目とあって、大いに名誉と考えたのでしょう、緊張のあまり、実に子供らしい反応で、いい感じです。さりげなく書かれていますが、「ぶっきらぼうに申し上げた」ところなど、実にありそうな感じに生き生きと描かれていて、この作者は子供を描くのが本当にうまいという気がします(横笛の巻第三章第一段)。

さて、薫がそういう手はずを整えているころ、薫よりいち早く、早朝、僧都が尼君のところに手紙を送ったのでした。彼としては、薫が帰りに立ち寄ったものと思ってのことのようで、薫と浮舟のいきさつを尼君と浮舟が知っているという前提で書いたものですから、「事情をお聞き致しまして」と言われても、尼君には何の話かまるで分かりません。しかもそこには「大将殿」まで絡んだことであることが示されています。

 尼君は驚いて浮舟の所に来て僧都の手紙を見せます。

 浮舟は、「大将殿」という言葉ありましたから、昨夜の松明の一行のことと思い合わされて、薫がお山に来たに違いなく、自分のことが知られねばいいがと心配していたことが現実のなったのだと悟りました。併せて、尼君に大きな隠し事をしてたことを恨まれると思うと、あちこちに心は乱れて、顔を赤らめるばかりで、言うべき言葉も口に出ません。

その様子に尼君は、これはどうやら間違いなく大変なことがあるようだと思うと、こちらは心配でならず、浮舟に包み隠さず話すように責めます。

向き合った二人が「慌てるばかりの騷ぎのところに」、外から、問題の僧都の手紙を持った人が訪ねて来たと、声がかかりました。

なんともタイムリーで、様々なことがこの一点に集中してくる感じで、物語の大詰めが思われます。》

にほんブログ村 本ブログ 古典文学へにほんブログ村 教育ブログ 国語科教育へにほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ