【現代語訳】

「不思議なことに、このような器量やお姿なのに、どうして身を厭わしく思い始めなさったのだろうか。物の怪もそのように言っていたようだが」と思い合わせると、

「何か深い事情があるのだろう。今までも生きているはずもなかった人なのだ。悪い霊が目をつけ始めたので、とても恐ろしく危険なことだ」とお思いになって、
「ともかくも、ご決心しておっしゃるのを、三宝がたいそう尊くお誉めになることで、法師の身として反対申し上げるべきことでない。御戒は、実にたやすくお授け申すことができるけれども、急ぎの用事で出かけて来たので、今夜はあちらの宮に参上しなければなりません。明日から、御修法が始まる予定です。その七日間の修法が終わって帰山する時に、お授け申しましょう」とおっしゃると、

「あの尼君がおいでになったら、きっと反対するだろう」と、とても残念なので、
「あの気分が悪かったときと同じようで、ひどく気分がすぐれませんので、重くなったら、戒を授かってもその効がなくなりましょう。やはり、今日は嬉しい機会だと存じられます」 と言ってひどくお泣きになるので、聖心にもたいそう気の毒に思って、
「夜が更けてしまいましょう。下山しますことは、昔は何とも存じませんでしたが、年をとるにつれて、つらく思われましたので、ひと休みして内裏へは参上しよう、と思いますが、そのようにお急ぎになることならば、今日お授けいたしましょう」とおっしゃるので、とても嬉しくなった。
 鋏を取って、櫛の箱の蓋を差し出すと、
「さあ、大徳たち。こちらへ」と呼ぶ。最初にお見つけ申した二人がそのままお供していたので、呼び入れて、
「お髪を下ろし申せ」と言う。なるほど、あの大変であった方のご様子なので、

「普通の人としては、この世に生きていらっしゃるのも嫌なことなのであろう」と、この阿闍梨も道理と思うので、几帳の帷子の隙間から、お髪を掻き出しなさったのがたいそう惜しく美しいので、しばらくの間、鋏を持ったまま躊躇するのであった。

 

《浮舟の必死の懇願に僧都もいろいろなことを思いました。そのあたりを『評釈』が大変分かりやすく解説しています。

「齢も若いし、人もうらやむ器量なのに、どういう事情があるのか」という疑問はあったが、思い返せば、あの物の怪が「(この姫は)自分は何とかして死にたい、ということを、昼夜おっしゃっていた」(第二章第二段)と言っていた、よほどの事情があるようだ、そして「もともとこの人は、宇治院で見つけなかったら、命のないところだった」だろうし、あの物の怪が調伏できなければこれもまた生きられなかっただろう、そして彼女自身ここで実際に尼たちと暮らしてその生活がどのようなものかをよく承知した上での願いであるだろう、するとそれは聞き入れてやってもいいのかも知れない、「それに、もともと法師は、人に出家をすすめこそすれ、出家の願いをひるがえさすべきではないのだ」、…。

こうして僧都は、浮舟の願いをかなえてやるのがよいのではないかと思い至ったのでした。では、「(都での)七日間の修法が終わって帰山する時に、お授け申しましょう」。彼には、あるいはその間に、ひょっとして気持ちが変わるかも知れないという思いもあったかも知れません。

ところが浮舟はそれでは困るのです。七日も経てば尼君が帰って来ます。そうすればきっと大反対されて、思いは叶わぬことになるに違いありません。

今自分は体調が悪く、いつ何があるか分からないような気がします、今日僧都にお目にかかれたのは、仏さまのお導き、「嬉しい機会」で今日を措いて他の日はありません、…。

 そう言われると僧都は、この娘はすでに心と体をひどく病んでいるという印象がありますから、言うとおりかもしれないという気になります。本当にそんなことになって、機会を逃したら、仏さまにも申し訳ない、…。彼も心を決めました。

 補助をする僧を呼ぶと、たまたま宇治で浮舟を見つけた、あの二人の僧(第一章第二段)でしたので、あの娘なら仕方があるまいと、なんとなく納得する感じで、疑問を持ちません。ただ、切らねばならぬその髪のあまりの美しさに、さすがに「しばらくの間、鋏を持ったまま躊躇」しているのでした。》

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