【現代語訳】

「あの僧都が山から下りた日に、尼にしました。ひどく病んでいた時には、世話する人が惜しんでさせなかったのを、ご本人が深い念願だと言ってなってしまったのだ、ということでした」と言う。場所も違わず、その当時のありさまなどを思い合わせると、違うところがないので、
「本当にその人だと探し出したら、とても嫌な気がするだろうな。どうしたら、確実なことが聞かれるだろうか。私自身で訪ねて行ったりするのも、愚かしいなどと人が言ったりしようか。

また、あの宮がお聞きつけになったら、きっとお思い出しになって、決心して入ったらしい仏道もお妨げなさることであろう。
 そういうことで、『そのようなことをお話しになるな』などと、申し上げおきなさったせいで、私には、そのようなことを聞いたと、そのような珍しいことをお聞きになりながら、仰せにならなかったのであろうか。

宮も関係なさっているというのなら、せつなくいとしいと思うけれども、きっぱりと、そのまま亡くなってしまったものと思い諦めよう。
 この世の人として、いつの日にか黄泉のほとりの話くらい、自然と話し合えるふとした機会もきっとあろう。自分のものとして取り戻して世話するような考えは、二度と持つまい」などと思い乱れて、

「やはり、お話しにはならないだろうか」と思うけれども、ご様子が気にかかるので、大宮に、適当な機会を作り出して、申し上げなさる。

 

《前段の小宰相の話は、浮舟が僧都に見つけられて小野の里で妹尼の世話を受けている、といったあたりまでのことだったのでしょう。

ここで出家してしまったことが話されます。

 薫は、その時期や場所を考え併せて、どうやら浮舟に間違いなさそうだと考えました。

 そして、もしそれが本当で、探し出してそうだと決まったら、「とても嫌な気がするだろうな(原文・あさましきここちもすべきかな)」と思いました。

『評釈』はそれを「自分のこれまで一年あまりのあいだ悲しんできた気持が、不意にこの話によって無意味になってしまったことに対する不快感である」と言います。しかしそれなら前段の範囲でも言えることですし、そう思うなら、「私自身で直接訪ねて行く」などという気にはならないでしょう。

ここは出家した姿の浮舟を見ることになることの意外感と不快感を言うのではないでしょうか。彼には訪ねていく気があるのですが、自分が世話をしていた女はこんな変なことをする女だったのだと思うことになるのが嫌だ、と言っているように思います。

 そう思いながら、中宮がご存知なら匂宮は当然知っているだろう、そして自分で訪ねて行くつもりで、中宮には、私には言わないでおいてくれと言い置かれたのだろう、だから中宮はあの時私に話して下さらなかったのだ、そういうことなら、「せつなくいとしいと思うけれども」、私はあっさり身を引こう、その内に色恋のことを離れて、浮舟が一度は見て来ただろうあの世の話くらいはできるようになるだろう…、といったんは思うのですが、しかし、それでもやはり心が残るようで、「ご様子が気にかかるので」、中宮と話がしたいと、機会を作ります。

この「ご様子」を『評釈』は匂宮の様子と言いますが、それなら直にあって探りを入れようとするでしょうから、『集成』の「中宮のご意向」という方が自然だと思われます。

中宮が、匂宮と浮舟のこれからのあり様をどう考えているのか、もし縁を切らせようと思っておられるのなら、自分が浮舟の様子を見ることも考えてみようということのようです。》

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