【現代語訳】

 身分の低そうな法師どもなどが大勢来て、
「僧都が、今日下山あそばしますでしょう」。
「どうして急に」と尋ねる様子に、
「一品の宮が御物の怪にお悩みになっているのを、山の座主が御修法をして差し上げなさるのですが、やはり僧都が参上なさらなくては効験がないといって、昨日、再度お召しがございました。右大臣殿の四位少将が、昨夜、夜が更けて登山あそばして、后宮のお手紙などがございましたので、下山あそばすのです」などと、とても得意になって言う。

「恥ずかしくても、お目にかかって、尼にしてくださいと言おう。口出しする人も少なくて、ちょうどよい機会だ」と思うので、起きて、
「具合が悪くばかりいますので、僧都が下山あそばしますときに、授戒をしていただこうと思っていますから、そのように申し上げてください」と相談なさると、惚けた感じで、ぼけたようにうなずく。
 いつもの部屋にいらっしゃって、髪は尼君だけがお梳きになるので、他の人に手を触れさせるのも嫌に思われるとはいえ、自分自身ではできないことなので、ただわずかに解きおろして、母親にもう一度このままの姿をお見せすることがなくなってしまうのは、自分から望んだこととはいえ、とても悲しいことだ、ひどく病んだせいだろうか、髪も少し抜けて細くなってしまった感じがするが、それほども衰えていず、たいそう多くて、六尺ほどある末などはとても美しかった。毛筋などもたいそうこまやかで美しく見える。
「かかれとてしも(母はいずれ剃り下ろしてほしいと思って髪を撫でてくれたのではなかっただろうに)」と、独り言を言って坐っていらっしゃる。
 暮れ方に僧都がおいでになった。南面を片づけ準備して、丸い頭の恰好が、あちこち行ったり来たりしてがやがやしているのも、いつもと違ってとても恐ろしい気がする。

母尼のお側に参上なさって、
「いかがですか、このごろは」などと言う。
「東の御方は物詣でをなさったとか。ここにいらっしゃった方は、今でもおいでになりますか」などとお尋ねになる。
「ええ。ここに残っています。気分が悪いとおっしゃって、戒をお授かり申したい、とおっしゃっています」と話す。

 

《浮舟が大尼君に気の進まない朝食を一方的に勧められて辟易しているところに、表が急に騒がしくなりました。誰かが来たようで、僧都の下山を告げています。「身分の低そうな」は視覚によるものですから、作者の説明で、浮舟には声だけが聞こえてくるのでしょう。使い走りの者が取り急ぎ知らせに来たのです。それだけの用事に「大勢」であるのがよく分かりませんが、都への先発隊か何かなのでしょうか。「得意になって言う」大きな声が、浮舟のところによく聞こえました。

 咄嗟に彼女は、この機会に出家しようと思い立ちます。尼君がいれば思いとどまるように懇願され、あるいは厳しく反対されるでしょう。その留守の間の願ってもない機会だと思ったのです。

 彼女は大尼君に口添えを頼みました。老いてボケの入っているらしい大尼君は理解しないままに、請け合います。

浮舟は僧都に会うための身支度に部屋に帰りましたが、決心はしたものの、さすがに今生の区切りと思うと、我が髪を整えながらついにこのままの姿をもう一度母に見てもらうことができないことが悲しく切なく思われます。

 このあたり、文のつながりが分かりにくく思われます。「ただわずかに解きおろして」までが地の文で一区切り、次から「とても悲しいことだ」までは浮舟の気持ちを直接語り、次いでそのまままた地の文に帰るということになっているようです。

 夕方になって僧都が山を下りて来て立ち寄りました。大尼君は、挨拶に来た息子に、何かのついでのように浮舟の出家の依頼を伝えました。

『評釈』は、他の話もしたのであろうが、「(物語として)さしあたって話に関係のある点」だけを取り上げたのだと言いますが、そうではなくて、浮舟の人生の悲しい区切りとなるようなことを、挨拶の中でただ近況を伝えるように伝えたというところに、この人のボケぶりが見られて、おかしくも悲しい場面になっている、と言うべきではないでしょうか。》

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