【現代語訳】

 お車を寄せてお下りになる時、ひどく苦しがりなさると言って、大騒ぎする。少し静まって、僧都が、
「先程の人は、どのようになった」とお尋ねになる。
「なよなよとして何も言わず、息もしません。いやなに、魔性の物に正体を抜かれた者でしょう」と言うのを、妹の尼君がお聞きになって、
「何事ですか」と尋ねる。
「これこれの事を、六十歳を過ぎた年になって、珍しい物を見ました」とおっしゃる。それを聞くなり、
「私が寺で見た夢がありました。どのような人ですか。早速その様子を見たい」と泣いておっしゃる。
「すぐこの東の遣戸の所におります。早く御覧なさい」と言うので、急いで行って見ると、誰も寄り付かないで、捨て置いてあった。とても若くかわいらしげな女で、白い綾の衣一襲に、紅の袴を着ている。香はたいそう芳ばしくて、上品な感じがこの上ない。
「まるで、私が恋い悲しんでいた娘が、帰っておいでになったようだ」と言って、泣きながら年配の女房たちを使って、抱き入れさせる。どうしたことかとも事情を知らない人は、恐がらずに抱き入れた。生きているようでもなく、それでも目をわずかに開けたので、
「何かおっしゃい。どのようなお人が、こうおなりになったのか」と尋ねるが、何も分からない様子である。薬湯を取って自身ですくって飲ませなどするが、ただ弱っていって死にそうなので、
「かえって大変な事になります」と言って、

「この人は死にそうです。加持をして下さい」と、験者の阿闍梨に言う。
「それだから言ったのに。つまらないお世話です」とは言うが、神などの御ためにお経を読みながら祈る。

 

《ちょうどその頃、僧都の母が到着しましたが、車を降りる時に大変苦しがったので、大騒ぎになって、みんながさっきの出来事を忘れてしばらく時間が経ってしまったようです。

 僧都が思い出して、「先ほどの人は」と尋ねると、ずいぶん軽い感じで、「息もしません」と言って、放ってあるようです。

『評釈』が「(死者を)貴族は一般に火葬にしたが、平民たちは死体を村はずれなどに捨てたようである。死んだものと思って捨てたものが、よみがえることも時にはあった」と言います。弟子たちにとっては、すでに死体同然に思われていたのでしょう。

 それを聞いて、母に付いていた僧都の妹尼が、驚いたように「何事ですか」と口をはさみます。

 そして行き倒れのような娘がいると聞くと、「私が寺(参詣した初瀬の長谷寺)で見た夢がありました」と言って、その様子を見たいと「泣いておっしゃる」のでした。

 彼女はすぐに行って見ます。するとそこには女性が「捨て置」かれていました。「とても若くかわいらしげな…上品この上ない」人です。尼君は「まるで、私が恋い悲しんでいた娘が…」と、女房を呼んで抱かせて家の中に入れました。この尼君は長谷寺に籠っていた間に「死んだ娘の身代わりを授かるといった夢のお告げがあった」(『集成』)ようなのです。

言われた女房は、先の大徳とは違って(前段)、普通に具合の悪いだけの娘だと思ったのでしょう、平気で抱いて行ったようです。

湯など飲ませるのですが、その若い女は、かろうじて目を開けただけで、すぐにそのまま「ただ弱っていって死にそう」になってしまいます。

 尼君は急いで験者に加持をさせますが、その陰で僧都の弟子たちは、言わないことではない、やはり余計なものを背負い込んだのだと愚痴を言っています。》