【現代語訳】

 大将は、この一周忌の法事をおさせにになって、

「はかない縁で終わってしまったことだ」としみじみとお思いになる。あの常陸の子どもは、元服した者は蔵人にしたり、ご自分の近衛府の将監に就けたりなど目をお掛けになるのだった。

「童で、中でも小綺麗なのをお側近くに召し使おう」とお思いになっていたのだった。
 雨などが降ってひっそりとした夜に、后の宮に参上なさる。御前ののんびりとした日なので、お話などを申し上げるついでに、
「辺鄙な山里に何年か通っておりましたが、人の非難もございましたけれども前世の因縁があったのでしょう、誰でも気に入った向きのことはそうしたものと納得させながら、やはり時々逢っておりましたところ、場所柄のせいかと、情なく思うことがございました後は、道のりも遠くに感じられまして、長いこと通わないでいましたところ、最近ある機会に出かけまして、はかないこの世の有様をあれこれと考えますと、ことさらにわが道心を起こすために造っておかれた、聖の住処のように思われました」と申し上げなさるので、あのことをお思い出しになって、とてもお気の毒なので、
「そこには、恐ろしいものが住んでいるのでしょうか。どのようにしてその方は亡くなったのですか」とお尋ねあそばすのを、

「やはり、引き続いての死去をお考えになっているのか」と思って、
「そうかも知れません。そのような人里離れた所には、けしからぬものがきっと住みつくものですが、亡くなった様子も、まことに不思議でございます」と言って、詳しくは申し上げなさらない。

「やはり、このように隠している事柄を、すっかり聞き出してるのだ」とお思いになるようなのが、実に気の毒にお思いになり、宮が物思いに沈んでその当時病気におなりになったのを思い合わせなさると、やはり何といっても心が痛んで、

「どちらの立場からも口を出しにくい方の話だ」とおやめになった。

 

《前段から少し時が経ちました。浮舟の一周忌を終えて、今、久々に登場した薫は、感慨しきりです。

「思えば大将が始めて三条に隠れていた浮舟を訪ねたのは一昨年の九月のこと、そのまま宇治に住まわせてわずか半年ばかりで姿を消してしまった」(『評釈』)のですから、確かに「はかない縁」だったわけです。

そしてそれから、今、一年が経ちました。その間に、彼は、浮舟の母に約束した(蜻蛉の巻第四章第五段)ことをきちんと果たして、一族の者の官職の世話をして来ました。

 さて、そんなころのとある雨の夜、彼は中宮を何気ない「ご機嫌うかがい」(『評釈』)に訪ねました。御前に人も少なく、気軽な話ができる場面でした。彼は宇治の話をします。

彼の話はたいへん漠然とした話のように見えますが、中宮はすでに侍女の大納言から(蜻蛉の巻第五章第七段)と僧都から(手習の巻第五章第五段)話を聞いていて、、薫と浮舟とのことについてはかなり詳しく知っていますから、ほとんどのことが理解できました。

 「聖の住処」は八の宮が住んでいた所、という意味のようで、彼としては、故八の宮が「ことさらにわが道心を起こすために」誘われたのではないか、という話、つまり道心の話をしたかったということでしょうか。

しかし、中宮は、なまじっか浮舟がらみの話を知っているだけに、「場所柄のせいかと、情なく思うこと」があった、という点に関心が向いたようです。それが、二人の姫が相次いで亡くなったことを言っているのだと分かりましたので、反応は率直で、「その方」の亡くなった時の様子を訊ねます。

人の会話の中には、こうしたちょっとした関心の食い違いがあって、それがコミュニケーションを面白くしたり、逆に意思の疎通を損なったするものだということを、この作者は好く承知しているようで、折々巧みに利用します。

 ここでは、薫は中宮のその言葉に、いろいろなことを知っておられるようだと、ちょっと警戒する気分です。

「その方(原文・かの人)」は単数ですから、この場合、浮舟のことを訊ねておられることになるのでしょう。

薫は、所詮は身分不相応の田舎の姫相手の、「人の非難もございました」という話であり、さらには正室・女二の宮の手前もあって、ということなのでしょう、あまり大ぴらにはしにくい方に話が向かいかけたので、さりげなく話を収めようとしているようです。

 中宮はそういう薫の気持ちを、これまた素早く気付かれたようで、これ以上の追求はこの人を困らせるだけでもあり、またさらに話せば、息子の匂宮についてこちらからも何か言わねばならない羽目になりそうで、「どちらの立場からも口出しにくい」話だと、とりあえずはこちらも切り上げられます。

 しかし、話したいことがあるにはあるのです。》

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